2022年8月8日

 大学では、今日実習で制作した作品の上映会が行われた。これが終わればその瞬間から夏休みが始まる。他の大学はもう夏休みだと、アルバイト先や、他の大学に通う友達から聞いていたから、こんなにも学校によって違うものかと思っていた。

 僕はちなみに、長期休みは嫌いである。大学に行けばいつも会える人が、大学に行っても会えないし、学生でありながら、学校よりもアルバイトに行く時間のほうが長くなることが僕にとってものすごく負担なのである。だから休みの日も学校に行って、先生だとか、夏休みを返上して卒業制作の作業をしている4年生の友達に会って、少しでも寂しさを埋める。休み期間というものはどうにも僕には休めない。

 一旦話を変えると、上映会は、文字通り上映会で、いつも見るような光景とは違った。というのは、僕の通う大学では、上映会というものは合評会ともいうが、とにかく酷評されて人格を否定されているのではないかと思ってしまうほどだ。講師陣も映画に対して純粋で真っ直ぐで正直で誠実だからこそそういうことになってしまうことも理解しているが、僕たち学生はその瞬間をひたすら怯えながら、憂鬱になりながら待つことになる。それが今回はなかった。杞憂であった。作品を鑑賞して、感想を一人一人言っていって、それで終わった。これから上記のような地獄絵図合評会が始まっていくのである。

 それが終わって、同じゼミでは先輩学年と打ち上げを行うらしく(僕は参加しない)バタバタしていた。僕は自分の作業を終えて片付けをして、同じ班の子らとコンビニでお菓子やらお酒やらを買って、少し談笑してまた会う約束をして別れた。僕はこの後アルバイトがあるからどうしようかと悩んでいたら、もう1人の班の子が、一緒にご飯に行こうと誘ってくれた。久しぶりのサイゼリヤ。僕はカルボナーラを注文した。彼女は、たらこのシシリー風スパゲッティ注文した。2人ともアルバイトで尻カッチンだが、ゆっくりと話しながら食することができた。そうしていくたびに、あぁ、やっと僕はこの学年で友達を作ることができたんだなと感じることができる。大学の講師・教員にやたらと「友達はできたのか? 4年生にいつまでも張り付いていたらダメだぞ。俺たちはお前が心配なんだから」と言われていたが、僕にもようやっと、外で食事をしてくれる友達ができたのだ。その相手が女性だから、「ゼミ内の風紀を見出している」と今度は逆に責められているが。なぜ友達を作らなければ責められるし、作っても責められるのだ。

 地元の有名な言葉に「喋れば喋ったって喋られる、喋んねば喋んねって喋られる。どうせ喋られるんだば、喋んねで喋られるより、喋って喋られだ方がいいって喋ってたって、喋ってけ」とある。「喋る」がゲシュタルト崩壊してしまうような早口言葉だが、「話せば話したって言われるし、話さなければ何も言わないと言われるし、どうせ何かしら言われるのであれば、話さないで言われるよりも話して言われた方がいいって、(あの人に)言っておいて」という意味である。簡単に言えば、しないよりもしたほうがいい、ということである。かなり回りくどくなったが、それと同じことであるように思う。結局何かしら言われるのであれば、友達を作って言われた方がいい。言いたい人には言わせておくのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?