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第五章 網においたうんことアナーキズム ‐逆襲の辻潤‐

【解説】この対談は『アナキズム』18号(2014年)に掲載されたものに加筆修正したものです。前の年が大杉死後90周年で、様々なイベントが開催されました。タナカもそのようなイベントに参加したりしました。しかし、のんきちさんから、大杉みたいなのがなんで評価されるかわからん、辻の方がもっとすごいのに・・・というような話があり、また、死後90周年にあわせて制作された映画『シュトルム・ウント・ドランクッ』が上映された、という話があり、それにあわせて18号の特集は「疾風怒濤!アナーキー映画」だったということ、さらに、最近ヴィーガン・アナーキズムがはやっている、という話も聞いたので、だったら対談のテーマはこれや!ということで、タイトルのようになりました。「網においた犬のうんこ・・・」がなんであるかは、最後までお読みいただければおわかりになるかと・・・。乱さんが、辻と大杉の出生から青年期までの比較できる年表を作ったので、二人の違いだけでなく共通点についても、いろいろなことを明らかにしている対談です。(タ)
アナキズム誌に掲載された時から10年もの歳月を経ている対談になりますが、メディアであるいは巷で「アナーキズム」なんて言葉など一回も見聞きせずに終わっているのがここ半世紀の日本の地の状況だったのが、こともあろうか出版から端を発してアナーキズム関連書籍が断続的に刊行され、プチ・ブームとなり、ついには何を間違ったのか伊藤野枝・大杉栄のささやかなブームが招来したのであります。有名作家が伊藤野枝を扱った小説を上梓したり、ドラマになったり、あるいはTVメディアで取り上げたりとかまびすしいわけですが、もちろんしょせんブームであり、多少耳目を集めたところで、あぶくはあぶくですから、ほどなく雲散霧消していくことでしょう。実際のところ、幾ばくかの文献を残し、社会運動家、革命家というよりなによりも秀でたperformerだった大杉と、その大杉とコンビで活躍した伊藤野枝が、ブームの俎上に乗ったのはある意味必然だったかもしれません。それにはflattererの役割をした栗原康という学者の存在があります。その著書では、煽情的なタイトルにふさわしくnarcissismがあざといオノマトペ文体でいかんなく発揮され、内容は「行為による宣伝」派もどきで、「暴力」を煽りに煽るものでした。しかしその扇動屋は大杉のように民の先頭にたつわけではありません。彼の関心は「働かず」して「たらふく食う」ことにありますから。今や某公共放送や某有名国立大学の講師のポジションを得るまでに至っています。そうなると、発言のトーンも代わり、穏健な「相互扶助」派に宗旨替えした模様です。この世渡り上手な自称文人アナーキストを、私ら周辺では、ビジネス・アナーキスト(略称ビジアナ)と呼んでます。殺されて英雄となった大杉なんぞよりひっそりと餓死を選択した辻潤を高く評価している私らとしてはいたく軽蔑しております藁 (乱)


出席者】=小谷のん、【】=乱狡太郎、【】=タナカ


辻潤と大杉栄の病気と障がい

辻潤(1884-1944)


の 
今日は、まず、辻潤のことについて話していきたいと思います。大杉が殺害されて90周年とかいっていろんなイベントとかやってます。だけど、ぼくは、大杉なんかより辻の方がずっとすごいと思っています。だから、大杉の評価が異様に高いというこれまでの状況にとても違和感をもっています。今日は、それ以外にもベジタリアンやアナーキズム映画のこととかも話したいのですが、全体としては、これはどういうテーマとしてまとめられるんやろね。考えてると辻とベジーとアナーキズム映画ってどこか共通点あったっけ、なんかわからん(笑)。
タ 多分、今日の対談は、あまりポリティカルな傾向がない、「自分のやりたいことやる人たち」みたいなのがテーマじゃないのかな、って思うんですけど。大杉は、なかまと徒党を組むし、個人主義的な主張もあるんですけど、革命というポリティカルな言葉を使うでしょ。辻は、人を巻き込まずに自分でやりたいことやる、みたいな、そういう人だってアナーキストだ、ということが、大杉ばっかり論じていると見えてこないでしょ。辻っていうパーソナリティというか、彼の人生で考えると、徒党を組んだことはないし、大杉と対極的なところがあるでしょう。文章で比べてみると、たとえば、大杉は、フランスの運動のこととか風俗のこととか、いわゆるフランス事情みたいなことをかなり詳しくあれこれ書いているけど、辻が書いているフランス滞在中のことって、なんというか、かなり違うでしょ(注1)。
乱 別にパリに行ったって、何しとったんやと言うたら、『大菩薩峠』(注2)を読んでた、みたいな話やから(注3)、そういう人やと思うんよね。だから、パリ行こうがどこに行こうがそんなことで変わらへん。
タ 仕事しなきゃ、とか思わない。
乱 ぜんぜん、元々労働は嫌いなんやから(注4)・・・おまけに親子で『大菩薩峠』読んでるからね。

映画『大菩薩峠』(1960)

の そうそう。辻まことがね。・・・あれは異常や。
乱 あんまりのめり込むから「やめろッ」て言ったんやで。
の どっちが?
乱 いやいや、親父が息子に。
の ほんと?
乱 二回読む、言うてたから、って・・・。そりゃ、やめとけ、って (笑)(注5)。
の あはは。何で?
乱 知らん・・・あれちゃうん? ネトゲ廃人ならぬダイボサツ廃人(笑)(注6)。
の あはは。でも、『大菩薩』いうたら、あれ、虚無やん? はなし的に、虚無の話やんか? だから、ホンマに、辻って親子でそういうとこあるんかなぁと思うわ。可哀想な人間なんやね、結局。転向も出来へんような・・・。
乱 かわいそう・・・かなあ。でもね、辻の書いたもの全体に言えるけど、大杉と比べても非常にバランスの良さ・・・というより自然な感じかなあ。生き方も死に方も、なんというか自分で決めているんだけど、自我くささがないというか。
の 辻は自殺違うやろ、餓死やろ。
乱 そう直接的な死因はね。酒好きの人が酒を飯代わりにしているうちに倒れた、っていう話を聞いたことがあるから、それかなあ・・・辻も、栄養失調で、餓死かなあ(注7)。
タ ガラッと戸をあけてみたらシラミ(注8)に食われて死んでたと。
の それから、辻って発狂したってほんと?
乱 あれは、アルコールでしょ。本人も言ってるし・・・あんだけ飲んだらそりゃ、なるよ(注9)。辻の文章を読むと、あちこちで、飲む話がガンガンでてるやろ。アレ読んだら、なるほどなってわかる。

辻潤はアルコール依存症?


の でも、精神病院入院してるときに、辻まことが見舞いに行ったら、辻潤の肩か何かに鳥が留まってる、って辻まことが言っていた、っていう話あるやん。辻まことは、ほんとに狂うてるわ(注10)、とかって。
乱 アル中の妄想のほうが、幻覚なんかは、統合失調症よりも激しいと言われてるけどね。アルコールの方が(注11)。
タ だってアルコール中毒って薬が効かないですよね、統合失調症とかと違って。
の それで辻は天狗になったやろ。
タ どこかから飛び降りたんでしょ(注12)。
 そりゃ、一時はそうなったんだけど、この人、基本いきっぱなしということはないですよ。
 一方の大杉なんやけどー、この乱君が作ってくれた年表を見るとね(巻末の年表を参照)、13才の時に、オナニーに狂う・・・って見るとね・・・(笑)、もう大杉ってそういうの、メチャメチャしてそうやん。これはおかしいな、と思うわ(笑)。
乱 時代的なものはあるけど、暴力ばっかしやし。
の 大杉が?
乱 けんかと暴力にあけくれるみたいな。

大杉、ケンカと暴力に明け暮れる。



タ 大杉、動物殺してるし(注13)。そういえば、大杉の自叙伝は、英語で翻訳されているから、アメリカの大学のゼミでそれを学生たちに読ませたら、「なんで、イヌやネコを虐待して殺す人の話を読まなきゃいけないんだ」って文句を言われたっていう話を聞いたことがあります。読ませた人も、「たしかにそうですよね」(笑)。

大杉、動物をイジメ殺す。


乱 自叙伝にそう深くは書いてないけど、大杉って、なんかこうちょっと病気っぽいところがある。なんか、不安定なとこがあって、ずうっと底に流れてるってゆうか。
の なんか、年表に書いてあったけど、神経症、脳神経衰弱みたいな診断されたというエピソードやろ。精神疾患みたいに見えるけど。
タ 吃音があるでしょ、それで。最近はそれがよく分析されてるんですよ。
の なに? どういうこと?
タ どもってしまって、うまくしゃべれないんですよ、人前で。
の でも演説してるじゃない?
タ いや、かなりどもっているのでつっかえながらしゃべってたみたい。大杉の話を、震災の直前に聞いてる人がね、その時の思い出を書いてて。まあ、どもりどもりしゃべるんだけど、何か説得力がある、っていうことみたい(注14)。
の パリで演説してたやん。フランス語やったら大丈夫なんやろか。
タ いや、それも、なにをどれくらいしゃべったかよくわかんないし・・・(注15)。
乱 自叙伝に書いてあるやん。幼年学校時代、下士官が大杉のどもりのことを知ってで、どもりは「か」「た」行の音が出ないから、わざと質問するんやわ。今日の月は上弦か下弦か、って。下弦だったけど、その「か」行の「か」と「げ」が続くから、発音ができない。それで、上弦でない、と答え続けると、下士官は、それ、なんやねんって言って「明日は外出禁止だ」という話(注16)。いびりやけどな。
の でも、どもるっていったって、そのー、重度と軽度があるやんか。ちょっとどもるぐらいのと、かなりどもるんと。
タ 相当どもってたみたい。子供の時から、「吃音矯正」のためにバシバシぶん殴られてるんですよ。

大杉、母親に吃音矯正される。


乱 母親にね。うん、父親はやってなかったけどね。
の その、どもるっていうのは、どんな精神疾患がある?
乱 いやいや、そのどもること自体もそうだし、二次的にもメンタル系の病気になることもあるやろ(注17)。
タ 自己表現が難しくなるから、言葉による、ね。
乱 イライラしてくるやん。ストレスが高じてくるわけでしょ。言おうとしてるのに言えないし、ほんで、相手も、たいがい吃音に理解がないだろうから、コミュに齟齬が生じて、カッとしてくることもあるだろうし(注18)。の 吃音はかなりひどかったの?
タ 飛矢﨑さんは、過剰な表現欲求が吃音を生じさせる、他者とつながろうとする欲求が過剰だから吃音になる、そういうプロセスの中で思想が生まれるから、大杉の思想は「吃音」の思想だ、とさえ言ってますね(注19)。それから、飛矢﨑さんは、大杉を「障がい者」として捉えてるようですね。そうなると、「弱き」を抱えたというとらえ方にもなるのかな。
の でも、そんな人がなんでカリスマ性を?
乱 いやいや、それは不思議ではないでしょ。欠損した人、スティグマ持った人が、かえってカリスマ性を帯びたシンボルになるというのは・・・。
タ 大沢正道さんあたりは、そういうとこは、あんまり注目してなかった。吃音に注目し始めたのは、梅森さんあたりからでしょうか(注20)。
乱 だから、アナとかなんとか言うんだったら、フラジャイル・・・自分にもある弱い部分を見ていかないといけないんじゃないかなって・・・そのヒーローみたいな、英雄待望みたいなマッチョ文脈でやってたら、プーチンやハシモトに期待するのと同じじゃない。さすがに辻はとっくに否定してますけど・・・(注21)。


辻潤も大杉も格闘技系でキリスト教徒
乱 
大杉の20才までを年表で作ってみたんやけど(巻末の年表を参照)、あんまりアナーキズム関係ないやん。
タ 洗礼は受けてますね。当時の社会主義者は、多くが洗礼を受けてましたが、大杉も。
の それ言うたら、辻かて最初はキリスト教をね、いいとか思ってたやん。
乱 でも、辻は、意外に、武術なんかちょこっとやってた時がある。天神真楊流(てんじんしんようりゅう)(注22)とかで。ウィキペディアで調べたらね、なんか当て身だけで百人もぶっ倒したいう達人が開祖の結構すごい道場やったらしいけど。

天神真楊流の技(投捨・片胸捕)

の へえ、そうなん。
乱 うん、親が行かしたみたいな・・・。
タ 大杉も格闘技系のところありますよね。柔術は強かったから、甘粕に一人でやられることはないだろう、だから、あれは、一人じゃなくってたくさんのやつにやられたんだって、そういうことは言われてたみたいですね(注23)。


辻潤と大杉栄の愛と性
の 
そういう風に見ると、辻と似たとこもあるんかな。それに、大杉も辻も女好きよね。結局のところは。

大杉も、辻も女好きだった


タ それを、ちゃんと表明していたのが辻だけど、大杉はあまり言わなかったでしょ。おんな、おんなって。
の 実際は女好きなのに、自由恋愛なんて言うてたやろ。でも建前やんか、言うたかて。しかも大杉は、幼年学校の時には、同性にもというか・・・。

大杉、男性も性愛対象だった。

乱 うん、男色は当然あったというか・・・(注24)。
の なんか、性的には自由だよね。そういう意味では自由恋愛か。
タ いや、当時の男性は普通ですよ。
の え? ?ウソオー そうなん?
タ 森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』とか。それに軍隊とか戦闘集団とか監獄とかはホモセクシュアル多いですよ。
の あ、そっか。それがあるね。
タ それに辻も、少年をレイプしたことがあるよ(注25)。
の げ、そうなん?!・・・そういえばね、ホモセクシュアルではないけど、辻と大杉って、どっちも惹かれてんやないの。
乱 いえ、批判というか合わないんじゃない、お互いに。
の 誰が? いや、大杉も、辻はええやん、とかなってたんちゃうん? 批判してた!? それは知らんかった。
乱 お互いとも似ているとこもあるし、違うとこもあり、惹かれながらも・・・けど合わない。
の なんで? 伊藤野枝をめぐって、大杉は辻とは敵対もしないんやけど、なんか、微妙な関係やんか。伊藤野枝のことがなかったら、違う意味で、大杉は辻と話ができたんちゃうかなぁ・・・。
タ よく出てくるエピソードは、辻が『平民新聞』(注26)の創刊号から全部とっているのを大杉が知った、という話。「こいつはすごいヤツだ」と大杉が思ったという瞬間だったという話。このエピソードを根拠にして、辻が社会主義とかアナーキズムに興味がなかったというわけじゃないということが書かれることがあるよね。単なる文筆家であったというわけではない、とか、大杉と対極にある人物ではなかった、とか。

平民新聞 創刊号

乱 まあ、でも、その事は辻自身は何とも思ってないかもしれんね。
の 何を?
乱 『平民新聞』がみんな揃っているということに関しては。だって、それじゃあ、表の顔は、単なる昼行灯の文筆家と見せながらで裏の顔は凄い思想家みたいな・・・まるで大石内蔵助か中村主水みたいな話しになってしまう。
の それはどうなんかしらんけど。でもな、辻が大杉とか大杉の虐殺について、あまり書かんかったようやけど、やっぱりすごいヤツに寝取られたみたいな、そういうことは思ってたんと違うかな。どないしてもかなわんヤツに、寝取られた、大杉には、男としての魅力としてはかなわん、っていう・・・。
乱 うん、かなわんけど、辻はそれも肯定してたんじゃないの? かなわないということも。辻にしたら。なんせ降参主義者なんやから(笑)。
の まぁ、それはわかれへんけど。
タ 伊藤野枝の手紙は、最後まで持ってたんでしょ? 彼女からもらってたラブレター。
の なになに?
タ 伊藤野枝からの手紙。彼は本とはかもってないけど、手紙はずっと持ってる人で。手紙は彼の遺産だったというのか。人に会ったら見せてるんですよ、俺はこういう手紙をもらった、って。で、伊藤野枝の手紙をずっと彼は持ってた、という話を、どこかで読んだことがありますよ(注27)。「野枝について書いてくれ」と言われて、「ふもれすく」というのを書いてますけど、それだけですよね、彼が、野枝について書いたのは。
乱 野枝の「元ダンナ」という、そういう言い方でスキャンダラスに扱われるのは、どうもいやだった (注28)。
タ それは、野枝を尊重してるんではないかな、という気もしないでもないんですけど。
乱 いやー、尊重というのとは、少し違うんじゃないですか。人それぞれだから、いっしょにされたくない、っていうようなことでは。とくに、そういう言い方されると、大杉とも一緒くたにされかねへんから。辻は辻なんですよ(注29)。
タ たしかに、野枝や大杉と同じ考えを持ってた、とか、そういうことはどこにも書いてませんよね。そもそも、辻の書いてるものの中には社会主義とかなんだかっていうのは、全然出てこないし。
の 辻が大杉と同じ考えかどうかってことはどうなん?
タ いや、それはどこにも書いてないですね。
の じゃ、伊藤野枝と辻が同じ考えだったかもしれへん、ってところはどうなん?
乱 ああ、それは、関係あるわけやから。そら、意識だけで繋がってるわけじゃない。
タ でも、役割としては、辻が先生で、野枝が生徒でしょうね。
の そうそう。伊藤野枝が訳してるのは、あれほとんど、辻潤がやっているでしょ。そういう意味では、伊藤野枝が辻の影響を受けて、辻の意見を代弁してる、みたいなとこあったんちゃうん。大杉とつきあい出すと、大杉の代弁みたいなだけだったりして。伊藤野枝って、そんなにイデオロギー的になんかあったちゅう人間では無かったんちゃうんかなと思うんやけど。
タ ぼくもわかんないやけど、いっぱい書いてるのはたしか。全集がでるくらいの量やから。『青鞜』の編集長もやってる人でしょ。女性で若くして、いろんな活動して、結局、虐殺されたというのが、すごくドラマチックだから、それで目立っている、ていうのもあるんでは、と思いますけど。ドイツ語で伊藤野枝の伝記と文章が一緒になった本が一冊あります(注30)。そういう彼女の生涯が、ドイツから見ても魅力的なんではないでしょうか。そういう点では、ルイズ・ミシェルだって同じじゃないんですか。あの人は長生きしでるけど、結局、すごい影響のある本を書いているかといえば、そこまでではなさそうだし。ルイズ・ミシェルは、人の先頭に立って、「パン屋襲撃!」とかやったし、演説してつかまった、とか、そういうことはよくあった。伊藤野枝は、文章で表現していた、ということで、似てるかなーと。

