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「水底のうた」(元にした作品:金子みすゞ『大漁』)

朝焼小焼だ
大漁だ。
大羽鰮おおばいわし
大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

金子みすゞ『大漁』


「孝ぃ、何その貧相なオカズ」
 眼鏡の少年が一人食む弁当を、後ろから別の少年が覗く。
「イワシの蒲焼」
「イワシ?」
「この甘辛いタレが好きなんだよ」
(他人の弁当を貧相って言うな)
 心の声を鰯と一緒にパクリ。
「ふーん。イワシって魚偏に弱いだろ。お前にピッタリだな」
 後ろから覗き込んだ少年の名前はまさる。凛々しいイケメンで、快活な声はクラス中に響く。
「俺だと何だろうなー、魚偏に強いってあったかなー」
 わざとらしく首を捻った後で
「まあ俺の場合、名は体を表すって奴で何でも優ってるけどな!」
と胸を張る。
(にんべんに・・・)
「にんべんに憂鬱の憂とも言うよねー!」
 一人の女子が顔を突っ込んで、孝の心の中のツッコミを代弁してくれた。彼女の名前は美鈴。
 孝、優、美鈴の三人は幼馴染だ。

 孝と美鈴は同じマンションで生まれ、同じ園バスで幼稚園に通った。母親同士の気が合って互いの家で遊ぶことも多かった。小学校に上がる頃近所に豪邸が建ち、そこへ越してきたのが優だ。
 マンションは集団登校の集合場所になっていて、優も同じグループに入った。同じ学年が3人だけだったことから仲良くなり今に至る。

 優れた容姿と頭脳と運動神経を兼ね備えた優。
 全てにおいて平均点の孝。
 ちょっとだけ成績が良くてちょっとだけ可愛い美鈴。
 三人のトライアングルは絶妙なバランスで成り立っていた。

 ただ高校に入学すると、元々増長気味の優は周囲を見下す発言が増えた。特に孝は標的になる事が多い。
 優は学食へ向かい、美鈴は他の女子と一緒に弁当を持って教室を出た。
 残された孝をクラスメートが気遣う。
「優ってちょっとウザいよな。孝も大変だな」
「別に気にしてないよ」
「マジ?あいつ確かにすげぇけど、結構鼻につくっていうか」
「いやー」
 孝は漬物を齧りながら
「俺が海抜0メートルならあいつはエベレスト。見上げてもあぁ高ぇなぁって思う位かな」
「悟ってんなー」と周囲が笑う。

 優の成績なら公立の進学校に入れただろうが、部活の関係で孝達と同じ私立を選んだ。そのフェンシングも全国レベルで、特待で学費免除。スポーツ誌のグラビアに載ることもある。実家は裕福で両親からも溺愛されている。
 無敵の王子様。
 それが優だった。

 孝達の高校は進路選択により二年でクラス編成が変わり、二年から三年は持ち上がりとなる。
 孝は普通クラスへ、優と美鈴は特進クラスへ入った。二年の終わり頃に優と美鈴が付き合い始めたことを、孝は噂で知った。
 卒業後、優は都会の難関大学へ、美鈴は地元の短大へ進んだ。孝は県外の大学へ進み地元を離れたまま就職した。
 三人の関係は進路と共にわかたれたままで、時折人づてに消息を聞く程度だった。
 就職して数年経つと、早くも地元では結婚する同級生も出てくる。
 ある年の盆休み。孝は親しかったゲー友の披露宴に出席する為に帰省した。

「で?いつまでこっちに居るの」
 母親はテーブルに息子の好物を並べながら尋ねる。肉じゃがとイワシの蒲焼。
「明日は別の同級生たちと飲み会があって、明後日が披露宴で。その後有給で週末と繋げてある。向こうに早く帰ったほうがよければ帰るよ」
「別に好きなだけ居ればいいけど、その・・優君のお母さんに会ってね。こっちに居る間、よかったら飲みにでも誘ってやって下さいって言われたのよ」
「あいつも帰省してんの」
「・・何も聞いてないの?」
 優は体調を崩して暫く前から実家に居るらしい。
「殆ど外へ出ないみたいで、あたしも最初気づかなくってね。まぁお酒に誘ってって言われた位だから、体の病気ではないんだろうねぇ」
「外資系のいい会社に入ったって聞いてたけどな。俺が誘っても来るかなぁ」
 孝はスマートフォンを操作する。
「既読つかないわ。連絡先も変わってるかも」
 それでも母親はほっとした様子で
「いいのよそれで。今度会ったら、連絡がつかなかったみたいですって言えるから。ありがとね」
 次の日、孝は知らなかった話を更に聞くことになる。

