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「臍帯」(原作:童謡『小山の子兎』)

「卵の黄身ってさ、赤っぽい方が上等な気がするじゃん」
「そんな感じですね」
「でもあれって鶏の餌による色で、別に黄色でも赤でも栄養は一緒なんだって」
「へー」

 白衣を着た人物が二人、研究室で卵かけご飯を食べている。
「先輩は黄身だけ派っすか。俺は白身も黄身もかける派ですね」
 卵の蘊蓄を垂れた方が先輩のようだ。
「白身もかけるとご飯がジャブジャブして嫌なんだよ。黄身だけに九州の甘めの醤油を掛けて、あれば焼き海苔と縮緬雑魚。これがマイベストだな」
「拘りますねー」
と後輩は笑う。
「そういえば、先輩が時々歌ってるのも九州の子守唄ですよね。俺調べたんですよ。九州の何処出身なんですか」
「え?」
「ほら、こんこん小山の子兎って・・・どうかしました?」
 先輩が箸を取り落とした。
「・・・いや、何でもない」
 先輩は箸を拾い卵かけご飯を掻き込むと席を立った。
 その後ろ姿を見送っていると、様子を見ていた別の研究員が
「おい。地雷踏んだな」と声をかける。
 後輩が慌てる。
「え?俺変な事言いました?」
「小山に子どもの頃の話は禁句。あいつ孤児で施設育ちなんだよ。小学生位からは東京だって。俺大学が一緒だったから聞いたんだけど」
「マジすか。俺知らなくて・・」
「うん、本人も別に隠してはないんだけど、わざわざ他人には言わないって感じかな。謝るのも変だし、あとはスルーしとけ」
「了解です。教えてくれて有難うございます、笹本先輩」
「ん」

 その日の帰り道、歩いていた小山に笹本が声を掛けた。
 二人は雑談しながら駅までの道を歩く。
「お前、箸落としてんじゃないよ」と笹本が言った。
「別に。ちょっと驚いたんだよ。あれが九州の歌だなんて知らなかったんだ」
「迂闊だなー。検索すればすぐ分かるだろうに」
「なんか・・・多分調べるのが嫌だったんだろう。それに人前で歌ってるつもりはなかったから、聞かれてたのが気まずかった」
「俺も聞いたことあるけど」
「マジか。うわ地味に嫌だな」
「あはは」
「俺が九州の出身か・・・それとも母親がそうだったのかもな。引き取られた時は小学生だったから子守唄って年齢じゃないし」
「引き取られた先の苗字が小山ってのは偶然か」
「あぁ」
「小山って家に引き取られてさ。こやまって響きを何回も聞く訳だろ。それで子守唄の記憶も薄れずに残ったのかもな」
「そうか。お前頭いいな」
「そっちの方が頭良いのに、小山は自分のこととなると抜けてるんだよ。朝からシャツのボタン掛け違えてるからな」
「おま、今言うか。もう夕方だろーが」
 笹本は高笑いをしながら道を分かれて行った。

 電車に乗った小山英一は物思いに耽る。幾ら考えても引き取られる前の記憶は呼び戻せなかった。
(まぁ、思い出してもどうしようもないけど)
 記憶の最初の1ページは、何処かのベッドで目覚める自分。そこから断片的に、複数の子供たちの中で食事をとる自分。養父母との出会い。
 環境が整ってから英一は飛躍的に成長した。記憶の空白を埋めるように勉強を重ね、優秀な成績で大学に合格して院まで進んだ。卒業後は化学薬品の会社に就職して研究部門に在籍している。
 頭脳明晰で性格は穏やか、さっぱりした顔立ちで長身の小山は女性からの受けも悪くないが恋愛には淡白だ。女性嫌いではない。人間への関心が薄いのだろうと、小山は思っていた。

