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「悪夢十夜」(元にした作品:夏目漱石『夢十夜』)

 浩輔は金になるバイトを探していた。しかし普通の求人に応募することは出来ない。勤めている会社が給料が低いくせに副業禁止なのだ。
 そんな悩みを仲の良い先輩にこぼすと
「お前、口堅い?」
と意味深に囁かれた。
「え、何すか」
 場所は会社の喫煙所。古いロッカールームを再利用しただけの狭くて汚い空間だが雨風が凌げるだけでも有り難い。それまでは吸いたかったら外へ行け、だった。
 先輩は小声で
「俺、実は治験みたいなバイトを受けたんだけど都合が悪くなってさ。代わりに紹介してもいいぜ。どうする」
「治験?」
「そ。金は貰えるけど協力費ってテイだから、正確にはバイトじゃない。黙ってりゃバレない。数時間の拘束で万単位」
 浩輔は先輩の話に飛びついた。
 先方との連絡手段はメッセージアプリのみ。事前に連絡を入れると日時を決められ、その日は予定を空けておくように指示された。
 休日の午前10時。メッセージで案内された場所は路地裏の小さなマンションで、部屋で白衣の男が待っていた。タブレットの画面と浩輔の顔を見比べる。
 
「椎野浩輔さんですね。28歳、独身一人暮らし。ペット無し。喫煙は毎日で一週間に一箱位。飲酒は毎晩発泡酒を1、2本。自炊はインスタントラーメンを作る程度。食品や薬品のアレルギー無し。事前に頂いた情報に修正はありますか」
 浩輔よりも若く見える白衣の男は淡々と問診をする。
 室内にはベッドと、モニターとコードがついた機械のみ。これが治験をする部屋なのかと訝る位にシンプルだ。
「あ、あの・・どういう内容か聞いてもいいですか」
 白衣の男はクイ、とメガネを押さえ
「説明の前に秘密厳守の書類にサインをお願いします。内容を聞いてからキャンセルされても構いません」
と、タブレットの画面に署名させられた。
「実験の目的は夢の採取です」
「は?」
「よくあるでしょう。『何か夢を見た気がするけど思い出せない』。それはすっかり忘れた訳ではなくて、記憶の違う引き出しに保管されただけなんです。我々は被験者の睡眠時の脳波から夢を採取しています」
 白衣の男は浩輔の内心を見透かしたような視線を送る。
「そんなことが出来るのかとお思いでしょうが、公表されていないだけで夢の研究は非常に進んでいるのです。お信じにならなくても結構。被験者はこのベッドで6時間から8時間の睡眠をとります。ヘッドギアは装着して頂きますが、痛みも後遺症もありません。協力金はお帰りの際に現金渡し。出来高払いですが、前例を申し上げると最低でも2万円。最高額は50万の方もいらっしゃいます」
「ちょっと待ってくれ。夢の採取は確かに信じられないが、50万円?」
「ドルです。最高はアメリカの記録なので。簡単に言うと内容が珍しく過激な程金額が上がる。査定は私ではありません。送信したデータを見て本社が判断します」
「たかが夢に・・」
 男はまたメガネを押さえる。
「夢とはその人の人生経験と知識と想像力の結晶です。同じものは二つと無い。それで?どうされますか」
 浩輔は同意した。帰る時に受け取った封筒の中身は5万円。
 普段なら動画鑑賞とパチンコで浪費してしまう休日が金に変わった。
 翌日、本社からの評価が良かったのでまたお願いしたいとメッセージが入った。
 浩輔はまさに夢のようなバイト、否、治験にハマった。 
 
 治験は事前に申し込めば平日の夜でも可能だった。用意されているのは一流ホテルにあるようなフカフカのベッド。自分の安アパートの薄い布団で眠るより余程良い。着替えは持ち込んでも良いということだったので、例えば会社の終業後に牛丼をかき込み銭湯へ寄り、実験室のベッドで眠って翌朝そのまま出勤するということも出来た。浩輔の懐は潤い続け、牛丼ではなく鰻丼をかき込むことも増えた。だが、ある時期から貰える協力金の額が減っていった。白衣の男に訊くと
「多分ネタ切れですね。刺激的な内容が少なくなってきたんでしょう。よくあることです」
「こないだは1万にもならなかったし、どうすりゃいいですかね」
「どう、って。私に仰られても」
 浩輔は白衣の男を縋るような目で見る。
 白衣の男はメガネをクイと上げて言った。
「以前申し上げましたが、夢は人生経験と知識と想像力の結晶です。私からはこれ以上は申し上げられません」
 あとは自分で考えろということだろう。浩輔は行動に移った。 
 
