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「月夜に君とワルツを」(室生犀星「蜜のあはれ」の二次創作)

* 画像は日本幻想文学集成 32巻カバーより Eiji Umeki「哀鱗」
* 室生犀星「蜜のあはれ」は金魚の「あたい」と「をぢさま」の会話で成り立つ不思議なお話で、映画では大杉漣さんが をぢさま役を演じていらっしゃいました。

(↓以下本編↓)

   電話を取った母親がびっくりした様子で話している。動画を見ていた私はイヤホンを外した。
「何かあった?」
「うん、ちょっとね」
 電話を終えた母がリビングに来て私の向かいに座る。
「それが、仕立て屋さんからだったのよ。お婆ちゃんの品が出来ましたって」
「仕立て屋さん?」
「エンディングドレスだって。知ってる?ほら、お棺に入る時に、白い死装束の代わりに着るドレスよ。最近は多いらしいわよ」
「そんなこと言ったって、お婆ちゃんは」
「そう。もう死んじゃったのにね」
 私と母は揃って同じ方向を見た。リビングの隅の小テーブルには、先月亡くなった祖母の写真が飾ってある。

 亡くなった祖母は私の母の母だ。うちは三世代同居で、現在の居住者は大学生の私、母、母の父。つまり私にとって祖父の三人。私の父親は単身赴任中。父はこの家を建てる時に自分の両親との同居を想定していたが、二人が早くに亡くなってしまい、そこへ母の両親が移り住んだ。
「お婆ちゃん、そんなの注文してたんだ」
「私も聞いてないのよ。支払いは済んでるんだって。本人が亡くなったって言ったら向こうもびっくりしてたけどね。オーダーのお品ですし、ご本人も楽しみにされていたからお届けにあがります、御焼香もさせて下さいってさ。日曜日に来るって」
「へぇ。ちょっと見てみたい」
「そんな事、ちっとも言ってなかったのにねぇ」
 母は不思議そうだ。確かに、そんな華やかなことをしそうなお婆ちゃんではなかった。いつも控え目な服を着ていた。

「おおっとぉ・・・」
 予想外。
「あら、ま・・・」
 母もびっくり。
 ドレスを持って来た仕立て屋さんも恐縮したように、
「あの、ちょっと派手でしたでしょうかね。私どもではエンディングドレスのご注文は初めてでして」
 箱から出て来たのは真っ赤なドレス。裾にはふわっとレースも付いている。
 仕立て屋さんの話はこうだった。
「半年程前ですか、お婆さまがお店にいらっしゃいまして。写真をお持ちになりましてね。こんなデザインでエンディングドレスが出来ますかって。ええ、うちはそんなご注文は初めてだったんですよ。ダンスの御衣装を作る店ですからね。こちらがお写真です」
「えっ、可愛い!」
 思わず叫んだ。パーマヘアのまとめ髪に目のくりっとした美人と、長身の男性が写っている。女性は裾が広がったドレス、男性は蝶ネクタイにスーツ。モノクロ写真でも華やかさが伝わる。
「これお婆ちゃん?美人!」
 仕立て屋さんは
「生地はご本人が似たものをお選びになりまして。デザインも同じにしたかったのですが、エンディングドレスっていうのは、寝たままでも着せられるような作りにするらしいんですね。うちも初めてで、それにダンス大会のご注文が入ってたので後回しになってしまって。お役に立てなくて本当に・・・」
「半年前は元気でしたからねぇ。急だったんですよ、交通事故で」
「ねえ、ちょっとこれ貸して」
 私は二階へ駆け上がった。

「ねぇおじいちゃん、見てこれ。懐かしい?」
「なんだ騒々しい」
 祖父が苦虫を噛み潰したような顔で振り向く。
「これこれ。おじいちゃん、若い頃結構イケメンじゃない」
 頑固で堅物の祖父には慣れている。私は構わず祖父の前に写真を突き出した。
「こ、こんなもん何処にあった!」
 顔色を変える祖父が面白い。
「何よう、かっこいいって褒めてるじゃない」
「・・・・」
「え?」
 照れている顔じゃない。私が戸惑っていると母が追って来た。
「真奈美、それ返しなさい。ごめんねお父さん。ほら降りておいで」
「うん・・・」
 一階に戻ると母が教えてくれた。
「もう、あんたも慌てん坊ね。それ違う人よ」
「ええ?でも顔がそれっぽいじゃない」
 母が微妙な顔をした。
「背が高過ぎるのよ。お父さんは昔っから、母さんよりも背が低かったから。確かにちょっと似てるけど」
 仕立て屋さんも相手のことは聞いていなかった。ドレスと写真と謎を残して、仕立て屋さんは帰って行った。
 その日の夕食、私と母は緊張していた。祖父がいつ写真のことを訊いてくるかと。だが何も言わない。母がやっと、エンディングドレスのことを聞いてなかったかと切り出したが、祖父は知らなかった。
 ドレスは箱に入ったまま祖母の箪笥に仕舞われてしまった。

