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第三章 本当は恐ろしいアナーキズム ‐爆弾魔ユナボマー


【解説】この対談は『アナキズム』10号(2008年)に掲載されたものに加筆修正したものです。元々のタイトルは「バカアナ四天王「さらば『アナキズム』誌」対談~大不評、大不幸のバカアナ四天王これにて打ち止めでございます!」となっています。ここまで二回も挑発的な対談をしたのに、『アナキズム』誌のほうから誰も反論してこないので、「いくらやっても無駄や! これでやめたれ!」みたいなノリで、東京から久々に大阪にやってきた滓添さんをまじえて、『アナキズム』誌の批判とか、ユナボマーの話とかをしました。これがけっこう盛り上がったわけですが。滓添さんは編集委員のお一人なので、注意して読むと、ビミョーな立場でビミョーな物言いをされているのがわかります。しかし、そこがなんとも言えず味わいのある対話になっています。それにしても、滓添さんはじめ、なんとなく後ろ向きというかニヒルな発言が多いです。もともと皆さんそういうものの言い方をするとは言え、第一次安倍内閣成立から一年経過した、イヤーな世の中の雰囲気も背景にあったりするかもしれません。でも、ユナボマーを再発見したという意味で、この対談はけっこう画期的だったのではないか、などと思っていますが。いかがでしょうか(タ)。  
 まあ知らない方からしたら『アナキズム』誌の話なんぞ楽屋ネタみたいで関心を持てないでしょうね。私も同感ですが、敢えて言えば、このようなイデオロギーの世界も人間の世界である以上、もめ事や対立があるわけです。一応同じ看板の思想を持つものでもまとまらないわけで、そんなのが世界をうまく切り盛りできるはずもないのですね。ある意味イデオロギーの無力さを露呈しているわけです。そのみっともなさをさらすのがアナーキズムの考え方だと思います。自らイデオロギーの限界と解体を明らかにするのがアナーキズムです。それが出来ないアナーキズムはアナーキズムに値しないのです(乱)
 

出席者 の=小谷のん(ニヒリスティック・エゴイスト)、=乱狡太郎(無思想電波オヤジ)、=タナカ(さすらいのアナーキズム学者)=滓添妖一(『アナキズム』誌編集委員) 
 

個人主義の逆襲
の 最初は「個人主義の逆襲」というテーマです。もっと過激なテーマも考えましたが(笑)、「そのテーマやったら絶対に殺される!!」という意見が出たので、これでいきます(笑)。・・・それで、この前の僕らの対談(注1)に、なんか反論あったらよかったんやけど。反論は?
滓 ないね。完全無視だろ(笑)。
の なんで? だってほとんどのアナーキストって社会主義的アナーキストやん。だから、「こいつら言ってんの、すげえむかつく」とか、「なに言ってんの、このバカども」みたいな(笑)。
滓 そんなバカをいちいち相手にするヒマはないということもあるだろうし・・・考え方としては違うところは違うけど、でもけっこう違わないと感じるところもあるんだよね。
の どこが? 全くないよ! 絶対に違うと思うんよ。たとえば、ブクチンなんかとぼくらの言っていることは全然違うやん。だから、ブクチン支持者は、ボブ・ブラックのブクチンたたき(注2)と同じような感覚でぼくらの対談を読めるんやないの? ぼくとかが言っているのが個人主義とか個人主義的なアナーキストで、ブクチンとか大半のアナーキストが社会主義的アナーキズムの支持者やろ? 全く異質やから批判は当然のはずやけど?
滓 社会主義なんかとはたしかに考え方違うんだけど、やっぱりそこはみんな億兆一身アナーキズムというところで(笑)。
タ 綱領主義を『アナキズム』2号で翻訳しているでしょ(注3)。どうして綱領主義を支持しているのかな。アメリカではやっているから?
の 綱領主義から見たら個人主義的アナーキズムなんか、アナーキズムにはみえへんやろ。『アナキズム』っていう雑誌は、ほんまのことを言ったら、そこに個人主義なんて入れちゃいかんと思うんよ。
乱 そうそう、バカどころか、なんせ個人主義者は元々「ビョーキ扱い」(注4)なんだから・・・(笑)。
滓 社会主義的アナーキストが個人主義を否定しているわけじゃないし、ボリシェヴィキに対する態度とかとは違うと思うよ。
の でも『アナキズム』8号にあった「アナ・ボルシンポ」の記事読んでいたら、アナで出ていた人がアナ・ボルの仲介役やって、アナとボルが接合されていっているように読めたし、他の社会主義的アナーキストの人もそういうところあるんちゃうんかな。大正時代にもアナ・ボル論争とか共闘とかやっていたし。結局つぶれちゃうんやけどね。
滓 アナ・ボル論争やりたがるのはボルばっかりで、アナの方でやりたがっている人はおらんでしょ。いまさらボルと話し合いする必要なんかねえよ、て。でもおつきあいがあるからね、みたいな(笑)。
乱 野球界でもアホバカ論争(注5)ってのがあったけど・・・(笑)。
の ま~た、しょーもないことを(笑)。・・・でもさ、1989年のベルリンの壁崩壊以後、ボリシェヴィキの方が、バックグラウンドなくなったじゃない? だから柄谷行人みたいなのもシュティルナーとか言い出したり。あんなのボルからのある種「転向」みたいなもんやろ。そういうところが、うざいなあ。
滓 ボルからアナに変わった人でも千差万別だよ。かなりボル的な方法論に近い人もいれば「ボルなんてうんざりだ」という人もいる。
乱 空手やっていた人が太極拳やる(注6)みたいな話し?(笑)。
の そりゃなんや、また梶原(注7)かいな?(笑)
 でもさ、俺が酔っぱらって「反共!」とか「反革命!」とか言い出すと、すごく怒られます。
の なんで反共がいかんのん? 反共はええがな(笑)。革命だったら、アナーキストも目指しているからわかるけど。アナーキストは反共でしょ? 社会主義的な人は、ボルとかと共闘しよう、とか言うけど、そんなんちゃうやろ。あんなん、ファシズムと共闘するみたいのんとどこがちがうねん。
乱 ファシズムもボルもどっちも全体主義仲間やものね(笑)。
の むかしから、ファシズムとボリシェヴィキと一緒やんけ、とか言ったら無茶無茶怒ったやろ。それこそ暴力的な怒りかたしたやん(笑)。それ自体がファシズムやと思うんやけど(笑)。
乱 南京大虐殺とか批判する前に、それこそ「同志」が起こした南京以上の共産圏の無数の大虐殺事件(注8)に落とし前つけてよね。

旧ソ連によるカチンの森虐殺事件(1940)
中国による文化大革命(1966-1977)。大虐殺が行われた。


の 話の内容が危なくなりそうなので、そろそろテーマを「反アナーキズム」にしましょ。
タ 「殺される」っていうからテーマ変えたと思ったけど、結局そのテーマだとますます殺されますね。
 
反アナーキズムについて
の 結局、共産主義もファシズムも、全く同じと思うんよ。知り合いのボルの宗教学者の人にね、何がちゃうのん?て聞いたら、前提が違うっていう。共産主義は前提がプロレタリアの為にやっている、ファシズムはそれを考えてない。だから、共産主義やったらええ、みたいなこと言うねん。
乱 でもさ、ナチスは快適な生活を作った、あの時代は良かったです、って言う人もいるよ。
の それは、「健常者」とか「男性のドイツ人」の快適な生活でしょ? でも、障がい者はバンバン強制収容所で殺されたやないの。
乱 いや、あれは、もともと一般市民から自分の子供を安楽死させてくれ、いうのがきっかけ、それに優生思想はナチスの専売特許でもないよ(注10)。
の それはそうやけど! でも、そんなん言ってきても、やったらあかんやん!(笑)障がい者にこれだけの予算がかかりますので殺ってください、ていうけど~・・・したらあかんがな!
乱 マイノリティのことなんぞ知ったことかい、というのが、「フツーの人たち」のごくフツーの考え方でしょ。
タ 安楽死じゃなくても去勢手術とかはずっとあったでしょ。優生保護だとか言って。アメリカだって北欧だって日本だって。障がい者の子孫を生かしちゃいけないという考え方は、どこでもあったよね。近代化されていて、生産が第一で競争社会が進展していれば、大衆一般に広がって認められる考え方じゃない。だめなやつは排除していかなきゃいけない、という考え方はさ。
の 近代化でいうたら、江崎玲於奈(注11)なんかも殺せとまでは言わないけど、バカはバカで工場労働者でもやってればいい、って言っていた。学校に釆なくてもいい。賢い人だけが来て日本を支えていったらええ、みたいな。
タ 『「小さな政府」を問いなおす』(注12)っていう本を書いている東大の経済学者なんか、「小さな政府」は良いという結論なんだけど、結局、優れた人間は遺伝子なんだ、って書いててね(笑)。その発想からすれば、「殺せ」という思想にはつながるよね。ナチスが悪い、とかそういう問題じゃないよ。
乱 それが左翼なんかでも、ナチや資本制が悪い・・・なんか自分たちと敵対するイデオロギーの問題だけに還元されてしまって、近代化に対する問題意識が少ないよね。
タ 結局、安楽死とかは個人の尊厳の問題じゃなくで、国家の全体としての効率の問題だから。全体の生産と、そこからどれぐらい大きいパイを作るか、っていう問題だし、そのパイをどのように分配するか、っていう話だから。そう考えたら、福祉国家だって全然人道的じゃないんだよね。
「小さな政府」って、もともとリバータリアニズムから釆てるでしょ。オーストリア学派とかから。あれって、アナーキズムとすごい近いし、それに、アナーキズムからみたら、大きな政府よりは、小さな政府のほうがましや、という話になるんやないの? まあ、政府自体がいかんのやけど。リバータリアニズムは、政府や国家を完壁になくすのではないけど。弱肉強食の世界みたいなのがええんよ。それこそ北斗の拳(注13)の世界みたいなんが理想やん。じっさいネットってそうやん。だからネットウヨみたいなのいっぱいいるやん。ナショナリスティックになって、すごいやろ、あいつら。