『青鞜』創刊号(1911)
ルイズ・ミシェル(1830-1905)

の でも、伊藤野枝の文章の中に、これはすごい!というのが無いやん。まぁ、辻も無いんやけどね。
タ たとえば、「乞食の名誉」という自伝的な短い小説があります(注31)。主人公は、いったん実家を飛び出してみたけど、結婚して家族に縛られている、という設定なので、辻のところに押しかけて結婚したけど、夫と家庭に縛られてしまった伊藤野枝自身の経験に基づいて書かれでいるかなあと思います。その主人公が、エマ・ゴールドマンの伝記を読むうちに、エマの人生や思想から影響を受けて、もしかしたら、これから何かをするかもしれないな、というところで終わっています。ロシアでエマなどに影響を与えたチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』と少し似ているところもあるような気がします。こういう考え方や生き方もありますよ、というふうに、主人公とともに読者がエマの生涯と思想を学んでいくような書き方をしてるんで、もしかしたら伊藤野枝の文章は、何らかの影響力があったかもしれない、と思ってしまいます。
の 伊藤野枝が?
タ うん、もしかしたらね。

エマ・ゴールドマン(1869-1940)


辻潤と大杉栄はまともな仕事をしていたの?
の 
まあ、女性にとっては、『青鞜』の問題があるから、それはあったんやろなと思うんやけどね。でも、伊藤野枝もそうだけど、僕はやっぱり大杉の影響力っていうのがわからん。大杉なんて、たいしたこと書いてないやんか。それに、仕事で言うたら、大杉とか辻は、ろくな仕事してないやん。辻で言うたら、「エイバイシャク」やっけ?英語と尺八とバイオリンの看板をあげていたけど・・・(注32)。


尺八を吹く辻潤(中西悟堂邸1943年10月初旬)

タ そうそう。全然やってない。
の ほとんど仕事なんか・・・まあ、学校の先生はしとったけど、二人とも、ろくな仕事してないのに、結構、大杉とかは、そこそこええ生活しとったりするやんか。せやけど辻は、困窮してでも結局・・・「エイバイシャク」?(注33) みたいな、わけのわからん、仕事にならんような仕事をやろうとしたとかな。ただ、辻の場合は、円本ブームで儲けてパリまで行けたから、そこそこ、その時点では結構な生活ができたんやろけど。まあ、大杉は、リャクとかで、金あったかもしれへんけど、運動資金としては。だから、そういう部分で考えたら、どっちも、ろくな仕事してないくせに、結構二人とも。でもな、変な言い方やけど、大杉はブルジョアっぽくで、辻の方は、プロレタリアみたいな感じがあるよね。
乱 出自は、辻の方が最初は良かったんですよね。それが没落していく・・・。
の そうか、家としては、ね。
タ 大杉の場合は、親父が死んで、それで一時期、独り立ちするまで6人の弟妹を自分のところで引き受けて、学費を捻出してみんな学校に行かせてるんですよ。引きとってから、最後は末の妹が和歌山の学校に行くので家を出て、これで全員の養育が終わったわけで、それまで3年かかってます(注34)。多分、3年間の文筆活動なんかは、彼らの養育のためだったのでしょうね。でも、まあ、今とは大きく違っていて、原稿が売れた。原稿料が良かった。文章書ける人ってのは、記事とか本が売れた。今は本も雑誌も売れないから想像できないけど、昔はそれが当たり前。大杉の本も売れたわけです。彼は原稿料で生活できた人ですよね。
の へぇ?!
タ 原稿料で身を立てるっていうことが当時は可能だったということでしょう。
乱 売文社もそうやね。
タ そうそう、大杉は売文社で弟妹の養育費を稼いだみたい。だから、主義者をやらなければ、大杉は文筆家として生きていけたわけです。


の あぁあぁ。
タ 売れっ子だから、みんなが大杉を放さないんだよね、出版社は。
の ほな、あれかな、もし生きとったら、そっち方面で・・・。
タ そうそう、売れに売れてた。
の もし生きとったら、戦争中は、どないしとったんやろ? どんなん書いとったんやろ?
タ だって、戦争中は、アナーキストだった人は、みんな転向して、戦争に協力してたから、そりゃ、やるでしょうね。ま、大杉は生きていたとしたら、だいぶ年食ってたと思うけど。
の 辻は、結局、戦争の時まで生きてたからわかるんやけど、転向みたいなことはせえへんかったな。
乱 いやぁ、辻は、殺されなかった、生き延びたということに意味があると思うよ。元々もっている思想からしたら殺された可能性もあるから。
の まあ、それもそうやし、結局、自分のイデオロギー、変えきれへんかったやろうね、もっと協力すりゃ良かったんやろけど。それもできない。だから協力もせえへんから、餓死するわけでしょ、最後は。
タ 辻も文章書くと売れる、というのを出版社がわかっていたから、あれこれ文章を依頼されていたでしょ。ほら、彼は、萩原朔太郎から手紙をもらってたから、それをネタに書いたことあるでしょ(注35)。
乱 長い手紙ね。
タ 萩原朔太郎が死んだあと、編集者から、なんか書いてくれ、って言われて、結局、朔太郎の手紙を引用した文章を書いているでしょ。辻にはいろいろネタがあって、それに、やっぱりしゃべってるとすごい面白い人らしかった。知識が豊富だから、いろんなことを知っていて。いろんな人がそれを聞いて圧倒されているから。しかも、そういうことを話すのに、最後は尺八で「鳩ぽっぽ」を吹いたとか(注36)。なんかそういう、幅広い人でしょ?
乱 だから、書いている文章みたら、一見みんなに伝わるような文章ですよね。話題が多岐に渡っているし。
の 読みやすい・・・。
乱 矛盾すること言いますけど、だけど、読みやすくごく当たり前のことを書いているようなんだけど、一筋縄でいかないところもあるんですよね。それが辻のニヒリズム由来の、自我経故の怖いとこかと・・・。

辻の文章はなんで読まれないの?
 要するに、彼の文章は、聖書にはならないんですよ。大杉のは聖書になっちゃってるけど、辻のは、次から次へとわけがわかんない話が出てきて、読んでて筋がつかめない文章がたくさんあるでしょ。
 自動書記みたいに書いてるって。だから、思いつき、連想でずっと書いていくから、ぱっと浮かんだことを、そのままドンドン書くということでしょう。
 それは、やっぱり、ダダですよね。
 そう。それでね、見たら、ブルトンの『ナジャ』を読んでると書いてある。あぁ、そうなんや、と思って。まあブルトンは、シュルレアリズムで、ダダとは仲の悪い友達…になるのかな。
 なるほど。一行目の文章と二行目の文章の意味が違うんですよね。
 バロウズが使ったカット・アップぽいのもあるしね(注37)、もっとも辻のはシームレスのもあるから、つなぎがわかりにくいんだけど、それが、面白いと思うか、読みにくいなと思うかやろうね。起承転結があるのが好きな人は、ちょっととりつき悪いと思うわ。どんどん話が展開するから。

ウィリアム・S・バロウズ(1914-1997)


 たしかに、辻の文章は、今でも文庫本で出てるから、市場性がまだあるはずだけど、ついて行けない人はついて行けない。大杉のはいくらでも出てるでしょ、回想録でもなんでも。
 何で辻のは出ないんだろ?
 うーん。
 辻、すごいけどなあ。大杉はね、没後90周年というのがあるみたいやん。でも90周年なんて意味不明って前から思うてるんやけど。100周年とかやったらわかるやん。でも、辻の90周年とかはないやん?
 最後の全集が出たのも80年代ですもんね。
 全集を古本で買うてんけど、かなり前やもんね。辻はダメなのかな?
 文章を読んでると、どう読んでいいのか分からない、みたいなのがあるじゃないですか。
 前言った話と矛盾するんだけど、シンプルで読みやすくもあるんだけど、言外の部分と言うか、言葉にしていない部分がある。それが読み手を刺激するけど、それを読み手自身が言語化するのかそうたやすいことでもない。今回、辻を読み直して見て、自分が前は読めてなかったことに気づくことがいくつもあったよ。まだ読めないのもあるし・・・。


アナーキストはどつかれてナンボ
タ 
比叡山でシュティルナーの翻訳やってましたね。禁欲的に仕事しているってイメージもありますけど・・・。
の いやいや、比叡山で、大学生かなんかの女性(注38)が好きになるやん。で、追いかけ回しよったんやろ? 何なんやろね?
タ 生命力じゃない?
乱 だからね、俗っぽいところも結構あるわけよ。ほんで、飲み屋の探訪記みたいなのも書いてあるわけ(注39)。どこどこの飲み屋行ったら美味いとか、アテかいいとか。飲み屋に行ったら、たまたま隣に座ったおっちゃんとも意気投合して、どっかへ行っちゃうとかね。
の 最後の方には、支援者みたいな人を頼って、生きてるわけやんか。ほんならそこの家に行って、飲み食いしてるんやけど、例えば、奥さんとかおって、その奥さんが台所仕事してで、そこのところを後ろから行ってお尻を触ったり、ほんでドツカレて、とか、ようあるよね、そういうのん。
タ 虚無だと、生きるエネルギーがあるんでしょうね。だって最後まで、女性がくっついてるじゃないですか?
乱 虚無は生死が背中合わせの状態やから、なんか突き抜けたとこが出てきて、それが味わいというか魅力になっていくのかねえ。
の あんのかなぁ・・・?
タ モテるんでしょ?
の モテるモテる。最後なんか、一緒に住んでる人と本なんか読んでて、なんかその人も結構エエ様には書いてる。小島キヨやけどね(注40)。うん、辻は、あんまり好きやなかったみたい。何となく住んでたみたいや。やっぱり伊藤野枝・・・なんかな?


「小島キヨ」(画 中村彝)


乱 
織田作之助の小説で出てくる男女関係と似ているかな? オダサクの男はもうダメでしょ?そのダメンズに女の人も惹かれていく、それで女もダメになる。二人ともダメダメですよ、というみたいな、そういうのはあるんちゃう?

映画『夫婦善哉』(1955)



タ 飲み食いは好きで、女も好きだけど、生きることに目的は無いみたいなのが辻なのかな。
の 生きる事に目的は無かったんやろか?
タ ないですよね。
乱 何かを目指すとか、そんなんじゃないよね。
の 目指すのは、ない。
乱 生きていることをただ受け入れる。ま、死んでるとも言えるんやけど。の だから、『唯一者とその所有』がええと思うんやろけど、それだとどうやって生きてるんかわからんわ。
乱 虚無だからこそ生きてるわけ。そこまでいっちゃえば、逆に生きるんですよ。
の だから、『唯一者とその所有』読んでね、辻は、これで俺の生き方が決まった、みたいに思ったやん。そやけど、次に何するのん?って、思うんよね。しょうないやん、なんか。
タ なんか、来たものは拒まず、ていうことかなぁ。
乱 無為自然!ですよ。それを受け入れるままに生きて行く。ただ流されてるように見える、というか、流される生き方を受け入れる・・・シュティルナー式に言うと所有する。
タ 人との関係を大事にしてるから、生きていけたのかもしれませんねぇ。乱 うん、でも、人に気を使って生きでいるわけじゃないでしょ。気働きして親切にしようとか、そんなんじゃない。エゴイストはそういうものでしょう。
タ それは違いますよね。自分からは行きませんよね。
乱 だから、神経使ってね、一生懸命努力して人との関係を維持していく、そういう人もいるけど、辻はそれを努力してなんとかじゃ無いような気がする。換言したら、受動と能動の一致。あるいは受動でも能動でもない生き方。
の そういう意味では、大杉なんかの方が開かれた人間ていうか、社会的に何かしようというかんじだったんかな。でも、ホンマにしようと思うたかわからへんな。萩原朔太郎が、辻は低人教の教祖なのに、信者からどつかれたり、罵倒されたりする、みたいなことを書いてんねん。そういう部分に凄さがあると思うねん。自分が教祖なのに、馬鹿にされる。そんな教祖、おれへんやん。酒飲みながらボコボコされたり、どつかれたり。そういう凄さはあるよね、辻には。あれは尊敬出来るわ。大杉どつくヤツはおれへんと思うねん。ギロチン社のやつらが、「コラァ!大杉!ボケ!」みたいなんは無いやん?
タ やっぱり、あれはある種の舎弟ですよね。
の そうそう、舎弟なんよね。
タ 愛の関係ですもんね。ギロチン社の舎弟たちは、軍隊的に言えば、上官に対して愛を捧げるために、自分の命を捧げた、ってわけで。
の だから、仮に逆らったとしでも、大杉をどつきはせんと思うよ、よっぽどの事じゃない限り。
乱 だから大杉の最後は、ああいう死に方やろね。暴力で最後は閉じるみたいな感じやね。70年代の東映の実録路線の主人公みたいな最後。
の 辻はどつけるんよね。辻の弟子がおったとしでも、弟子は、辻をどつけるんよ。「余計なこと言うな」みたいな感じで、どつけるんよ。だから、虐殺もされへん。
タ だから、国家だって「ほっときゃ死ぬだろう」みたいに辻を思ってたんじゃないですか?
乱 そもそも殺す理由がない・・・。
の そうやねん。だから殺されもせえへんかったけど、まあ、餓死することになっちゃって・・・。
乱 だから、あのときに殺されんで、そのまま死んでいくところに、またいいとこがある。
の そこが辻のすごさかなぁ。
乱 でもね、大杉の場合でも、国家の計画的な犯行でも別にないわけでねぇ・・・。
タ そんなすごい計画があったわけじゃなさそう。
の かりにね、大杉が、虐殺されてなかっで生きとったら、どんな風になってなんかな? 転向してるんかな? ま、転向してないかどうかも、そんなことわからへんけど。
タ 奥崎さんは、幸徳や大杉は天皇になっていたかも・・・とか書いてましたね(注41)。
の あはは。


今こそ、辻潤でしょ!「アナーキスト・ヒーロー」なんていりません
の 
辻って、リアルにおったら、すごい「こいつ、いややー!」と思うんちゃう? 今おってもイヤなオッサンやと思うけど、しばいたろか、みたいな(笑)。ぼく、仮に、ぼくが辻まことやったら、ボコボコにしてると思うんやけど、辻潤をね。大杉なんかの方が、おった方が、このおっさんの方が面白いみたいな。
タ たしかに、大杉のエピソードってのは一般受けしますよ。
乱 だけどね、今は大杉みたいな「すごい人」は要らないんじゃない?別に・・・。
の だから、すごいとか、その表現の仕方が悪いんやけどね。
乱 ほんでね、大杉が好きな人は大杉のまねして大杉になることを目指してやってる訳でもなさそうやしねえ・・・モデルにならないのなら、どうするんやろね。
の なんで、ぼく、大杉、嫌いなのに、みんな好きなんやろね?
乱 だからそりゃ、スターに憧れてるのんと一緒ちゃう? ぼくも嫌いというわけでもないけど、特に関心はないなあ・・・。
タ アナーキズムが、スターを必要としているんじゃないでしょうか。
の でも、大杉の思想は、わかれへんのよね。辻はわかるんよ。大杉は分かれへん。
乱 大杉のベースとしては、子どものころから持っていた義侠心かなあ、それに富国強兵に向けて突っ走っていく大日本帝国へのアイデンティファイ、例えば武士への憧れとか、「臥薪嘗肝して報復を謀れ」ってこの場合、三国干渉を行ったロシアなんだけど、その軍人への道みたいな方向性があったんだけど、軍隊という組織自体に幻滅し、ドロップアウトしていくでしょ。それからアナーキズムへと・・・まあ「秋水」から「秋水」へ転向していくわけで・・・(注42)。

戦争ゴッコに興じる子どもたち
【引用】ttps://www.artefactoryimages.com/47800231/


の ロシア革命が起こった時に、ちゃんとロシア革命の本質を見抜いていたのはすごいなとか思うけどね。アナーキストだったから、そういう風になったのかもしれんけど。あの頃の情報って少ないじゃないですか。そこで、そういう風に見抜くって、どうなん。
乱 軍隊と似てる思うたんかな、革命とね。どちらも要は「敵を倒せ!」だから。
の あはは。それは、あると思うけどね。
タ のんきちさんは、辻の思想って、どういう風に評価しているんですか?
の 結局、イデオロギー的なもんに何にも憑かれない、みたいなとこが辻の思想なんかな、とおもう。だからほら、アナボル連合の時に、わっと騒いでて、騒いでいる時、机の上に上がってケケケみたいなこと言うてたって、有名なんがあるやん? だから、どっちにもホンマは辻はイヤなんやと。本人も害いてるけど、アナーキストもそうたいしたことない、みたいな事を書いているじゃん。だから、俺はスカラジプシーや(注43)、みたいな。そういう、なんていうかな、誰にも寄らへんでいうところがあるやん。イデオロギー的なもんは、全部イヤなんちゃうかなぁ、と僕は思うねんけどね。そういうとこが、惹かれるんかなぁ。
タ そういう人、今、いますかねぇ?
の それは分かんないけど。でも、あの時代、転向せえへんかった人って、すごいよね。転向しょうがなかったんやと思うねん。
乱 誰が?
の 辻は。あの時代でも。アナーキストがみんな転向しとっても。
乱 いやいや、だから、変わりようがないんやねん、本人自体は。
の そやねん。だから、哀しい存在なんやと思うわ。
タ まあ、社会の主流にはなりませんよね。文壇でも何でも。もちろん、彼は一応知られていて、文壇で、引きがあった人でしょ?
の そうそう。
乱 だから、皆、谷崎潤一郎でも、みな、彼の周りには結構そうそうたるメンバーがいるわけじゃないですか、応援したりして。
タ 一応、有名な文壇の一名ですよね。
の だから、1940年か41年ぐらいに、ラジオ放送聞いとって、誰やったっけ? 文学者の何とかが、「こんな事まで言いだしてる」みたいな(注44)。
タ あぁあぁ、ありましたね。谷崎じゃなくで、誰でしたっけ?
の だれやったっけ、あれ? そんなのもあったり。結局彼は、もう変われるんやったら変わりたかったと思う。
乱 何が変わるわけ?
の いやぁ、「天皇陛下万歳!」とかね、言いたかったとか言うてるやん、実際にね。パリから帰って来て、読売新聞の記者に聞かれて、「どうでしたか?」と言うたら、「天皇陛下バンザイです」って。「ええ?」とか言うたら、「とにかく天皇陛下万歳だよ」みたいな感じで。なんか、馬鹿馬鹿しかったいうことやと思うねんけどね、でも、信念をつらぬいて、転向しません、みたいじゃないねん。
乱 あ、それはある。
の 転向出来へん、という感じやねん。
タ  信念というよりかは、感覚というか、感性というレベルでしょうがね。
の  たとえば、共産党の人が特高に捕まって、ボコボコ拷問を受けでも「俺は転向せんで!」みたい、じゃないと思うわん。
乱 荘子であるやん。山木篇かな。「無用の用」ていうのかな。「世の人々にとって無用の木なれば人に切られることもない」ていう話。なまじ人から利用されるような能力があれば、人に使われたりするけど、辻はそうはならなかった、というか、それを正しくやったから、弾圧されることもなく、誰からも使われることもなく生き延びた、ということやないの。
 文学報国会。アレに入ってないのが、辻と、中里介山だけやろ。あとはみんな入っちゃってるわけかな(注45)。
乱 うん、まあね。原稿が・・・紙がもらわれへんとか、いろいろ理屈あるんやけどね。
タ 生い立ちにもそういう傾向がありますよね。辻の生まれ育った環境は。趣味人的な世界ですね。江戸の下町の。