 一週間程経った頃、大叔母さんが訪ねて来た。亡くなった祖母の妹だ。
「急にごめんなさいね。ちょっとお姉ちゃんに会いたくなっちゃって」
 大叔母が住むのは電車で2時間かかる所で決して近くはない。お茶とお菓子で落ち着いた頃、ふぅとため息をついた。
「何だか、呼ばれたような気がしてね」
「え?」
 大叔母は少し照れ臭そうに話した。
「ついこないだね。買い物帰りにふらっと、喫茶店に入ったの。一人で。そんなこと珍しいのよ」
 大叔母はその時、誰かと待ち合わせしてたような不思議な感覚だったと言う。落ち着いたレトロな喫茶店で、入るのは初めてだった。片隅の静かな席に通されて珈琲を頼んだ。窓辺に金魚鉢が置いてあり、真っ赤な金魚が泳いでいた。
「その時にワルツが流れてきて・・・テネシィ・ワルツが。それに金魚でしょう。何だかお姉ちゃんが会いに来てって言ってるような気がしたの。あの、正一さんは?出掛けてるの。良かったわ。居ると話しづらいから」

 二人がまだ若い頃。祖母の実家は田舎でも裕福な家だった。姉妹は学校の他にもお茶やお花といった稽古事も習わされていた。
「一つだけ、お姉ちゃんがやりたいって我儘言ったのがダンス教室だった」
 教室と言っても写真館の店主が二階で片手間に教えている気楽なもので、看板は掲げているものの習う人は居なかった。
「お姉ちゃんは音楽が好きだったから、それで習いたいと思ったんだろうね。一人じゃ駄目だって親が言うもんだから、私も一緒に習わされたのよ。田舎の写真屋のおじさんが教えるんだからね。厳しくもなくて呑気なものだった」
 木造の写真館。入り口のショウ・ウインドウに展示されたモノクロの記念写真。一階の撮影所に見合い写真や家族写真を撮りに来る町の人たち。二階の物置を片付けて作られた教室には、片隅にレコードプレーヤーと椅子と壁には大きな鏡。
「他に生徒が居なかったからねぇ。お姉ちゃんと私でペアを組んでたよ。その教室の時だけ、ちょっと裾の長いスカートを着てね。回る時にひらひらするのが楽しくて・・・。出来れば男の人とも組んでみたいけど、大っぴらに言えない時代だった。そんな時に正二さんが仲間に入ってくれたんだ」
「正二さん?」
「あんたのお祖父ちゃんの、弟だよ」大叔母は声を潜めた。
「若い頃に亡くなったって聞いたわ」と母。
「堅物の正一さんと違ってね、ソフトなハンサムって感じで、映画俳優に似てるなんて言われてね。お姉ちゃんも若い頃は可愛かったからねぇ。並んで立つと、そりゃあ」
「あっ!」
 私は例の写真を取り出した。大叔母に見せると
「そうそう、これ!この人だよ。うわあ懐かしいねぇ・・このドレスは私とお姉ちゃんで縫ったんだ」
「へえー!?」
「殆ど私が縫ったんだよ。お姉ちゃんはお転婆で裁縫なんか苦手だったからね」
 大叔母が自慢げに言う。
「お婆ちゃんがお転婆?」
「そうそう、おきゃんって分かるかい?今の子は知らないかね。要するにお転婆。動くのが大好きで、お茶やお花は大嫌い。お稽古をサボりたがるのをとっ捕まえて連れて行くのが、私の役目だったの」
 母と私は顔を見合わせる。近所でもお淑やかで有名だったお婆ちゃんが。
 大叔母の顔は懐かしそうに華やぐ。まるで若い頃に戻ったかのように。
「一度だけ、街のダンスホールに行こうかって話があったんだよ。あの準備をしてた時は本当に楽しかった。これねぇ、親に内緒でこっそり縫ったんだよ。真っ赤なドレスを着たお姉ちゃんは女優さんみたいだった」
 母が例のエンディングドレスを持ち出すと、大叔母は耐えきれずに泣き出してしまった。
「結局ダンスホールには行けなかったんだよ。直前に正二さんが亡くなって・・・」
「お婆ちゃんはその人と付き合ってたの?」
「どう言っていいのかねぇ・・・大体お姉ちゃんは正一さんと結婚するって、親が決めてたからね。でも正二さんと気が合ってたのは確かだし、見ててお似合いだったね。これを着たお姉ちゃんが踊っていると、まるで可愛い金魚のようだって正二さんは笑ってた。今考えると私たちも無神経だったねぇ。許嫁の正一さんが熱心に商売の勉強してるのに、三人でフラフラ遊んでたんだから。正一さん、あの頃どう思ってたんだろうねぇ・・・」
 お蔵入りになったドレスをお婆ちゃんは死んだ後で着たかったんだろうか。 
 あっ、と大叔母さんが声を出した。
「そういや、あのドレスどうなったんだろう?嫁ぐ時に処分しちゃったのかね」
「見たことないわ。そんな話があったのねぇ」
 三人でしんみりしてしまった。お婆ちゃんには叶わぬ恋があったんだろうか。
「何だか変な感じね、死んだ母親の恋バナを聞くって言うのも」
 母がわざと茶化す。
「でもね、お姉ちゃんは言ってたんだよ。正一さんと結婚して良かったって」
 大叔母は真面目に言った。
「考えてごらんな、兄の許嫁に手を出すような男だよ。他の女の人にもモテてたしね。見栄えはいいけどフラフラした男だったよ、今考えたら。あんたを産んだ頃、お姉ちゃんはしみじみ言ってた。正一さんが旦那さんで良かったって。そりゃあ堅物で面白みのない人だけどさ、家庭を大事にしたのは確かだもの。仕事が危ない時もあったらしいよ。そしたら俺が荷担ぎでも何でもしてお前たちだけはちゃんと食わしてやるって啖呵を切ったんだって。それ聞いて私も、お姉ちゃん正一さんと結婚して良かったねぇって。困った時にこそ男の真価は分かるもんだよ」
「敏子叔母さん、私思い出したわ」
 母が顔を上げる。
「あれ一年位前よ。公民館の講座に社交ダンスの会が載ってて、お母さんがじっと見てたの。興味があるなら行ってみたらって言ったら、そうねぇって。その後よ。お母さんがお父さんに、貴方もどうですかって訊いたの。珍しいと思ったわ」
 私を見て、
「あの二人はね、一緒に何かするってことがなかったの。買い物すら。お父さんは古いタイプの人だからね。それを分かってるのに誘うなんてって。案の定お父さんが、くだらんもんに誘うなって怒鳴ってね。そんな事があったわ」
「じゃあ、懐かしいダンスをもう一度習いたかったけど諦めて、代わりに赤いエンディングドレスを注文したってこと?しかも着られなかったって。お婆ちゃん可哀想」
「そうなるわね・・」落ち込む母を大叔母が慰める。
「でもねぇ、言ったろう?お姉ちゃんは正一さんと結婚してあんたを産んで、幸せだったんだよ。結婚して一緒に暮らして、やっと正一さんの良さに気づいたんだ。あんたにお乳をやりながら、この子正一さんに似てるわねぇって、幸せそうに言ってたんだから。ただお姉ちゃんは、それを正一さんに言ったことがあったかどうか・・」
 その時私は、階段を上る誰かの足音を聞いた。

