占い師の服装問題
看護師さんや警察官などの職業には制服があります。しかし、心理カウンセラーにはいわゆる制服はありません。あまり目立たない格好が良いと言われています。
同様に占い師にも制服はありません。イベントに出ると皆さん全然服装の系統が違います。
どういう服装が良いか悩みます。落ち着いた服装が良いという方もおられますし、目立つ服装が良いという方もおられます。つまり正解がないのです。
服装もいくつか自分なりに試行錯誤しながら着ていますが、たんぽぽのNORIKOさんや霊感カウンセラーの紫音さんに、コーディネートした服装の意見をもらったところ「中途半端なおかまみたい」というご意見を頂く始末、、
「自分は中途半端なおかまなのか?」という自問自答が夜ベッドで寝る際に頭を駆け巡ります。
世界広しといえど中途半端なおかまの鑑定を受けたい人などいないのではないか??
と悩んでいたところ、先日の癒しスタジアムでいつもお世話になっている、ストーン販売&占いのあいさんとご主人さまから、「いつもおしゃれな服着てるよね」と服装を褒めて頂きました。
しかもあいさんからは「堂本剛に似ている!」とのことです!(あいさんは堂本剛のファンだそうです)
晴れてファン公認の堂本剛認定を頂いたわけです。
「中途半端なおかま」と「堂本剛」2つの認定を受けたわけですが、さらにどうしたら良いのかわけがわからなくなってきました、、
ガラスの破片が胸へと突き刺さるとはこのことを言っているのだと気づきました。
同じような服装でもそのように見え方が変わるという事象はすなわち、人は主観的な世界を生きていて、同様のものを知覚していたとしても認識が変わるということです。知覚をしてそれをどのように色づけするかは受け取り手の認識に委ねられるわけです。
目の前のリンゴが赤色なのではなく、自分がそこに赤色を見ているという哲学的主題であり、唯物論と観念論の違いへと連想は進みます。
悩みと連想が限界まで来たときに、「占い師としてどのような服装を着れば良いか?」という本題のテーマを振り返ります。(悩んだ時こそ、最初のテーマに戻る、つまりソースに還るというカバラの教えを思い出したのです。)
すると、ホロスコープ解釈の太陽星座にヒントが隠れていることに気づきます。似合う服装は実はホロスコープにおいて導き出すことができるのです。さらに恋愛で似合う服装や、自分を目立たせる服装、素の自分の服装などなど、様々な状況により似合う服装を細かく導き出せるのです!
ホロスコープ分析を営みとしていながら自分の悩みに対して用いることを忘れていました。占いを始めたきっかけとして、「自分の悩みを自分で解決する」という動機があったことを思い出しました。
どんな技術も職業も、自分がそれを志した際の動機を常に思い出すことが何よりもの成長のヒントになるという考えがあります。「初心わすれるべからず」は、基本であり秘伝でもあるのです。
今回の悩みはそのことに気づかせてくれるきっかけだったのかもしれません。目の前に現れる悩みはどんなことであっても、自分が成長出来るためのきっかけを教えてくれるありがたきヒントなのです。
「問題と解決はセット」は僕が扱うカモワンタロットの根底に流れる考えでもあります。
目の前に現れる問題は、光の存在へと導いてくれる自分のシャドウ。シャドウを愛せたときに自分を愛することが出来るのです。
大切なことに気づかせてくれた、占い師服装問題でした。
しらんけど。