「北斗の拳」の世紀末世界では、力なき弱者は強者に徹底的に弾圧される。


乱 そーいやネットで「いじめは必要悪」とか言ってたのを読んだよ(注14)。リーフェンシュタールの『ヌバ』のコンセプト(注15)と同じやね。生き残れないやつは淘汰されるのが自然だ、みたいなのわりとあるやん。

レニ・リーフェンシュタール『ヌバ』(1986)


の アナーキズム革命、って、結局限界っていうか、はなから無理な話ちゃうの?
滓 政府だの国家だのがない状態を理想型として考えるのがアナーキズムだと言われるけど、それだけがアナーキズムなわけがないよね。ベクトルの問題だと思うんですよ。例えばね、今は何かっていうと「法整備が必要」ということが叫ばれて、スパイ防止法や盗聴法が必要とか、憲法や教育基本法の改正が必要とか言って、次から次へとよくこんだけ悪い法律を考えつくな、って思うぐらい作っていくじゃない。そのたびにその反対運動があって、俺も嫌々やっているけど(笑)。でも、もううんざり。どんどん法律をつくっても、日本という国や社会はちっとも良くならないばかりか、逆にどんどん悪くなっていくでしょ。「何でかな」って考えてみると、「法律で全部コントロールしよう」という考え方自体がそもそも無理なんじゃないか、ってことかと思う。
の いまの滓添君の話はすごく重要な問題があると思うんやけど。アナーキズムは結果やない、プロセスだ、みたいな話だと思うんですよ。社会主義的アナーキズムやったら、最終的にはアナーキズム革命起こして、支配されない社会を作る、っていう結果を目指すでしょ。ただ、確かに今の滓添君の話には納得できる。でもプロセスみたいなやったら、そうベクトルとか目標を決めていくというのがないってことになるけど、それでええんかな。
 目標なきプロセスかあ。それって難しいよね。まあ何々に反対するというのは目標になるけど、それはそれで反対が成功しないと意味ないわけでね。
滓 法律を作れば作るほど、その裏をかく犯罪者がどんどん出てくるわけでさ。自分じゃ何にもしないで、ただひたすら法律作れという他力本願だけ。

「法律なんかいくら作っても無駄さwww」


の 今の滓添君の話で、ちょっと違うかな、って思うのは、下からじゃなくて上からの、たとえばスパイ防止法みたいな法律をどんどん作っていくのは、結局自分たちが統治しやすいからでしょ。もちろん民衆もそうしたいんだけど、どっちかというと政府でしょ。だからアナーキズムが問題にするのは政府になるわけでしょ。だから、ファシズム国家であってもボリシェヴィキ国家であっても、何でも一緒やと恩うんやけど。だからボルとの共闘っていうのはおかしいと思う。それに、ボルでも何でも、人間を支配するのは同じや。だから、どうしてそんなんで共闘できるん、と思ったりするんやけど。
滓 その間題になるとまたちょっと別。社会システムをどうするか権力をどうするか、みたいな話をすれば、そうなるんだけどさ、圧倒的に負けているアナーキストの方が(笑)、そんなこと言ってもしょうがないわけでさ。荒畑寒村と大杉栄が昔組んでたみたいに、ともかく、いま最悪の事態なんだから考え方は違うけど一緒にやろう、という考えもあるんじゃないの。

荒畑寒村(1887-1981)


乱 まあ一緒にやると言っても、政府とか国家とか大きなシステム相手に、「暴力」抜きの徒手空拳ではね、たいした影響力ないことだけは一緒(笑)。
滓 むかしさ、社会党は、「何でも反対社会党」で政権構想もなにもない、とか言われてたんだけど、ある人いわく、「何でも反対だからいいんですよ。これが政権とろうとかしたらとんでもないことになりますよ」って、実際その通りだったけどね。
の でもね、話を戻すけど、それやったら、もしファシズムとボリシェヴィキがイコールとするなら、さっき滓添君が言ってたように、仮にアナとボルが組んでも良いっていうことなら、ファシストと手を組んでも良いってことになるやん。
滓 個別の問題としてはそういうこともありうるんじゃないの。
タ 石川三四郎(注16)だって天皇を崇拝してたでしょ。
乱 でもね、その場合、ちゃんと権力取ること考えないとね、現政府やシステムにケンカ売るならば。「良い権力」なんて幻想だけど、幻想でも、権力取ってそういう対立軸になる勢力にならないとね。複数の対抗勢力ができることによってそれでお互いに牽制できるからね。この地ではね、敗戦後自民党を軸に、政、官、財、暴、マスコミと一体でシステムが構成されているから、そうなると、チェック機能を果たす仕組みすらできないから、ATSが効かない暴走JRみたいなもんで、加速度的にどんどん悪くなっているわけだから。
滓 ボリシェヴィキは権力志向だからいけませんとか、そういう単純な割り切り方はあまり意味がないと思う。
の いや、意味があるとかないとかじゃなくで、実際にボリシェヴィキとアナーキズムの間は、もうスゲェ隔たりがある。まあアナーキズムっていっても人生色々(笑)。…でも隔たりがあるのはたしかでしょ。だったら、アナ・ボルとかいうのがおかしいんやないかなあと思うんやけど。
滓 まあ、それはそうだけどー。でもね、ボリシェヴィキが権力志向だって言ったって、今は、はっきり言って絶滅寸前の天然記念物みたいな存在なんだからさ。せいぜい絶滅寸前の動物を保護する、ということだけだよ。虎とかライオンだけどね。
の 虎とかライオンって猛獣やないの? あかんやん、はびこったら!
乱 いやそういう猛獣は複数いた方が絶対いいって。お互いに噛み合うから。今は単体になっているから問題なんやねん。単体にしないこと。噛みあうことによって生じる「混乱」「どさくさ」が、アナーキーなわけやから(笑)。やっぱり、ビヒモスでもリヴァイアサンでもなんでもエエから二匹以上いないとだめなわけよ。

ビヒモス
リヴィアサン


の でも、ファシズムは?
乱 ファシズム? もちろん存在自体はOKでしょ。右翼も左翼も、けったいな宗教勢力も、差別排外主義者もいてもええし、それが噛み合ってくれてりやいいわけ。ところがいまは単体に集約されつつあるでしょ。正体が判然としない21世紀型ファシズムというのが現れてきだしてる。ほんでボルに関しては、虎になれなかったボルがアナに流れ込んでいってるわけや。それはちょっと困るからね、虎として自立してほしいわけよ。
の 89年以降はもうだめなんよね。
滓 もうだめだな。これが本当のレッドデータブック!(笑)
乱 だから、もっと言えばアナ・ボル論争でどっちが良いとか悪いっていう問題ではないんよ。イデオロギーを軸にした政治的な理想を追求していくことそのものがね、結局、闘争を生んで、最後は、敵対勢力を抹殺する、というところに行くのは必然だ、ということなんよ。だって権力握らないと駄目なんだから。握るっていうことは一つの統一した考え方だけが正しいものとしていくわけでしょ。そういうプロセスが、自分たち以外のイデオロギーの排除に走らせていくわけ。アナの中でも考えの違いから内ゲバとかやってたでしょ(注17)。
の いや、ぼくはそういうのが起きるのは所属性の問題やと思うんですよ、結局ね、何かに所属してしまうと、それを一所懸命守るということになるんとちがうかな。
乱 でも、政治連動を目指すんだったら組織への所属は避けられないやん。
の まあ、そやけどね。だったら、個人主義やったら所属性がないから、そういうことにはならないかな、って思う。
乱 個人主義は力を持たないからや、だから手汚さなくてすむんよ。もし個人主義がカ持ったら同じようになる。
の そら、そうやな。
滓 ロシアでもスペインでも、もしアナが権力取ってたらもっと酷いことになってただろうな。
の スペインでもアナーキストのCNT(注18)が権力取ってたところはかなりえぐいことやってたらしいし・・・。
滓 結局、個人主義だったら、どこにも所属しないから、まだましってこと?
乱 力もないし金も無い! 名も無く貧しくおまけに美しくない(笑)。
 いや、無力とまでは言わんけど。でも、所属した集団に操られるとか牛耳られるとか、そういうことはないよね。
の そもそも、アナーキストってちょっとあまりにも考えていないと思う。スペイン革命に参加したシモーヌ・ヴェイユ(注19)は結局、スペイン革命にがっかりしたわけでしょ。めちゃめちゃなことして、カトリックの司祭バンバン殺したりね、アナーキストがこんなんか、って。
滓 そんなんですよ(笑)。
乱 たぶん、アナーキストが権力とったらね、殺す対象ものスゴク多いでしょ、イデオロギーからいって(笑)。
の アハハー! でもシモーヌ・ヴェイユは、私の信じているアナーキストそんなことしないやろう、て思ってた。でも結局そんなんやん。それって何? 人間やねんな。人間ってやらしいよね。ファシストであろうがボリシェヴィキであろうがアナーキストであろうが、やることは一緒なんよ。

シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)


滓 それとね、特に政治の世界では、勝ち組にワーっと集まるわけよ。もしアナが勝てば、もともとアナーキストじゃなかった人たちが「にわかアナーキスト」湧きだしてくる。ボリシェヴィキが勝てば「にわかボリシェヴィキ」がいっぱい集まる。ボルやアナに限らず、自民党だってそうだよ(注20)。結局、勝ち組に集まるわけ、太陽ならぬオポチュニストがいっぱい(笑)。
の ハハハ! それも言えてるなあ。
滓 そうするとね、そんなして集まってきた連中をコントロールなんてできないよ。
乱 そういえばチュチェ思想の発案者で、亡命した元朝鮮労働党最高幹部の黄長燁も言ってたな(注21)・・・北朝鮮と言えばチュチェ思想が指導思想として知られているけど、そういう純粋イデオロギー路線より、個人崇拝思想の金日成主義の方が本流みたいなとこあって、・・・つまるとこ人は小難しいイデオロギーの中身より、パワーのある方へつくだけのこと。だいたい金日成主義って個人名を冠する主義って左翼のある意味定番だけど、変(笑)。
滓 金日成自身は気づかなかったのかな?
乱 最初は本人も個人崇拝に対しては遠慮がちみたいだったそうだけど、次第に側近政治の毒が回って、耳障りのいい人間を登用していくうちに、最後は判断が狂ってきたみたい。
の 人間、権力持つとだめだよね。
乱 だから、イデオロギーは関係ないよ。こういうイデオロギーだから良いとか悪いとかないんよ。権力握るとみんなそうなるわけよ。
タ アナーキズムの基本的な批判はそこにあるじゃない。権力持つとだめだっていう。だから、権力持っているとだれか殺そうという話にはなるけど、そこから新しい社会を作ろう、っていう話にはならない。
滓 そこに問題があって、そういう社会を作ろうということ自体が権力につながってだめだから、今の悪い社会をこわしましょう、ってことしかアナーキストは考えないわけよね。すると、壊したあとに空白ができると、必ずレーニンとかフランコとかそういうやつらが出てきてドカッと居座るわけですよ。
の そうそう。それがあると思う。それ、どうすんの?
乱 だから、それがアナーキズムの肝で、アナーキズムは、個人に作用する権力やシステムの解毒剤なんだから、その程度のことしか出来ないわけよ。何か別の恒常的なシステムを創るなんて無理なんよ。
滓 まあ、その通りだな。
の 結果じゃなくてプロセスだけ、っていうことでしょ?
乱 だから、狭い範囲だけどそのお仕事はきっちりやるということしか出来ないでしょ。後のことは、他のちゃんとした人に任せるしかないわけで。
滓 だからさ、「ちゃんとした人」がレーニンやフランコじゃない。
の 「ちゃんとした人」なんて、だめなんよ。そうじゃなくって、つぶしたらつぶしただけにして、あとは知らん、でいいと思うんやけど。
滓 でもさ、レーニンやフランコに権力握られるんだったら、何もせんほうがましだぜ。
乱 だから、個人主義は徹底的に何もせんでいいんよ。言うだけ、口だけ(笑)。
の 結果的にはそうやな。
乱 神経回路に作用する分以外は考えなくていいんよ。上位のフェーズまで考えていくと、どんどん変になるから。レーニンやフランコみたいなのが出てくる前に倒さないとだめだとか考え始めたら、ずぶずぶシステムにコミットしていかなあかんようになるでしょ。そうなると、最終的には「テロ」とか「革命」とかそういう話になってくる。まあ、テロリズムはついて回ると思うけど、とにかく、アナーキズムに出来る仕事が何かってことになると、なんもしないことだと思う。
の 反逆だけでいいってこと?
乱 そう。反逆から先のことを考えたいんだったら、そういうニーズの人は、ボリシェヴィキ行くなり社民主義行くなり、現体制の中で野党に行くなりしたらええんとちゃうん? それが反逆後の「良いシステム」作りをアナーキズムに求めて人が集まってくるのはちょっと困るなあ。
タ ようするに、ライフスタイル・アナーキズムでなにが悪いんだ、って居直らなきゃだめなわけでしょ。
乱 そう、そんなんじゃ嫌だという人は、ご希望の商品を扱ってる他の店に行きゃええんよ。
の 店って(笑)。
滓 アナーキストが集団を作りますとか党を作りますとか共同体を作りますとか、そういう必要性はないんじゃないかな。それよりも、たとえば、アナーキストはどこにでもいます、会社の中にもいます、役所の中にもいます、自民党の中にもいますよ、共産党のなかにもいますよ、というね、フリーメーソン(注22)みたいなものになったほうが面白いんじゃないかなあ。
タ バクーニンがそんなこと言ってたかなあ。
乱 だから、売り物はアナーキスト・キットかな。アナーキストになる方法なりアイデアをばらまいといて、それをどういうふうに育てるのかは、その現場にいる人が考えればいいわけ。だから、自称、他称は問わず、アナーキズム流宗家の伝統なんぞ無視してよろしい。要は、常に発信なり表現し続けるのがさしあたりのお仕事。現にユナボマーや奥崎謙三みたいな、自らアナーキストと名乗ってもいないし自覚もない人たちが、最もアナーキスト的なんやから(笑)。
タ 今は、いよいよ世界が一つになっていって、その先には何もない、って言われているでしょ。「社会主義がある」って言ったって、「あんなふうになっちゃうんですよ」って言われたら(笑)。「それ以外にまだすばらしい社会主義があるんですよ」なんて言われたってねえ(笑)。これから資本の側は、正規雇用をどんどん非正規雇用にして搾取するわけでしょ。でも、そこで生きていくしかない。だから、これからはさ、そういう状態でどうやって生きていくか、っていう生き方を提示する、ってことだってやらないといけないような気がする。そういう方法を示さないと、アナーキズムなんて生き残れないと思う。
滓 そうねえ。展望ないよね。どうせ憲法改正まで行くから。行くとこまで行くと思うけど。反対はするけど多分虚しいと思う。
の あのさあ、「投票するな」ってアナーキズムは言うけど、投票するの?

投票するかしないか

滓 う~ん、俺は選挙はいつも行っているよ。
の え~? 行ってるの?
滓 俺は行ってる。でも、今の政権や、うちの町の町長が一番いやがる人に入れてるだけで、別にその人を支持なんか全然しちゃいないよ(笑)。
乱 だからね、「すべての選挙制度に反対」とかは言わばアナの公式的見解だけど、個人で投票に行くのは自由でしょ。だから「こういう大事な局面ではみんなこぞっていかなければ」とか「今、行かないのは利敵行為」なんて言わない。せいぜい「選挙は行かない」ってのは選挙制度になんの幻想も持たないアナ的表現だから公言してもいいけど、後は個々人が判断することでね。
の ぼくは多分行かないと恩うんやけど。なんかどっちかというと嫌なんやね。
タ そもそもアナーキストは自立しているのが建前なわけだから、一人一人の判断でしょうね。
滓 田舎だと本当に「自民党と共産党しかない」という究極の選択で投票だけどね(笑)。
乱 どっちもすごいけど(実)。ま、入れてもいいんや、自由なんや。それをね、こういう時には入れるのがアナーキストだ、とか、そういうのはないでしょ。
の でもね、CNTの声明とか読むとね、「選挙は人間性の否定だ」とか書いてあって、それはわかるとこあるねん。自分たちが政治家のいいなりになるのを、選挙に行くことで承諾した、っていうことになるやん。
乱 それはそれでまっとうな考え方だよ。でも、それがいつも正しいのかというのがある。人間性を否定している候補者が選ばれるか否かという究極の選択の時もあるだろうしね。
の まあ、それはそう。こういうのって正解なんてないやん。
タ アナーキズムは選挙反対、っていうスタンスみたいのができたのは19世紀。そういうこと言い始めたのには、当時は理由があったと思う。女性に選挙権なんかなかったし、投票って言っても個人の判断に任されるような選挙じゃなかったし、自由にものを言える時代でもなかった。だから反対してたんだと思う。それ以降もアナーキストがずっと選挙に反対していたけど、まあ伝統芸みたいなもので、今それを杓子定規に守らないといけない、なんてことはないでしょ。
の でも、今は選挙権があって、それで今の政府みたいなのがあるでしょ。そうなると、権利を持っている国民が政府を認めている、っていう建前だから、今ある政府に逆らえへん、みたいなところがあるでしょ。
タ でもブッシュなんて選ばれたって言えるのかな。あれが民主主義なわけ?
乱 いや、あれこそ正しい民主主義ですよ。コイズミやアベが選ばれ、プーチンが大人気だというのがいつもの民主主義ですよ(笑)。民主主義は全体主義の母なんだからさ~・・・。
の このおっさん、また無茶いうてるわ(笑)。
 
