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解釈は疑問文で

フロイトが創設した「精神分析」が今日における様々な心理療法を発展させたと言っても過言ではありません。

精神分析の技法の中で、「解釈」と言われる重要な技法があります。
Th(セラピスト)がCl(クライアント)の話を聞き、そこで心理的な解釈を行い、Clに言葉で伝えるのです。

するとその解釈が深層心理に効き、今まで流れが滞っていた心的エネルギーが流れ出すというものです。

解釈を行う上で大切な要素は、「解釈は疑問文で行う」ということです。

解釈は無意識に対しての操作です。無意識にあるということはその人にとって何らかのトラウマティックな味わいがあるものです。

そこに対しての解釈の投げかけを断定的なコトバで行ってしまうと無意識のブロックが働いてしまい、その解釈ははじかれることになります。

それは非常に重要なことです。しばしば心理療法家や占い師たちはClたちの秘密を暴こうとします。

しかし、秘密にしているのはその人なりの理由や工夫(自然治癒力)があるのです。臭いものには蓋をする。です。蓋を無理やり取ろうとするとどうなるか、、

目の前の癒してくれる存在であるはずの、Thが自分を侵襲してくる悪魔のような存在に様変わりすることになります。

しかし、難しいところはその心理療法家や占い師はいじめてやろうという気はさらさらなく、それがClのためになると本気で思っているのです。

善意が相手にとっての不利益となる事態を「悲劇」と言います。
悪意が相手にとっての利益となる事態は「喜劇」です。

カウンセリングや占いなどの様々なセラピーという場が「悲劇」の舞台になっていることは、実は珍しくないのかもしれません。

ほとんどのClはThに対して文句は言えないものですので、Clは不満を抱いていることにThは気づくことがなく、また悲劇は再演されてしまいます。

ここで考えなければならないのは、ClがThに不満や文句を言うのは実は素晴らしいということです。

それだけ互いにラポール(信頼関係)が成り立っているのです。いかにThの解釈に対して素直な思いをClが伝えられるかが今後のセラピーのプロセスに大きく関わってきます。

そのための工夫が「解釈は疑問文で」です。
「あなたの人間関係の問題の根底には母親との関係が影響しているわね」
「あなたの人間関係の問題の根底には母親との関係が影響しているのかな?」

2つの解釈を例に出しました。後者の方が、「No」と言える余地が残されています。もしもThの解釈が正しかったとしてもClが「No」と言えば、その考えを尊重します。「そうですか。じゃあ私の考えは違っていましたね。」と素直に言うのです。

Thの「疑問文での解釈」→「Clの反応を受けて、解釈を取り下げる」という流れがclに安心感を抱かせ、無意識のブロックは弱まります。

すると、じわじわと無意識レベルでThの解釈が効いてきます。その後Clの中で洞察が進み、現在の人間関係と母親との関係においての結びつきが意識されるようになります。

しかも、これはClの自覚的には自分自身で導いた洞察になりやすいので、Clの主体性を賦活させThに対しての無駄な依存関係を避ける工夫にもなります。

解釈を断定して言うのと疑問文で伝えるのでは、内容が同じであったとしても構造が違います。人の無意識は話の内容以上に構造に反応するものです。


心理療法家として占いをしている僕の工夫です。
みなさんはどうですか?




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