 次の治験の日。マンションを出た浩輔は懐に入れた封筒の厚みを確かめる。
(100万はあるな)
 浩輔は今までの報酬を使って複数の女性をホテルの一室に招き、過激なプレイをオーダーした。
「照明はつけたままで」
という条件に女性たちは盗撮を警戒したが、気が済むまでカメラを捜索させたら納得したようだった。浩輔の場合カメラは自身の目だ。
(30万で済んだから儲けは70万か。次はどうするか)
 
 浩輔のハマり方は動画配信者に似ていた。もっと受ける内容を、もっと過激な夢を。報酬の金額からどんな夢が受けるか傾向も分かってきた。同僚に仕掛けたちょっとした悪戯が高評価を得ると、悪戯は犯罪へ移行した。
 女を犯した。僧侶に斬りつけた。子どもを襲った。老人を川へ突き落とした。犯罪は高額な報酬を生み続け、犯した罪は十を超えた。そして十一番目の罪を試みた時に、浩輔は警察に捕まった。
 浩輔は供述で夢を採取する治験のことを話した。警察はマンションに踏み込んだが室内は空っぽで何の痕跡もなかった。治験を紹介したという会社の先輩は
「は?何のことですか」
と証言せず、取り調べをしていた警察は浩輔を
「それこそ、悪い夢でも見たんじゃないかい」
と鼻で笑った。 
 
 浩輔が実刑を食らって刑務所に収監された頃。
 ある若者が伯父から莫大な遺産を継いだことが話題となった。伯父は海外在住で若者との面識は殆ど無かったが、年賀状や手紙で長年交流を続けていた。そのことから『僅かな切手代が数十億に化けた』との記事が週刊誌に掲載された。掲載は一度きりで後続記事は出なかったが、それについては若者がマスコミに圧力を掛けたと噂が流れた。その噂すらすぐに打ち消され、真相を知るのは遺産を継いだ若者のみ。
 
 真相はこうである。
 ある資産家が居た。老境に入った彼は自らの財産の処置について考えたが、継がせるべき妻子はいなかった。そこで自分の弟に継がせようと考えて連絡を取ったのだが、弟は病に冒され死期が近いと言う。ならば長年手紙をくれていた弟の息子に継がせたいと申し出ると、弟はこう言った。
「実は、誰にも言っていないが外の女に産ませたもう一人の息子がいる。出来ればそいつにも分けてやってくれないか」
 資産家は了承し、その旨を手紙で甥に伝えた。甥は伯父に
『今まで兄さんが居るなんて知らなかった。会って自分が話すまで、伯父さんからは内緒にして欲しい』
と口止めし、一方で興信所に依頼して兄のことを調べた。
「椎野浩輔。28才。会社員か・・・」
 兄の私生活はあまり誉められたものではなかった。正社員として働いてはいるが全てにだらしがなく、彼が遺産の半分を継いだら遊興に溺れて浪費するのは目に見えていた。
 甥っ子は真面目な大学院生。自分ならば伯父の遺産を有効に活用出来る。
 専門は心理学。さて、どうする。
 白衣とメガネを購入し、安いマンションの一室を準備した。それっぽく見える怪しげな機材は自作。高級ベッドの購入と会社の先輩への謝礼金、治験と称して渡す協力金を準備するには懐が痛んだが、先行投資と思えば然程の金額でもない。
 騙したと言えば、騙した。
 しかし犯罪を教唆した訳ではない。
 過激な夢を見る為に過激な体験をしろ、などとはひと言も言っていない。
 金に目の眩んだ兄が勝手な解釈をしただけだ。
 
「さて、どうしよう。ブラック企業に精神を追い詰められた人たちの救済支援か。不登校に悩む児童のカウンセリング。人の悩みって多いからなぁ。うーん・・」
 甥っ子は、自分が悪いことをしたとは全く思っていない。
 人をフカフカのベッドで眠らせて金を払った。それが何の罪になる。
 兄は途中で引き返すことも出来た筈だ。
 欲をかいて勝手に堕落したのは兄自身だ。
 
「ああ、楽しいな。夢なんて、目を開けて昼間に見るものさ」
 
 聡明な若者が莫大な遺産を手にし、健全な目的の為に使おうとしている。
 まさにそれは、夢のように正しいことに違いない。
 たとえ過程がどうであれ。
 
 ところで、自分がどうして真相を知っているかって?
 皆様のご想像にお任せ致します。それでは失礼。良い夢を。

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