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「優しく雨ぞ降り頻る」(原作:北原白秋『雨ふり』(童謡))

 センセイ。オカアサンガ ムカエニ キマシタ。
 僕ははっきりとそう言ったつもりだけれど、先生は振り向きませんでした。
 聞こえなかったのか、もう一度言おうと思っても、どうしてもどうしても声が喉から出ないのでした。
 僕はとろとろと夢を見ています。

 あれは、晴れた日の午後。
 絽というのでしょうか、母さんは薄い夏の着物を着て日傘を差していました。僕の母さんは近所でも評判の美人で、まるで日本画から抜け出たようだとよく言われました。それには少し影が薄いような、陰気な風情が含まれたのか知れませんけれど、当時の僕には分かりませんでした。僕は五歳か六歳だったと思います。

 夏の青空を背景に、どこか頼りなげな笑みを浮かべながら、僕の方へと手を伸ばす母さん。僕より先に妹がヨチヨチと駆け寄ろうとするので、笑みを顔中へ広げて、土を厭わずに膝をつけ、妹をヨイショと抱きとめる母さん。僕が近づくと、母さんは優しく頭を撫でてくれました。

 あの日、僕らは何処へ行こうとしてたのか。どうしても思い出せないのです。
 軽く握った母さんの手はひんやりと冷たくて、早朝の開く前の、露を含んだ朝顔の蕾のようでした。

 ひんやりと・・・

 そういえば今も、何処か空気がひんやりとしておりますね。

 ああ、そう、きっと、雨が降るのです。

 思ひ出の母さんの肖像は、日傘の母さん、寝床の母さん。しんどそうに体を起こして、これしか喉を通らないと、桃の缶詰の汁を飲む母さん。その頃にはすっかり痩せ細って、幼い僕でも体を支えることが出来ました。
「ごめんね」
と母さんは言いましたけれど、僕は頼もしく母さんを支えられることが嬉しくて、しょっちゅう枕元を訪ねたものです。あまり頻繁に行くので、寝かせてあげろとバァバに叱られました。
 お庭で遊んでいてもバァバに、静かにしろと叱られましたが、母さんは
「元気な声を聞くのは嬉しい」と、お見舞いに貰ったお菓子を僕らにくれました。
 何故でしょう。そこからポコリと記憶が抜けるのです。

 僕の記憶には幾たびか隙間があって、気づけば違う土地へ引っ越しており、母さんの代わりに知らないオバさんがうちにいました。それに、見知らぬ赤ん坊が一人おりました。言葉を覚え始めた妹は、オバさんをオカアサンと呼びました。僕はどうしても呼べませんでした。オバさんはオバさんだと言うと父に叱られ「お前は頑固だ」と頭を叩かれました。

 月日が飛ぶように過ぎていきます。
 走馬灯のようです。

 僕は大人になって、父さんともオバさんとも妹とも別れて、自分の家庭を持ちました。奥さんは母さんとは少しも似てません。生まれた子どもは死にました。奥さんはおんおん泣きました。

 さっきから、遠くで誰かが喋ってますね。
 何だか音も聞こえますね、チャプチャプと。
 人生はどのように巡り巡るのでしょうか。

 また、記憶の隙間を越えました。奥さんはいつの間にか何処かへ行ってしまいました。妹が訪ねて来るようになりました。
 寝てばかりいると母さんを思い出します。
 母さんは長い髪を枕へ広げて、白い顔で天井を見て、僕がこっそり近づくと、「ご本を読んであげようか」と笑いました。
 僕は母さんが本を読むと疲れるのを知っていたので、代わりに学校でこんなことがあった、友達と何をして遊んだ、とお話をしました。
 学校が終わって家路について、玄関を上がって廊下の板を踏むまで、毎日僕は母さんに話すことを考えていたので、お話は一向に尽きません。バァバが来て「妹の面倒を見ろ」と叱られるまで、僕はずっと母さんにお話を聞かせました。