裏アナーキズム
の 「裏アナーキズム」っていうのは、アナーキストって自称してなくても、なんとなくアナーキストっぽい人とか考え方とか生き方のことです。まあ、僕たちで勝手に考えた言葉ですけど。前回の対談で話した奥崎なんかも「裏アナ」かな、って思うけど、今回はユナボマーについて取り上げたいと思います。

ユナボマーことテオドア・ジョン・カジンスキー(1942-2023)


タ で、ユナボマーについての本を読んできました。彼が書いて1995年に新聞に掲載された声明文も本についてました(注23)。声明文「産業社会とその未来」に彼の主張が書いてあるんですけど~・・・なーげぇ~んだ、これが!!!(笑)
滓 脚註までついてる!(笑)
タ ユナボマーっていうのは、爆弾を送りつけた「大学University」「航空会社Airline」と「爆弾魔Bomber」の頭文字を組み合わせてFBIが作ったあだ名です。彼の本名は、テオドア・ジョン・カジンスキー(あるいはカチンスキー)です。1978年から1990年代の前半までの20年近く、単発的に小包爆弾を送りつけていますが、よく知られるようになったのは、彼が新聞紙上に「声明文」(1995年)を公表したからです。
の どんなこと言ってるの?
タ 簡単に言っちゃうと、彼が目指しているのは、原始人の生活なんです。2万年前にかえろうっていうことを主張しています。現代文明は危機に瀕していて崩壊寸前なの。それが崩壊して次の世界になるかどうかはわからないけど、我々の目標は、今の世界を壊すことで、それ以降のことは知ったこっちゃない、と言ってます。それから、「アナーキストもまた権力を求める」って書いてます。ただ、ここで言っている「権力」っていうのは、ニーチェが言っている個人の「力」みたいな意味かな、と思います。で、次のような文章が続きます。「しかしかれらはそれを個人か小規模グループに求める。つまりアナーキストの求めるのは個人や小規模グループが、自分たちの生活を自分たちで管理することなのだ。アナーキストは反テクノロジー派なのだ。なぜならテクノロジーは小規模グループを大きな組織に依存させるからである」(声明文 第25項)。彼はこういう風にテクノロジー批判も展開しているんだけど、しかし、「われわれのメッセージを公衆に強く印象づけるため、殺人を犯さなくてはならなかった」(声明文 第96項)って言ってる。
の 前半はわかるけど、何でそれが爆弾になるんよ?(笑)。
タ それからね、実際にやってるのは一人なんだけど、声明文は「われわれ」なんだよね。
滓 なんやそれ(笑)。
の 個人主義的なアナーキスト?
タ よくわかんないけど、この人のバイオグラフィーを見ると、ハーバード大学に行ってそこで数学の先生になっているから、もともと優れた人だと思う。だけど、1960年代に大学紛争があって、あのころやめちゃってるの。で、どこにいったかというと、草原みたいなところで人が来ないところ。そこに小屋があって。電気もガスも水道もない。トイレもバケツでやってて。で、水は雨水をためて使っていた。食べ物はね、どうも買ってたらしいけど。土地はね、最初、持ち主から買ったのね。お金は、どうしたんだかわからないけど、最初弟からお金もらってたみたい。牧畜かなんかやってた場所だったから、最初は監視をする、ていう名目で住みついたみたい。

ユナボマーの住居


乱 ほんで、この人、ディア・ハンターなんだよね(笑)。それをちょっと現金に換えたりしてたよね。それもかなり苦労してね、長いことかかって運んで、皮を売ったりしていた。
タ そうそう。
の それで、なんで爆弾とか、そんなんしたん?
タ 本だけからだとわかんないから、ネットで見たら、英語の獄中インタビューのようなものがありました。これは2000年頃のインタビューです(注24)。で、小屋に住み始めたことは良かったんだって。自然の中にいて、その中に生きているから。ところがある日から、人がわいわいまわりに来始めて、それが嫌になって、あれこれ始めた、と言ってます。でもやっぱり、なんでそこから爆弾作って送る、っていう方向にすすんだのかはわからない。まあとにかく、独りで住んでいた小屋のまわりに人かいっぱい来始めて、それで文明化に対してすごく腹が立ってやったんだ、ていうことらしいんだけど。
の 現在の刑期はどうなってんの?
タ 三人の方が亡くなってて、たぶん終身刑だと思うけど、いろんな州でいろんな判決を受けているみたい。

スーパーマックス刑務所におけるユナボマー(1999)


の 具体的にはどんな人から影響を受けたりしてるの?
乱 両親がリベラルだったみたいだけど、それはともかく、小屋からポール・グッドマン(注25)の本とか発見されてるけどね。でも、アナーキズムっていうよりは、ちょっと独特なものがあるよね。

ポール・グッドマン(1911-1972)

タ なんかね、彼の思想の出所がわからないんだよね。
乱 でも雰囲気はアナーキズムっぽいよね。
タ それに近い人がジョン・ゼルザンという人です(注26)。「ザーザン」と発音する場合もあるらしいけど。彼はプリミティヴィストとか原始人主義とか言われていて、アメリカのアナーキストの一派だよね。

ジョン・ゼルザン(1941-)


