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不登校親子ももうすぐ最終章?

息子の中学校で修了式があった。中学2年生の終わりの日。
小2ぐらいからゆるい不登校で、でも学校と完全に切れることがない息子氏、3時間睡眠で朝から制服着て学校へ歩いて行った。登校時間の8時は過ぎて、式が始まる直前のタイミングだったけど。

もらってきた通知表を見ると、今年度の欠席数は文科省が定める不登校の基準である年間30日の5倍くらい。
しかし、登校数は中1だった前年度と比較すると実に25倍くらいだ。
1学期の5月から7月に急に学校に行った時期があったからで、その後の二学期以降はまた付かず離れずになったが、行事とテストだけ行っていた。
なお、自宅学習はしていない。だから数学や英語などはさっぱりわからないはずなんだけど、月1回のテストの日は昼夜逆転を強制的に調整して徹夜明けとか、逆に長時間睡眠明けで行って受けてきていた。
不登校児と言うと繊細なイメージがあるのだけど、息子氏の周りの目の気にしなさ加減はなかなかすごいものがある。あれは気にしいな不登校児だったわたしには無い要素だわ。

自分の不登校時代を思い返すと、中1の時は「中学生になったから頑張らないと!」と1ヶ月くらい頑張って登校して、GW明けに行けなくなった。
中2の時は1日しか行かなかった。
時間割ももらえなかったので、同級生の友人に頼んで自分の分をもらって来てもらおうとしたのだけど、担任に「そうやって卜部(旧姓)を甘やかすのはよくない」と言ったそうで、それを聞いてショックで号泣した。
それでもある日、鞄に全教科を詰めて登校したらわたしの席は無くて、班長さんたちがジャンケンをして、負けた人がわたしを引き取った。それを見てる間は泣かなかったけど、帰宅してから泣いたと思う。そのジャンケンの景色しか覚えていないが。
それでもう中2は行かなくて、中2の終わりに大都市の札幌に引っ越しが決まった。
札幌で中3になり、過去の不登校だった自分を知る人はいないのだからと頑張ってまた登校したけど、またまたGW明けにガス欠で行けなくなった。
その後、札幌で初めてできたフリースクールに通い、学校に行かない生き方をする自分でいいと思うようになるまでちょっとかかる。

もうすぐ中3の息子は、別に不登校でいいとは思っていないらしい。
高校は普通の学校に行って学生生活を送りたいと言ってみたり、どこにも行きたくない、親のすねと国のすねをなるべく長くかじっていたいと言ってみたり、たまに揺れている。
一方で、コーヒーを豆から挽いて淹れたり、スコーンをこねて焼いたり、フランスパンを作ってみたりしている。チャーハンとパスタはもう日常的に作って食べているので、わたしも出張の時に子どもの食事を心配することがなくなった。
中1の途中からオンラインの友達が増え、しょっちゅう誰かとグループ通話している。あんなに遠距離で喋ってもいっさい通話料がかからないなんていい時代だ。(アプリを使ってる)
親が教えたわけでもないのにTRPGにハマって、キーパーをやったりもしているようだ。

どちらにしても、義務教育はあと1年。
まぁ、高校や大学などに進んだ後の不登校もあるあるなんだけど。そこは常に「辞める」選択肢や「辞めさせられる」期限があるわけで、またちょっとターンが違うのかなと思う。

174cmもある母親に肩を並べた息子、次の健診ではいよいよ追い抜かされそう。
どんな選択をしたとしても、母が見ていない景色を見ていくのだろう。

⬇️青森県弘前市で不登校の親子サークルをやってます。息子はもう来てませんが、毎月数人から十数人の親(と子)が来て、愚痴や悩みを話したり、情報交換をしたりしています。

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