 数日後。大叔母から母宛に届いた荷物には、古いダンスの教本とレコードが入っていた。通販でレコードプレーヤーを探し、教本と動画を見ながら二人で練習をした。私は祖母の昔の写真を撮影し、アプリで色を付けてプリントした。小テーブルに私の知っているお淑やかなお婆ちゃんと、真っ赤なドレスを着たおきゃんなお嬢さんが並んだ。
「ホント綺麗。てか、お母さん似てないね」
「悪かったわね。父親に似たのよ」
 カレンダーに印が付いている。
「もうすぐだね」
 祖母の誕生日。

 その日は素晴らしい月夜だった。真夜中のダンスパーティー。ドレスコードは赤以外のスカートで。真っ赤はお婆ちゃんの色だから。エンディングドレスは写真の傍に飾った。
 古いレコードが奏るテネシィ・ワルツ。友人に恋人を奪われる悲しい歌詞だけど。
 二人で踊っていると、天井から床が軋む音がした。お母さんが笑う。
「時々、あの教本が見当たらないことがあってね」
「素直じゃないねぇ」
 私も笑う。
 レコードをかけたままにして、こっそりと階段を上った。曲を聴く為だろう。ドアは僅かに開いていた。電気の消えた部屋に月光が差し込む。

 月明かりの中、小柄で腰の曲がったお祖父ちゃんが不器用にステップを踏む姿。手には何か・・・私は息を呑んだ。裾にレースがついたドレスが踊っている。
(持ってたんだ)
 真っ赤な金魚はお祖父ちゃんのものになった。今夜、そして永遠に。

                             (了)

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