「婚約?優と美鈴が?」
 居酒屋には男女数人の同級生が集まっていた。
「あー・・・意外と知らないかもなって思ってたんだけど、やっぱりか」
 当時クラス委員だった男が教えてくれた。
「優君がアレだったからねー」と、元女子が言う。孝が怪訝な顔をすると
「高校の頃から束縛が酷くて。スマホから男子の連絡先消されたって言ってた」
 女性陣によるとGPSで居場所は常に把握され、毎日定時連絡を強制されていたらしい。
「婚約は短大の在学中だったかな。あ、先に言っておくけどもう破談になってるから」
「はぁ?」
「まぁ順に聞いてよ。婚約もねぇ、美鈴は迷ってたけど優君が強引だったみたい。美鈴の親も向こうの家柄がいいもんだから前のめりになっちゃって」
「婚約すれば落ち着くかなって言ってたけど、一層束縛がキツくなって最後は美鈴に暴力振るって破談」
 元クラス委員がチラ、と孝を見る。
「お前ん家のマンションじゃ有名だと思うけど、聞いてないんだな。優の父親が美鈴の家に行って、訴えるのだけはやめてくれって玄関で土下座した話」
「いや、聞いてない」
「・・・まぁ、良い話じゃないしね」
 孝の母と美鈴の母親は元々仲が良かった。
 知らない筈はないが、幼馴染だった息子の耳に入れるのは遠慮したのだろうか。どれもこれも呆然とする話だった。
 他の同級生が
「まーまー、その辺で。孝は明日披露宴に行くんだろ、目出たい事の前にする話じゃないし」
と話を変えた。
 場は和やかさを取り戻し、昔話で盛り上がった。
 皆は二次会に流れるようだった。孝は早めに席を立った。
 帰る前に女子の一人から美鈴の連絡先を聞いた。

 その三日後。

 海辺の町に一台の軽自動車が停まった。運転席を降りた孝が片手を挙げる。
「よ」
 バス停のベンチに座っていたのは、美鈴だ。
「これ土産」
 美鈴にビニール袋を渡す。
「○○堂のたい焼き」
 美鈴は黙っている。
「ここで食う?車でもいいけど」
「・・浜に行こう」
 やっと、口を開いた。

 階段に腰掛けて海を見つめる。
「ごめんな。折角休養してるのに」
「いいの。別に病気じゃないし」
「叔父さんちに居るんだって?良いとこだな。釣りとかし放題」
「釣りするの?」
「しねーけど」
 美鈴が笑う。
「たい焼き、あんことクリーム入ってるから」
「ありがと。孝君、どっち?」
「俺はいいよ」
「でも」
 美鈴がふと気づく。
(そういえば、甘いものは好きじゃなかった)
 同時に思い出す。このたい焼きは小さい頃自分の好物だったことを。
 孝が傘を取り出し、ポンと開いて日陰を作った。
 頬を撫でる風が涼しくなった。
「・・・誰かに事情は聞いた?」
「うん。ごめん。知らなくて」
 美鈴は暫く黙った後、何処で歯車が狂ったか分からないと言った。

「最初は嬉しかった。付き合おうって言ったのは向こうだったし」
 孝は黙って聞く。
「段々息苦しくなって・・・」
 優は美鈴へ色々と要求するようになった。もっと可愛くなって欲しい、もっと成績を上げて自分と同じ大学へ行って欲しい。
「親公認になると、逃げられない感じになって。大学が別になったら自然に別れられるかなって思ったんだけど」
 美鈴の学力が自分に追いつかないと悟った優は、美鈴に地元に残るように勧めた。
「距離が置けるなら地元でもいいと思ったの。そしたら、向こうは親御さんに私を監視させるつもりだったのね」
 週末は優の実家に通い、母親から料理を習うように強いられた。
「私にも打算的なとこがあって。性格は細かいけど結婚相手としては優良物件だし、って。結局就職でも地元に残って、自分で自分を逃げられない環境に置いちゃった」
 優は卒業後大手企業に就職を決め、落ち着いたら結婚する流れになっていた。だが優に海外勤務の話が出てからおかしくなった。
 優は再び美鈴に研鑽を強いた。
 英会話とマナー講座を勝手に申し込まれ、顔の整形まで勧めてきた。
「断ったらすごく怒って。なんで俺の理想通りにならないんだ、って」
「・・・・・」
「まぁ・・・良かった、別れられて」
 美鈴が髪を掻き上げる。
 足元の漂流物から乾いた海の匂いがした。

「あれが叔父さんのカフェ」
 美鈴が岬を差す。
「あの白いの?」
「うん」
「海好きだったっけ」
「嫌い」
「え?」
「波の音。止まない泣き声みたい」
「いや、波は止めらんねぇべ」
「ふふ」
 孝が手を伸ばし、美鈴の耳を塞いだ。一瞬だった。すぐに手を離し
「止まったか」
と笑う。