 ところがそんな小山が心動かされる女性が現れた。春に研究室に配属された新人で、名前は崎山佳恵。美人とは言えず、田舎臭さが残るような朴訥な女性だったが、一緒に仕事をするうちに惹かれるようになった。
「お前ああいうのが好みだったんだな」
と笹本に揶揄われたが、
「自分でも意外だよ」と小山は否定しない。
「なんか、話してて落ち着くんだよ。出来れば結婚したい」
「おいおいおい、急だなぁ。付き合ってまだ二ヶ月だろ?」
「理屈じゃないんだよ。俺はあんまり恋愛に興味がなかったからさ、彼女を逃すと次は無い気がする」
 小山は照れながら笑った。

「え?どうして・・」
「待って。私も分からないの。親のことは説得するから、少し時間をもらえないかしら」
 小山と佳恵はカフェに居る。佳恵は申し訳なさそうに俯く。
「結婚を申し込まれたって言ったら両親はとても喜んだの。会いたいとも言ってくれたし。でも少しして連絡があって、考え直せって言い出して」
「理由は?やっぱり、まだ交際期間が短いからかな」
「そうじゃないみたい」
 小山は客観的に自分を女性の結婚相手として分析する。勤めている会社は優良企業で給料も良い。酒やギャンブルといった悪癖も無い。若干人間関係に淡白だが、性格を咎められたことは一度も無い。
「・・・俺が施設の出身ってことしか考えられないな」
「そんな筈は・・私の叔母さん夫婦も子どもが出来なくて養子を迎えているの。とっても仲が良い家族なのよ。だからその点で反対することはないと思うんだけど」
「その・・佳恵さんはどうなの。気持ち的には」
「私は」
 佳恵は少しはにかんだ後
「わ、私、自分にこんなかっこいい彼氏が出来るなんて思わなかった。英一さんはとても優しいし・・・英一さんこそ私なんかでいいのかな・・私、まだ訛りも抜けないような田舎者だけど」
「いつも言ってるだろ。佳恵さんといると落ち着く。俺がもし唯一無二の家庭を作るなら、相手は君じゃなきゃ出来ない」
 二人を手を握り合う。
「俺は君が大事だから、君のご両親にも賛成してもらいたい。信用が得られるように頑張るよ。焦らないで時間を置こう」
 佳恵を駅まで送り小山は考えた。彼女が両親に話し、両親から反対の意思が伝えられるまで間があった。
(俺の身上調査でもしたんじゃないか)
 佳恵の父親は公務員だと聞いている。一人娘の交際相手のことを調べる位するかも知れない。
 自分でも調べてみよう、と小山は思った。
 養父母は他界しているが、調べれば保護されていた施設位分かるだろう。小山は自分の身上調査を興信所に依頼した。

「こんな結果になるなんて、こっちも思わなかったんですがね」
「・・・・」
「調査は所長の私自身で行いました。秘密は絶対に守ります。ただその・・お相手は九州のK県のご出身で、お父様は警察の方のようですね。残念ですが厳しい状況だと思います」
 小山はテーブルに広げられた資料を見る。興信所の応接室で他に人目は無い。
「この事件なら何かで読んだことがありますよ。まさか自分が・・」
「勿論あなた自身に罪はありません。むしろ被害者です」
「有難うございます」
 興信所の所長は誠実な人間だった。
「資料はここに印刷したものが全てです。パソコンのデータは消しました。ご希望なら今すぐ資料をシュレッダーにかけて、断裁したものをお持ち帰りいただいても結構ですが」
 所長はそう言ってくれたが、小山は資料をそのまま持ち帰ることにした。
「ありがとうございます。知らないより、知ってよかった」
 小山はそう言って興信所を後にした。重い事実を受け止めて疲労したのか頭痛がする。ふらつく足取りで自宅へ戻り、倒れるように眠り込んだ。
 翌日、連絡して仕事は休んだ。更に次の日は健康上の理由として退職を申し出、佳恵には別れを告げた。理由は言わなかった。

