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「俯瞰図」(原作:江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』)

 見下ろすという行為は人を支配的にする。
 ひろ子を変えたのは一台の見守りカメラだった。

 50代のひろ子は夫と二人暮らし。一人息子は県外の大学に進学し家を出た。車で1時間の距離にある実家に両親が暮らしているが、頭にはガタがきているのに体は元気という厄介な有様だ。ひろ子の兄は離れた土地で所帯を構えているので、両親の介護は実質ひろ子に丸投げされている。
 兄の行動は計画的だった。成績優秀で将来を嘱望されていた兄は遠方の国立大学へ進学し、都会の優良企業に就職を決めて結婚もした。
「金なら送るから、親父たちのこと頼むよ。いよいよ面倒を見られなくなったら施設に入れればいいだろ」
 その『いよいよ』に至るまでが問題なのだ。
 仮に大病を患えば入院してくれて、世話は楽になる。
 通院で済む程度の体の衰えで、脳みそは日々頑迷になっていく今の段階が一番手が掛かる。
 ひろ子はフルパートで働いて息子へ仕送りをしている。貴重な休日を潰して実家へ通い奉仕しているというのに、親はガソリン代も出してくれない。せいぜい消費期限の近い食材を分けてくれる位だ。
「そのうち遺産で払うから」
と親は笑うが、『今』お金が必要なのに、何の慰めになろう。
 実家は古くて段差も多い。転倒して骨折するかも知れない。寒暖差の大きい浴室と脱衣所でヒートショックを起こすかも知れない。天ぷら鍋の火を消し忘れて火事になりかけたこともあったし、戸締りをせずに外出することも多い。
 心配の種が尽きないひろ子が取った手段が、実家に見守りカメラを仕掛けることだった。
 
 当人たちに言えば
「あんたねぇ、年寄りにだってプライバシーってもんがあるんだよ?」
と反対されるに違いない。
 箪笥の上にこっそりと1台のカメラを仕掛けてスマートフォンから見られるようにした。以前実家にWi-Fiを引いたのもひろ子だったから、両親に知られずに設置が出来た。
 
(こうして見ると二人とも小さいわね)
 長男に甘く娘に口煩かった父親は、骨が縮んで肉が萎びてひ弱な爺さんになっている。声が大きく強引でひろ子を萎縮させてきた母親も、腰が曲がって腹が出て、絵巻に出てくる餓鬼のような姿だ。
 そんな二人がもそもそと茶碗の飯を頬張ったり、新聞が無いと騒いだ挙句に尻の下で見つけたり。衰えたラットのつがいを観察している気分になる。
 両親は兄には大金を投じて外の世界へ送り出しておきながら、ひろ子は地元の短大に行かせて実家へ留めた。画面の中の箱庭は、ひろ子自身が結婚するまで暮らしていた世界だ。
(なんて狭い世界)
 ひろ子はカメラの台数を増やした。リビング、寝室、かつての子供部屋。あまり開けることのない物置まで。ひろ子は実家の観察にのめり込んでいった。

(通帳はあの引き出し。現金のへそくりは台所ね)
(うわ、お父さんってまだ雑誌のグラビアとか見るんだ)
 カメラに映るのは両親の他に通いのヘルパーさんと、昼食の弁当を宅配に来る配達員。それに近所のおばさま方。
 そのうち父親はヘルパーの女性にちょっかいを出し始めた。相手はひろ子と同じ50代で独身。父親は昔接客業をしていたから女性の扱いは上手いし、昔の俳優に似ていると言われる位顔立ちも良い。ヘルパーの女性も憎からず思っているらしい。やがて二人は一線を超えた。
(あの埃臭い物置でよくやるわ)
 老いたラットと若くないラットの短い交配を観察する。
 ひろ子は母親に、カメラで見たとは言わずに二人の関係をバラした。
 気性の激しい母は激怒したが離婚には至らず、代わりに父は預貯金の半分以上を母親に譲ることとなった。
 
(さて。次は、と)
 
