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「ever after & after」(佐藤春夫「西班牙犬の家」の二次創作②)

 *①を先に読むことをお勧めします。

 カラコロとドアベルが鳴った。カウンターの中の老婆がチラリと客を見る。
「あらまあ、またいらしたのね」
「ええ、また来ましたよ」
 スーツ姿の青年はカウンターの席に座るとサンドイッチと珈琲を注文した。
「何度いらしても、売る気にはなりませんのよ」
「そうですか。でもまぁ僕も仕事なんで」
 うふふと老婆が笑う。
「お昼を食べながらおばあちゃんとお喋りをするお仕事?」
「ええ。経費は会社持ち。良い仕事でしょ」
「あらあら・・・上の人に怒られない?」
「とっくに怒られてますよ。そろそろクビかなぁ」
「まあ・・・あら?」
 老婆が取り出した手挽きのコーヒーミルを青年がひょいと取り上げた。
「僕が挽きますよ。僕の分だし」
「そうねぇ・・・貴方不思議ね」
「え?」
「貴方、不思議と他のお客様と被らないわ」
「ああ・・・そういやそうですね。おかしいな。いつも昼時に来るのに」
 青年は店内を見渡す。一瞥で視界に収まる程の、老婆一人が切り盛りするのに丁度良い広さ。漆喰の白壁に木製の家具。木枠の窓から差し込む陽光。テーブルの上の一輪挿しには、雛菊が野に咲くように揺れている。

「貴方、御伽噺はお好き?」

 老婆が言った。

「え?まぁ、好きでも嫌いでもないですけど」

 青年が答える。

「こんな話があるのよ。昔々、この喫茶店を始める前・・・私は、お年寄りのお世話をする施設に勤めていたの・・・」

・・・私は元々介護士でね。一生懸命働いたわ。それが、ある人に誘われて別の施設に転職したの。そこは最後を穏やかに過ごす人たちの為の施設だったわ。無理な処置をせずに静かに・・費用はちょっと高かったわね。というのも、そこはペットと一緒に入居が出来たの・・・

 話をしながら、老婆は青年の為にサンドイッチを作る。

・・・そこにある男性が居たわ。とても穏やかな紳士で白いテリアを飼っていた。私はその人の担当になったの。テリアはその方に懐いていて片時も離れなくて。その方はテリアを『僕の奥さんです』なんて言ってたわ。それ位仲が良かった。ただね・・・その方はもう余命宣告がされていたの。ご本人も知っていた・・・その方、辛いとか怖いとかは一言も仰らなかったわ。ただただ、『僕が死んだらこの子はどうなるんでしょう』ってテリアのことばかり。私は、ちゃんと次の飼い主を探すからご安心下さいと言ったわ。そこまでがサービスに含まれていたから。その方はテリアの好物やお世話の仕方を熱心に書き留めたりしてね。仲睦まじくて、その方とテリアは本当にご夫婦のようだった。でも、その日がやってきてしまった。ある日の朝、その方はベッドで息を引き取られていたわ・・・

 老婆は青年を見る。

「でも不思議なことが起きたの。亡くなられたその方の傍には、見たこともないおばあちゃまが居たのよ」

「え?」

・・・あの方はとっても穏やかなお顔でベッドに横たわっていたわ。傍に小柄な可愛らしいおばあちゃまが寄り添って・・・ええ、そのおばあちゃまも亡くなってた。お二人はしっかりと両手を握り合ってね。そう・・・まるで互いのハートを握り合うように。何かを誓うように・・・本当に、見たこともないおばあちゃまだったのよ。小柄で真っ白な髪の。お年は召していたけど、若い頃も可愛い方だったんでしょうねぇっていう感じの・・・その時気づいたの。テリアはよくベッドの上であの方に寄り添っていた。その格好とおばあちゃまの姿がそっくりだったのよ。そしてテリアは何処にも居なかったわ・・・

 青年は何か言おうとしたが老婆が遮った。

「変な事を言うと思うでしょう?でも続きがあるのよ。所長さんが・・・所長さんは私を施設に誘ってくれた女性なんだけど。お二人の様子を見に来た所長さんは『ああ・・・やっぱり・・・』と。そして涙を流した。何人もの入居者を看取ってきた方だったけどね。その紳士は特別な方だったようなの。お二人は真っ白なシーツに横たわって、レースのカーテンがウエディングベールのように風に翻っていた・・・」

 青年の前にサンドイッチが差し出される。

「その後お二人がどうなったか・・・おばあちゃまの方は、本当は身元不明なんだけれど所長の計らいで・・どういう手続きをしたか私は知らないんだけれど・・・お二人は一緒に葬られたわ。その男性は施設には入居したけれどご自宅は残してあったの。森の中の小さなお家をね。小さなお家の小さなお庭に、お二人は今も眠っているのよ・・・ええ、知ってるわ。お庭に葬るなんていけないことよね。ええ、勿論知ってますとも」

 カラコロとベルが鳴る。老婆はドアを開けて外へ出た。麗かな日差しが小さな庭に注いでいる。青年も後から付いて出る。

 小さな喫茶店に小さな庭がある。周りは木立に囲まれている。空を見上げればビルの群れが異質な木々のように聳え立っている。都会の中にぽつんと切り抜かれたように小さな森がある。

 老婆は庭の水盤の前に立った。水盤からは絶えず清らかな水が流れている。
 これはお墓なのよと老婆が言った。
 何処からか小鳥が飛んで来て、遠慮なく水浴びの雫を飛ばす。
「寂しくないでしょう?」
 老婆が笑った。青年は暫く水の流れを見ていたが、あぁとため息をついた。
「これじゃあ、どう口説いてもこの土地を売らないってことですね?」
「そうよ。ごめんなさい」
「難攻不落の老婦人だとは聞いてましたけどねー。ま、いっか。上司には怒鳴られましょう」
 青年は不動産会社の人間だった。一等地に奇跡のように取り残されたこの敷地を買いに来たのである。
「お昼を食べなきゃね」
 二人は店に戻る。
「貴方、会社をクビになっちゃうって本当なの?」
「ええ。その覚悟で行けと言われましたからね」
「そう・・・ところで貴方、珈琲を淹れるのがお好きなのね」
「そうですねー。特にグルメって訳じゃないんですけど、珈琲は豆で飲みますね」
「お料理はお好き?」
「自炊はしますよ。なんでですか」
「いえねぇ。私ももう年が年だから・・」
「はい?」
「お店の後継者が欲しいなぁ、なんて思ったりして」
 老婆は悪戯っぽく青年を見る。

「えっと・・・」

「覚えてもらうメニューはサンドイッチとパンケーキ、プリンとあと・・・」
「ま、待ってください。マジですか」
「うふふふ」

 街角を歩いていると時折ポッカリと木立が現れたり、何故ここにといった場所に緑が残されていることがある。

 もしもそんな場所に辿り着いたなら暫し佇んでみるといい。
 誰も知らない物語が、聴き手を待っているかも知れない。

                                (了)



 

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