 1年後。

「え、おい、小山じゃないか?」
 小山と笹本は東北の都市で再会した。
「・・・笹本・・・」
「お前、今までどうしてたんだ?」
 笹本はまじまじと小山を見る。
「痩せたなぁ・・・体、まだ悪いのか。仕事は?この町に住んでるのか?てかお前、なんで急に居なくなったんだよ。スマホも繋がらないし」
「急に辞めて迷惑かけたな」
「いいんだよ、何とかなったって!お前が抜けた穴は大きかったけどよ。仕事はいいんだよ。それより崎山さんだよ。落ち込んでたぞ。もう実家の方に帰ったらしいけどな」
「そうか・・」
 笹本は東北にある大学の講演を聞きに来ていた。夜は空いているから飲もうと小山を強引に説き伏せた。小山は躊躇っていたが
「それなら良かったら、俺の家に来てくれないか」と誘った。

 その夜二人は小山の住むアパートの一室に籠った。笹本が尋ねると小山は、会社を辞めた後は暫く体を休め、その後新しい仕事を求めてこちらへ移り住んだと言った。
「北の方に来たのは、崎山さんと離れたかったからか?」
「相変わらず頭いいな。そうだよ」
「何があったんだよ・・・」
 小山はじっと笹本を見た。立ち上がり本棚から封筒を取ると、中の資料をテーブルに出した。
「お前知ってるかな。二十年前にK県で起きた事件。山の中に夫婦が居て、生まれた子供を学校にも行かせないで虐待して、うち何人か殺して埋めてたって」
「いや知らないな。お互い子供の頃だろ。小学せ・・・」
 笹本が黙る。
「お前、やっぱ頭いいな」
 小山が言う。
「そう。俺の家族。俺は最後の生き残りだ」
「小山・・・」
「思い出したんだ。思い出したら頭から離れないんだ。暗い部屋に響く幼い兄弟の悲鳴を。俺より上にも兄弟は居たらしい。でも、俺が物心ついた時に俺よりも年上の子供は居なかった。俺は母親の胎内から見ていたのかな。俺の兄だか姉だかが親に殺されていく姿を。佳恵さんに惹かれた理由も分かったよ。訛りだ。言葉のイントネーションだよ。俺を産んだ母親と同じだったんだ。彼女の声が母親と重なったんだ。あの子守唄を歌ってくれた母親の声と」
「小山。お前に罪は無い」
「でも、人殺しの血が流れてるんだぜ?義理の親もよく引き取ったよな、育ててくれたよな。あの親が、本当の親なら良かったなぁぁ・・・」
「小山、小山っ!」
 小山英一は膝を抱えて泣いている。その肩を笹本が抱く。
「・・・怖くなったんだよ・・・俺が家庭を持ったら、親みたいに酷い事をするんじゃないかって。だから・・・」
「お前はそんな奴じゃないって!俺は大学の頃からお前を知ってる!」
 小山は泣き続けた。笹本は慰める言葉も無かった。ただ一晩を共に過ごしてやることしか出来なかった。

 翌朝。
「悪ぃ・・・」
「お前すごい顔になってんぞ。冷やせよ」
 泣き続けた小山の瞼は腫れ、目は真っ赤だ。
「ああ。時間大丈夫か?」
「まだある。腹減らないか?どっかファミレスでモーニングでも食べるか」
「この近所無いんだよ。家に何かあるかな・・・」
 結局二人は冷凍ご飯をチンして卵かけご飯にした。
「俺も黄身だけ派だわ」と笹本が笑う。
「あのさ。前に確か、黄身の色は餌によるって言ってたよな」
「よく覚えてるな」
「つまりあれだ、黄身の色は遺伝とかじゃないってことか。環境によるんだよな」
 小山が笑う。
「笹本。お前優しいな」
「何だよ」
「俺を卵の黄身にすんなよ」
 笹本は少し照れ臭そうに笑う。
「余計なお世話ついでに言うけど。あの・・・崎山さんに連絡取れ。会社を辞める前に悩んでたぞ。何が彼を怒らせたんだろうって。全部事情を言う必要はないけど」
「多分親から聞いてると思う」
「自分の口で区切りをつけてやれよ。後の判断は彼女がするだろ」
 小山がもう一度笑う。
「俺は人間関係淡白な性格だと思ってるけどさ。お前と知り合えて良かったよ」
「お、おう・・」
「崎山さんには手紙を書くよ」
「そうしろ。あとさ、お前」
「うん?」
「シャツのボタン掛け違えてるぞ」


                            (了)

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