 近所のおばさま方に聞いたことがある。
「宅食頼んでるの?あの若い配達員、気をつけた方がいいわよ。昔ヤンチャでねぇ。まだガラの悪い子達とつるんでるみたいだから」
 その時は
「まぁ。でも仕事はちゃんとしてるし、愛想のいい子ですよ」
と軽く流したが、確かめることにした。
 玄関先に無造作に小銭を置き、様子を見ること数日。銀色の小銭がちょこまかと消えていき、カメラの録画を見ると犯人は彼だった。
(あらら)
 通報すれば彼は捕まるだろう。
 これを、どう使おう。

「あら、本当に来たのね」
 ある晩。ひろ子がカメラで監視しているのも知らず、配達員が台所の現金に手を伸ばしている。仲間と一緒で三人組だ。
「あらら、お父さんと鉢合わせ。慌ててるわね。私から二人とも留守って聞いてたのにね。・・・あー・・殴っちゃった。死んだかな?」
 画面の中に静寂が訪れた。
 散らかった室内に倒れた父親はぴくりともしない。
 ひろ子は程よく時間が過ぎるのを待ち、夫に
「お母さんが出掛けてて、今晩はお父さん一人なのよ。ご飯届けて来るわね」
と言って出かけた。
 母親は近所のおばさま方と一泊のバスツアーに出掛けている。
 ひろ子は実家に着くと設置しておいたカメラを全て回収した。父親の死亡を確認し、持ってきたおかずの入った容器をわざとらしく落とし、
「お、お父さん!?」
と悲鳴を上げ救急車を呼んだ。
 近所の人たちが救急車のサイレンを聞いて飛び出して来る。ひろ子は泣き崩れながら父に縋り付く・・・
 
 想定外かつ理想的なことに、バスツアーから飛んで帰った母親は事件のショックで心臓発作を起こし他界した。遠方から兄も駆けつけ、両親の葬儀は嵐のように過ぎ去った。
 万事が片付いて遺産相続の話となった。
「はぁ?親父の財産がこれだけ?」
 兄が慌てふためく。一千万近くあった父の預貯金が、二百万に減っている。
 ひろ子は言いにくそうに
「あの・・・お父さん、いっときヘルパーさんの女性とデキていてね。貢いでいたのかも・・・」
「お前、知ってたのか?止めろよ!」
「と、止めたわよ。だからもう関係は切れてるわ。幾ら貢いだか知らないけど、返金しろなんて言えないでしょ。みっともない・・」
 兄の狼狽には理由があった。
 両親は共働きで昔から財布も別だった。それぞれ相手に黙って溜め込むクセがあり、二人の死後については父親の財産を兄に、母親の財産をひろ子へ譲ると取り決めがあったのだ。
 父親の財産は預貯金と家、母親の財産は家が建つ土地。土地は母親がその親から継いだものだ。田舎だから土地の価値は低い。遺産の取り決めをした当時では、兄の方が断然有利な内容だった。

 父親の預金残高が大幅に減ったのは母親に慰謝料を払った為だが、口座に履歴は残っていない。
「目の前に札束を積んだ方がお母さんは納得するわ」
とひろ子が勧めた。
「お兄ちゃんが知ったら絶対怒るから、二人とも黙っててね」
と釘も刺しておいた。
 幾らかは本当にヘルパーに貢いでいたから、全くの嘘でもない。
 ひろ子を舐めてかかっている兄は、母親の通帳を見せろとは言わなかった。
「兄さんは忙しいから家の処分は私がするわ。その後もう更地にしちゃうけど、いい?」
 兄は一瞥して家財に高価な品が無いと判断し、それでいいと言った。
(家一軒潰すにも金が掛かるんだが、知らないのか?バカだな)
 兄の視線にはそんな意味も含まれていたがひろ子は無視した。
 想定よりも低い金額だったが損をしたわけでも無し。兄は二百万で納得し都会へと帰って行った。
 