 ところで、僕は誰かにご本を読んであげることがあったでしょうか。・・・無かったようです。僕の子どもは死んでしまったのでした。子どもが生まれる前に買っておいたご本は何処へ行ったでしょう。悲しいからと奥さんが焼いたのでしょうか。そんな気がします。

 僕を診てくれる先生は、母さんの時の先生よりもずっと若いけれど、しっかりした良い先生です。僕は良い病院に入れて幸せだと思います。
・・・病院?・・・
 僕は、病気でしたっけ。よく分かりませんけれど。

 また夢の中です。
 何処かの軒先で、妹と一緒に雨宿りをしています。誰も迎えに来ないので僕も心細いのですが、妹を泣かせないようわざとニコニコしています。
 そしたら母さんが来るのです。
 大きな傘を差して、静かに笑っているのです。
(ああ、母さんだ。今日は何を話そうか)
 僕の心はワクワクしています。
 妹の足が濡れないように、頑張ってずっとオンブをしていたことを褒めてくださるでしょうか。
 寒かったろうと手を握って、息をかけてくださるでしょうか。
 僕は母さんの方へ手を伸ばしました。
 母さんはポツンと僕の前に立ったまま、
「妹は置いていきますよ」と言いました。
 思いがけない言葉に僕は固まりました。

「でも」
「妹は、後からちゃんと迎えが来ます」
「でも」
 母さんは毅然とした顔で
「物事には順番があるのです」
と言いました。
 僕は呆然と母さんの顔を眺めました。けれども
(母さんは、意味のないことを仰る人ではない。きっと何か訳があるのだ)
 そう悟った僕は、そろそろと背中から妹を降ろしました。
 まだまだチイちゃな妹はきょとんとした顔をしましたが、不思議と泣きませんでした。
 妹の足元が雨でずぶ濡れになっていくのを見て、僕の方が泣きたい位でした。 
 母さんの蕾のような指先が開いて、掌が僕の両頬を包みました。
「今まで良く頑張りましたね」
 僕は母さんの大きな傘に入って、雨の中を歩き始めました。雨は足元から暖かく、ほわほわと体を綿のように包みます。
「ほら」
 母さんが屈んで僕を背中に呼びました。

 僕は母さんの背中に揺られながら雨の音を聴いています。
 母さんのオンブはいつぶりだったでしょう、チイちゃな妹に譲ってばかりでいたので、何だか嬉しさで体がくすぐったいようです。
 母さんは唄を歌ってくれました。
 優しい声と雨音はいつまでも続くのでした。

「・・・先生」
「うん。八時二十分。記録して」
「はい」
 病室では医師と看護師がひとの最期を看取っていた。
「安らかなお顔ですね。苦しかったでしょうに」
「腹にだいぶ水が溜まっていたからな。延命処置をしていれば、きっとまだ」「でも、ご本人が拒否のご意向でしたから」
 医師と看護師はベッドの上の、枯れたような亡骸を見る。
 人生の重荷を下ろしたひとの顔は誰もが尊い。
 医師は沈黙の後に言った。
「人の命を助ける仕事だが、こんなに安らかなお顔を見ると、下手な延命もどうかと思うな」
「最後にどんな夢を見たのでしょう」

 遠くで声が聴こえますねぇ。
 あの優しいお医者様ですね。
 教えてあげたいけれど、どうしてもどうしても声が出ません。
 大好きな人がお迎えに来たのですよ、と。
 だから僕は、一体幾つまで生きたか忘れましたけれども、今はとても優しい気持ちなのです。
 明日が雨でも晴れでも曇りでも、良い日になるよう願います。
 下駄を飛ばしたら母さんに叱られるでしょうか。
 あーした天気はなぁーにーってね。ふふふ。

 随分お世話になりました。
 それでは皆様、ご機嫌よう。


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