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人生がつまらないと思った時に


企業やいろんなところでで研修やワークをするときに、いろいろ聞くわけです。僕が。
おせっかいにも程があるんですが。

「何をしている時が楽しいですか?」
「これからどんなことをしたいですか?」
「何が好きですか?」

そこでこんな回答が返ってくることがあります。
「いえ別に」。
「特に・・・・」
「特にないです」
「普通です。」

こういう回答をくださる方が一定数いるんです。
でも、そんなもんかとも思うんです。
自分だって、すごい回答なんて持ってません。
えらそうに「そんなんでどうするんですか!」とも言えません。

いわゆる、人生がつまらないと思っているように見える回答に向き合います。そう見えるってだけの話です。
好きなものない人なんていないと思うんです。
まあ、こいつに言ってもしょうがないと思われているとも感じますが、そこは勇気を持って振り切ります。

おせっかいですよ、もちろん。
それでも、世の中は言葉で出来ているので、
「いえ別に」と言ったその人は、楽しくないです。
そういう反応をしてしまったこと自体が、好きでもないはず。
自分の口からそういう言葉を出してしまった以上、楽しくないホルモンが分泌されたんです。

だから、お愛想でも「きつねうどんが好き」とか、
「星をみるのが好き」でも「酸素が好きです」でも言ったほうがよいと思います。
自分の反応が相手、または自分以外のすべての反応を生むので。

その時に、この人は自分を小さな会社と考えて、
僕を取引先や、未来の顧客と考えて反応していたらどうでしょう。
僕にどんな力があるわけでもないですが、
偶然、居酒屋で居合わせたら、生ビールを一杯ごちそうするかも知れません。
「あーこのあいだ、研修に参加してくれた人ですね!」
なんていいながら。
たかが生ビール、されど生ビールです。

なので、小さな会社であるためには、
言葉の準備が必要なんです。
自分は「なにが好きか」
自分は「何をしている時が楽しいか」
自分は「なにをしたいのか」
その時に大事なのは、見返りを求めないことだと思います。

この文章の題名に書いた、
「人生がつまらないと思った時に」
そんなときに考えたいのは、意味を求めないことです。
「好きに意味を求めない」
「したことに意味をもとめない」
「やりたいに意味をもとめない」

心のシーソーと言う表現をしてみます。
シーソーはぎったんばったん上下させることで楽しく遊ぶ道具です。
どちらかが、ずっと下にいたり、どっちかがずっと上にいたりすると楽しくありません。
人生がつまらない状態と似ています。

シーソーのぎったんばったんを他の言葉で言い換えてみると、
「ぎったん」は「ありがとう」に。
「ばったん」も「ありがとう」になります。

自分も「ありがとう」と言う。
そして、自分が感じる自分以外のものから「ありがとう」を受け取る。
これは人に限りません。

それこそ「酸素」にありがとう。
「水」にありがとう。
「ごはん」にありがとう。
「ウォシュレット」にありがとう。これはいつも思います。ほんと日本に生まれてありがとうです。
「空」にありがとう。
「風」にありがとう。

こうしてシーソーを常に、ぎったんばったんしていればいいと思います。
それが多分、「人生がつまらなくない」状態なんだと思います。

そうしていると、自分の好きに気付きます。
そうして自分のしたいことに気付きます。
次に、相手の好きに気付きます。
相手のしたいことに気付きます。
みんなの「好き」に敏感になるってことでしょうか。
世の中は誰かの「好き」で出来ています。
仕事のチャンスも出会いのチャンスもそこにあります。

シーソーを止まらせない。
シーソーが滞ってないか。

みんな一人ひとりが小さな会社になって、シーゾーをぎったんばったんしたら楽しいと思うのです。
とりとめのない文章を、最後まで読んで下さりありがとうございます。

読んでくださったみなさんに、シーソーをグンっと押してもらった。

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