『品川』(画 川瀬巴水)

乱 小さいときから尺八やってて。
の そうそう、趣味人やね。
タ 江戸の社会って、イデオロギーじゃないでしょう? 江戸時代に美を追究するとか面白さを追求するっていうのがあったけど、そういうのは、今の社会だと役に立たない、て見なされるでしょ。今風に江戸文化をイデオロギーで読んじゃう人は、歌舞伎や落語の中に反権力がある、とか言うけど、辻はなんというか、「なんともいいですね」みたいな感じになるでしょ? それで違うんですよね。
乱 だから、何かそういうところに組み込まれない感覚的なものもある。
の 辻の言葉で言うと、あんまり本とか言ってもイマイチなんやけど・・・。ほら、ようあるやん、「大衆の意向が最善だとは僕は思わない」みたいな感覚のもんを書くやん? ああいうのん、ちゃんと本質を貫いているようなこと言うから、すごいかなと思うんよね。だから、今なら民主主義的で、投票を取った人が勝ち。今やったら、安倍政権が勝ちや、みたいなことになってるけど。でも、あいつは、そういうところを分かっているから、「大衆がええ」なんて全然思うてないし、「プロレタリアやったら万歳」なんて思うてないと思うんよ。だから、そこらへんのすごさがあるよね。だから、凄まじい、ホンマの反体制というか、転向できない反体制の・・・、なんていうか、イデオロギーっちゃあ、イデオロギーなんやな。
乱 実存的というかなあ・・・生まれたときからアナーキーみたいな・・・。
の そこのすごさがあるよね、すさまじさが。ある意味、生きてる人間としても、しんどいんやと思うわ。
タ あぁ、それはそうですね、虚無ですね。
の 虚無、ほんまにそう思う。
タ シュティルナー(注46)のことを好きなのはそうですよね、多分。
の そうそう、そやで。だから、あれで自分の生き方が決まったわけやろ?
タ 突き詰めるっていえば、辻がはまってた仏教もそうじゃないですか。
の 最後は、なんか「親鷲がええ」とか言い出して。まあ、老荘もそうやったけど。
乱 ショーペンハウエルの影響も受けたみたいやね?
の なんで、あんな虚無的なんばっかりなんか好きやん? それがようわからんねん。

アルトゥール・ショーペンハウアー(1788-1860)

乱 虚無的だから殺されなかった。というか生きながら死んでいってるみたいなものやから、そもそも殺されようがない。そんで「戦争反対!」と言おうが「天皇陛下万歳!」と言おうが、思いついたことを好き勝手に道端で叫びつつ他になにもしないでぐだぐだ生きることができる。だったら、今こそ、辻潤でしょ! 「すごいひと」はいらんですよ。
の まぁ、そうだよね。じゃ、結論が出たところでベジタリアンの話にいこか? でも、なんで辻からベジタリアンなのか、わからん流れやな~。
タ 辻がメインテーマだから、話の流れはダダ的に「脈絡なし」でいいんじゃないでしょうが。

ベジタリアンと動物解放
の 
大杉は子どもの時にイヌやネコを虐待して殺しまくってましたが、最近のアナーキストの中には動物解放派が増えていて、その流れでベジタリアンとかも増えてるってほんと?
タ 僕は、2012年8月にスイスのサン・ティミエであったアナーキスト国際会合で初めて遭遇したんですけど、あれはやっぱり、重要だと思いましたね(注47)。それが、ファーストコンタクトだったんです。その前から、アニマルリベレーションっていう言葉は本を読んで知ってたんですが。読んだときに、「動物の解放? なんじゃそりゃ?」みたいな感じで、理解不能でした。それで、サン・ティミエの会議に行ったら、まず、驚いたのが、話には聞いていた「ヴィーガン」ていうのが本当にいたこと。毎日、ヴィーガン・フードを炊き出ししてるんです。会合は5日間だったんですが、朝と昼と夕方、毎日、集会の会場に使っていた大きい体育館と、ブックフェアの会場に使っていたスケートリンクの脇で、ヴィーガン・フードの炊き出しをしているんです。体育館の方は、道路に面した芝生のある中庭みたいなところがあって、毎日天気が良かったから、みんなそこで、寝転がったりして、昼休みをしてるんです。そこで炊き出しをやっていたのが、ドイツのヴィーガン・フードを作って提供する集団でした。話を聞いたら、スイスの集団と共同してやっているんだということでした。彼らは、ドイツからでっかい鍋を持ってきてました。メニェーは、ライスやパスタと野菜なんかを混ぜたものやらミックスサラダ。紅茶とコーヒーも出していたけど、当然オーガニックでフェアトレードなんだと思います。朝はパン。それに何か付けるんだけど、絶対バターじゃないですよ。蜂蜜でもないんです。バターは牛乳や卵が使われているし、蜂蜜は、動物の労働を搾取するから使わない、ということで。結局、何だったか、よくわかんなかったな。
の 何だろう?
タ なんか木の実をすりつぶしたのかなぁと思ったりして・・・。
の ハハハ
タ でもね、基本的に全部食べられました。
の 味は?
タ 悪くなかったですよ。濃くもないんですよ。味付けは、塩こしょうぐらいじゃないのかな、せいぜい。で、タンパク質は、豆ですね。実は、一日目と二日目は、知り合った何人かと町中のピザ屋に行きました。彼らの中には、「いやぁ、ヴィーガンはうざい」とか言う人もいましたよ。「俺は肉が食いたい」とか言ってて。そのあと、毎日会場を回っていたから食べる時間がないでしょ。だからヴィーガンの炊き出しを食べ続けましたから、僕も半ばヴィーガンな生活してました。もともと違うのに。まあ、時々、ハムとかチーズは食べてましたけど。何なのか、わけわかんなかった。
の ベジとノンベジは、どれぐらいの比率でいるの?
タ わかんない。でも、炊き出しには、毎日ずいぶん人が並んでいた。炊き出しをやってたのは、ドイツから来ていたヴィーガン炊き出しグループ。ホームページを見たら、彼らはある公園で、大きい樹が切り倒されるのを妨害するために運動を始めたんですが、そこから、なぜか、ベジタリアンフードを始めた、っていうことらしいんですよ。2000年代ぐらいから、エコロジストとかアナーキストのイベントがあると、そこに行ってヴィーガン・フードの炊き出しをやってきた、と書いてありました。目的は、プロパガンダだ、とのことで。要するに、彼らにとってアナーキズムっていうのは、食べ物を作って食べてもらうことなんじゃないかと思って、なんだかおもしろいなと思いました。それに、実際、サン・ティミエでは、たくさんの人がヴィーガン・フードの炊き出しに行って食べてるから。次の会議がすぐあるでしょ。だから、会場に近いとこで食べようと思えば炊き出しなんですよ。普通、僕たちだったら、ヴィーガン・フードなんて作ろうったって作れないから、結局コンビニ行ったりファーストフードだって行くじやないですか、急いでるときは。でもあそこは、急いでるときがヴィーガン・フードだったんですよね。俗世間とは真逆。
の ベジフードをそんなに食べてるの、みんな?
タ 会場のそばにあるから、行きやすかっだというのはあります。僕もそうでしたから。まず、炊き出しのとこに並ぶんです。それで、お皿とスプーンとかを借りて、担当している人がごはんをよそってくれる。料金は、全部募金。一応、金額は設定されていて、一日二食分で10スイスフランか8ユーロ出してください、って書いた募金箱が置いてあるのね。でも、お金が無い人は出さなくてもいいけど、各自の判断で出せるだけ出して下さい、っていうことも書いてあるわけ。要するに、金儲けじゃないんだ、ってことですね。それで、食べ終わるでしょ。そしたら、水槽がいくつかあって、最初に水でゆすぐ、次が洗剤でゆすぐ、最後に乾かす場所に置く、っていう順番で、それは食べた人が全部自分でやるわけ。炊き出し集団はそれぞれ旗みたいなのがあって、ドイツから来ていたグループのシンボルマークはモグラ。なんでかよくわからないけど、土に関係するからでしょう。もう一つ、たぶんスイスのグループだと思うけど、車にかけられていた旗には、歯車にフォークが投げ込まれているシンボルマークがあって、その下に「サボsabot」って書いてある。サボタージュのことですけど、それって、もともとは靴を歯車に突っ込むとか、スパナを突っ込むとか、そうやって仕事を妨害するぞ、っていうマークが普通なんだけど、ヴィーガン・フード炊き出しグループの場合、フォークが歯車に投げ込まれる図で、これもおもしろかった。
の ハハハ。
タ でね、食事をよそってた男性に、写真を撮っていいか、って聞いたら「ナイン、ダンケ!」って言われたから、顔は写さないよ、手だけだよ、って言ってとらせてもらいました。やっぱり活動家だからだと思います。ここまでがヴィーガンの話なんだけど、それ以外に、サン・ティミエのアナーキストが使っている多目的のスペースがあって、そこには、カフェも映画館もライブハウスもあって、さらに、中庭があるんだけど、そこでは、昼間はTシャツとかバッジとかを売る屋台が出ていて、夜になると毎晩、ビールの屋台が出て、しかもソーセージを焼く屋台も出てたんですよ。昼間のヴィーガンなイメージとちょっと違いますよね。ソーセージは、多分、地元の業者を呼んでたんだと思います。アナーキストとは関係ないはず。出していたのは、ソーセージとパン。それからチーズみたいなのもあって、スイスの名産なんですよ。ただ、この屋台の食い物は、結構高かったですよ、5フランとかで。「わぁぁ、高いよね」なんて言って。でもしょうがない、食べるでしょ? ビールに合うし。そんな感じで1日目と2日目が過ぎていったんだけど。3日目あたりに、あるはりがみに気がついたんです。さっき言った体育館の脇に、いろんな告知をはり出せるボードがあって、そこにはりがみがどんどん出てくるんですよ。それで、最初は計画されていなかった集まりとかワークショップとかが立ち上げられた、ていうこともわかる。それ以外に、フェミニストが、「この会議にある男性中心主義を排除せよ」みたいな手書きの抗議文を貼り出しているから、いろいろな主張が入り乱れているのかわかっておもしろいんです。で、そういうのを見ていたら、そのなかに、大きなはりがみがあって、「中庭のバーベキューの網の上に犬のうんこを置いてやったぞ! 肉は殺しだ!」って書いてあって。しかも網の上にうんこが載せてある漫画まで書いてある。

犬のウンコを網にのせる

の フフフ。
タ 「なんじゃこりゃ?」と思って。犬のうんこを置くって、何のことだろうな?って、わけわからなくて。すでにイヌのうんこおいたんなら、ぼくはもう食べてるから、うんこ付きのソーセージを食べたんかな、とか(笑)。それで、最終日の前夜、ぼくは中庭からちょっと離れてた場所でやってる別の集まりに出ていたんですけど、いったんその集まりが休憩になって、中庭のそばを通っていたら、「わ~!」って大きい声が聞こえてきたんですが、英語で、「この人たちは動物を殺してる!我々はそれに抗議する!」とかいうのがはっきり聞こえてくるんです。他の人に間いたら、すごい声をあげて、周りを取り囲んでたらしいですよ。ところが、今度は平和主義者という人たちが出てきて、そのヴィーガンというかアニマルリベレーションの人たちから屋台のおやじさんを守ったということらしいんです。「この人は別に悪くはない」とか言って。
の あぁあぁ。
タ 僕は休憩が終わったのでそれ以上は聞いてないんだけど、会合に戻ると、そこに参加していたフィンランド人の女性が、「ゴー・ヴィーガン!」とか言って、抗議に参加した人たちに向けで握り拳のグーを突き出すポーズであいさつしている。何盛り上がってるのかな、この人。一体なんだろ?と思って。日本から行ったらわけわかりませんね。
の でもね、『フード左翼とフード右翼』(注48)読んでたら、日本では極端なヴィーガンに走りやすいと書いてあるけど。
タ え?そうなの?
の あと、マクロビオテックとか言うのあるやん。たしか、なんたらエリカと結婚して、離婚して、なんたらいう、あの変な・・・おるやん、マルチなんちゃらとかいうやつ。
乱 高城剛?
の あいつ、マクロビオテックと言ってたな? いい加減、クソみたいな奴やから、この本にマクロビオテックが出てきて、へぇ?っ、とか思うで。
乱 あいつ、変な肩書きやろ?
の そうそう。
乱 マルチメディアクリエイター?(注49)
の そう、くだらねぇ。ばかばかしいよねぇ? マクロビオテックとか、・・・、あの、なんやった? 希釈して、なんかメチャメチャ薄めた薬あるやん、イギリスで流行ってる・・・。なんやあの・・・わからへんけど・・・「どんだけ薄めたら、そんなん、意味あるんかい?」みたいなやつ(注50)。この本、そういうのんばっかり書いてんねんけど。
タ でも、なんで、右翼と左翼がいるんですか?
の それはちょっとわからへんのやけど。何が右翼なんかというと・・・たとえば、この本では、フード右翼がマクドナルドみたいなファーストフード、あとジャンクフード。それから、「ラーメン二郎」ってあるじゃないですか。その愛好者をジロリアンとかいうらしいんやけど。ラーメン二郎って、食ったら分かるけど、なんたらマシマシとか言うて、もりはでかいしトッピングもめっちゃするんよ。でね、フード左翼というのは、地産地消でベジタリアンでスローフード、それで有機農業とか、そういうくくりやねん。だから行く店は、「道の駅」みたいな地元野菜の直売場とか、そういうとこ。ほんで、モスバーガーが右と左の中間点みたいなとこっていう感じ。そういう分け方してるんよ。ぼくは、これ読んどって結局、フードのイデオロギー化かなって思うたんよ。

ラーメン二郎ひばりヶ丘駅前店のラーメン
【引用】https://volumey.hatenablog.com/entry/2022/02/25/195444

乱 そうやね、マクロビって、桜・・・なんとか言ったな、その人が神道と結びつけてるから(注51)、けっこう食いモンがイデオロギーになっているパターンもある。
の そうそう、マクロビ、あれは昔、惹かれたこともあるんよ、実際、20年ぐらい前に読んだ時に。なるほど、何でもそういう風に食べていくんやったら、その地域で食べていったらいいやんって。分からん事もないな、と思ったんよ。玄米食べたり。
乱 それは悪いわけではないけどね。
の マクロビってそんなに悪くないとは思うんねんけど。でもね、考えると、あれはあまりにもイデオロギッシュで、ちょっといい加減やなぁ、とぼくはちょっと思ったりしたことがあるんやけど。
乱 創始者が独特な考えをするでしょ。
の そうそう。
「かんながらの道」じゃないけど、日本の古来の何とかと一緒にするやん。しかし、まあ、考えたら、アベ式のTPP賛成エセウヨよりも、そっちの方が日本の伝統的右翼の流れかな。
の アメリカ人の医者が書いた本を読んだらね、その医者はガンにかかったんよ。でも、マクロビオテックで治った、ガンが消滅した、というねん。
タ そういうのは怪しいね。
の そうでしょ? 何やろね?
タ 何かの役に立つっていうのか変だよ。
の だから、そういう部分でいうたら、うさんくさいなぁと。
タ いやぁ、元々うさんくさいですよ。ただ、ヴィーガン・アナキズムを論じたパンフレットがあるから、読んでみたんですよ(注52)。そしたらね、『貧乏神髄』(注53)という本での主張にすごく似てるなって思いました。たしか「貧乏になるということは、我慢することじゃなくって、好きな生活を美しくしていきたいことだ」ということが主張されていた本でした。たとえば、ブランドもののバッグをもっていながら100円ショップで物買うのは、本当の貧乏じゃない、自分の貧乏を貫くってことは、足りないものを自分で考えて作り出すことになるから、自分がクリエイティヴになっていくんだ、という感じで。著者は、ある日、大量消費生活がイヤになって、最初は、どんどん電化製品を捨てていって、最後は、田舎に行って昭和30年代ぐらいの生活をする。それがいい、と思って生活してる、っていう、ただそれだけなんだけど。それで、ヴィーガン・アナーキズムっていうさっき言ったパンフレットでも、肉を食べなかったり、工業的な食品を食べないようにするには、自分で工夫しないとそういう食生活はできないから、何というか、ヴィーガンはクリエイティヴなことだっていうニュアンスのことが書いてあって。だから、ヴィーガン・アナーキズムっていうのがそれと似てるんですよ。それから、肉を食べるのは、共食いだって書いてあったかな。
の 確かに、フォアグラの鳥、アヒルか何か知らんけど、無理矢理やってんの見てたら、ふざけんなよ!と思う。


