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櫻坂46初の卒コンで渡邉理佐に救われた話

5月21日と22日、渡邉理佐卒業コンサートが行われた。
欅坂46時代を含めて、櫻坂46で卒業コンサートが行われたのは今回が初めてだ。

欅からのグループの顔が卒業してしまう寂しさと、
これまでにないほど大規模のイベントへの期待。
二日とも配信勢の私でさえそうだったのだから、
現地勢のその感情の揺れ幅は相当なものだっただろう。

そうして幕を開けた卒コンは、
欅坂から櫻坂という二つの坂を登り続けた渡邉理佐と
一期生の歴史をそのまま体現してみせるものだった。

1日目と2日目で多少の違いはあるものの、
二人セゾン、世界には愛しかない、手を繋いで歩こうか、
青空とMARRY、FIVE CARDSという二つのユニットの人気曲の数々。
驚いたのは、1日目のWアンコールを「風に吹かれても」で締めたこと。
こうなると、2日目は「サイレント・マジョリティー」が来るかもしれない。
そう予想したファンも多いはず。私もその1人だ。
しかし、そんな安直な予想は鮮やかに裏切られ、
2日目は「危なっかしい計画」で幕を閉じた。
これには「やられた」と思った。いい意味で、である。

世間的には、欅坂46というグループと言えば
「サイレント・マジョリティー」や「不協和音」が有名だ。
「笑わないアイドル」というキャッチフレーズが浸透しすぎて、
重い、暗いというイメージを持っている人も多いかもしれない。

私が欅のファンになった「風に吹かれても」の時期、
すでにグループは不安定だった。
そのヒリヒリするような不安定さのなか、ぎりぎりで踏ん張って
ライブや歌番組で爆発的なエネルギーを放つその姿に心掴まれ、
気づけば目が離せなくなっていった。

音楽番組を見るだけでも、妙に緊張したのを覚えている。
そして、こちらの期待を超えるパフォーマンスに出会う。
そんなことを繰り返しているうちに、欅坂46は幕を閉じることになった。

欅坂46を推している時の私の心は、
彼女たちを推す気持ちの中に、罪悪感が混じっていた。
それは、彼女たちのパフォーマンスが、
彼女たちの心身を追い込んで追い込んだその先にある、
ということに気づいていたからだ。

そんなことを続けていたら、いつか壊れてしまうのではないか。
そう心配する気持ちがありながら、
彼女たちのパフォーマンスに魅入られ、求めている自分がいた。
この感動は、彼女たちの犠牲と献身の上にあるのだと感じていたのに。

言葉の使い方が間違っていたら申し訳ないのだが、
彼女たちが心身を削って見せるパフォーマンスを求めることは、
「感動ポルノの消費」なのではないか─そんな不安と罪悪感があった。

そうやって欅坂を求め続けてきたのだから、
改名のその先の彼女たちを見届ける必要があるような気がした。
もちろん、欅の延長にある櫻のパフォーマンスや楽曲が好きだから、
楽しいから、推し続けているのは言うまでもない。

改名後、グループは名前だけでなく、楽曲もカラーも大きく変わった。
それは、欅という急激に伸びてしまった木の根に、
新たな櫻の木を接木するようなもので、
欅として必死に根を張り、太陽に向かって枝葉を伸ばしてきた彼女たちにとっては理屈ではない難しさがあったのではないだろうか。

だからこそ。
欅を「消費」して終わるのではなく、
櫻でも「応援」し続けるファンでいたいと思った。
応援するということは、櫻としての新たなグループの活動を楽しむということだ。

もちろんこれは私の考えでしかないので、
改名を機に離れたファンのことを否定するわけではない。
推し方もその動機も、その人の自由なのだから。

話を卒コンに戻そう。
卒コンで披露されたのは、
いつの間にか社会への抵抗への象徴として扱われるようになった曲たちではなく、
「二人セゾン」や「世界には愛しかない」「太陽は見上げる人を選ばない」
といった、明るくキラキラ輝く曲たちだった。
しかも、1日目の締めは「風に吹かれても」、
2日目の締めはライブが必ず盛り上がる「危なっかしい計画」だ。

明るい欅曲を堂々とパフォーマンスする1期生たちは
とても楽しそうで、嬉しそうで、見ているこちらも幸せな気持ちになった。
彼女たちのこのきらめきに、私は惹かれたのだった、と。

もちろん、自分らしさを貫こうとする欅坂の楽曲も素晴らしいし、好きだ。
そのどちらも、欅坂なのだ。

人間は、悲しい時にお腹が空き、面白いことがあれば笑う多面的な存在だ。
同じように、欅坂もまた多面的な存在なのだ。

あの怒涛の日々を走り抜け、櫻坂として歩みを重ねる彼女たちが
振り返り、もう一度見せてくれたのは、明るく軽やかな楽曲だった。
あのきらめきもまた、欅坂の一面だった。そこに、私は救われた。

卒コンで見せた一期生には、一ファンの
「感動ポルノの消費だったのではないか」という
迷いなど吹き飛ばすほどの明るさと強さ、そして輝きがあったからだ。

ファンにはわからないことも、きっとたくさんあっただろう。

私たちは今、櫻坂を楽しく推すことができているけれども、
改名せずに欅という木が根元からバッサリと伐られた可能性だってあったかもしれない。

それでも彼女たちは改名を選び、櫻を軌道に乗せた。

欅に櫻がしっかりと接木され、幹が太くなった今だからこそ、
一期生たちの欅の楽曲はより力強く、温かく、そしてきらきらと光を放っていた。櫻坂46としてともに歩み続けた一期生たちは卒コンのパフォーマンスで
あの頃の欅坂46を愛おしみ、肯定しているようにも見えた。
だから、それを見た私までもが、
あの頃の欅坂46を愛していたことを許されたような気がしたのだ。

欅坂と櫻坂のどちらも愛おしむ姿を見せてくれた、
渡邉理佐と、その卒業コンサート。
彼女は最後の最後まで大きな置き土産を残していってくれた。

それは、花が咲き始めた櫻坂46の土台を肯定し、
さらにその先の未来を肯定してくれる「希望」だ。

そんな渡邉理佐さんの未来が
たくさんの希望と笑顔と幸福で溢れたものでありますように。
そして、櫻坂46の一期生と二期生の一人ひとりが
さらに輝くことができますように。

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