 ひろ子は主婦らしくコツコツと家財を処分していく。
(私がしたことは犯罪かしら)
 同年代のヘルパーさんに服や化粧品をプレゼントして、父親がグラビアで見ていた女性に似せた。
「ヘルパーさん、お父さんのことカッコいいって言ってたよ」
「うちの両親、うまくいってなくて。父も寂しいみたい」
「熟年離婚したら婚活するんですって。お金はそれなりに持っているし」
 二人が不倫に陥る様を将棋の駒のように見ていた。
「お母さん、台所のこんな所に現金置いてるの?ちゃんと預けなさいよ」
 配達員が居る時に大声で会話した。
「あ、うちの母がいつもお世話になってますぅ。お得なプラン見つけたんですけど、どうですか?一泊のバスツアー」
「お母さんも、たまには一人で息抜きしたら?」
 ご近所と一緒に立ち話。
 
 ただ、観察して、小さな種を蒔いただけ。
 
「ふぅ。少しずつでも売れるわね」
 実家の家財道具はネットで売買すると合計数十万にはなった。家の解体には100万ちょっと掛かるから一部は手出しになるが、土地で元は取れる算段だ。
(確かに田舎だけど、この辺りにグループホームを建てたいって話を聞いてるのよね)
 近所のおばさま方と不動産屋から情報は仕入れている。
 実家が更地になったら業者に売り込む予定だ。
 ひろ子は清々しい気分だった。
 結婚するまで自分を実家へ押し込め、結婚後もこき使い、そんな両親を押し付けていた兄にも復讐が出来た。
 若い配達員を犯罪者にしたことには気が引けたが、後から余罪も出てきたのでまぁいいだろう。
 
 全てが落ち着いた頃、夫が言いにくそうに話を切り出した。
 舅と姑の老後が心配だから同居をしたいというのだ。
「こう言うと悪いんだけど、君の実家の事件もあっただろう。俺も心配で。ここからうちの実家までは車で2時間以上かかるし。うちのマンションを売って、実家を建て替えて」
 ひろ子は驚いた。夫は三人兄弟の末っ子で同居は無いと思っていたからだ。
 聞けば、老後を見る予定だった長男夫婦が離婚し、次男は独身で海外勤務。それで夫にお鉢が回ってきた。
(三人でお金を出し合って施設という考えはないのかしら)
 便利な立地と、ひろ子が手塩に掛けてインテリアを整えてきたマンション。パートと友人関係。夫の提案は全部捨てろということだ。
「そう・・分かったわ」
 ひろ子は穏やかに微笑む。
「でもまず、離れていても出来ることから始めましょう。今は便利なサービスやツールもあるの。私、あなたよりは詳しいから」
「ありがとう・・・俺、いい嫁さんを持ったなぁ」
「大丈夫。私がちゃんと見守るわ」
「俺も手伝うから」
 その一言にもう一度笑みを返し家事へ戻る。
 
 深夜。とっくに別々になっている寝室でひろ子は珈琲を飲んでいた。
 息子との一場面を思い出す。
(小さかった子どもが成長して、私の身長を越えた。その頃から頭ごなしに物を言えなくなった。それは、あの子を見上げるようになったから?)
 人は、相手の体格が大きいと萎縮するものだ。
 威圧感。それにきっと、視線。
(視点が相手よりも上だと、力関係も上だと思えるのかしら)
 例えば相手に正座をさせて頭上から説教をする行為も、そのような効果を狙ってのことだろうか。
(私もきっと、そういうことね)
 カメラ越しに見下ろすことで、わだかまっていた両親への感情を整理出来た。自分自身すら俯瞰出来た。
「状況を変えられるのは自分しか居ないってこと。さて、と」
 ひろ子は段ボールに仕舞い込んでいたカメラを覗く。
「まだ使えるわよね」
 夫に義実家のネット環境を訊かなければいけない。
 場合によっては回線の敷設を勧めて・・・
「『俺も手伝うから』か。ふふ、お構いなく」
 新しい観察対象を楽しみに、遺産の一部で買った高級羽毛布団に身を埋め、安らかな眠りにいざなわれていった。


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