「強制給餌で出来るフォアグラ」
【引用】https://ameblo.jp/syousuke0057/entry-12179192250.html

乱 日本の乳牛の育て方も、品質維持のために徹底的な管理してやっている。
の もちろんそうだよ。そういう部分ではアメリカが一番先進やろ。成長促進剤とかバンバン投与しながら、ちょっと大きなったらバンバンさばくし、さばきかたも、ムチャクチャやねんで。だから、アニマルレフトとか言ってるのはわかる気がする。
乱 でも、そもそも農業って、昔、生態学の先生から聞いたけど、元々、自然破壊の第一は農業やと、大体、環境を人間の為に、元にあった自然を破壊して、そこにはなかった作物を栽培とかしているわけやから。
の まあ、この『フード左翼とフード右翼』って、イデオロギーの話では読んでて嫌やってんけど、最後に書いてあるのは、もしこれから有機農業でやっていって、化学肥料なり何なり使わへんかったら、2050年には90億の人口を維持でけへん、やっていけない、って書いてあって。その辺はどうなん? ぼく、わからへんねん。
 自然科学を勉強している人からは、人間のエネルギーを確保するには、動物を殺していかなきゃいけないんだ、という話も聞きました。でも、その動物を殺していくには、動物を育てなきゃいかないから、そのために、大量の穀物を作り出さないといけないわけですけど。
の 家畜のために水や穀物が消費されることを考えると、肉やったら、穀物の8倍効率が悪い、って書いてあるね。
乱 たとえば、我々が生きるのに必要なカロリーを確保するのに、狩猟採取民族の人たちが自らの体を元手に動物を殺して食べるのと、我々のような都市に住んでいる人間が得るのどれだけエネルギーの使用量に差があるんかということ。我々の方は、まず大規模な酪農が必要だし、さらにそのために飼料づくりのため大規模な工場がいる。後、精肉工場、輸送の道路、工場や機械を動かす燃料・・・人間が飯食うのにどんだけエネルギーを使ってんねん、という話でしょ?(注54)
の でもね、牛とかに与える穀物は、違う生産方式になってるから、人間と同じようにしてるんじゃないんで、違う部分が与えられているところあるねん。だから、必ずしも、そういうカロリー量で単純に計算してええんかな―。
乱 もちろんそれも折り込んでの話。牛のエサだけでも膨大に人工的に製造された穀物がいるので、自生している草をのんびり牛が食べて育ってるわけじゃないやん。
の うん、7倍か8倍とかやね、牛でね。
タ 今、ヨーロッパでは、優しく育てられた動物である、「アニマル・ウエルフェア」だ、ということが商品価値をあげてるそうです。たとえば、殺されるまでにどれぐらいのケージの大きさで育てられて、えさは最後まで与えられたのか、とか。
 あはは。
 スイスとか、そういうのがあるらしいですよ(注55)。
 そうなんや。
 あれなんか、どうかな? この前話題になった肉屋さんの映画。牛をものすごく丁寧に育ててね、その肉を売っていくドキュメンタリーなんだけど、それこそ忠魂碑ならぬ「獣魂碑」ていうのがあって、ほんでみな手を合わせてね、美味しく命を頂いてる、というやつ(注56)。
 もう一つ問題になるんは、今言うてるカロリー量だけでいうたら、今は何とか、いけると思てんのやけど、だけど、日本だけでも、すげぇ量のものを捨ててるやんか、食べ物やで。食べ物を廃棄してるわけやねんけど。それをまんべんなく廻したらいけるやんか、世界中で。
 いける、いける。
 いけるねんけど、いけへんわ! 何でかというと、儲けなあかんやん、みんな。そこがあるから、いけへんねん。
 セブンイレブンのいくつかのお店で、ある時間が来たらお弁当とか値引きする「見切り販売」しようとしたら、会社から注意されて、で結局裁判で最高裁まで行って、見切り販売しようとした店のオーナーが敗訴。
 あはは、あかんがな、それは。
 イギリスに行ったらね、ロンドンに、プレット・エ・マンジェつていうオーガニックなカフェがあちこちにあるんですよ。で、店に並べて余った食べ物をホームレスに配るというのを一つの宣伝文句にしてる。自分たちは、ホームレスをここで職業訓練してます、っていうのもあった。で、そこだけかと思ったら、他にもやってるカフェがあるんですよ。そういうことすると税金が安くなったりするかもしれないけど、まあ、とにかく、日本ではあり得ない。


プレット・エ・マンジェ
【引用】https://nnaoco.hatenablog.com/entry/20200214/1581630545

 日本ではでけへんやん。
 いやいや、今、フードシェアリングっていうのあるやん。
 あ?やってる?
 うん、フードバンクのNPOができてね。関西にもある(注57)。
 ちょっとやろ?
 まだそんな大きな組織じゃないし、数も少ないけど。
 一般企業がまだやらへんやん、なかなか。でも、フードシェアリングってええと思うんやわ。
 フードシェアリングとヴィーガンの話って似てるところがありますよ。ヴィーガンの動機は、資本主義社会の、きわめておかしいやり方に対する抵抗みたいなところもあるわけです。アメリカにある、フード・ノット・ボムズ、爆弾はいらんから食い物だ、という運動がありますよね。あれは80年代に、原発の建設現場で、ブルドーザーの前に身を投げて妨害していた人たちから始まった。妨害してるうちに、原発の企業の奴らが、実は銀行の経営者と同じだったと気がついて、それで銀行の前で、嫌がらせをしようとして、みんなで大恐慌時代の服みたいなのを着て、炊き出しのストリートパフォーマンスをしたそうなんです。でも、人が足りなくて、ごはんが全部余っちゃうから、シェルターにいるホームレスを呼んできて、並んでもらってごはんを食べてもらったそうです。その後、炊き出しをヴィーガンフードにするようになって今日に至る、というわけです。この運動は、さっき話した、ドイツやスイスのヴィーガンフードグループとやり方とか目的が全く同じで、戦争とか平和とか原発とか貧困とか、そういう問題を解決して社会を変えるために、炊き出しをしてごはんをみんなで食べる。ところが、アメリカでは、特に西海岸では、炊き出しを公園とかでやり始めると、機動隊なんかがワラワラと来て捕まってしまうそうです。
 アメリカは極端やからね。
 ごはんを貧しい人に食べさせる、ということ自体が、厳罰の対象っていうのが理解できませんよ。
 だって、ちゃんとした企業のが売れへんようになるやん。それはあかんねん。
 アメリカにフードスタンプっであるでしょ。堤未果が書いてたけど、あれは企業が全部お金出してて、しかも、ポテチだとかジャンクフードしか買えない(注58)。
 クソみたいなやつばっかりしか買われへんねん、フードスタンプではね。
 そうそう、今、クレジットカードみたいになってて。そういう店に偶然入ったことがあるんですよ。
 あぁあぁ。
 そしたらやっぱり「これ全部、フードスタンプで買えますよ」って書いてたけど、ひどいですよ、あれ全部ジャンクフードですよ。フード・ノット・ボムズって、そういうのを妨害しているって見なされるわけですよね。
 だから、有機農業で作る野菜みたいなのはスタンプでは買えないんで。それがすごいんで。
 逆に言うと、その辺の人が、みんなで食べる独自のルートを作ればいいわけやね。
 やっぱり、やすいジャンクフードが行き渡っている今、肉だとかいろいろなものを断つというのは、すごい大変な事ですよね。だって、何でも肉は混ざってるから。それをヴィーガンになっちゃうと、動物から一切搾取しない、蜂蜜もダメとか。でも、そういう食生活って、本当に大変ですよね。
 あの、イスラムのムスリム・フード、ハラールか。それでよく言われてるのが、日本の食べ物だったら、今言ったように、必ず何か入ってるわけじゃないですか。例えば豚のエキスとか。でも認定がないとイスラム教徒は怖くて食えないって言うてるんやけど。だから、今言ったように、ヴィーガンになっちゃうと、外に行って食えないんよね。肉みたいなんは何でも入ってるからね、基本的には。
 でも、貧乏していくっていう選択肢と同じで、我慢するんじゃなくって、楽しんで、自分の食事を選択すると、ちょっと違うでしょ。
 楽しめないとあかん・・・。
 うん。ぼく一つ思ったのは、さっきみたように、食べ物に対して、イデオロギー化しすぎてるんちゃうかなぁ、と。なんでこれはアカン、あれはアカン、なってもうて。そんなんしんどいやん。別に食えりゃええやん。肉でも野菜でも、何でも食えりゃいいやんって思うけど。
 もともと、ホルモンとか所謂ソウルフードとかは、みなそうでしょ。大体、それしか食われない人たちの食べもんでしょ?イデオロギーなんかで選択している余地はないから。
 いや、ホルモンは捨てたソウルフードやん。例えば、鶏だったら、油でめちゃめちゃ焼かんならん、危なくて食べられないから。
 内臓とかね。
 そうそう、ほんで食ってた、みたいなとこがあって。確かに、動物殺してるのはイヤやけど、それよりヴィーガンみたいに極端なイデオロギーでうんこ置いちゃうみたいなのは、ちょっとイヤかなぁ、と思うねんけど、正直。あはは。でも何でもええやん、食えたらと思うねんけど。
 日本に戻ったら、サン・ティミエに来ていた若い女性たちが声明文をフランス語で読み上げる映像が、YouTubeに上がっていたのね。場所は、見覚えのあるサン・ティミエの体育館。すごい若い女性たちが、たぶん、ソーセージの屋台を出した主催者に対して抗議文を読み上げているんだと思った。
 それ、ポルポトの少年兵と一緒やで、ほんまに。あはは。
 怖いですよね?
 怖いよ。
 いやぁ、人間の存在自体が、元々過剰なんだから、どっかに、悪い部分は残した方がいいような気もするんやけどね。ベジタリアンなんかが言っている肉食が殺人や戦争まで繋がっていくという考え方もわからないではないけど・・・純化路線はのんきち君が言うように怖いなあ・・・。
 だって、人間自体が、歯が、そういう指向になってるやん。野菜も食べれる、でも、肉も食べれる、そういう機能があるやないか、人間自体が。だから、しゃあないと思うねんけどなぁ。だから、ヴィーガンはヴィーガンでいいじゃないですか。それはその人の権利というか、当たり前の生き方やから。でも、それを押しつけるなよ、他者に。そこがイヤなんよ。
 ただ、僕が思ったのはね、それは、押しつけるというより、イヤだっていうことを、隠さずに言える場になってた、ということが大事かな、と思ったんですけど。
 いや、言うのはいいけど、それで、他の人が不快な思いするじゃん。
 多分、ある種、他人を傷つけず、プロテストするという、アナーキズム的な態度かな、とも思ったんですけどね。だって犬のうんこ持ってきたって誰もいたい思いしないでしょ(笑)。うんこ持ってくる方が大変ですよ(笑)。
 でもね、タナカさん、沢山きてるアナーキストの中でも、肉を食いたいと言う人もおるわけでしょ?
 多分、こういうことだと思うんですね。あの会合には、クロポトキン的なアナーキストも労働組合活動家もいれば個人主義もいて。それを、「誰でも来ていいよ」と言ったのがサン・ティミエの最初の呼びかけだったんですよ。だから、仮に、女性差別主義者のアナーキストがいても、それはしかたがないから、いいわけですよ。
 ああ、基本はね。
 で、けんかするのも、勝手なんですよ、きっと。
 ああ、「そこでケンカしてくれ」と。
 そうそう。「やるんだったら、やれ」と。そこでタイマンはれ、みたいなね。
 ハッハハハ。
 僕は、それだと思ったんですよ、これは。で、その自由が許されてるでしょ? プロテストして、ソーセージを焼く網の上にうんこ乗せるっていうのも。
 ただね、ぼくがすごいイヤなのはね、結構、アナーキズムという枠組みの中で、何かの規制を張るというのがイヤなんよね。こうしなくちゃいけないとか、こうした方がいいとか。大きなお世話やん、と思うねん、ぼくは。
 もう、自分は自分で好きに、というか、勝手に放っといてくれ、みたいなことがぼくの考えるアナーキズムの肝ですね。自分はこうするが、人のことはほっとけよ、と。だからぼくはヘイトスピーチの規制には反対なんや。話それるけど。
 ヴィーガンの人たちは割と少数派だから、その人達が文句言うのも別に自由だと思うんですけど。
 もちろん、そうですよ。
 だから、規制しないで、そういうことが自由に言えるのはいいな、とぼくは思ったんですよ。で、プロテストするために、参加者にごはんを提供する、ということもありで。だって、肉のプロテストしたって、いいわけじゃないですか。理屈から言うと。でも、そういう人達はいないんですよ。
 いないよね。
 みんな、ヴィーガンはいいな、とは言わないですよ。だって、無理じゃないですか、はっきり言ってぇ・・・。それにね、ヴィーガン何年もやっていくと動物性タンパク質に含まれるビタミンBなんとかがたりなくなって足腰立たなくなるんだって。
 あははー。
 でね、ぼくの泊まってる所にパンクスがいて、朝、「おお、おはよう。日本人か・・・」、「コーヒー飲む?」とか言って。どうやっていれてくれるのかなと思ったらネスカフェ出してきて、カップにサッサッて入れて、お湯入れて、「どうぞ」って。いやあ、ふざけてんのかな、と思ったけど、すごーくまじめで優しい人で。だから、ネスカフェが工業製品だからどうのこうのとか、そんなことどうでもいいんだな、と思って。それでね、コーヒー飲みながら、そのパンクスの話を聞いたんだけど、「この国際会合どう思う? ぼくはなんだかプロレタリア万歳ていうかんじなのがいやなんだよ。プロレタリアってさ、テレビ見て、車乗って、消費しまくって、コントロールされていて何にも考えやしねぇだろ」とか言って。
 そうだよ、そのとおりだよ。
 そうかと思うと、サンディカリストのルーマニア人は、「個人主義とかヴィーガンなんて、とんでもない」「女性の問題は所有関係で説明できるから、男女平等なんて議論したってしょうがない」ていう感じで、昔ながらの革命と理想社会建設を目指すタイプのアナーキストでした。そのうえ「パンクスは本を読まないからだめ」とか(笑)。その人にとって、アナーキズムというのは、ユートピアがあって、そのために革命を起こすというものなんですよね。
 全然違うタイプの人やね。
 その人にとっては、ヴィーガンとかフェミニストとかパンクスなんて、とんでもない、ということになるわけです。
 でもね、ヨーロッパは個人主義ダメやね。昔パリへ行ってCNTの会議に出た時、インディビデュアリストとかにすごい敵対的で。もう・・・「何でそんなん?」って感じで。ヨーロッパのそういう事務所とか行ってみるとね、ぼくインディヴィデュアリストです、みたいな自己紹介すると、「ええっ? 何で?」みたいな反応されるんよ。
 CNTは組織でしょ。事務所構えてるところは全部組織ですよ。
 まぁ、そうだよね。
 今回のサン・ティミエの国際会合は、国境越えて、若い連中が組織でやったんですよ。だから、すごくきちんとオーガナイズされてた。わざわざジュネーブ空港まで車で迎えにきてくれてた。それがないと、うまくいかないですよ。それで、全部、サン・ティミエ市と協定を結んで、体育館だとかなんとか、全部借り切って、5日間やりきった。大体アナーキストが世界中から何千人も集まる国際会議を町中でやるって言ったら、日本のどこが受け入れますかね?
 ないよね。でも、やりゃいいのにね、観光・・・(笑)。
 それを行政が受け入れたわけです。人口3千人の街に5千人が集まったんですよ、世界中から。
 それはすごいねぇ!
 英独仏語だけじゃなくで、スペイン語やポルトガル語も飛び交うし、で。
 まあ、それはね、多分、色んな人が集まってるからでしょうね。ま、安心感がある。中核派みたいな連中がやる集会やったら、みんな誰も来んけど(笑)。
 面白いと思ったのは、なんというか、濃くないんですよ。濃い部分は色々あるんだけど、その濃い部分がぶつかってるだけであって。僕はその間に挟まっていて、いろんなのを見てたのでおもしろかったんです。その濃い中に入っていきたいとは思わないんですけど、そういう人たちがいる、ってことが発見でしたね。最初は馬鹿馬鹿しいと思ってたんだけど、ヴィーガンとかアニマルライツとか、そういう人たちのチラシとか。でも、たとえば、ドイツでそういうことを1920年代に言い始めた哲学者は、ユダヤ人だったそうです。その人は、差別や迫害を受けてきた自分=ユダヤ人を動物に重ねていたんだじゃないかな、と思うんです。自分が迫害されるっていうことを、たとえば、牛が貨車に一杯詰め込まれている場面を見て感じていたんじゃないかな、牛に自分をアイデンティファイしてたのかなぁ?って思って。動物の気持ちなんか分かるわけないでしょ? でも、アニマルライツの人たちは、動物には苦しみがあるはずだ、っていうんですよ。
の もちろんそうだよね。
 いえいえ、そうとは限らないんですよ。動物の苦しみっていうのは、感覚的には「わかる」だけで。「苦しい?」って聞いたって言葉が通じないから本当のところは確認できないじゃないですか(笑)。でも、迫害されたり差別されてきた自分を、ひどい扱いを受けて最後は食料品にされる動物にアイデンティファイして「ああこいつ苦しいって訴えている」っていう感覚を重視する人もいる。そういう人が、ヴィーガンになってくんだと思う。だから彼らは、動物も自分も同じだから、動物を苦しませないことが、人間を含めて世界を平和に導くって考え方のようなんですね。
 聞いてて、よぅ分かったんは、結局、辻潤的というか個人主義的なのは、どこにも、行き場所がないんかな? 世界的に言ったら。
 うん。
 で、たとえば、そういう個人主義者の集まりがあるんか、とか言えば、そういうことはないと思うんよ。どこでも。
 集まらないでしょ。
 そうね、集まらないね。こもってしまうからね。
 いや、でもね、いるよきっと・・・。
 いるんやろね。
 いる。ユナボマーみたいな人じゃないですか。
 あぁあぁ。ユナボマーね。
 だって、組織作ってないでしょ?あの人。奥崎謙三もそうですよね。人は集めちゃったけど、でも俺だけしかいない!みたいなことでしょ?
 まあまあ、奥崎謙三も、そうやね。
 だから、そういう人はいるんじゃないですかね? 組織作りをせずに、自己主張だけするみたいな。でね、動物解放戦線の主張も、割と個人主義的なんです。目的に同意できれば、個人で勝手に「動物解放戦線」と名乗って行動しろ、みたいなことを主張してるんですよね。それで、それって何かな~と思って『動物を解放せよ』っていう英語の本を見てみたんですよ。「北アメリカにおける動物解放戦線の驚くべき真実のストーリー」ていう副題がついてて(注59)。これの序文を書いてるひとが、クリッシー・ハインド(注60)。あの人はジョン・ライドンからギターを覚えた人ですよね。ちょうど、彼女がイギリスでバンドを始めた頃、最初のパンクが出てきた。それ同じ時期に、イギリスでは最初にアニマルライツと動物解放の運動が始まっているんです。クリッシー・ハインドがいつから動物解放派の活動家になったのかわからないけど、アメリカの「動物の倫理的取り扱いを求める人々の会」(PETA)のメンバーのようで、アメリカではヴェジタリアンフード・レストランを経営している。それで、この本を見たら、彼女は序文の中で、2000年のプリテンダーズ・アメリカツアーでアメリカに行ったとき、動物解放のための活動をしてニューヨークで逮捕されてるんです。


