人間関係のかたち

 「私は、我々だ(コードトーカー『メタルギアソリッドV ファントムペイン』より)」

 メタルギアソリッドV(以下mgsv)に登場する老人、コードトーカーはこう言った。人間は単一のものではなく、さまざまな、膨大な数の細菌を体中に持ち、お互いに補い合って生きている、という意味で放った言葉だ。

 この言葉に僕は、すごく自分の中で深いところにすとんと落ちるものがあった。

 人間はいわば、ジグソーパズルのピースであると思う。1人では完成せず、いろいろな形の人と組み合わさり、やっと一つのものになる。それが学級であったり、会社であったり、大きくなって社会になる。中には隣同士ではどうも嵌まらないものもある。それが「相性が合わない」ものであって、それでも一緒の集団としてやっていかないといけないから、突起の向きを変えたり、隣のピースを変えたりしてうまく嵌め込んでいく。そうやってどうにかやっている。それが人間関係であると思う。

 こういう風に書くのは、僕がよく人間関係で失敗をするからである。大抵は僕が口から発した言葉にある。口は災いの元とはよく言ったものだ。本当に先人の言葉には何度も耳を痛め頷かされている。

 僕が何を余計なことを言ったかはさておき、何か活動をしたり、街に出て買い物をしたり、一瞬の関係であろうが、長い付き合いだろうが適切な距離感や発言はとても大事であると思う。もちろんそれは人は1人では成り立っていないからだ。うまく嵌まり込む相手を見つけたり、自分が嵌まれるように変わるのは、とても難しく手がかかるもので、工夫と努力を要するものだ。それなのに何故か、それを壊したり、バラバラにするのはとても簡単なのである。皮肉なのか、何なのかはわからないが、偏に風の前の塵に同じなのである。あっけなく崩れ落ちてしまう。

 僕は最近、出会った人である程度の関係性を築いた人には、「別れの時」を勝手に想像してしまう。それで臆病になったり、関係をそれ以上深めようとしないなどとするのではなく、だからこそ今を大切にしようと思う。思うのだが、余計なことを口走ってしまったり、今ではないだろうということを気が付かず言ってしまい、相手が本当にそう思っているかは真偽は定かではないが、後から気がついてハッとして1人反省会を開く。その度に「これであの人との関係が終わってしまっても仕方がない」と、自分を責め、ひとまずお開きにする。それを繰り返すたびに、「発言をする」ということのリスクの大きさに思わず震えてしまう。

 そういう時に「メタルギア」シリーズの、自分のこの人間関係に対する態度との共通性であったり、類似性に気がつき、学び得るものがあると感じる。この作品は、ネイキッドスネークとゼロ少佐のすれ違いから大きな戦いに発展していくのだが、すれ違う2人の間には常にザ・ボスというピースが嵌まっている。

 僕が彼らと関わる上で、その間にはどのようなピースがあり、それでどのようなパズルが完成するのだろうかなどと考えると夜も明けてしまう(一度本当にそれで朝を迎えた)。また僕自身は誰かと誰かを繋ぐピースになれているのだろうか、間違って嵌め込まれていることに気が付かずいつまでも完成しないパズルのその要因にはなっていないだろうか。わかりもしない問題がずっと胸の中にあり続ける。

 明日、突然パズルがひっくり返されてしまうかもしれない。明日、突然僕ではない違うピースがうまく当て嵌まるかもしれない。明日、明日……。

 一瞬でも、その人と、その団体の、一緒に、一部に慣れたことを素直に喜ぶことができたら良いが、なかなかそうはいかない。それでも、僕に対して、僕が所属する何かに対して、そう思ってくれる人が1人でも多く現れてくれることを祈って、僕は自分の言動を振り返り戒めて、次に活かせるよう努力していこうと誓い、それをここで証拠として残すのである。

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