の 
それはブクチン主義ちゃうん?
滓 ちがうちがう、ブクチンはゼルザンをクソミソに言ってる(注27)んだよ。
タ ゼルザンのインタビューも見てみたんだけど(注28)、ユナボマーの声明文を読んだら、自分がそれ以前から言っていたり書いたりしたことと同じことが書いてある、って言ってた。ただ、ゼルザンが主張していることの方が過激なんだけど。
の じゃあ、ユナボマーは声明文でゼルザンとかについてなんか言ってんの?
タ 言ってないの、それが全然。
の なんなんそれ? めちゃめちゃおもろいやん!
タ そう。おもしろいよ、すごく。たとえば、ユナボマーは、個人とか小集団のパワーが必要だ、って主張して、それを「パワープロセス」って名づけてるの。
乱 でもそれは人を支配する力じゃなくて自分の力のことでしょ。
タ そうそう。自分の力でなにかを達成することをパワープロセスって言っているわけ。で、そのパワープロセスをシステムから奪われてしまっているから、奪われている自分の力を奪還するために、テクノロジー社会を崩壊させる、という話(注29)。
 「インディビデュアリスト革命」じゃない(爆)。
タ ゼルザンも同じこと言っているけど、彼の言い方は、農業社会がいけない、っていうところから始まる。
の あ、わかる!
タ ゼルザンは、農耕がまず人間をだめにしたって言ってる。しかも農耕社会から暴力的組織ができあがった。だったら、その暴力的組織ができあがるまえの狩猟採取社会に戻ればいい、っていうのが彼の考え。
の だからさ、農業が資本化するからだめっていうことでしょ。
タ そうそう。
乱 それもあるけど、農業は元々エコロジーと関係ないものね。自然を人間の都合の良い方に改良して生産していくんやから、むしろ工業なんかにも近いからね。
タ ゼルザンの場合は、自然の中の生活、っていうユナボマーのような体験がバックにないようですね。彼はもともと労働組合の人だったんだ。だけど、ある時からこういうこと言い始めたみたい。だからなのかな。彼の場合、組織はいけないとかテクノロジー反対みたいなのが前面に出てるんだよね。ところがさ、ユナボマーの場合はね、自然の中に入っていって、そこでの生活から思想が出てくるんだよね。
乱 ソロー主義かな?
タ そういうところもあるかな。でね、なんだか感動しちゃったのはね(笑)、ユナボマーが言っているんだけど、自分の神様作っちゃったんだって。
乱 奥崎も神様作ったけど(笑)。
の あれは自分が神様やんけ!(爆)。
タ で、「笑うかもしれないけど」って言いながら、こんなこと言ってるのね。彼の神様は、実は「かんじきウサギ」っていう、足が長いウサギなんだって。で、かんじきウサギを自分が猟で追っかけていると、そいつが消えるんだって。で、それをね、「グランドファーザー・ラビット」、要するに「おじいさんウサギ」って名づけたんだって。でね、それが神様なんだって。かんじきウサギ全体を守る神様がいて、自分がいつも見失っている「グランドファーザー・ラビット」はそいつなんだ、て言ってるの。その上、彼は自分で木彫りのかんじきウサギを作って、神様だってさ。自然の中にいるんだって、それが。獄中インタビューの最後にこういう話になっちゃってるの。なんか要するに、自然と対話するうちに、そういうスピリチュアルなところにいっちゃったようなのね。
乱 孤独な人やからね。
の なんか奥崎に似てるよね。
乱 いや~、奥崎そのものでしょ。
滓 でも何で爆弾を作らなきゃいけなかったの?
 そこがね~、いまいちわからなかった。この獄中インタビューも。
乱 すごく抑圧されてる部分の表現だと思うけど。潜在的な衝動性が爆発するとか、そういうの。原初的無意識の表現というか・・・
滓 キレるってこと? 彼いくつ?
タ 1942年生まれだから、今64歳ぐらいか?
滓 そんな年の人だったのか!
乱 左翼批判もしっかりやってはって、左翼の人間は、強くて豊かで成功しているというイメージや、アメリカ、西欧文明、白人男性、合理主義が大嫌いで、全体主義で、非個人主義。社会に個人の問題を解決させ、面倒を見てほしいと願っているとか、彼らには自分の問題を解決し、ニーズを満たすだけの能力に対する自信がない。彼らが競争社会の概念を否定するのは、心の奥底では、敗北者であることを自覚しているためだ、なんてね(注30)。
滓 その通りやんか!
乱 そうそう正解!(笑) とにかく反システムなんよ。
タ それにユナボマーって、まずやりかたがなんとも独特だよね。爆弾はDIYで作って、送りつけるんだけど、住所とかがものすご~く古い情報でさ、本当に的はずれの人に送ったりしててさ。だめなんだな、これが(実)。
乱 結局イデオロギーじゃないでしょ。
タ 「俺はここにいるんや」ってことを言いたいから出しちゃったんだよね、きっと。
の フ~ん、でもやっぱりわからへんね、爆弾は。この考え方だったら、普通、爆弾まで行けへんよね。
タ 社会と接点がない人だから、どうしていいかわかんなかったんだと思う(笑)。だって、接点があれば、戦略建てて、どうやってプロパガンダするかとか、考えるじゃない。
の 接点なかったって何歳ぐらいから?
タ 子どもの頃からかな。大学の寮に入ったら自分の部屋に閉じこもってたっていうから。彼は要するに元祖引きこもりだよね。
乱 で、この人ね、能力は結構あったみたいなんやけど、仕事とか、辞めちゃうんよ(笑)。「あわん」とかいって(笑)。「辞めんでいてくれ」て頼まれても辞めてる(笑)。
タ そうそう(笑)。すごく頭のいい人だけどね。この文章もね、社会科学から見ると素人くさい、とかあれこれ批判されているみたいだけど、よく出来ていると思うけどな。
乱 悪くないですよ。この人すごい客観的やから、自分の言うていることも、例外もあるとか、一概に言われへん、とかきちっと書くもんね。
タ それが、読んでてつまらない原因だと思うけど(笑)。プロパガンダじゃないから。
乱 つまらないんだけど、でもまあ冷静さは買えるよ。
タ 必ず留保をつけてるもんね。こんな感じよ。「この声明文は、特有のアナーキズム・スタイルに言及する。これまで「アナーキスト」と呼ばれたのは、様々な社会的思想があったが、アナーキストを自称する人々の全てがわれわれの第215項を受け入れないかもしれない。また非暴力的なアナーキスト運動もあり、彼らはわれわれFCがアナーキストであること、そしてFCの暴力行為に賛同しないであろう」(声明文の「注34」より)。
滓 そうかー、必読文献やな、これは。
タ インタビューもいいですよ。さっきのウサギの話とか。それから、もっとおもしろいのは、森に住むようになってからは、未来について思い悩む必要がないんだ、と思うようになった、と言っているところかな。むしろ、「今のこと」が重要だ、って考えるようになった、って言うのね。で、なぜかジェーン・オースティン(注31)がでてくるんだけど、ユナボマーは、彼女が本の中で、「未来に期待しているから現在の幸福というものがあるんだ」って言っているところを読んだことがあるんだって。で、「そうかなあ」って思っていたんだけど、「実はそうじゃない」ってことに気づいたんだって。自然の中に住んでいると、未来のことなんてどうでも良くなってきて、「今ここ」で楽しければそれでいいって思うようになった、って言っている。野生の中で生きているあいだに時間の感覚が消えたんだって。
の それいいよね(笑)。
タ プリミティヴィストみたいなこと言って理想は原始人だ、って言っているけど、でも、ゼルザンに影響されたか、ていうと、そうじゃなくって、子どもの頃からネアンデルタール人の本を読んでる。当時のスミソニアン博物館とかが出していた本を読んでいて、それがすごく好きだったんだよね。ただ単に当時アメリカの子どもたちが読まされていて。だから知っていただけ。子どもの頃からのそういう知識の下で、自然のなかで生活していくうちに、原始人が一番いいんだ、となった、みたいな感じかな。
乱 でも、同時に未開社会もバラ色ではないってことも押さえてある。
の それもすごいね、よくわかってはるわ。
乱 自然にアナーキズムに到達した、みたいな人やない。
タ 人間がパワー、というか、魂を抜かれている社会を「過剰社会」って言っている。それは誰しも言っていることだから新しくない、って言われているんだけど、それをちゃんとまとめた形で言う、っていうのが新しいんじゃないかなと思う。
乱 単に人間の行動がおのれの利害のために動くとかだけじゃなくって、それ以外のために目的を達成するとか、そういうところに喜びを感じる、みたいなとこの指摘も鋭いよね。
滓 そうね。たしかに爆弾をやったことによって、そういう主張が世に出たんだよね。やんなければ変なおっさんがわけのわからないこと言っているよ、で終わったかもしれない。
乱 「そこまでやらなければ誰も私の主張を聞かなかった」という彼の言っていることは全くその通りだよ。
滓 それはたしかにその通りだ。
タ 全体として爆弾の方が目立っちゃったから爆弾の動機がわからないけど、インタビューと声明文結びつけるとよくわかるんだよね。なぜそういうふうになっちゃったのか。そういえば、弟も孤独に砂漠みたいなところに住む人で、でも弟はある時点で途中でやめちゃうんだよね。
乱 で、弟が警察に密告したの。文書見てわかったらしい、「これは兄貴だからとめなあかん」て。
タ 文体とか考え方からわかったんだって。ということはね、「ありふれた思想だ」なんていうやついるけど、そんなこと言えないじゃん、って思うね。だって、当時誰しも言っているんだったら、弟が見抜けるはずないじゃない。
滓 俺はこの弟にインタビューしたいな(笑)。仮にさ、自分と考え方が同じで尊敬している兄貴がいるとするじゃん。でもその兄貴が爆弾魔だ、っていうことがわかりました、っていうときに俺だったらどうするかな、ってものすごいジレンマだと恩うんだけど、そんな時どうする?
乱 難しいね、それは。
の いや、簡単やん。密告はしないよ。イデオロギーが違ったらするかもしれないけど、同じやからね。

1987年2月、ユタ州ソルトレイクシティのコンピューター店爆破事件に用いられた爆弾の破片


滓 でも、最初はオモチャみたいだったのが、だんだん大きくなっていってさ、次すげえやつをやって地下鉄サリンみたいなとんでもない無差別殺人になる、とか考えたとするじゃん。関係ない人がたくさん巻き込まれる、ってことがわかると、けっこう厳しいジレンマじゃない?
の 多少は、なんか考えるかも。・・・でもやっぱ、考えが同じやったら密告はしないんとちゃうか?
滓 密告以外の方法で止められればいいけどれども、ね。
の えっとねー、ぼくだったらね・・・、うん、まず話し合うわ。で、「どうなん?」って聞くわ。共感できたら止めへんやろし、共感できへんかったらやっぱ密告かなあ(笑)。お金いくらかなあ・・・凶悪犯だから結構出るよね。
滓 なんという、えげつない奴!(笑)
タ でもね、当時、進んで連絡を取ろうにも、ユナボマーは電話なんて持ってなかった。しかも、手紙もね、緊急だったら封筒の下に二重で赤線を引いて出して、それで何とか見てくれるというレベルだったらしいよ。父親が自殺したときにそういうのを出してる。でも、それ以降の手紙を彼は全然見ていないみたい。
滓 手紙も通じなかったのか。まあ、「元祖引きこもり」じゃぁ、しゃあないな。でもしつこいけど、俺は弟に同情しちゃうよね(笑)。
の そうやねえ・・・でも「ええやん、一緒に爆弾作って、いったろ!」もアリかな(実)。
滓 さっきは「密告する」とか言ってたくせに(笑)。
の どっちでもかまへん(笑)。とにかく、ユナボマー、めっちゃええやん! 文通してよ、ユナボマーと!(笑)
乱 ぶ、文通って・・・そりゃまたクラシックな(笑)。
 昔あったよね、「ペンパル」とか(笑)。
の とにかく文通! してよ! タナカさん!(笑)
タ な、何で僕なの?(笑)・・・あ、あのさー「元祖引きこもり」でしょ? 彼は。それとどうやって文通するわけ?
の あ・・・。
乱 そろそろ飯にしょう・・・。 

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2008年大阪某所にて。『アナキズム』10号(2008年)
 