動物解放戦線(Animal Liberation Front、ALF)のシンボル

 何で?
 当時、インドで牛を大量に殺して皮をはいで、その皮をブラックマーケットで売りさばいて、それがアメリカに輸出されて、それを買っているのかGAPだというので、彼女は、ほかの活動家と一緒に、マンハッタンのGAPの店に行ってみんなでショウウインドウの中に入って色々やったらしい。全員捕まって、クリッシー・ハインドは1日刑務所に入ったぐらいで釈放されて、他のひとでネイティヴ・アメリカンの人がいたんだけど、3年半とか。
 3年半!
 アメリカで、ラディカルな動物解放派とかエコロジストを「エコ・テロリスト」と呼んでいて、2000年ぐらいから、FBIとかが何度も訴えて、アメリカの下院で、彼らの活動に対する処罰を強化する法案が何度も提出されて、2006年には「動物企業」に対する破壊や停滞をもたらす行為を処罰することを目的とする「動物企業テロリズム法」が施行されたんです。その前後から、活動家に対する弾圧が強化されたので、活動家たちは、冷戦期にあった赤狩り=「レッド・スケア」になぞらえで、緑狩り=「グリーン・スケア」と呼んだそうです(注61)。動物企業っていうのは「アニマル・エンタープライズ」の訳なんですけど、企業といっても、大学の研究所とか動物園も含まれるので「産業」と訳したほうがわかりやすいかもしれないです。活動家は、破壊活動をやるので、それで人が死ぬことがあれば終身刑ぐらいになるみたいです。

ミュンヘンモーターショーで車を水没させ抗議 する「エコ・テロリスト」たち(2023)
【引用】https://www.ferrarilamborghininews.com/blog-entry-21462.html?sp

 今まで訴えられた人は何をやって、どうなってるん?
 何十年かの判決を受けた人がいるみたい。動物実験やっているところに入り込んで動物逃がしたり放火してたリ、環境破壊をする大規模施設を壊すとか、オフロードカーを売っている車の販売店に放火するとか。それで捕まって獄中で自殺した人もいるんですよ。
 一部の州だけの法律ではなくて?
 アメリカ全土。下院かなんかで決議されて法律になっているんです。
 牛や鳥もそうやけど、アメリカでは企業が一元化されてきてて。前は色んなとこで作ってさばいて、それで肉として出荷してたけど、今はどんどん一元化してでかくなって、屠畜するところが三つか四つぐらいしかないんよ。それので隠し撮りしたやつ見ると、牛とかやってるのえぐいんよ。さばくのもきれいにせないかんのに、内臓の、例えばうんこみたいな部分が入っちゃったりしてで、そんなことしたら、O―157とかそういう問題とかになるやろ。
 メチャクチャな生産ペースやからね。
 ミンチにしたりするのもえぐいみたいよ。
 さっき言った『ある精肉屋の話』という映画。あれ、なかなか良いドキュメンタリー映画で、肉屋さんって今のような販売だけでなくって、自分とこで牛を飼って、解体し販売までやっていっているわけですが、結局時代の流れで、そういった精肉屋も減っていき屠畜場も閉鎖に追い込まれていく家族の仕事と生活を描いたお話しです。当然差別の問題も入ってくるわけですが、屠畜のシーンでは、牛の頭をドカーンとハンマーでたたいてね、これ動物解放の人達に見せたら、どう言うかなと思ってね。一応、生き物の命をいただくわけですから・・・。

『ある精肉店の話』(2013)


 映画の話になってきたから、動物の話はこの辺で、アナーキズム映画の話しょか?
乱 ええよ。けど、もっとむちゃくちゃな話になるで。


アナーキーな映画って?
 『アナキズム』誌18号は、アナーキズム映画の特集だけど、アナーキズム映画って、どんなふうに特集するんか、ぼくはいまいち、わからへんのですが。
 ハリウッド映画にもアナーキーな映画ってあるわけでね。見てる人間と映画のそのものが表現してるのが結びついて、そこが・・・。
 そこをどう発見するかですよね。
 映画でね、アナーキストが出てきてなんかやるみたいな話なら、そらもう単に歴史劇かドキュメンタリーになるだけでね。それだけでは、アナーキズム映画にならないんですよね。
 実はそうじゃないですからね。小説読んだって、アナーキストが出てくれはいいわけじゃないでしょ。「これ面白いな」というのは、実は全然違うから。
 隙間からパッと浮かび上がってくるもの。
 こっちをインスパイアするものですよね。
 ギロチン社の映画の嚆矢としては、中島貞夫『日本暗殺秘録』(1969年)というオムニバス形式の映画の一つのエピソードとして出てくるだけやけど、「桜田門外の変」から始まって、右翼、左翼、アナーキズム・・・思想的に多様な日本テロリズム史。習作風の未完の映画と言っていいけど。しかし脚本家笠原和夫のアナーキー魂炸裂みたいな感じで良いですわ(注62)。

『日本暗殺秘録』(1969)


 へえー、ギロチン社をテーマにした映画が、ほかにもあったんだ。
 そう。ほかにも、神代辰巳が監督、長谷川和彦が脚本の『宵待草』(注63)ていうのがあって…『シュトルム・ウント・ドランクッ』とアナーキスト青春群像みたいなところが、似ているかも・・・期待して観たんやけど・・・。

『宵待草』(1974)のワンシーン

 面白なかったん?
 最初から5分ぐらいがまあまあ、すぐ動きが鈍くなって、これやったら、ギャング映画の方がアナーキーなのは、なんぼでもあるわ思って・・・。
 ギャング映画?
 ルイ・フイヤードの『吸血ギャング団』とか・・・以前対談でも触れた『ファントマ』のオリジナルを撮った人で、『吸血ギャング団』もその流れ。1910年代に暴れまわったアナーキスト・ギャングの映画化したやつ・・・まあこれはど真ん中過ぎかな・・・。
 どんなんやったらいいの?
 この前たまたま見た、森崎東のポルノ映画『喜劇特出しヒモ天国』(注64)という映画(笑)。京都のストリッパーの持出し・・・要するにおまんこ見せる連中の騒動の話、それがアナーキーの世界なんですよ。でもこれ、『アナキズム』誌18号に別で書いているんで、これ以上は言わんとくわ。

『喜劇特出しヒモ天国』(1975)のワンシーン

 誰が出てるん?
 まあ主なところは、山城新伍、池玲子、芹明春、カルーセル麻紀、殿山泰司、川谷拓三、藤原釜足、絵沢萌子・・・。
タ そうそうたるメンバー。
 ストリッパー、坊主、デカ、ヤクザ、ヒモ、アル中、障がい者、セクマイ、ジジイにババア・・・ありとあらゆるフラジャイルな人間が吹きだまってきて、そこで出来たのが生死表裏のコミューンみたいなお話。
 大概好きな映画って、変なんばっかりやから。え~!とか言う様なのが好きやんかヘルツォーク(注65)とか、デヴィッド・リンチとか(笑)(注66)。

ヴェルナー・ヘルツォーク (1942 -)
デヴィッド・リンチ(1946-)



 リンチは、高校時代に、アナーキストのロバート・へンライの『アート・スピリット』にインスパイアされた人ですからね。で、それとTM(超越瞑想)にもはまっているんですけど、比較で言えば、より人間のダークサイドが外在化、行動化していく様を映像化したのがヘルツォークだとすると、より内奥へ向かうのがリンチでしょうね。
 ぼくも好きやけど、え~っ何がええの?(笑)みたいな。あとはどんなんあったっけ?
 ヘルツォークと怪優クラウス・キンスキー(注67)のコンビは最強やね。キンスキーは奥崎謙三やね。

ドキュメンタリー映画『キンスキー、我が最愛の敵』(1999)


 (笑)それは言えてる!(笑)
 撮影中マジで銃ぶっ放したり、サーベル振り回したり「殺してやる!」とか言って、監督もイカレテいるから大暴れになる。あれはまんま奥崎。
 ヘルツォークは、ぼく見に行ったと思うけど、スペインの何やったけ?アギーレみたいなやつ。
 ああカルロス・サウラの『エル・ドラド』やね(注68)。
 『エルドラド』。あれすごかったわ。いきなり船が沈むんよ(笑)。そんで、え~みたいな、どうすんの?みたいな映画やった(笑)。

『エル・ドラド』(1988)

 あの映画はぼくにとっても特別な映画やね(注69)。
 あとね、埴谷雄高(注70)がね、今までみた一番良かった映画って言ってたやつ。誰やった? マリエンバートン?(注71)ほんまにつまらんの(笑)。乱君にさ、もう映画館出ようよ、言うてんのに、「出えへん」と言うから、最後まで見たけど、意味が分からんかったわ。何がええのかわからんかった。面白いんかあれ? ぼく言ったやん、出ようよって、ええから出ようって(笑)。

アラン・レネ『去年マリエンバートで』(1961)のワンシーン

 だからもう一回、見なあかんわ(笑)。
 え、何ですか、その映画?
 タナカさん、見て一回! DVDあるんやったら、あれ、見るべきやわ。ほんっま、すごいんよ!もうやめてくれよ!! あれアナーキーやな(笑)。ところで埴谷は、何をエエと言うてるの?
 グリフォス『国民の創生』、ヴィクトル・シエストレム『霊魂の不滅』、カール・ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』、ダグラス・フェアバンクス『奇傑ゾロ」・・・小川国夫との対談集『闇のなかの夢想』(1982年)で、埴谷雄高が観た映画の話をするんやけど、それがメッチャ映画詳しいんよ。

カールドライヤーサイレント映画『裁かるゝジャンヌ』(1928)

 え、誰が?
 埴谷雄高。淀長さんなみの詳しさで、映画館に小さい時から通い詰めたらしくて、どの映画も細部まで覚えてて、感心したわ。例えばピーター・ブルックの『モデラート・カンタービレ』なんか…(注72)。
 いや、さっき話してたんは、『去年マリエンバート』やんか。話戻すけど、あの映画、ぼく分からんわ、それが言いたい(笑)。
 ぼくはシンプルなのしかわかんないから、それ見てもわかんないかなー。
 いや、すごいよ。「もう見るのここでやめようよ!」って思うぐらい(笑)。今まで見たんで、もうちょっとよかったんで、どんなんある?
 爆睡したのは、ベルイマンの『秋のソナタ』。最近何十年ぶりかで見たら、面白かったっけ、逆に、アンゲロプロスの『シテール島への船出』(注73)が初見の感動がよみがえらなかった・・・最後亡命した革命家が、夫婦がどこも場所を失って、湖か海に浮かぶこんな板の上に浮かんでね、そこしか住むとこなくなるいう話なんやけどね、見たときには「これすごいな」と思ったけど、もう一回みたら、どうも・・・。

テオ・アンゲロプロス『シテール島への船出』(1984)のワンシーン

 それおかしいな。
 あれはおかしい。あれは最初見たときは良かったと思ったんやけど。
 そういえば、マリエンバートって、ドイツ語読みでしょ? チェコでは何やったかな?
 マリエンブルクじゃなくて・・・(注74)。
 そこ行ったことあるんですよ。温泉地なんですけど、温泉入られへんねん(笑)。お湯を飲んでるねん。あれ何なんや。映画はドイツのバーデンバーデンで撮っているけど。
 向こうは日本と達うんですよ。火山がないから鉱泉なんですよ。鉱泉飲むのが健康法。
 飲んでるよね、美味しないねん、それがまた。
 そういう所行くと、いろんな水があってボトルがあって、金持ちにとっては、そのミネラルウオーターの何をどうやって飲むか、というのが楽しみ。
 ドイツ人ばっかり来てるの。高いねん、ホテルもレストランも。すごい高原地にあるねんけど、何やったかな。
 ロシアのカフカス地方にそういう所ありますよ、温泉もあるみたい。
 チェコのもうひとつカルロヴィ・ヴァリというとこが有名で、マルクスが静養しとった有名な所で、そこの二つ行って、なかなか良い所でした。
 昔はロシア人がバーデンバーテンとか行ってたかな。
 ドイツ人ばっかりですよ、ぼく行った時。
 昔はロシアの貴族とか金持ちとかがドイツの保養所に行ってた。ツルゲーネフとか作家も。
 あ、いかん、話が横道にそれでもうな! 映画の話しよ! 乱君、ほかにどんなんがあった?
 アナーキーなやつといえば、『ハイル・ミュタンテ!電撃✖✖作戦』『セルビアン・フィルム』『ネクロマンティック』・・・『ムカデ人間』あかんな・・・ナチ物で『アイアン・スカイ』、『武器人間』は最近見たけど・・・。

『ハイル・ミュタンテ!電撃✖✖作戦』(1993)


『アイアン・スカイ』(2012)のワンシーン


 ええ、なんすかそれ。
 また訳の分からん映画ばかり観て・・・どんなん?
 『武器人間』はナチの作った改造人間の話やけど、『イナズマン・フラッシュ』に出てきたデスパー怪人みたいなのが改造人間で、ちょっとナチとはちがうやろって感じ、カメラがええと、『ブレアなんたら・・・』(注75)みたいなPOV(一人称視点)方式のドキュメンタリーもどきで、目が疲れるだけ。『アイアン・スカイ』は月面からナチが攻めてくる話やけど、ナチ・オタク向けでパロディ、ギャグも効いてておもろい。でもわざわざ月からこんでも、もう日本は占拠されてるか。
 ぼくがエエ思ったんは、ナチもんでディカプリオが出てる、何やったっけ?
 タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』やね。

『イングロリアス・バスターズ』(2009)

 そうそう。ユダヤ人部隊作って、おまえらに貸しがあるとかで、ナチの耳を100もってこい、とか、バットでボコボコに殺しまくるみたいな(笑)。ああいうのも、好きやね。
 耳100個ってまるで秀吉(笑)。
 普段は見る時間がなくって、最近だと飛行機で見たことがあるくらいですが、リーマンショック直後は、銀行強盗の映画が異様に多かったですね。イギリスのリバイバルの70~80年代の銀行強盗映画やら、アメリカの昔の20年代の『ボニー&クライド』みたいなののリバイバルみたいな映画がいっぱいあった。どのチャンネル見ても、銀行強盗の映画がバーッと並んでる。すごかったですよね、一時期。そういう事で不満を表現するのかなと思った。
 ちょっと前に見たのでね、アメリカの上院が、お前ら銀行強盗以上やないかとリーマンとかに言う。リーマンのCEOがリーマンつぶれてるのに500億持って行く。銀行強盗リスクあるやろと、お前らなしで500億持って行くのか、みたいな責めてるヤツを見た。
 ドキュメンタリーありましたね。
 確かにあいつらの言ってることもわかる。
 銀行を悪に見立てた映画で、結構大規模なのがありましたね。ヨーロッパの巨大な銀行が悪役で。
 リヒテンシュタインか何かの(注76)。
 そうそう。飛行機の中で見ると選択肢がないなーとか思いつつ、娯楽映画だと思って見たんですよ。それがけっこうすごい話で。
 巨大銀行が、アフリカのどこかの独裁国家と結んで、最後はイタリアかなんかので、仕返しに行くみたいな。最後イスタンブールでバーンって殺される。最後殺しにバンバン行く。意味も分からず殺しに行く。
 バンバン殺しちゃう。全部銀行関係。
 銀行悪役。
 見てるうちに、なんでかなと思ったんですけど、やっぱり恨み辛みなんでしょうね、銀行に対する。
 あれどこの映画やった?
 舞台はヨーロッパでしたがね。一匹オオカミみたいなのとその娘みたいなのが一緒に。
 イギリスの諜報員かなんか(注77)。
 単純に娯楽映画ですが、並べてみると同じ時期に銀行強盗なんですよ、全部。銀行強盗は良いイメージで描かれて、銀行は悪の象徴。
 格差物みたいなのも多いね。
 最近そうですね。『エリジウム』見ましたよ。金持ちは皆地球から逃げで、人工的な惑星みたいなところで生きてるんですよ。すごい良い生活をして。地球は格差社会どころじゃなくで、貧民ぽっかり住んでいて、彼らが金持ちのためのロボットを作ったりするんですよね。
 違う話やけどさ、火星移住計画が出てるでしょ? 今世界中から募集してるねん。片道切符で、帰って来れなくて(笑)。日本人も20人ぐらい応募してた。帰ってこれない、基本。ええ?とか思った。

『エリジウム』(2013)

 昔、テラフォーミング(注78)って、惑星環境を変えてしまって、居住出来るというの、火星とか最初挙がってたけどね。
 火星で住めないでしょ。
 住めない、住めない。
 ムチャクチャするなと思って。オモロいけど。
 地球だけですよ、住めるの。
 ぜひ安倍には火星に行って欲しい。日本の旗立てて下さい言うて。
 安倍で思い出した。ほんまムチャクチャなってる、安倍って。わからん間にムチャクチャなってるのにまだ支持率50%ぐらい。
 もっとあがるかもしれませんよね。
 ほんと、いややわー。あいつが靖国行ったら、ネットウヨが喜んで騒いでたし、ほんまむかつくわー。
 だから、今こそ辻潤だよね。
 でも辻潤だと、アル中で女好きで放浪して支援者からどつかれまくるんでしょ。ヴィーガンになるのとどっちがハードル高いでしょうねー。あるいは、大杉的な生き方を選ぶか。
 大杉になるんやったら辻のほうを選ぶわー、やっぱり。地震が起きたら殺されるやろ。それに、ぼく、イヌやネコ殺したくないで。
 じゃ、ヴィーガンですかねー。烏や牛や馬や豚を殺さなくていいですよ。
 いややわー、網の上にうんこ置くやつと同じになりたくないわー、それだけはいや(笑)。
 ディヴァイン(注79)みたいにうんこ食っちゃうって手もあるけど(笑)

