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「ever after」(佐藤春夫「西班牙犬の家」の二次創作①)

*続編として②もございます

「あら。珍しいお名前ですねぇ」
「いえ、本当に妻なんです」
 老人はニコニコと笑った。

 日曜日の朝は公園の隅のベンチに愛犬家が集う。わざわざ待ち合わせている訳ではなく、偶然会ったら立ち話をする程度の仲で、互いに名前すら知らない相手も多い。
 私が入居したマンションでは犬なら小型犬までは認められている。その前に住んでいた所ではペットが飼えず、引っ越したら犬を飼うのだと楽しみにしていた。入居して二ヶ月が経ち、新しい環境に慣れた頃に保護施設からトイプードルを迎え、トライアル期間を経て飼い始めた。ちなみに私の相棒は文太郎という。
 
 公園で会った老人は穏やかに微笑む。綺麗な白髪を整えた、英国紳士のような雰囲気を持つ上品な男性だ。連れているのは白いテリア。散歩中に何度かすれ違ったことはあるが、話すのは初めて。そこでご挨拶にテリアの名前を尋ねたところ、ツマというお返事を頂いた訳だ。
(ツマ?刺身のツマってことかしらん。真っ白だし)
 ところがこの紳士は
「ああ、籍は入れてませんから恋人ということになりますかな」
と照れ笑いを浮かべるのである。
 麗かな心地良い日曜日に、紳士は陽だまりのような笑みを浮かべてテリアの頭を撫でる。

「お嬢さんは、御伽話はお好きですかな」
「え?」
 お嬢さんなんて久しぶりに言われた。アラフォーなのに。
「良かったら、一つお話を聞いて行かれませんか」
 私は老紳士の隣に腰を下ろした。
 とても麗かな、心地良い日曜日だったので。

 ・・・私は若い頃、今でいうペットショップに勤めていたんですよ。当時は外国犬を飼うのが流行ってましてね。珍しい犬を飼って他人に自慢するような風潮があった。あれはいけませんな。私が働いていた店の店長も、そんな流行りに乗って商売を始めたような男でした。
 ある日、私が一人で店番をしてますとね。若い女性が店に入るなり、犬の檻の前にへたり込んでシクシク泣き出すんですよ。どうしたんですかって聞いたら、彼女なんて言ったと思います。この犬を檻から出してください、私の恋人なんです、ときた。

「恋人ですか?」

「そう。つまりね・・・」

 老紳士の話では、女性は上流階級の男性と恋に落ちたが相手の母親に許されずに駆け落ちをした。追いかけてきた母親は怒り狂い、彼女を呪って犬に変えようとしたが、庇った恋人が身代わりに犬になってしまった。母親を振り切り逃亡を続けたが逸れてしまい、ようやく再会できたのだと言う。

「そんなこと信じられないし、こっちはただの店番だしね。仕方ないから、ご事情はともかくこの犬が欲しかったら買われたらいかがですかって。そうこうしてると店の主人が出先から帰って来て、彼女と交渉を始めた。後から聞いたら法外な値段をふっかけたようでね」

「あぁ、足元を見られちゃったんだ・・」

「彼女は分割で払うことにして毎日店に通いました。犬を恋人だと言い張っていることを除けば、素直で優しい良い子でねぇ。私は、いつの間にか彼女に恋をしてしまった・・・」

 気がつくと白いテリアは老紳士の膝の上で大人しく話を聞いている。
 私が見ると、恥ずかしそうに目を逸らした。
 私は話の流れに沿って老人に尋ねる。

「えーと、でもお話では犬になったのは女性の恋人なんですよね?」

「そうそう。その後ですな・・・」

 ある日、いかにも金持ちの上流階級といった夫人が店を訪ねてきた。夫人は彼女の恋人の犬をひと目見て、幾らでも払うから買うと言った。

「その時店のオーナーは不在だった。私は嫌な予感がして返事を保留し、夫人が帰った後で彼女に連絡を取った。彼女は店に駆けつけて来た。それはきっと恋人の母親だ、早く彼を連れて逃げないと・・と。しかし、全額に足る金は無い。そこで私は・・どうしたと思いますかね?」

 老紳士は悪戯っぽく笑う。

「どうしたんです?」

「一芝居打ったんですよ。店が泥棒に入られたように偽装して、彼女と犬を逃したんです。普通ならオーナーが警察に届ける所ですがね、何しろ彼女に法外な値段をふっかけたり、色々胡散臭いことをやっていた人間だったので警察沙汰は嫌だったらしい。まぁ私もそこまで読んでいたんですがね」

「あらあら。でも、そのお金持ちのご夫人はどうしたんですか?」

「それがねぇ、そっちがしつこかった。私は彼女たちの逃亡を助けて一緒に居ましたが、ある時犬を隠して彼女と二人で外出していたところ、ご夫人に見つかってしまった。ご夫人はいきなり彼女に呪いをかけました。『お前も犬にしてやる!呪いを解いて欲しかったら、息子を屋敷に連れて来なさい!』と」

「それで・・・」

「そのまま、です」

「え?」

「犬になった後も、彼女はしばらく話が出来ました。彼女は犬になれたのを喜んでました。彼と一緒だからと・・・でね、犬二匹じゃあ暮らしが不便でしょう。私は田舎の家に二人を連れて行って一緒に暮らしました。森の中の小さな家に。彼女は犬になろうが人であろうが、とにかく彼と一緒で幸せそうだった。私は幸せそうな彼女を見て幸せだった。でも、彼女の恋人は去ってしまった。申し訳ないことをした・・・」

 突然膝の上のテリアが騒ぎ出した。
「キャン、キャンキャン!」と必死に紳士に縋り付く。クンクンと鼻を鳴らして擦り寄る。
「あぁごめん。悲しい話だったね」と紳士が頭を撫でる。

「彼はどうして?」と私は尋ねた。紳士は

「その・・・彼はどうも、私の存在が気に入らなかったようで。私が彼と彼女の間に割り込んだようになってしまって。私は彼女が犬になっても彼女に恋をしていた。一緒に居て面倒を見られるのが嬉しくってね。次第に彼はイライラして彼女に辛く当たるようになっていた。ある日突然家から居なくなってね。必死に探したが・・・なんと驚いたことに、人間の姿になって戻ってきた。自分の母親の所へ帰って呪いを解いてもらったそうだ。母親は息子に条件をつけた。息子は人間に戻すが、恋人の女は人間に戻さない。そして息子は母親が選んだ別の見合い相手と結婚するように、と。彼は言ったよ。彼女はペットとして飼うから自分に返せとね」

「え、ひどい!」

「私は怒って殴りかかった。しかし、最後には彼女に選んでもらうことにした。まだ彼のことを愛しているのなら、どんな形でもそばに居たいかもしれないと・・・」

「そんな。それで彼女は」

 私が膝の上を見ると、テリアは

「うー、わん!」と可愛く鳴いてカチッと牙を鳴らした。

「あらまぁ、まさか?」
「そう。彼女、彼氏の尻っぺたをガブリとやったんだ」

 あはははは・・・・

 日曜日の公園に笑い声が響く。

「そんな嫌な男、振って良かったね!」と笑いかけると、テリアは
「わん!」と小さな胸を張った。
「そんな訳で、彼女と私は一緒に居るんですよ・・如何です。お信じになりますか」
「ええ勿論」

 それは麗かな日曜日、私が聞いた恋のお話。

「ご機嫌よう」と私たちは別れた。
 彼らは共に歩いて行った。
 老人が見下ろす。テリアが見上げる。
 
 彼らの幸せが、どうか永く続きますように。

                                 (了)

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