(1)本書の第二章参照。初出は「三バカの反アナーキズム対談」『アナキズム』第8号、2006年、134~160頁参照。
(2)ボブ・ブラックの『左翼主義以降のアナーキー』(1997年、邦訳なし: Bob Black, Anarchy after Leftism, C.A.L. Press,1997)は、ブクチンの『社会的アナーキズムかライフスタイル・アナーキズムか』(1995年)に対する全面的批判の書で、ここでブクチンをこてんぱんにやっつけています。そういえば、アナーキー・イン・ニッポンのサイトでは、ブクチンの前掲書の翻訳が全部読めますけど、ブラックの翻訳は『労働廃絶諭』(1985年)だけですね。たしかにこっちの方が、くだらない揚げ足取りと罵倒合戦なんかよりはためになります(笑)。以下を参照。ボブ・ブラック「労働廃絶論」(http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black1.html)。
(3)「綱領主義アナキズムの潮流」『アナキズム』第2号、2002年、30~57頁参照。ここの解説によれば、この綱領を起草したアルシーノフ(あるいはアルシノフ)がマラテスタやらいろんなアナーキストから「党を建設」しただろう、とめちゃめちゃにたたかれたそうです。ちなみに、アルシーノフはその後アナーキストをやめてソ連に帰ってアナーキズムとの決別宣言をして次のように言っています。「いまだに自分の中の革命の火を絶やしていない無政府主義者は出口を見つけなければならない。そして私にとってその出口はボリシエヴィズム以外のどこにも見つけることはできないのだ」と(郡山堂前「訳者解説」『マフノ運動史』社会評論社、2003年、338頁)。その後彼は消息を絶っているので粛正されたと考えられています(同書、339頁)。
(4)例えば、アナキスト総同盟組織綱領案(1926年)には、「ここ数十年来アナキスト運動の有機的組織体それ自体、黄熱病のような、この非組織化の病に蝕まれ、悪寒に襲われていた。やはりこの非組織化はいくつかの理論的欠陥、特にアナキズムの個人主義的原則の誤った解釈から派生することは疑う余地もない。」って、診断名もつけられていて「全身組織拒否症」なんだそうです(笑)。編集・日和佐隆「綱領主義アナキズムの潮流」『アナキズム』第1号、2002年、38頁参照。
(5)「アホバカ論争」というのは、2008年8月26日プロ野球、オリックス対楽天戦で、大量リードの中で敬遠されたローズ選手(オリックス)が、試合後、当時の楽天・野村監督に「バカ」と発言。これを受け、翌日、山崎(楽天)が「監督を批判することじゃない。お前がバカっていうんだ」と返し、さらにその翌日ローズが、「どっちがアホや」「話したかったら、こっちへ来い」と応酬して、ヒートアップ。最終的にローズが謝罪し、このアホバカ紛争は終止符となった。アナボル論争も実態はこのアホバカ論争と変わらないとか(笑)。
(6)ここで用いている比喩の元ネタは、中国拳法の具一寿氏が『中国拳法戦闘法』(愛隆堂、1985年)で、「ある氏は空手の威力で戦い、カンフー服を着てあたかもカンフーであると書籍を著している」から来ている。具氏は言明していないが、それが空手家であると同時に太極拳や形意挙の武術家でもあるK氏の太極拳のテキストを指していると思われる。K氏は明らかにカンフー服を着て、自作の鉄球を用いて、本当は重い物体を用いる練習は禁じられていると断りつつ敢えてオリジナルな練習法で、「雲手」という太極拳の防御形を披露している。具氏の指摘は、そのカンフー/太極拳は外形のみで本質は空手だと言っているわけです。カンフー/アナ、空手/ボルと観てください(笑)。
(7)梶原一騎(1936-1987)「人間の性、悪なり」と絶叫する狂気の劇画作家。1950年代の山口組全国進攻作戦の尖兵であり「殺しの軍団」の異名を取った柳川組組長柳川次郎とは、大山倍達を通して「まわり兄弟」であり、柳川が柳川組解散後に作った「右翼結社・亜細亜民族同盟」の顧問でもあった。ちなみに梶原は、1983年暴行傷害容疑で逮捕されているが、獄中で、同時期神社本庁爆破容疑で逮捕されていた「部族戦線」の加藤三郎と出会ってなにやらキワドイ話をしたと自伝に記してます。以下を参照。梶原一騎『地獄からの生還』幻冬舎、1997年。斉藤貴男『夕やけを見ていた男』新潮社、1995年。
(8)クルトワ・ヴェルト(*1)によると、共産主義による犠牲者は概数ですが、8000万人から1億人近くにのぼるそうですが、これはヒトラー・ナチズムによる犠牲者数とされる2500万人を軽く越えちゃってます。1億人の犠牲者の内訳は、①中国6500万人②ソ連2000万人③カンボジア200万人④北朝鮮200万人⑤アフリカ170万人⑥アフガニスタン150万人⑦ベトナム100万人⑧東欧100万人⑨ラテンアメリカ15万人⑩コミンテルンと権力を握っていない共産党約1万人、です。また別の文献では、第一次大戦終了から現在までの世界における主要大虐殺事件は、①スターリンによる大粛清 ②ヒトラー・ドイツにおけるホロコースト ③「大躍進」政策による飢饉 ④毛沢東によるプロレタリア文化大革命 ⑤クメール・ルージュによるカンボジア大虐殺の五回ときれ、その犠牲者数は8000万人で、「すべて社会主義者または国家社会主義者」によるものとされてます(*2)。これには、著者の見解なんでしょうが、「南京大虐殺」は入ってませんが、30万人(中国側カウント)という犠牲者数を遥かに越えていることは間違いないです。ちなみに、ギネスブック(ギネス・ワールド・レコーズ)(*3)にも「大量殺人」の項目で、中国、ソ連がナチス・ドイツと共にきちんと挙げられてます。サスガ!(笑)。こういうボル関係の負債はいつ誰が清算するんでしょうね。いや不可能か・・・。
*1 ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書(ソ連編)』恵雅堂出版、1991年。
*2 別宮暖朗『軍事学入門』筑摩書房、2007年、67~68頁。
*3 ノリス&ロス・マクワーク『記録の百科事典』竹内書店、1971年、358~2259頁。
(9)ナチスを「良い時代」として記憶する人、例えば、「1936年ごろが転換点だった。一般兵役義務が導入され、軍需がフル回転した。失業者が街頭から職場にもどり、炭鉱ではまた残業がおこなわれるようになった。みんな仕事とパンをふたたび手に入れて喜んだ。恐慌時代の耐乏生活はおわりを告げた。人びとは、軍備拡大のために仕事をしているのを十分承知していた。でぶのゲーリング自身が、「バターのかわりに大砲を」といっていた。しかしみんなは、ふたたび仕事をできるようになっただけで、うれしかった。四年、五年、六年にわたる失業を味わってきたから。たとえ悪魔のもとでも、個人的に働きはじめたであろう。しかし、多くの人びとは気がついていた。ナチスが戦争に向かってまっしぐらに進んでいることを。」(*1 鉱夫、社会民主党員)「それから本当に上向いていった。ナショナルな問題に賛成する者は、みな喜んで同調した。そしてそれから路頭に迷っていた失業者がやってきて、アウトバーンが建設された。(ナチ体制から)離れていようとする者や、関係したくないと思う者は、もうひとりもいなくなった・・・」(*1 山羊農家・左官職人)「父に言われたのでも、だれかほかの人からすすめられたのでもなく、私はヒトラー青年団にはいりました。自分ひとりの決心でそうしたのですが、理由はただ、国民的理想を追求できる青年グループにはいりたいというそれだけのことです・・・(青年団の)青年たちは主として小市民、労働者出身でしたが、一般にすべての層の家庭からきていました。社会的な、また階級的な差別はありませんでしたが、これが私には大いに気に入りました。・・みんな、こういう心を湧き立たせる行動をほかの仲間たちと一緒に出来る可能性を求めていたのでした。(以下略)」(*2 ヒトラー青年団員)。
*1 山本秀行『ナチズムの記憶』山川出版社、1995年、133~147頁。
*2 ウィリアム・シェリダン・アレン『ヒトラーが町にやってきた』番町書房、1968年、77~78頁。
(10)19世紀後半、「祖先からの形質の遺伝」に関する研究が幅広く行われていました。ダーウィンの進化論の影響もあって、人間にとって形質の遺伝について、有利、不利の議論が先鋭化したのです。例えば、精神病者や犯罪者は、野蛮で劣等な祖先の形質が代々遺伝した「退化」の結果であるという論です。ロンブローゾの「生来犯罪者説」がその典型でしょう。このような学問的傾向に、当時のヨーロッパ列強諸国の、民族主義・国家主義イデオロギーが結びつき、国家・民族の発展の為には、劣等で有害な遺伝子の担い手を「淘汰」すべきという考えに行き着きます。そしてその淘汰の具体的方法が「断種」です。1892年、スイスの精神科医アウグスト・フォレルは、犯罪予防の目的で、初めて精神障害者の断種処置を実施します。また第一次大戦後の1920年、ビンディングとホッへによる『価値無き生命の抹殺に関する規制の解除』を刊行し、障害者「安楽死論」を世に問います。ビンディンクは言います、「幾千の貴重な若者が戦場で命を落とし、何百もの勤勉な炭鉱労働者が爆発事故で生き埋めになっている一方で、精神病院の中では入院患者が手厚い看護をうけている。―つまり、最も有用な人材が犠牲となり、もはや何の価値もない人間がのうのうと看病されているのである。われわれは、このような極端な矛盾を前にして強い衝撃をうける。」これらの論理の背景には、敗戦後ドイツの経済的地盤沈下による福祉切り捨てがあります。この「経済原則的思考」は、ナチ政権下で、イデオロギーによる人種論や遺伝学上の退化論に優越して安楽死作戦の根拠となったものです。ナチ優生思想には、それを育む土壌が用意されていたことがわかります。小俣和一郎『ナチス もう一つの大罪』人文書院、1995年、18~21、31~32頁を参照。
(11)江崎玲於奈 ノーベル賞なんかもらう奴にロクなのはいないの典型。優生思想を振り回し、自分はインテリだと思っているバカ。
(12)岩田規久男『「小さな政府」を問いなおす』(ちくま新書、2006年)の以下を参照。「人は生まれながらにして、遺伝的に異なった能力を持っている。一流の音楽家やスポーツ選手と全く同じように努力しても、すべての人が一流の音楽家や一流のスポーツ選手になれるわけではない。一流になれるかどうかを決める最大の要因は遺伝子であろう」(88頁)。「「能力」は後天的な「努力」によって形成されるよりも、生まれつきのものである部分の方が多いかもしれない。もしそうであれば[中略]「能力」はよい遺伝子の相続の賜物である[後略]」(97頁)。このかた、その後リフレ派の論客となって、2013年には日銀副総裁にご就任。第二次アベ政権とアベノミクス擁護論を展開していますね。『リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済』(PHP研究所、2013年)ってこのタイトルにだれしも「ほんまかいな?」とツッコミを入れたいことでしょう。
(13)『北斗の拳』は、1983~1988年にかけて『週刊少年ジャンプ』に連載された原哲夫(漫画)と武論尊(原作者)のコンビによる大ヒット作。最強の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者ケンシロウの死闘を描く近未来が舞台のアクションコミック。最終戦争後の地球、核戦争によってすべてが破壊されたアナーキーな世界で、生き残った人々は過酷な弱肉強食の暴力にさらされている。その中で「力」による秩序回復を図ろうとするのが、ケンシロウと同門にして兄である世紀末覇者ラオウである。ストーリーは、ケンシロウとラオウとの壮絶な死闘を軸に展開していく。映画『マッドマックス』(1979年)から影響を受けたと思われるその暴力的な世界描写は、逆にアフリカや中東の暴力状況を指して「リアル北斗の拳」と逆説的に呼称できる。現にアナ系ジャーナリストの某氏は、取材したイラクの現状を「いやあ全くのリアル北斗の拳状態!だった」と筆者に述懐している。