ディヴァイン❤

 それはまた、ずいぶんアナーキーな・・・。
 なんでうんこたべなあかんねん。そんなんもっといやや!辻的な生き方のほうがなんぼかまし!
 結論が出ましたね、対談の。
 うん食べるより辻潤の方がいい?
の ええ?ちゃうやろー。なんでそうなるんよ、ねー?(第六章につづく)

2014年早春、大阪某所にて。『アナキズム』18号(2014年)掲載


辻潤と大杉栄の病気と障がい
(1)
1928(昭和3)年1月、辻はまこととともに日本を発ち、29年1月までパリに滞在する。肩書きは読売新聞社のパリ文芸特派員。滞在中に書いたものの多くは、「読売新聞」に送った「巴里通信」。「辻潤全集」第二巻(五月書房、1982年)の「巴里の下駄」という章で、その頃書いたものが読めます。パリ滞在中、辻潤はいろいろと書いていますが、まじめにパリの文芸を見聞したかどうかが、今ひとつわかりません。
(2)『大菩薩峠』は都新聞版が、論創社から新聞連載当時のままの形で編集された完全版がでています。2015年6月、全9巻で完結しています。
(3)「読書といえば先月一杯は手紙を書くことと『大菩薩峠』を読むことで殆ど漬してしまったといっていい。」「久しぶりに少年のような読書熱を呼び起こされた」、これも「巴里のお陰」だとわくわくした気分を述べています(「此処が巴里」『辻潤著作集1 絶望の書』オリオン出版社、1969年、241頁)。
(4)「どんな人間でも、労働の嫌いな点で、僕にかなう人間はいまい。第一、そいつがどうしても避けられないときているから、益々僕は考えただけでも嘔吐を催したくなる」(「うんざりする労働」同上、142頁)。
(5)「子供は船の中で一度通読し、パリへ来てからまたもう一度夜明けまでに寝ずに読み耽っているのでいい加減やめろと二三度注意した位だから」(同右、242頁)。
(6)辻潤は実際「東京でもこのロマンに読み耽った為入学試験にドロップした幾多の年少子女がありはしなかったか」(同上、242頁)などと『大菩薩』の青少年への悪影響を憂いて(?)ます。
(7)私は、アルコール依存症で、食事も取らないで飲みつづけることによる栄賽摂取の不具合か、食べていたとしても、多量のアルコールで吸収不良からくる栄糞失調かなと思っていたんですけど、辻潤とも面識のあった精神科医の三島寛に言わせると、「ヤミ買いでもしない限り生きてゆけない当時にあって、酒などのめるはずもなかった。そんなわけで彼のアル中も表面的には治癒状態にあったと推定される。慢性アル中患者の常として、一日中一定量のアルコールが体内に入っていないと、不愉快で元気がなく頭も冴えない。そんなときの辻は、萩原朔太郎が言っているように、まるで鮒のようにつくねんと閉じこもり、孤独で、沈うつであった」(三島寛『辻潤 芸術と病理』金剛出版、1970年、143~144頁)。要するに、元来生活力の薄弱な辻のことだから、ヤミ買いをして生きながらえようともせず、食い物があるうちにはそれを食べ、なければ水ばかり飲み、最終的にはそういった断食生活をするうちに栄養失調で衰弱死を迎えた、というのが三島の見解である。しかし酒すら口にすることなく、朽ち果てた辻ではあるが、それは動物が群れを離れ、姿を見せることなく死ぬ自然死と等しく、アパートの畳の上ということ以外ほぼ辻の願う静かな死ではなかったかという。私も同感である。
 ところで、辻が死んだ1944年11月24日は、マリアナ諸島の基地から発進したB29が東京を初空襲し、78人の死者が出ている。エノケンと共に一世を風靡したコメディアンの古川緑波の日記には、次のような記載がある。「十一月二十四日(金)/空襲警報発令。わが家の防空壕は、また水浸しなので、家族は皆、前の鈴木家の壕に入り、僕は、家の壕の階段の水の漬かっている際まで下りて、しゃがんでいた。解除は、午後三時すぎ」。しかし、緑波は一一月ひと月を見ても非常時下にも関わらずグルメ三昧の日々が綴られている「十一月二日(木)/午前八時上野駅集合、平駅三時半着。トラックにて、好間炭鉱へ。鉱山クラブへ泊まる。炭鉱だから、風呂は、じゃんじゃん沸いている。夕食、おかずは乏しけれど、地酒ふんだんにあり、大いに飲む。」「十一月七日(火)郡山、仙台と巡って、黒磯下車、那須温泉療養所へ、白衣勇士慰問。山楽に投宿。広間に座員一同並び、軍人援護会の人々と夕食。床の間の前に、陣取った僕の前へ、鳥鍋が運ばれて喜んだ。ところが、他へは出ない、我一人のみ。これは、一寸嬉しいような気まりの悪いものであった。酒は、十分あり、快酔。」「十一月八日(水)/宇都宮、宮桝座にて二回公演。八百駒という旅館へ投泊、此処の主人、大歓迎して呉れ、広間で大御馳走。サントリー七年を抜き、ビフカツ、シチュウ、そして白米。久々の豪華版で、久々の満腹感。」「十一月十四日(火)/K野所長邸の朝は、牛肉すき焼き。卵もあり白米である。昼食のアテがあるので、控えようと思うが、そうは行かない。山盛りの飯三杯食っちまった。(略)昨日の工場の課長が、ジョニーウォーカーの赤を一本、おみやげに呉れた。何たるよき朝であろうか。(略)八百駒へ行く。主人、ちゃんと用意して待ってて呉れ、支那料理色々に、ビフテキ、そして白米。朝の、すき焼きがまだ残っているが、腹ははち切れる迄食わん哉。・・・」「十一月十九日(日)/日野の東洋兵器慰問。そのお礼に、夜は下谷のB野氏邸で御馳走。スキヤの親爺出張の洋食、酒、ビール、そしてポタアジュ、チキンカツレツ、タンシチュウ、すなわち、大ご機嫌となる。」「十一月二十一日(火)霞ヶ関海軍通信隊慰問。サントリー七年三本と、虎屋の羊羹を礼に貰う。今日は海軍へ慰問と聞いて、子供寝ずに僕の帰りを待っていた。海軍だと、大抵、虎屋の羊羹を土産に貰うので、アテにしているのである。」(古川緑波『ロッパの非食記』筑摩文庫、1995年、64~67頁)。

古川緑波(1903-1961)


 「ヤミ買いでもしないと生きていけない」中で、当局と折り合いをつけ、大衆を友としたものと、ただ己のみを頼りにしたものの差異が際立つ。否、辻潤なら「変わらんよ。」と一笑に付すか。
(8)「当時辻は、上落合一丁自二十八番地の友人桑原邦治のアパート「静情寮」に寄宿していたが、当日朝、桑原の家内が、いつもの通り声をかけてみると、その日に限って返事がない。不審に思って、戸をあけてみたら、何のことはない。サンザン世に鳴らした文士辻潤ともあろう者が、全身虱に喰われで息を引きとっていた!」(玉川信明『放浪のダダイスト辻潤』社会評論社、2005年、376頁)。
(9)「自分の発狂の原因は勿論そんなに簡単だとは思っていないが、その直接な原因が貧困と過度の飲酒の習癖から来ていることだけは自分にも充分了解できる。そうして貧困は自分の無能と懶惰とから、また過度の飲酒癖は自分の抱いている志向と放将な精神から産まれたものであるとすれば、いずれも自業自得でどこへも尻の持ってゆきどころはないわけである。」(「天狗になった頃の話」『辻潤著作集二 痴人の独語』オリオン出版、1970年、137頁)。
 辻の天狗時代は、1933年(昭和7)48歳の時である。辻の開成中学時代の同級生だった青山脳病院院長斎藤茂吉の診察を受け入院したものの、一ケ月ほどで退院、その後幡ヶ谷の井村病院に入院したが、これまた一ケ月ほどで退院となっている。前出の三島は、息子のまことに病名を尋ねたところ「なんでも老耄(ろうもう)性なんとかだと言われたが、良く覚えていません」という返事だった。三島は、まことの言う「老耄性なんとか」を「老耄性痴呆」のこととした上で、入院期間の短さからこの病名は「あまりあてにならない」と言い、辻の飲酒歴からみて、「アルコール幻覚症」と診断されなかったのが不可解としている。さらに、辻が慈雲堂病院に入院した時も、ついていた病名「初老期精神病」にも触れて、当時のまだアル中による精神病研究が進んでなかったのと、日本酒が外国の酒に比べてアルコール度数が低い事、日本人の酒に対する耐性の弱さなどから、諸外国と比較して、重症のアルコール精神病が少ないとされていたことを指摘している(三島、113~114頁)。
 しかし、元々まことが口にした老耄性(痴呆)」にしても、「早発性痴呆」(=精神分裂病)、「麻痺性痴呆」(=梅毒)と並ぶ診断名として、1920年代~1930年代に確立してはいたが、後者二つの痴呆が、犯罪などの逸脱行為として、医学的にもメディア的にも関心を呼んだのに比して、「老耄性」の方は、戦後の「老い」の表象として語られる「痴呆」、昨今いわれる「認知症」とは異なり、マイナーな診断名だったようである(関谷ゆかり「戦前日本社会における(痴呆)概念の分析」『ソシオゴロス』No.33、 2009年、65~78頁)。つまり、アル中は見過ごされ、「老耄性痴呆」は、注目されるようなものではなかった。しかし辻潤だけは己の状態を正確に把握していたと言えるのではないかと思う。
(10)1933年、辻が名古屋の東山寮に収監されたとき、「おやじは病院の庭で雀を頭の上や肩に遊ばせていた。この狂人はホンモノだ」と、引き取りにきたまことは感じたそうである。
(11)アル中幻覚者の一例。この人は、39歳の男性の郵便配達人で、救急入院10週間前まで6~18本のビールを毎晩飲んでた人です。彼は仕事中に漠然と人々の視線を感じ始め、配達を続けているうちに仕事中の人々や近隣の人々が彼を殺す計画について話している幻聴が聞こえてきた、と言ってます。本人には病識はありませんでした。(カプラン『臨床医学テキスト第二版』メディカル・サイエンス・インターナショナル、2004年、449頁)。これとは別の人が語った幻覚の事例として、次のようなものもあります。「私は半ば放心状態で白い壁面を見つめていた。すると壁の中から黄色い円盤状の物体が、次々と私の方へ向かって飛んで来て。ベッドの足許に積み重なって着陸した。」「私は時間の感覚を失い、呆然として目をつむった。するとまたしても、赤や黄色の強烈な原色の世界に引き込まれて行った。めくるめく原色の世界を歩さながら、私は激しい頭痛を覚え、奈落の底へ転落するように、『ドカーン!』と倒れた。その瞬間である。『バラ バラ バラ!』と頭蓋骨が砕け散ったのは。『し、しまった』私は大声で叫んだ。見よ!床一面に私の脳細胞が散乱しているではないか。それらは通路やベッドの下に、細かい破片となって輝いていた。『ああ、どえらいことになったぞ!』私は絶望的な悲鳴を上げると、夢中になって破片を拾い集めた。それらはデリケートな歯車のついた不恰好な〈細胞〉に見えた。私はそれらを一つ一つ、自らの頭部に当てはめてみた。何とも気の遠くなるような作業だった。『頼む誰か手伝ってくれんかい?』とこの人は、仲間の患者たちに細胞破片集めを手伝わせます(邦山照彦『アル中地獄』第三書館、1989年、27~28頁)。
(12)昭和7年3月末、目蒲線の洗足に住んでいた頃、辻は「天狗になって」家の二階から飛び降りたそうです(玉川、325頁)。「寝床の樫で、彼はいつもより凶暴に私の唇を求めました。そして次の行動に移りながら、彼は私の首を絞めつけようとするのです。私は彼をふり切って階下へと逃げ降りました。酔狂ではない判然と狂ったように感じられました」「翌朝彼は二階の窓からひさしにおりー俺は天狗になったぞーとどなりながら、パッと下へ飛びおりました」(玉生清「辻潤の思い出」『辻潤全集』別巻、五月書房、1982年、246~247頁)。翌日、読売新聞に「辻潤天狗になる」と報じられたそうです(玉川、329頁)。
(13)「僕はこんなけんかに夢中になっている間に、ますます殺伐なそして残忍な気性を養っていったらしい。なんにもしない犬や猫を、見つけしだいになぐり殺した。そしてある日、[中略]そのときにはことさらに残忍な殺しかたをしたように思うが、とにかく一匹の猫をなぶり殺しのようにして家に帰った。[中略]夜中に、ふいと僕が起きあがった。母はびっくりして見守っていた。すると僕が妙な手つきをして、「にゃあ」と一声鳴いたんだそうだ。母はすぐにすべてのことが分かった。[中略]そのとき以来、犬や猫を殺さないようになった(大杉栄『自叙伝』土曜社、2021年、38~39頁)。(14)「大杉君は、[中略]決して話上手の方ではなくで、むしろ詫々として、ときどき行き詰まり、あちらへつっかかり、こちらへ突き当って、しばらく正道へ立ち戻るといった調子であったが、しかし今にして思えば、そのどもって、口をもごもごさせて辛辣に社会の諸相を痛撃するところに、大杉君の全人格が如実に現れていたものとみることができる」(鵜飼桂六「大杉栄印象記」『社会評論』1924年9月、10頁。文字は現代風にしています)。(15)「日本のメエ・デエ」について大杉は「二、三〇分」話したと報告してます。もしかしたら、フランス語なら、どもらずに話せたのかも?
(16)大杉栄『自叙伝』土曜社、144~145頁。
(17)「吃音症(stuttering)」は、幼少期から始まる障がいで、「吃音のある子どもの多くは心理的に非常に苦しんでおり、吃音が原因となる日常生活上の問題を抱えている。」症状の特徴としては、話し言葉の流れが不随意に中断してしまうことである。「話し言葉の流暢さを妨げるような、さまざまな運動性の事象が発生する。」すなわち「音の繰り返し、音の延長、間投詞、単語の中の休止、停止を避けるための単語の代用が目立つこと、聞き取れる、もしくは無言の停止である。」これらが一つないし複数見られ、重症となると、「呼吸が乱れたり、唇をすぼめたり、舌を鳴らしたりするなどの二次的な症状が出現する。会話が中断している問に、しかめ面や頭のけいれん的動き、体の異常な動きといった付随的な行動が起こることも稀ではない」。吃音症の原因について定説はない。精神分析理論では、吃音は、葛藤、恐れ、神経症の反応として生じると考えられていたが、エビデンスは確立してはいない。ただ強いストレス状況では悪化することは認められている。他に脳に起因するとする説や、環境因によって条件付けられるとする等諸説がある。しかし、吃音者であることから、どもることをありありと予想して恐れたり、話す事を求められる状況を回避し、恐れや恥ずかしさを見せたりする。重症者は、欲求不満、不安、抑うつが多いとされる(以上、カプラン、1292~1294頁より)。
(18)この状況は、大杉白く、以下のようだそうです。「僕にはごく内気な、恥ずかしがりのところがある。ちょっとしたことですぐ顔を赤くする。人前でもじもじする。これも生まれつきではあろうと思うが、吃りの影響も決して少なくあるまいと思う。また、言いたいことがなかなか言えないので、じりじりする。いらだつ。気も短くなる。また、人がなにか笑っていると、自分の吃るのを笑っているのじゃあるまいかと、すぐ気をまわす。邪推深くなる。というような精神上の影響がかなりあるように思う。」(大杉栄『自叙伝 日本脱出記』岩波文庫、1971年、109頁)。
(19)飛矢崎雅也『現代に甦る大杉栄―自由の覚醒から生の拡充へ』東信堂、2012年、124~125頁。飛矢﨑雅也「スタイルとしてのアナーキズム―大杉栄における「障害disorder」の問題」『大杉栄と仲間たち『近代思想』創刊100年』ぱる出版、2012年。あんまり関係ありませんが大杉と荒畑寒村が編集していた『近代思想』第1巻第4号(1913年1月の最終ページのあとに広告ページがありますが、その2ページ目に、日本薬学協会が刊行している本の広告が出ていて、その冒頭に掲げられている本が『どもり矯正法』(再版)です。著者は日本薬学協会主幹島田修治。「本書は墺国医学博士コオン氏のドモリ矯正法に則り著者が研究の結果世に公にせしもの也。此の書に就て矯正せば如何に『ヒドキ』ドモリの人も数十日の練習にて矯正し得て正音の人となり得る良書也」とあります(原文を多少今風にしています)。序文を書いているのが陸軍教授西村豊とありますので、その辺がちょっと怪しいかも。大杉が読んだかは不明ですが、ここから広告料を取ったということは、ちょっとは関心があったのかも。
(20)梅森直之「号令と演説とアナーキズムI大杉栄における「吃音」の問題」『初期社会主義研究』11号、1998年。
(21)「実をいうと、自分のような人間は少年の時分から、まだ一度も所謂「英雄」を願望したことも憧憬したこともないのである。従って、アレキサンダアや、ジンギスカンに感服したこともないのである。」「マルクス、レーニン、トルストイ、ムッソリニ、クロポトキンいずれもみな偉大なる人物に相違ない。[中略]単に生きてゆくという上からいえば、われわれは食料の生産に従事する人々なしには一日も生きでゆくことは不可能ではあるが、それ等の英雄偉人なしで生きる上には一向に差支いないようである。」 (「「英雄」は過ぎゆく」『辻潤著作集二 痴人の独語』オリオン出版社、1970年、116~119頁)。
(22)辻は、1895年(明治28)12歳の頃。神田お玉ヶ池の天神真楊流磯又右衛門の道場に通っていた。天神真楊流の祖は、磯又右衛門正足(1863年没)。元紀州藩士。15歳の時京都に出て一柳織部より楊心流を7年修行、その後、本間丈右衛の真神道流に入門、わずか6年で奥義を極め、諸藩の師家と闘うも不敗を誇る。特に多数相手の当身技の有効性を見出し、相手の生理的弱点に対しての打撃技「真の当」を、投げ技、絞め技、関節技に組み込む事によってその威力を増大させた。京都北野天満宮に参籠した際に、楊柳の風になびくさまから悟りを得て、「天神」と、かつて修行した流派の名称より、「真」「楊」を組み合わせ、天神真楊流とした。柔術百七十流派で最も優れた流派と言われ、門人も5千人余を抱えるに至った。講道館柔道は、初代嘉納治五郎が、自身が学んだ天神真楊流と起倒流をベースとしてすべての危険な技を排除してスポーツ化したもの。1893年(明治26)に、五世正幸が「天神真楊流柔術極意教授圃解」を刊行するとあるので、辻が習った時もこの五世なのか、ちなみに正幸は、嘉納の師三世正智の孫にあたる。
日本古武道協会オフィシャルサイトhttp://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/005(2017年7月13日閲覧)および綿谷雪『武芸流派一〇〇選』秋田書店、1972年、116~117頁)。
(23)大杉は中学校に入った頃に「坂本先生」が開いた柔道場に通う。「この柔道はずいぶんよく勉強した。午後と夜代わる代わるあったのだが、僕はほとんど一日も欠かしたことがなかった。[中略]そこではまた棒も教わった。縄も教わった。棒はことにお得意だった。今でも棒が一本あれば二人や三人の巡査が抜剣してきたところで、あえて恐れないくらいの自信がある」。「[編注九四]坂本先生―坂本謹吾。旧新発田藩士で柔術の師範。講武生・大杉栄に与えた賞状「明治三十一年稽古衆ニ超ユ佃テ葱二賞ス」が現存する。後に東京で道場を開き、大杉との交際は終生続いた。殺害された事件の時「あの大杉が、むざむざ一人や二人の手で殺されるわけはなかったと思う」と語った。「坂本屈伸道 弾力性健康法」の著書がある」(大杉栄『自叙伝』土曜社、296頁注94)。
(24)「ムラでは男色のからむハナシも多い。東播地方では明治中頃、大正初頃に男色が流行したというハナシもあった。九州あたりのように目立つほどではなかったが、ときどき流行したのと、美童があると若衆や成人たちが取り合ったり、夜這いで喧嘩したハナシも多い。大正初頃に私たち子どもが、あのオッチャンと、ここのオッチャンは兄弟やなどと噂したのがある。その頃に剣舞が流行し、それが流行の元になったらしい。したがって男の家への夜這いもあったのである。」(赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、1994年、95頁)。明治維新後、近代化がすすむ中で、「それまで公然と行われていた男性の売春や、武士道の美名のもとに続けられてきた武将と小姓との関係が、けがらわしい不自然な快楽とみなされることになった。もはや男性の恋人同士は、こっそり愛し合わなければならない。」ところが、「武家社会の同性愛は、いつの間にか陸海軍の内部に受け継がれていたのである。」敗戦に到るまでは、「多くの軍人、特に士官と兵の間は、性的な愛情でかたく結ばれていた。」(秋山正美『ホモテクニック 男と男の性生活』第二書房、1968年、81~82頁)。まあ明治以降の近代化ごときで人間の持つ自然で多様なセクシャリティを根絶やしにできるはずもないわけでね、当然といえば当然のこと。近代化以前の「それまでの」性愛については、氏家幹人『江戸の性談 男たちの秘密』講談社文庫、2005年、がコンパクトにまとまっていますので関心のある方はご一読を。
(25)「女ばかりでなく、オトコにも手を出した。野枝が「青緒」の仕事を手伝っている時分に、辻は雷鳥はもとより社内の新しい女たちと知りあいになったが、そのうち美人の荒木郁子のところへ、彼女が結婚後もしばしば訪れていた。ところがある日郁さんの不在中に、中学三年くらいになる息子を犯して、朱に染まった下着をこれみよかしに台所へ放り出していった。母親はあとで大家のおばさんにこの話を聞かされて、辻を訴えてやるといきまいていたそうである」 (玉川、208~209頁)。
(26)「さっきTのいった日刊と週刊のH新聞がどうしてこの家にあるのか不思議でならなかった。日刊の方はそれから七年前、週刊の方は10年ばかり前に、DやSなどが出していた同志の機関であった。そして、それはTがかつて愛読してその全部をしまってあるのだと聞いて、僕はびっくりした。しかし今までとは違う眼で、Tの方を向いた」(大杉栄「死灰の中から」『大杉栄集』筑摩書房、1974年、32頁。かな遣いなどは現代風にしています)。(27)「かねてから関心を持っていた伊藤野枝と辻潤との往復書簡[中略]「Tと私が書いた手紙を入れた袋を私が持ち出すと、いやがつて片附けろ片附けろと云ったTが此度の事件が起きると持ち出して来ては拾ひ読みしたりしてゐる」という二人の手紙。それは「大きい二つの袋に、一ぱいつまつ」ていて、「苦しい、辛い、しかし本当に楽しい、私たちの満一年半以上もおんなしに続いて来た恋」の手紙と野枝は言っているのである。[中略]その手紙を見たという中西悟堂の一文「辻潤との最後の日」[中略]を少し長くなるが引用する。/昭和一八年八月二七日の僕の日記に「珍しや辻潤。吉祥寺の店主吉田音次郎とともに来訪[中略]「彼を見ていた僕は、何かそゝられる気持ちになって[中略]言った。「ねえ。この風呂敷の中、なんだい。見せてくれないか」「よからう。見せてやらう」と言って、自分の手でこだわりもなくあけた風呂敷の中は?/僕は目頭が熱くなった。たまらんものを見せるなあ、君は・・・と感傷的になりながらも、一つ一つと取り上げて僕が読んだものは、ほかならぬ伊藤野枝から彼に宛てた手紙とハガキの束ではないか!」/この野枝の手紙は辻の訳稿などとともに柳行李に入れてこの後、石井漠夫人に預けられた[中略]そして[中略]辻は死去した。一九四五年(昭和二〇)年、五月二四日、「米軍のB29二百機による波状爆撃で自由が丘の石井漠スタジオは全焼した」[中略]辻が大事にとっておいてくれた野枝の手紙も、石井漠舞踊詩研究所の炎上とともに、灰になってしまったのである」(堀切利高「「定本 伊藤野枝全集」を編集して-まえがきにかえて」『野枝さんをさがして 定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説』學藝書林、2013年、4~6頁)。
(28)「大杉他二名」に関する感想を新聞記者から問われた辻潤は、当惑しながらも、「御推察の上よろしいようにお書き下さい|」と丸投げすると、辻が伊藤野枝に対して「愛憎の念が交々」起こった、と書かれた。それを受けて辻は次のように述べている。「新聞では自分のことを『野枝の先夫』だとが『亭主』だと書くが如何にもそれに相異はないが、「僕のレエゾン・デエトルが野枝さんの先夫でのみあるような、又恰も僕がこの人生に生まれてきたことは伊藤野枝なる女によって有名になり、その女からふられることを天職としてひきさがるようなことをいわれると僕だとて時に癪にさわることがある。」「僕の思想や感情の出発点に対して全然無智な猫杓子共は、自分のことを棚へあげて時々知ったか振りの批評がましいことをやるが甚だへソ茶でもあり、気の毒でもある。」(「ふれもすく」『辻潤著作集四 ですペら どうすればいいのか?』オリオン出版社、1970年、102~103頁)。(29)「僕は幸いにして今なお恋愛を続けている、恐らく、この恋愛は僕の生きている限り続くであろう。野枝さんの場合に於けるが如き蕪雑にして不自然なものではなく、僕の思想や感情がようやく円熟しかけてきてからの恋愛なのだから、遥かに高貴でもあり、純一でもある。そればかりか僕は更に若くして豊満なる肉体の所有者から愛せられている。彼女は僕のために一生を犠牲に供する覚悟でいる。それを考えると、僕は無一物の放浪児ではあるが、一面中々の幸運児でもあるのである。故に僕は一代の風雲児をあまり羨望しようとはしないのだ(「ふれもすく」同右、107~108頁)。
(30) Ito Noe, Frauen in der Revolution, Wilde Blume auf unfreiem Feld, Herausgegeben,eingleitet und ubersetzt von Akiko Terasaki und Ilze Lenz, Berlin: Karin Klamer Verlag, 1978.
(31)伊藤野枝「乞食の名誉」『伊藤野枝全集』第一巻、學藝書林、2000年、245~266頁。
(32)エイゴとシャクハチとバイオリンなので「エイ・シャク・バイ」だそうです。宮島資夫そう言ってからかったとのこと(玉川、154頁、および、「エイ・シャク・バイ」『辻潤全集』第四巻、316~373頁)。ちなみに、バイオリンは佐藤謙三が教える予定であった。
(33)「エイ・シャク・バイ」です(笑)。
(34)大杉豊「大杉栄、親・弟妹との絆」『初期社会主義研究』15、18~28頁。ちなみに、この末の妹さんが、大杉と一緒に殺された橘宗一のお母さんです。
(35)「先日久しぶりにこの雑誌の指集者S氏を尋ねたら、たまにはなにか書けといわれて、ふと萩原朔太郎の手紙のあることを思いだし、その手紙を種にして朔太郎のことでも書いてみようかという約束をしたが‥」(「地神の独語」『辻潤全集』第四巻、五月書房、1982年、340~349頁)。
(36)「彼は[中略]偉大な話し手であり、つかの間の談話のために、彼の才能のすべてをかたむけつくして、いささかも悔いないような性格の持ち主であった。[中略]喫茶店の一隅で、わたしにむかって、ハックスリーを論じ、パレートを論じ、ハックスリーとパレートとの関係を論じ、最後に尺八を取り出して、「ハトポッポ」を吹いてきかせ、完全にわたしを陶酔状態におとしいれてしまった一部始終を、今もなお、昨日のことのようにありありと思い出す」(花田清輝の回想。武田信明「解説 めらんじゅ」『ですぺら 辻潤エッセイ選』講談社文芸文庫、1999年、253頁を参照)。
(37)カットアップ技法自体は、次のようなものです。「カットアップは(紙に印刷された)完成された完全な直線的テキストを使って、それを少数あるいは単一の語にバラバラにすることで実行される。それからバラバラにされた断片は新しいテキストに組み直される。この再編はしばしば驚くような新しいフレーズになることがある。一般的なやり方はテキストが印刷された紙を四つに(長方形に)裁断し、それらを並べ替え、でたらめな言葉は即興的かつ斬新な創意によって変えつつ、混ざりあった散文をタイプライターで書き起こすことである」しかも、元々は1920年代、トリスタン・ツェラたちダダイストの試みがルーツとあります。ウィキペディア「カットアップ」参照(https://ja.wikipedia.org/wiki/カットアップ2017年10月11日閲覧)

