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第六章 「息苦しいアナーキズム」から足を洗え

第六章 「息苦しいアナーキズム」から足を洗え 【解説】この対談は『アナキズム』19号(2015年)に掲載されたものに加筆修正したものです。前の年がバクーニン生誕200周年だったので、『アナキズム』誌がバクーニン特集で、表紙もバクーニンで、タナカがロシアで開催された生誕200周年記念集会参加したことについて書いた報告も掲載されていました。しかし、前回話題になった映画『シュトゥルム・ウント・ドランクッ』を乱さんが見て、かなりひどかった、ということを言っていたので、だったら

    • 第五章 網においたうんことアナーキズム ‐逆襲の辻潤‐

      【解説】この対談は『アナキズム』18号(2014年)に掲載されたものに加筆修正したものです。前の年が大杉死後90周年で、様々なイベントが開催されました。タナカもそのようなイベントに参加したりしました。しかし、のんきちさんから、大杉みたいなのがなんで評価されるかわからん、辻の方がもっとすごいのに・・・というような話があり、また、死後90周年にあわせて制作された映画『シュトルム・ウント・ドランクッ』が上映された、という話があり、それにあわせて18号の特集は「疾風怒濤!アナーキー映

      • 第四章 アナーキストは日本の死を告げる ‐バカボンブ原発‐

        【解説】この対談は『アナキズム』15号(2012年)掲載されたものに加筆修正したものです。雑誌全体の特集が「暴走するテクノロジー」だったので、東京の滓添さんが「テクノロジーとアナーキズム」というテーマで対談をするか、というお話を持ってきたのではなかったかな、と思いますが・・・。しかし、福島原発事故からまもなくの時でしたので、あの頃は誰もそうでしたが、対談に参加した誰もがたいそう怒ってまして。そのため、「日本はもう終わってます」という、かなりどぎついタイトルにしてしまったのだと

        • 第三章 本当は恐ろしいアナーキズム ‐爆弾魔ユナボマー

          【解説】この対談は『アナキズム』10号(2008年)に掲載されたものに加筆修正したものです。元々のタイトルは「バカアナ四天王「さらば『アナキズム』誌」対談~大不評、大不幸のバカアナ四天王これにて打ち止めでございます!」となっています。ここまで二回も挑発的な対談をしたのに、『アナキズム』誌のほうから誰も反論してこないので、「いくらやっても無駄や! これでやめたれ!」みたいなノリで、東京から久々に大阪にやってきた滓添さんをまじえて、『アナキズム』誌の批判とか、ユナボマーの話とかを

        第六章 「息苦しいアナーキズム」から足を洗え

        • 第五章 網においたうんことアナーキズム ‐逆襲の辻潤‐

        • 第四章 アナーキストは日本の死を告げる ‐バカボンブ原発‐

        • 第三章 本当は恐ろしいアナーキズム ‐爆弾魔ユナボマー

          第二章 アナーキズムを蹴っ飛ばせ ‐蘇る奥崎‐

          【解説】この対談は、2005年12月、関西某所でやったもので、『アナキズム』誌8号(2006年)に掲載されたものです。特集は「DIY いま・ここで・自分たちで」でしたが、全く意識してませんでした。対談で取り上げられた『アナキズムFAQ』と浅羽通明『アナーキズム』は、三人でお酒を飲んだりメールでやりとりするなかで話題となり、「これだけおもしろいから対談を出してもらおう」ということになって『アナキズム』誌に誰かがお願いして掲載されたのではないかと思います。なお、のんきちさんがイラ

          第二章 アナーキズムを蹴っ飛ばせ ‐蘇る奥崎‐

          第一章 アナーキズムクソ地獄へようこそ

          【解説】この対談は『アナキズム』6号(2005年)に掲載されたものに加筆修正したものです。のんきちさんと乱さんが雑誌の編集担当の滓添さんから「個人主義特集だからなにか書かない?」と誘われて、「対談」をすることになったそうです。タナカはそのころ二人とお知り合いになったばかりでした.あるときお酒を飲んでお話ししているうちに、タナカも「さすらいのアナーキズム学者」として加わって「対談」(三人なので「対談」というのはおかしいのですが)をすることになりました。お話をしているうちに、お二

          第一章 アナーキズムクソ地獄へようこそ

          ウラ・アナーキズム

          まえがき  すべては2005年6月に発行された『アナキズム』誌における「真景三廃人漫談」(以下「三バカ対談」)から始まります。ほんとは『アナキズム』誌編集委員の人たちは、わたしたちを『アナキズム』誌に関わらせたくないというのを感じていましたが、『アナキズム』誌の特集が『個人主義』だったことと、わたしたちが Individual Anarchismを志向していた関係でイヤイヤながらもおよびがかかったのだと思います。  しかし、『アナキズム』誌にとっては、それが命取りになり、た

          ウラ・アナーキズム