無抵抗主義の村長を殴り殺すラオウ


(14)「いじめは人間も含め動物社会で生き抜くための自然原理である。それを無理に規制するから全てが悪平等社会になってきている。我々の時代にはいじめという言葉はなかった。先生に殴られたり、喧嘩して血を流したことは普通のことであった。でも、親が先生に抗議したりすることはなかった。また、いじめが原因で自殺者などもでなかった。賢者/愚者、富裕/貧困、美人/ブスはそれなりに自分を悟り認識し強く生きていくしかない」(「いじめは必要悪」Yahoo! 掲示枚ニュース掲示板トピック「いじめ」)。
(15)レニ・リーフェンシュタール(Leni  Riefenstahl: 1902-2003)1923年、ダンサーとしてデビュー、26年山岳映画『聖山』で女優デビユー、32年『青の光』を監督主演。ヒトラーは、彼女に33年に開催されるニュルンベルク党大会の記録映画の監督を依頼する。この記録映画『意思の勝利』は、プロパガンダ映画として大成功を収める。さらに1938年ベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を完成させ、ベネチア映画祭金獅子賞の栄冠に輝き、興行的にも大成功を収める。戦後はナチスとの関係による不遇期を経て、1962年スーダン奥地でヌバ族と出会い、73年写真集『ヌバ』で写真家デビューを果たす。90年代は水中写真にも挑む。2003年没。ここで言うところの「ヌバのコンセプト」とは正確に言うと、『ヌバ』を「魅力的なファシズム」と『ニューヨーク・タイムズ』において批判しているスーザン・ソンタグの読みに基づくものである。ソンタグは、レニが写真に撮るのは、強く美しく健康な若い男女だけで、老人や子供、病人のような社会的弱者は、レニの写真からは排除されており、その感性こそ、かつてアーリア系の白人を「優等な人種」、非アーリア系ユダヤ人を「劣等人種」であるとみなしたナチの優生学的思想に通じるという。また一方で、ソンタグの読みとは真逆ともいえるエピソードがある。レニの自伝には、ヒトラーとケーテ・コルヴィッツの木炭素描をめぐってやりとりするくだりがある。(以下、H:ヒトラー、R:リーフェンシュタール)
H:これがお気に入りなんですか。
R:はい。総統はいかがですか?
H:嫌いですね。悲しすぎるし、ネガティヴだ。
R:(私は反対した)感動的な絵ですわ。母と子の顔に現れている飢えと貧困の表現は天才的です。
H:我々が政権をとったら、もう貧困もない(ヒトラーは答えて、絵にくるりと背を向けた)。
レニ・リーフェンシュタール『回想』上、文芸春秋社、1995年、273頁を参照。

オリンピア」2部作の撮影風景より、レニ・リーフェンシュタール(中央右)


(16)石川三四郎(1876-1956) 日本の代表的アナーキスト。1946年、アナーキストは天皇を擁護すべきだ、と主張する綱領を書いたことで有名(?)。この「天皇の問題」とともに、石川は「女性問題」やら「戦争の問題」など多くの「問題」を抱えていたようであるから、実は彼にとって「天皇の問題」など小さなことだったのかもしれない。以下を参照。大澤正道「石川三四郎の中の三つの問題」『初期社会主義研究』弟18号、2005年、38~49頁。
(17)アナ界のうっとうしい「内ゲバ」の話。例えば、壷井繁治は、『文芸解放』紙上で、一部アナーキストの観念的な革命理論を批判したことがきっかけとなって、黒色青年連盟からボコられてしまう。秋山清に言わせると、壷井がアンチ・アナーキズムの論を反ボルの『文芸解放』紙上に掲載したこと自体が「スパイ的仕業」ともいうべき裏切り行為で、彼をボコった者は「当然の処置」をしたまでで、それは「暴力」ではないと主張しています。「特別の目的による集団の加盟者個人が、集団の目的を公に否定するか、集団の目的達成のために約束された行動を公に非難した際、又はその非難が集団を破壊に導くおそれのあるとき、「裏切り」として制裁を加えられることは当然であり、その制裁が、裏切りの程度と性格によって脱退要求、除名、放逐、監禁、暗殺の各段階をエスカレートすることのあるものもまだ当然である」とはっきりおっしゃってます(怖)。今(2017年11月~12月)巷では、横綱日馬富士の暴行問題で騒いでおり、某メディア等では「『暴力』を意識しなかった日馬富士」などと論評しておりますが、秋山先生に言わせればへそ茶でしょうね。秋山清『わが暴力考』三一書房、1977年、5~21頁を参照。
(18)2000年前後に『アナキズム』誌編集委員のnoizさん、森川さんとバルセロナのCNT事務所や関連ショップにいってきて、CNTグッズをもらったり買ってきたりしました(笑)。バルセロナのCNTにはおじさんも多かったけど若い人もたくさんいました。
(19)スペイン内戦中にシモーヌ・ヴェイユは、上記のCNT―FAIなどのアナーキストが行った残虐行為を目の当たりにしてアナーキズムに失望を覚えカトリックに転向する。これがインテリの限界なのかもしれませんね。何もカトリックに・・・。
(20)2007年9月12日安倍辞任後の総裁選が典型。事前に予想されていた「麻生後継」が逆転、自民党各派閥が一四日の総裁選告示後、雪崩を打って福田支持に固まったのは周知のこと。
(21)黄長燁(1923-2010) 1965年(42歳)金日成総合大学総長就任。72年から11年間、最高人民会議議長を務める。その後、朝鮮労働党国際担当秘書、最高人民会議外交委員長等を歴任。「主体思想」の創始者でもある。97年韓国に亡命する。
 黄長燁は、当初は、「共産主義者たちは、私的な物質的欲望や権力欲がなく、ひたすら共産主義の理念のために戦う真の革命家たち」だと考えていた。しかし中ソ間の争いを目の当たりにして、「共産主義者たちこそ権力欲が強く、権力のためならば思想や理論の正当性に関係なくそれを自分たちの利益に合うように歪曲して解説するのだ」と認識し、事大主義、教条主義を排し、北朝鮮の国情に合致した大衆路線を基礎とした「主体思想」の体系化を模索した。しかしその道のりは平坦でなく、苛烈な権力闘争の渦中に巻き込まれてしまう。それは個人崇拝、個人独裁との戦いでもあった。「わたしはこのときから階級的利益を社会共同の利益、人類共通の利益の上に置く階級主義は、階級利己主義に転落せざるをえないだろう、そして階級利己主義は指導者の利己主義につながるのは必然であり、それは指導者に対する個人崇拝と個人独裁に集約されるしかないとの結論を下すにいたった。」「私はその瞬間からマルクスの階級闘争とプロレタリア独裁理論と決別し、人間と人類に忠実な人本主義者へと転換した」。黄長燁『金正日への宜戦布告 黄長燁回顧録』文春文庫、2001年、156、162、186~187頁。

黄長燁(1923-2010)