とすりゃ、辻とバロウズが似ていても不思議はないんですね。まあちょっと比べてみます。

「貿易風にこもる古代の邪悪な香り―静寂な廊下に漂うビン詰めされた女の臭いだ―「映像というものが存在できない王国でわれわれは交差する―影のない、遺物のないこの夢を庭園の最後のテラスで血をしたたらせながら私ははぐくんだのだ―セックスの夜明けと夢の肉体は住所を残さなかった―ワタシはイースト・セントルイスのすばらしい夜を知っている1時間はないのか、残っていないのか?―[以下略]」(ウイリアム・S・バロウズ『爆発した切符』サンリオSF文庫、1979年、177頁)。

「忘却来時道―混沌―猫と婆さん―An other Ken―般若―アーキンチャニア―鳩居堂―番茶―ウイスキー―土瓶―深山聚落―摩詞止観―ヘルプ!ヘルプ!アバロウキテシュバラアーライトモのチンチョウ―迅電光、―撃石火―小式部―苦集滅道―六波罷密―ナウモフ―植物のように[以下略]」(「無想庵のプロフィル」『辻潤著作集1 絶望の書』オリオン出版社、1969年、149頁)。

 比較してみると、辻潤の方は単語でつないであり、そこはバロウズとは異なるので、カットアップを用いたとはいえないが、意識でコントロールされた言葉を突破しょうとする狙いは共通したものがあるのかなと思います。(38) 同志社大学の野溝七生子。
(39)「 ・・・昔馴染みの白木の殿堂が復活しているのを発見して久しぶりで其処へ腰を落ち着けた。そこは沢の鶴を飲ませる純粋な縄暖簾で如何にも瀟洒として女気がないので私達はそんな風に命名しているのだ。元の合羽橋通りで六区の入り口に近いいなか屋という酒場なのだ。」「従って私はカフェへはあまり出かけない。なぜならカフェにはうまい日本酒がなく、第一あったにしろ酒の肴がない。」(「どりんく・ごうらんど」『辻潤著作集一 絶望の書』オリオン出版社、一九六九年、四三~五一頁)。
 酒場放浪記で知られている吉田類はこんなことを書いている。「飲んべえが酒場に求めるものは酒だけじゃない。安くてうまい酒肴、肩肘張らず楽しめる気安さ、女将が優しいといった居心地である。十条は駅前のロータリー脇の路地を入ってすぐの「斎藤酒場」には、それら全てが揃っている」(「吉田類大衆酒場100選」『日刊ゲンダイ』2014年、3月14日号)。文人呑み助の雰囲気が良く似ている。辻も現代に生きていれば、酒場探訪などのスキマ的仕事で糊口をしのいだかもしれない。
(40) 辻潤最後の愛人は松尾季子(としこ)だと玉川が書いてますが?(玉川、343頁)。
(41) 奥崎謙三「アナキズムの本に学ぶところがない」『奥崎謙三服役囚考』新泉社、1995年、209~213頁。
(42) 大杉は、新聞『万朝報』と出会いそこで秋水(幸徳)の論文に驚く。「彼の前には、彼を妨げる、また彼の恐れる、何物もないのだ。彼はただ彼の思うままに本当にその名の通りの秋水のような白刃の筆を、その腕の揮うに任せてどこへでも切りこんで行くのだ。ことにその軍国主義や軍隊に対する容赦のない攻撃は、僕にとってはまったくの驚異だった。軍人の家に生まれ、軍人の間に育ち、軍人教育を受け、そして軍人生活の束縛と盲従とを呪っていた僕は、ただそれだけのことですっかり秋水の非軍国主義に魅せられてしまった。僕は秋水の中に、僕の新しい、そしてこんどは本当の「仲間」を見出したのだ。が、たった一つ癪にさわったのは、僕が水のしたたるような刀を好きなところからひそかにみずから秋水と号していたのを、こんど別に秋水という有名な男のあることを知って、自分のその号を葬ってしまわなければならないことだった。」(大杉『自叙伝 日本脱出記』140頁)。
 余談ですが、大戦末期に日本がドイツのMe163のコピーであるロケット局地戦闘機の名前が「秋水」で、なんでもある海軍少尉の「秋水(利剣)三尺露を払う」という短歌から名づけたとのこと。

ロケット局地戦闘機「秋水」

(43)1923年6月、当時政府が準備していた「過激運動取締法」に反対する請願署名をするために種蒔き社が集会を開催する。アナ派は直接行動で法をつぶすべきだと考えていたため、ボル派によるこの集会をつぶすために参加。署名をめぐる口論をきっかけに大混乱が始まる。「その時である。当然、クワックワックワッというような奇声を発して、テーブルの上に飛び上がった男がいる。小柄で、口ひげを生やした人品卑しからぬ紳士だが、この混乱の真只中を、テーブルからテーブルへと渡り歩き、手を振り足を振り、何ともいえぬ奇妙な格好で踊り回っている。/これはさすが、いきり立っていた連中もすっかり度肝をぬかれてしまった。みんなアッ気にとられて眺めていた」(玉川、240頁)。
『浮浪漫話』にある「Melangé」という文章に、辻は次のように書いてます。「君は文士か?」「否(ノン)」「ソシアリストか、アナキストか?」「僕はこの世の一切の職業と、主義名称とを唾棄する」「ならば、君は何だ?」「学究乞食(スカラア・ジプシイ)とでも呼んでくれたまえ」。辻が「スカラア・ジプシイ」と自称していた、という話は次の文章でも書かれています。「そういう喧騒の中で、年長者でもあった辻潤は、スカラー・ジプシーと称して、つかず離ずれ(ママ)、いつでもひょうひょうとして、得意の尺八を吹奏したり、女給相手に歌ったりしていた。」「いわゆるマイナー・ポエットばかりである。世評での「一流」の大作家には目もくれず、小つぶでも独自なものを選んだところに、スカラー・ジプシーを自任する辻潤の真面目があったといえるだろう」(岡本潤「三人の会とスカラー・ジプシー」『ニヒリスト 辻潤の思想と生涯』松尾邦之助編、オリオン出版、1967年、247~248頁)。
(44)松尾邦之助によると辻は1942年に「ああ、志賀直哉まで、こんなことをいうようになった」と言っていたそうです。
(45)ほんとは入っていたみたいです。「オレも(文学報国会員)のひとりになっているそうだがまだ一度も会合に出席したこともなければ原稿の注文を受けたこともない。木村毅の名前で出ている非凡閣の人名辞典にはオレが放浪中に死んだことになっている」とあります(玉川、388頁)。
(46)辻は1910年にシュティルナーを知り、1912(大正元)年前後には『唯一者とその所有』の英訳を読み始め、1915年に同書の序詞「万物は俺にとって無だ」を訳載(玉川、227頁)。大杉はこれより三年前、1912年12月発行の『近代思想』一巻三号に「唯一者 マクス・スティルナー論」を発表している。ただしこの大杉の文章は、シュティルナーの著作を読んで善いているかがよくわからない。最初(一)と最後(六) の文章には「マザー・アース」1907年5月号に掲載された英訳版『唯一者とその所有』についてのM・バギンスキーによる害評と酷似している箇所がある(Max Baginski, 'Stirner: The Ego and His Own', in: The Mother Earth, Vol.2. No.3, May, 1907, https://theanarchistlibrary.org/library/max-baginski-stirner-the-ego -and-his-own)。そのため、内容の分析の部分についても大杉独自のものであると断定することについては慎重であるべきだろう。
(47)詳しくは、以下を参照。田中ひかる「サン・ティミエ国際アナーキスト会合参加記」『アナキズム』16、2013年、77~96頁。田中ひかる「現代アナーキズムの諸潮流 サン・ティミエで出会った動物解放派/ヴィーガン、アナーキスト・ブラック・クロス」『トスキナア』第17号、2013年、8~16頁。
(48)速水健朗『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』朝日新書、2013年。
(49)ウィキによると「ハイパーメディアクリエーター」だそうですが、どうでもよろしいことです。意味は「横断的に活躍するクリエイター」らしいです。のんきち君が言っているのは『オーガニック革命』(集英社、2010年)のことです。
(50)たぶん、ホメオパシーのことを言いたかったんだと思いますけど。(51)桜沢如一(1893~1996年)マクロビオテックの提唱者で、なぜかジョージ・オーサワという別名ももっている。出身は、大逆事件で処刑された大石誠之助と同じ和歌山県新宮市。なんか関係あるのでしょうが。
(52)Brian Dominic, Animal Liberation and Social Revolution: A Vegan Perspective on Anarchism or an Anarchist Perspective on Veganism, 3rd edition, Firestarter Press, 1997.
(53)川上卓也『貧乏神髄』WAVE出版、2002年。
(54)山内昶『経済人類学への招待』筑摩新書、1994年。
(55)鈴木宣弘『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』文春新書、2013年。(56)『ある精肉店の話』 監督 纐纈あや、2013年、日本、108分。(57)「フードバンクとは、品質上は問題なく安心して食べられるにもかかわらず、規格外、包装ミスなどの理由で廃棄されてしまう食品(食品ロス)を、企業や農業関係者から提供を受け、福祉施設など食品を必要としているところにプレゼントする活動を行う団体です[中略]日本国内でも、既に約15のフードバンクが存在すると言われています[中略]また、フードバンクを普及させようと、農林水産用省も補助金を始めました。」