「実はさ。昨日優に会った」
 孝は手短に話した。
 始めは連絡がつかなかったこと。後日優の母親が呼びに来て家まで行った事。
「馬鹿にしてんのかって怒鳴られた。優のお母さんまで余計なことすんなって怒鳴られてたよ。美鈴のことは何も言ってないから安心して」
「あ、危ないよ・・良かった。手を出されなくて」
「怒ってたけど、泣いてるみたいにも聞こえた。会社で何かあったらしい。何でも出来るだけに、負けた時の生き方が分かんないのかもな。俺に聞けよって、負けっぱなしなんだから」
 あははと笑う。
 美鈴はため息をついた。
「私も何度か頼まれて・・それで逃げて来たの」
「え?」
「息子を慰めて欲しいって。あんなことしといて何言ってんのって感じ」
「多分それ、優は言ってないと思うぞ」
「そう思う。プライド高いし。優君のお母さんって過干渉だよね」
「それでか・・・転地療養的な何かかと思ったわ」
「あはは。体は元気だって。大丈夫」
 美鈴は笑う。孝はその笑顔から目を逸らした。
(元気なら、波を泣き声とは言わないだろ)
「イワシトルネードって知ってる?」
 美鈴は知らなかった。

 小6の時。
 校外学習で水族館へ行った。昼食を挟んで自由行動をし、好きな魚をスケッチして提出するというものだった。
 孝の足が、ある水槽の前で止まった。
 銀の渦巻き。イワシトルネード。

『イワシはね、大きな群れを作って外敵から身を守るんです。
 外側の何匹かは捕食されても、内側の仲間を守る。
 弱い魚なりの生き延び方なんです。種の存続の為に』

 水族館のスタッフの話が胸に焼き付いた。
(弱い魚の生き方)
 水槽の前に立ち尽くした。

「その時に思ったんだ。サメやカジキじゃない生き方もあるって」
「優はさ。魚で言うならステンレスの鱗を持っててジェット噴射で爆進するような魚だよ。トビウオみたいに宙も飛べる。でもまぁ、それを他人にも強要するのは違うよな」
「俺はイワシでいいって思ってるから、人に負けたら相手を褒めりゃいいし、理不尽なことで頭を下げてもあっちゃー、で済ませることにしてる。まぁそのお陰で、こんなヘラヘラした感じになっちゃったけど」

 夕陽が海に落ちかけている。気づいた孝は傘を畳んだ。傘を持って車を降りる孝を、美鈴は不思議に思っていたが、謎が解けた。
「小さい頃」
「ん?」
「うちのお母さん、私の肌が焼けないように必死だった。そんな事も覚えてたんだね」
「んー・・」
「たい焼きも」
「ん」
「あの車。軽って、孝らしい」
「いやいや、近頃は軽もお高いんですよ」
 二人は笑う。
「乗せてくれる?カフェまで送って」
「おう、そのつもり」
 二人は立ち上がる。
「今日は、いい事教えてくれてありがとね」
「え?」
「これ」
 美鈴は自分の手で耳を塞いだ。
 二人は車へ向かって歩き始める。

 美鈴は海を振り返った。
「泣き声だと思うから泣き声なんだよね」
「美鈴。自分の名前の由来覚えてるよな」
「え?うん」
「笑い上戸のちっちゃい鈴。星の王子さまだろ」
「そう。孝こそよく覚えてるね」
「無理に笑わなくていいから。なんか出来ることがあったら言ってな」
「・・・うん」
 美鈴が足を止め、孝の後ろ姿を見た。
 ヒョロヒョロで頼りない背中。
「どした?」
 孝が振り向いて笑う。穏やかな笑顔。弱い者は傷つくと知りながら、弱いまま生きることを選んだ顔。
「・・ねぇ。私がここから帰る時は、迎えに来てくれる?」
「いいけどあれだぞ。大きな荷物は乗せらんないけど」
「いいの。私さえ乗れば」
「分かった」

 孝は美鈴をカフェまで送った。
「コーヒーでも飲んで行かない?」
「いやー、このまま帰るわ」
「ご実家?」
「アパートの方。実家いたら太るもんで」
「あはは、分かる。あの、孝」
「ん?」
「ありがとう」

 美鈴は暗くなった海を見た。水平線の向こうから夕陽が最後の光を投げかけている。
 幻影が聴こえる。誰も見ない海の底で、何万ものイワシが銀色に渦巻いている。
 渦巻きは声となり、水底から水面へ届く。
 海風が美鈴の髪を靡かせ、貝のような耳が露わになった。
 深く息を吸った。
 波が胸に響いた。


(追記)BOOK SHORTSには他の方々の優秀作品が多数掲載されております。
    是非お読みください。


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