(22)フリーメーソンは、秘密結社の代名詞にして陰謀論にはかかせない存在。組織自体は、現在ではかなりオープンになっているようだが、それでも秘密儀式もあり、単なる友好団体としては片付けられない。組織の発端は、中世、当時、石の建築を作る人を「メーソン」と称したが、彼らは職人組合を結成、ヨーロッパ中に石の教会を建ててまわった。とりわけイングランドやスコットランドには優秀なメーソンたちがおり、ヨーロッパ各地に呼ばれていった。メーソンの組合は「ロッジ」という単位を作ったが、1717年、四つのロッジがロンドンに結集、「メーソニック・グランド・ロッジ」を結成、これがフリーメーソンの一つの起源とされている。フリーメーソン関係の文献にはあの事件もこの事件も背景にはフリーメーソンとか、この人もあの人もフリーメーソンとよく書いてあって、頭がクラクラします(海野弘『陰謀の世界史』文塾春秋社、2002年、29~47頁)。このあたり太田竜先生にでも聞けばよくわかるかもしれません(笑)。

フリーメーソンのシンボル



(23)『タイム』誌編集記者/田村明子訳『ユナボマー 爆弾魔の狂気 FBI史上最長一八年間、全米を恐怖に陥れた男』 KKベストセラーズ、1996年。1995年6月にアメリカの新聞に掲載きれた声明文「産業社会とその未来」は、同書の四分の一程度を占める長文のものです。声明文の全文(英語)は,最初に『ワシントン・ポスト』と『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたもので、現在でもネットのあちこちにあります。たとえば以下を参照:http://editions-hache.com/essais/pdf/kaczynski2.pdf. しかしググればパンフレットとして販売されていることもわかるはずです。当時かなり売れたという話です。
(24)インタビュー(英文)は以下を参照「テッド・カジンスキー(カチンスキー)とのインタビュー」Interview with Ted Kaczynski:http://www.primitivism.com/kaczynski.htm
(25)ポール・グッドマン(Paul Goodman: 1911-1972)はアメリカ在の個人主義的アナーキストの文学者・哲学者で、60年代を代表する論客。1942年、能からインスパイアされた詩集『ストップ・ライト』、小説『グランド・ピアノ』を発表。47年には兄のパーシバルとアナーキズム的都市計画の書『コミュニタス』を刊行(邦訳は槙文彦・松本洋共訳『コミュニタス  理想社会への思索と方法』彰国社、1968年)。その後パールズ夫妻と共にゲシュタルト・セラピーを創設している。フリースクールの理論・実践家でもあり、また渡米したウィルヘルム・ライヒに最初に注目した人物でもある。注(15)の、レニ批判が記されているソンタグの書『土星の徴の下に』(みすず書房、2007年)には、グッドマンの名前も見える。以下を参照。ポール・グッドマン『不条理に育つ』平凡社、1971年。
(26)ジョン・ゼルザン(John Zerzan)1943年、オレゴン州生まれ。チェコ系移民の子孫。主著は『未来の原始社会 Future Primitive and Other Essays』(1994年)、『反文明 Against Civilization: A Reader』(1998年)など。スタンフォード大学とサンフランシスコ州立大学で歴史学を学ぶ。1960年代にはベトナム反戦運動に参加。その後ソーシャルワーカーの労働組合で書記長を務める。1990年代にはユナボマーと親交を深めてメディアから注目される。オレゴン州ユージーン市のアナーキストたちとも交流があり、彼らが1999年にシアトルで反WTOの行動に参加した、という関連でも注目された。
(27)マレイ・ブクチン「社会的アナキズムかライフスタイル=アナキズムか 掛け橋不可能な亀裂」アナーキー・イン・ニッポン http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/bookchin.htmlを参照。
(28)ゼルザンのインタビュー(英文)は以下を参照:http://www.primitivism.com/zerzan.htm
(29)「声明文」を無理矢理まとめると次のようになります。それでもなっが~い!!(笑) 「産業テクノロジー・システムは生き残るかもしれないし、壊れるかもしれない」「もしシステムが生き残るならば」「威厳と自治を人々から奪うことは避けられない」「もしシステムが壊れるならば、結果はやはり悲惨なものだろう。しかしシステムが大きく育てば育つほど、その崩壊後の結果はひどくなる。ゆえに、破壊するのならできるだけ早いほうがよいし「それゆえわれわれは産業テクノロジー・システムに対して革命を支持する」「これは政治的革命ではない。目的は政府ではなく、社会経済と、基礎テクノロジーをくつがえすことである」(序文)。「人類は、多分生物学的にわれわれが「パワープロセス」と呼ぶものを必要としている。これはよくいわれる権力志向と密接に関連があるが、まったく同じというわけではない。パワープロセスには、四つの要素がある。そのうちの明快な三つとは、目的、努力、そして目的の達成である」(第33項)。「パワープロセスの一部としての自治は、誰にでも必要なことではないかもしれない。しかしほとんどの人々は、多かれ少なかれ目的に向かって努力する中である程度の自治を求める。彼らの努力は自分の意志において行われ、自分の管理とコントロール下で行われなければならない。もっとも、これが個人ベースでなくても良いと考える人々も多い。彼らにとっては、小規模のグループの一員として働くことで、充分である。したがってもし六人程度の人々の間で目標を話し合って、共同でその日標が達成できたのなら、彼らのパワープロセスへの要求がかなえられるのだ。しかしもしも彼らが厳しい管理下で指令を受け、自分の決断も意志も入れる余裕が与えられなければ、彼らのパワープロセスへの要求はかなわない」(第42項)。「自治と目標達成を伴ったパワープロセスが適切に行われない場合」「倦怠、士気喪失、自尊心の欠如、劣等感、敗北感、憂鬱感、心痛、罪悪感、欲求不満、敵意、配偶者または幼児虐待、快楽追求主義、変態性衝動、不眠、食欲異常などが誘発される」(第44項)。「今日の人々は、自らが自分のためにできることよりも、システムがやってくれることを頼りながら生活している。そして自分のために行うことも、近頃ではシステムによってひかれたレールの上でのみなされるようになってきた。チャンスというのはシステムが与えてくれるものであり、規則と規制に沿っている場合のみ利用できる」「そして成功するチャンスがあるとすれば、それを進めるには専門家によって処方されたテクニックを使用しなければならない」(第66項)。「したがってわれわれの社会におけるパワープロセスは、本当の目的および自治の欠如によって崩壊させられている」(第87項)。「社会が人々にパワープロセスを通る機会を与えるべきなのだ」と言う者もいるだろう。これらの人々は、チャンスとは社会が与えてくれるものだと思ってしまっている。社会が機会を与えている限り、それは鎖が付いている。自治権を獲得するためには、まず鎖を断ち切らなくてはならないのだ」(第76項)。「「自由」とは、代用活動から生まれた偽りの目的ではなく、真の目的を持って、パワープロセスを戦い抜く機会を与えられることである」(第94項)。「自由のための普遍的変化は、危険を覚悟し、急激で予測できない変化を受け入れる準備のある人間によって引き起こされることができる。これは改革者ではなく、革命家である」(第111項)。「ほとんどの革命には二つの目的がある。一つは社会の古い形式を破壊することで、もう一つは革命家が新しい形式の社会を創出することである」「そしてわれわれの目的は、現存の社会を破壊することのみにある」(第182項)。『ユナボマー』前掲書、242~290頁より。
(30)原文は以下の通り。「左翼の人間は、強くて豊かで成功しているというイメージを嫌う傾向がある。彼らはアメリカが嫌いで、西欧文明が嫌いで、白人男性が嫌いで、合理主義が嫌いだ。彼らが主張する西欧文明を嫌う理由というのは、明らかに本音とは異なっている。建前としては、好戦的で、帝国主義で、性差別主義であり、そして自民族中心的であるという。これと全く同じ傾向が社会主義国、あるいは原始社会にも存在することを認めながらも、それらの社会に関しては何らかの言い訳を考える。あるいは、これらの社会での落ち度の存在をしぶしぶと認める反面、西欧社会の落ち度はしばしば強調して、情熱を持って指摘する。しかしこれが彼らがアメリカと西欧を嫌う本当の理由でないことは明らかだ。その理由は、アメリカや西欧文明が強くで、成功しているためである」(声明文 第15項)。「リベラルと左翼にとって、「自信」「自己依存」「イニシアティブ」「企業心」「楽天主義」のような単語は、ほとんど関係がない。左翼は、全体主義で、非個人主義である。社会に個人の問題を解決させ、面倒を見てほしいと願っているのだ。彼らには自分の問題を解決し、ニーズを満たすだけの能力に対する自信がないのである。彼らが競争社会の概念を否定するのは、心の奥底では、彼らは敗北者を自覚しているためなのだ」(声明文 第16項)。「現代のインテリ左翼にアピールする形態というのは、惨めさ、敗北、絶望などであるようだ。それ以外のものには彼らは理性をかなぐり捨てて、合理主義は何も完成させることが不可能であるかのように主張する」(声明文 第17項)。『ユナボマー』前掲書、245~246頁より。
(31)ジェーン・オースティン(Jane Austen: 1775-1817)イギリスの女性小説家。キーラ・ナイトレイ主演で2005年に映画化された『高慢と偏見』(邦題『プライドと偏見』)は、90年代にイギリスではテレビで連ドラが放映されていた。放映時間になるとイギリスではテレビの前で誰もが釘付けになっていた、という噂あり。

キーラ・ナイトレイ主演『プライドと偏見』(2005)

                           第三章 END


 

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