NPO茨木バンクホームページ https://sites.google.com/site/fbibaraki/foodbank(2017年7月18日閲覧)。
(58)堤末果『ルポ貧困大国アメリカ』岩波書店、2013年。
(59)Ingrid Newkirk, Free Animals, The Amazing Truth Story of the Animal Liberation Front in North America, New York, Lantern Book, 2012.
(60)1951年、アメリカ生まれ。1979年に結成されたプリテンダーズのボーカル/ギター。73年頃からイギリスに渡り、雑誌『NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)』の記者となる。76年には最初のパンク・ムーヴメントの中でミュージシャンとして活動を始める。当時からセックス・ピストルズやクラッシュのメンバーなどとも交流があった。

クリッシー・ハインド(1951-)


(61)前掲の田中「現代アナーキズムの諸潮流」『トスキナア』第17号およびRandall Amster, Anarchism Today, Santa Barbara/ Denver/ Oxford: Paeger, 2012, p.76を参照。
(62) シナリオからちょこっと紙上上映してみます。

果てしなく青い空

一面の麦畑
すべて目くるめくような緑と陽光。
若草の中に、一杯の日差しを受けて横たわる古田大二郎。
大島つむぎと袴、襟元をきちんと正し、眼鏡の奥の眼は謙虚なはにかみともの静かな思慮を湛えている。
こちら側にはもう一人誰かが、その姿はカメラには入ってこない
「・・・・それで、一体、誰をやろうって云うの?」
大次郎「日本で、一番偉い人ですよ・・・」
「一番えらい人?・・・そんなことが、ほんとにやれると思っているのかい?」
大次郎「ええ、やれます。僕が自分で爆弾を抱いて自動車の下に飛び込むつもりなんです」
ひばりが鳴いている。
その姿を探し求めて太陽を仰ぐ大次郎。大次郎「・・・民衆の正義を踏みにじっている圧制者を、民衆全体に代わって僕たちが殺す。それだけのことです」
「民衆が、殺せって、君たちに命令したのかい?」
大次郎「いや・・・僕自身が僕にやれと命令してるんです」
「それじゃ、衝動だけのテロリズムじゃないか」
大次郎「そうかなア・・・でも、それでもいいじゃありませんか。支配階級は彼等を守る為の法律を持ち、軍隊や警察も持っている。大震災のドサクサにまざれて、大杉栄さんや野枝さん。それに朝鮮人まで大量虐殺をやって、誰も正当な罪に服していない。民衆には、自分を守る法律も、軍隊も、警察もないんですよ。テロリズムは、民衆の支配階級に対して、当然行われるべき処断なんです」
「だけど、テロリズムでは、君たちの考えている革命は絶対来ないと思うな。革命というのは、客観的情勢と大衆の結集した組織があって始めて出来るもんだよ。そんなテロリズムでは絶対出来ない。君たちは、結局は、自分の人生の上に、自分の血で美しい詩を書いてみたいだけなんだ」
大次郎「僕は、いつでも絞首台に上る覚悟でいるんです。命を捨ててかかっているんですよ。自己満足だけじゃそんなことは出来ませんよ」
微笑を湛えている大次郎
『日本暗殺秘録』 en―taxi、11号別冊付録(扶桑社、2005年)。
 
 追記、この対談の時点では『日本暗殺秘録』が嚆矢であるなどと言ってますが、後で新東宝から『大虐殺』(1960年)という、関東大震災時の大杉栄らの虐殺→ギロチン社による復仇テロというど真ん中の映画があったことがわかりました。大杉は細川俊夫、甘粕は沼田曜一という興味深いキャスティングです。ギロチン社に関してはややフィクション臭が強く、リーダーは、大杉の弟子?の「古川大二郎」役を天知茂が演じています。https://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/20146/article_6.html(2017年6月27日閲覧)

『大虐殺』(1960)

(63)『宵待草』(1974年)。監督神代辰巳。脚本長谷川和彦。音楽監督細野晴臣。出演高岡健二、夏八木勲、青木義朗、高橋洋子。浅草の活動小屋を根城とするアナキスト・グループが、交番襲撃、誘拐、銀行襲撃など、アナ、ボル、右翼三つ巴になりながらSturm und Drangとばかりに駆け抜ける。しかし嵐とはならず熱帯低気圧程度。
(64)『喜劇特出しヒモ天国』(1975年)。監督森崎東。脚本山本英明、松本功。撮影古谷伸。美術吉村晟.編集神田忠男。音楽広瀬健次郎。出演山城新伍、池玲子、芹明香、カルーセル麻紀、川地民夫、殿山泰司、下条アトム、川谷拓三、藤原釜足、中島葵、絵沢萠子、森崎由紀、蓑和田良太、司裕介、奈辺悟、野口貴史、岡八郎。他にカメオ出演で深作欣二、工藤栄一、渡瀬恒彦、名和宏 室田日出男、志賀勝。
(65)ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)は、ドイツの映画監督・脚本家・オペラ監督。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴィム・ヴェンダースと並んでニュー・ジャーマン・シネマの代表的監督と、ウィキペディアには何やら巨匠風の記述となってますが、ようはイカレ監督がイカレ俳優を使って人間のイカレぶりを味あわせてくれる人です。ウィキペディア「ヴェルナー・ヘルツォーク」参照(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルナー・ヘルツォーク2017年10月11日閲覧)
以下の作品がオススメです。『小人の饗宴』(1970年)。『アギーレ/神の怒り』(1972年)。『ノスフェラトゥ』(1979年)。『フィツカラルド』(1982年)。『コブラ・ヴェルデ』(1987年)。『キンスキー、我が最愛の敵』(1999年)。
(66)デヴィッド・キース・リンチ(David Keith Lynch)は、アメリカ、モンタナ州出身の映画監督で脚本家、プロデューサー、ミュージシャン、アーティスト、俳優・・・なんて説明しなくても映画『エレファントマン』(1980年)や一時TVでも話題になった『ツイン・ピークス』(1990~1991年)シリーズがヒットしているので、知られている人ではありますが、そんなこととは無関係に、私的には、『イレイザーヘッド』(1976年)、『ブルーベルベッド』(1986年)、『ロスト・ハイウェイ』(1997年)、『マルホランド・ドライブ』(2001年)と無間地獄へと引き釣りこんでくれる人です。最新作のインランド・エンパイア』(2006年)に至っては、車中からいきなりアウトバーンにほりだされた感さえいたしました。それに元々アーティスト志望ですから、写真も絵画もダークで良いですねえ。また、ミュージシャンとして、MVの仕事もしています。『MVで味合う、鬼才監督デヴィッド・リンチの映像世界』http://matome.naver.jp/odai/2137354137171867201(2017年7月18日閲覧)で観ることが出来ます。さらに『ツイン・ピークス』の新シリーズも始まってます。
(67)クラウス・キンスキー(Klaus Kinski)はドイツの俳優。生地は現ポーランド領である。スラヴ系の血を引いている。長女のポーラ・キンスキー、次女のナスターンャ・キンスキー、長男のニコライ・キンスキーはともに俳優となった。学生時代は不良で、ほとんど登校せず、教師から殴られる前に殴りつけたとかの武勇伝もあり、その後国防軍に入隊し参戦するも、死刑覚悟で敵前逃亡したとのこと。また本人が「自伝」で、女は老幼関係なし、母、姉、娘、視界に入った女性全員を自らの性的対象にしたことをカミングアウト。その結果、キンスキーは、「彼はヨーロッパで最も軽蔑される男となった」とゲス認定されるハメに。一方で、中身のほとんどが売らんかなのデタラメ説もあります。しかしキンスキーの死後、彼の娘ポーラから性的虐待があったとの告発がありましたから、「女性全員」はウソでないのかもしれません。キンスキーは、ヘルツォーク監督の五本の作品、『アギーレ/神の怒り』、『ノスフェラトゥ』、『フィツカラルド』、『コブラ・ヴェルデ』、『キンスキー、我が最愛の敵』に出演、強烈なキャラの俳優として吃立していますが、撮影現場でも常にスタッフ、監督はじめ撮影地での現地住民たちとも衝突、争いは絶えまなく起こり、批判も浴びたらしくて、そのあたりがドキュメンタリーの『キンスキー、我が最愛の敵』でも活写されており、見事なヘルツォーク版『ゆきゆきて神軍』となっています。以上自伝Ich brauche Liebe (Heyne Taschen Buch, 1977) に関する書評tomomori (http://www.amazon.co.jp/review/RHTXOL1XL965S)を参照しました。
(68)山田篤実『黄金郷伝説―スペインとイギリスの探検帝国主義』(中公新書、2008年)によれば、カルロス・サウラ監督の「エルドラド」はグアダピータ潮伝説を詩情豊かに表現しているとのこと。
(69)『エル・ドラド』(1988年) 製作・監督カルロス・サウラ、美術テリー・プリチャード。出演オメロ・アントヌッティ、ランベール・ウィルソン、ガブリエラ・ロエル、1560年。ペドロ・デ・ウルスアを司令官とし、ペルーのサンタ・クルース・デ・カポコヴァールを出航した400人からなる新大陸征服と黄金を発見すべく編成された大遠征隊の栄光と絶望の軌跡を描いた物語。カウロス・サウラは、この映画のアイデアを、スペインの作家ラモン・センデルの『ロペ・デ・アギーレの昼夜平分の冒険』(1962年)から得ている。センデルは、アナーキストで、亡命先のウルグアイの首都モンテビデオでこの小説を完成させた。主人公であるロペ・デ・アギーレは実在の人物で、遠征隊の兵士として、当初は総督の側に立ち反乱軍鎮圧に当たるが、役人殺害を契機に逃亡、エル・ドラド探検隊に参加するが、探検隊の内紛に乗じて隊長を殺害、粛清を繰り返しながら権力を掌握し、『神の怒り、自由の王にしてティエラ・フィルメ、ペルー、チリの王』を自称し、時のスペイン国王フェリベ二世に反逆します。センデルの小説には、明らかにスペイン内戦の敗者としての自身がアギーレに投影されていると言われています。先行するヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』や、もう一つのアギーレ小説の、オデロ=シルバの『自由の王ローペ・デ・アギーレ』(1979年)との比較論考を試みた野谷文昭「ロペ・デ・アギーレの表象をめぐって」(『れにくさ』3号、2012年)がおもしろいです。僕は、コンラッド『闇の奥』を元型とする「遡行映画」というジャンルを創って、カテゴライズしています、まあその代表的なものはコッポラの『地獄の黙示録』(1979年)です。当然『アギーレ/神の怒り』『エル・ドラド』も同ジャンルです。近年では、シーロ・ゲーラ監督の『彷徨える河』(2015年)も明らかにそのジャンルに収まります。B級映画では、ジョン・ボイトの怪演が光る『アナコンダ』(1997年)、魔法も使えないただのおっさんになったダニエル・ラドクリフ君がひたすら酷い目に合う『ジヤングル ギンズバーク19日間の軌跡』(2017年)とか。
(70)埴谷雄高 説明の必要のない人物ですが、1909~1997年、日本の政治・思想評論家、小説家。「青年期にマックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ」レーニンの著作「国家と革命」に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動に従事。検挙後は未決囚として豊多庭刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された。代表作は、大長篇小説『死霊(しれい)』。全12章予定で未完(ウィキペディア「埴谷雄高」を参照)。(2017年7月18日閲覧)

(71)『去年マリエンバートで』(1961年)。監督アラン・レネ、脚本アラン・ロブ=グリエ。黒澤明監督の『羅生門』「羅生門」に触発されて作られた作品ということです。ウィキに、ロブ=グリエも気に入ったというジョークがあったので、紹介しときます。どんな映画がわかると思うので・・・。

警官「怪しい男だな。この辺りで窃盗事件が多発してるんだが、お前がやったんじゃないのか?」
「違いますよ」
警官「本当か?昨日の夜も事件があったんだが、昨日の夜はなにをしてた?」
「昨日の夜は、映画を見てました。『去年マリエンバートで』って映画です」
警官「嘘じゃないだろうな?本当に見たというなら、どんな話だったか説明してみろ!」
(72)「このピーター・ブルックが自然を撮る名人ですね。川のそばの石畳、その上を風が吹いている。そして、夕方になると灯が点く。その夕方、観光船が川を通ってゆき、その向こうの島に葦が生えている。主人公がうちへ帰ってゆく途中では木の梢が下から空を見上げて撮られ、帰りつくと、苔むして蔦の這っている玄関が仔細に撮られる。」と、こんな具合です(埴谷雄高・小川国夫『闇のなかの夢想』朝日出版社、1982年、97頁)。
(73)『シテール島への船出』(1984年)。監督テオ・アンゲロブロス、出演ジュリオ・ブロージ、デスビナ・ゲルラヌー。シテール島とは、ペロボネソス半島南の海上に浮かんでいる島。ヴィーナスが上陸した場所として有名。「愛、美、永遠、歓喜、悦楽」を象徴する島です。ストーリーは面倒なので監督に解説してもらいましょう。「我が国の内戦(1944年10月~1948年8月)に参加して闘った10万人以上に及ぶ人々が―彼らはすべて左翼の闘士ですが―軍事的敗北の後にギリシャを去り、東側の国に赴いた。それらの国々に身を落ち着け、多くは家庭を築きました。祖国への郷愁と、いつの日か帰国できるという希望を胸のうちに固く秘めながら。『シテール島への船出』 における帰国した老人は、そうしたかつての革命家の一人です。」 で、この老革命家と妻は、帰国したものの、誰も彼らを受け入れようとはしないのです。というのは、この老人の存在が誰もが思い出したくない「敗北」を想起させてしまうからです。老革命家は失望しながら、せめて生まれ故郷で死にたいと願うのですが、それすらも許されないのです。「この人物は晩年に到って、生まれた祖国もイデオロギーの祖国も失った孤児と再びなるわけです。彼にはもはや行くべきところはありません。それゆえ、彼は海へ去っていきます。漂流する島のごとくいわば(ノー・マンズ・ランド)に向かって」映画は、老夫婦を乗せた浮き桟橋が静かに沖に向かっていくことでエンディングになります。僕は、初見時は、この悲劇をむしろアナーキズム的希望にも思ったのですか・・・(テオ・アンゲロブロス「この大いなる幻滅をどう語ったらよいのだろうか」『CINE VIVANT』No.12、1986年、2~3頁)。
(74)マリアーンスケ・ラーズニェ Marianske Lazneです。
(75)『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(アメリカ、1999年)ですね。
(76)リヒテンシュタインではなくルクセンブルクの銀行。
(77)『ザ・バンク 墜ちた巨像』監督トム・ティクヴァ、クライヴ・オーエン、ナオミ・ワッツ主演、2009年作品・・・ではないかなあ、と思いますが、すっかり忘れてます。
(78)金子隆一『テラフォーミング〈火星地球化計画〉の夢』NTT出版、1996年。
(79)カルト映画好きなら説明の必要もない、ジョン・ウォータースの『ピンク・フラミンゴ』で主役を務めたドラッグ・クィーン。映画の内容といえば、下品世界一を争うというトンデモなもので、獣姦、殺人、スカトロ、変態のメガ盛り、とにかくやっちゃいけないことバンバンしちゃいます。プードルのうんこ喰いのシーンは、確かエンディング近くであったはず。リアルに喰っちゃってますから、当時の映画評にはこうあったそうです。「『ピンク・フラミンゴ』は私達の社会に新たな地平をもたらしはしない。プードルのフンを食べたディヴァインがアイダホ州のポイシに向かうというのが映画の結末だが、プードルのフンを食べるのが新たな地平になるとは考えられない」(『ペンシルヴェニア・ヴォイス』1974年2月13日号)ハァ?「私たちの社会の新たな地平」・・Fuck Off!!(バーナード・ジョイ『聖ディヴァイン」青土社、1996年、69頁を参照)。

(付記) 辻と大杉の大きな違いはシュティルナーのいう「憑かれている」状態か、そうでないかの違いではないのかと思う。辻も大杉もシュティルナーには多大な影響を受けているが、大杉は神や国家や政府などをアナーキズムの立場から実態のある打倒の対象としていたが、辻はそれらをシュティルナー的に実態のない幽霊として捉えていて、あらゆるイデオロギーの憑かれでいる状態からは自由であったと思う。この話はややこしいので、第六章で別の角度から触れます。

【付録】
辻潤-大杉栄成育史(0~20才)比較年表
この年表は、辻潤と大杉栄の20才までの成育歴を比較するために作成した。辻潤の生育歴は、「辻潤年譜」(辻潤のひびき「辻潤年譜」by 少倫疑天https://note.com/kdjbr14/n/n0f1800952c65)  を軸に、「附録「年譜」」三島寛『辻潤』(金剛出版、1970年 331-333頁)「年譜 写真・辻潤論他」『辻潤著作集別巻』(オリオン出版社、1970年)を参考に作成した。資料間に若干の違いが見られるが、基本的には「辻潤年譜」の記述に依った。大杉栄の成育歴は、『自叙伝 日本脱出記』(岩波書店、1971年)を参考に構成し、加えて「大杉栄略年譜」宮崎学『神に祈らず』256-258頁(飛鳥新社、2000年)参照した。

第五章 END

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