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夜空のカーテンと夜明けの光

太陽のもとよりは夜の方が落ち着くけれど、明け方の、じょじょに明るむ空と、まぶしい朝日はすごく好き。重々しくせまってくる昼間の太陽とは違って、朝日は軽く伸びをしているような気がする。

twililightに行った。

あかるい場所だった。まさに明け方のような。
気になった本を手に取って、店内の展示も見ながら、じっくりと歩きまわる。本屋さんというよりも、いろんな人の創造物が集まっている場所、という印象を受けた。ちいさく光るものが寄り添って、あつまって、光になっている。ぽわっとした明かりで、暗がりをてらす。その軽やかなあかるさが、夜明けの空に似ていた。店頭に並ぶ一つ一つの本を読んでみれば、きっと、指針になったり、支えになったり、くすっと笑えたり、おもしろい、たのしい、と思えたり、と、さまざまな明かりが心に灯るのだろう。
よく、「明けない夜はない」と言う。「君のいる夜がいくら真っ暗闇だとしても、すこしだけ、あかるさをあげる」と、光として存在してくれるやさしさ、光をわけようとしてくれるやさしさが、twililightにはあった。じっさいの明け方もそうだ。夜の空に、少しずつ明かりを混ぜていく。少しずつ少しずつ混ぜて、気がつくと朝になっている。急に明るくしたら眩しすぎるし、ちょっとずつ慣らしてくれるくらいがちょうどいい。

ふと、年明けにキュビスム展で見た、シャガールの〈ロシアとロバとその他のものに〉を思い出す。左上の黒い部分の下に、太陽みたいなものが描かれた跡が見えた。太陽だとしたら。毎日、空には黒いカーテンが引かれ、夜がやってくる。カーテンは、気まぐれに太陽を隠し、日差しをさえぎる。何かが見えすぎないように。暗い夜は私たちをそっとひとりにしておいてくれる。そのやさしさに感謝しながら活動をはじめる。絵の中の街は不思議な色で光っている。シャガールはなぜカーテンをしめたのか。誰を、何から守っているのだろうか。そんなことを想像した。やさしい絵だ、と思った。

twililightでは食事も楽しめる。注文していたシナモンクリームソーダが来た。透明な二層の中に、氷が入っていて、窓の外の光をうつくしく取り込んでいる。上のアイスクリームがおいしい。あっという間になくなった。甘めのアイスに、すこしだけシナモンの香りがくっついていた。ソーダを飲む。よくかき混ぜて、と教えていただいたのに、混ぜたりなかったらしく、ガツンとシナモンをくらう。こちらもおいしい。
再びかき混ぜたけれど、底のシロップがすこし残った。きっとこれは、氷を溶かしながら楽しむ飲み物だ、と思った。ゆっくりいていいよ、と言ってくれる気がした。しばらく置いておいて、時折混ぜる。最初はすこし濃いめ、氷が溶けてもおいしい。はじめからおわりまで、どこをとってもおいしくいただける。変化を楽しみながら、ゆったりとくつろぐことができた。時間を内包する飲み物。どれだけのこだわりと計算でつくられたのだろう。そんな時間をも思わせる一品だった。

顔を上げると、窓の外はたそがれ時になっていた。空は、紺に近づいていく青の、深い色をしていた。店々は明かりを灯して、人々はすっかり夜の気分で街を歩きはじめた頃だろう。空は、街よりものんびりと夜を迎えて、そして、すこし早く朝の気配をたたえる。

夜空のカーテンに守られることもあれば、夜明けの光をもらって救われることもある。光をかくすのもやさしさで、光をさしだすのもまた、やさしさだ。


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