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奨学金がなければ存在しない人生

2009年、大学入学。年の近い兄弟が4人いるので奨学金を借りた。むしろ、奨学金を借りずに大学に進学することはできなかった。月10万円を4年間。480万円ほどになる。利子がつく第二種奨学金だから、20年後の完済時には+100万円はくだらない。

親からの援助は食費と自宅1部屋のみ。奨学金の月10万円はほとんど学費だから、自分で使う分の生活費は自分で稼いだ。

塾講師や家電量販店の販売員なども経験したが、一番長かったのは、大学1年生の終わりから3年生になるまで、約一年半ほど働いたカラオケの夜勤だった。


恵比寿のカラオケ店メロディランドは、都内に3店舗を構えたチェーン店。恵比寿と新宿、そして北千住。いまは足立区の町屋に1店舗だけ、ひっそりと構えているらしい。

最近の恵比寿に詳しいわけではないのだが、当時の恵比寿は、いまよりちょっと乱暴な街だったかもしれない。ネオンがギラついて、昼と夜の顔が真逆だった。

夜勤ともなると、23時台から朝5時まで朝までコースのお客様をたくさん接客した。20代から30代まで、ちょっと飲んできました。といったいでたちの団体客が、最大収容20人規模の大部屋で騒ぐ。

モスコミュールという名前の、ウォッカとジンジャーエールにライムを垂らしたカクテルがあるのはその時に覚えたが、それ以来、普通の飲食店などで耳にする機会はほぼない。

恵比寿のカラオケでも夜勤には、色々なバックボーンを持った人物が働いていた。ほぼ社員レベルに働く役者さんや、下北沢を舞台に活動する劇作家、金髪ロン毛のバンドマンなど。

4年制の私立大学に通っているのは私くらいしかいなくて、年も一番下だったから可愛がってもらっていた。一年半しかいなかったけど、思い出はたくさんある。

例えば、サッカーワールドカップの南アフリカ大会で、本田圭佑選手がデンマーク戦でフリーキックを決め、決勝トーナメントに進出した試合も、ロビーでパブリックビューイングをしていた記憶が鮮明にある。

さらには、恵比寿のカラオケだけに、モデルの蛯原友里さん(エビちゃん)が友人とお客様として来店したこともあったし、バイトに入ってない日にEXILEのATSUSHIさんがヒトカラしにやってきたこともあったらしい。

あるいは仕事終わり、先輩に連れられて中華料理の店を尋ね、人生初のサソリの姿焼きを食べた。カニでもなく、エビでもない、堅い部分に覆われたサソリは、喩えるなら電線をかじったような味がしたのを、今でも覚えている。

大学3年生からは通学するキャンパスが変わり、自宅から恵比寿に通う合理的な理由が無くなったため、バイトは辞めた。学園祭実行委員会の代表に就任していて、11月にイベント本番を控えていたし、そちらに全力を割いた。


学園祭終わりでは、就職活動に取り組んだ。東日本大震災をきっかけに、企業の採用活動が気持ち程度絞られていた時期だったので、就職活動は困難を極めた。

第一志望は広告代理店。それを中心に、プロモーション業界全般にエントリーしていた。電通は1次面接で落ち、博報堂とリクルートは最終面接で落ちた。サイバーエージェントは顔採用らしい?みたいな噂が当時あったけど、エントリーシートで落ちた。つまり顔不採用ということになる。解せない。

その後、縁あって電通PRに内定をもらうことができた。内定通知の電話とともに、僕は就職活動を終えた。あとから内定を出してもらった理由を聞いたら、「使い減りしなさそう」って理由で合格を出したらしい。使い減りしなさそうは、あの時代ならではのキーワードだな。(このあとしっかり使い減りしないレベルに働くことになる)

内定したのが広告業界だったので、そういう世界に慣れておこうと思って、TBSでアルバイトをはじめた。と言っても、シミズオクトが観覧ありの公開収録を取り仕切る仕事を受け持っていて、観覧のお客様の誘導が主な業務内容になるとのこと。バイトも普通に求人媒体で募集していた。

大学を卒業するまでバイトは続けたが、小田和正のクリスマスの約束@舞浜アンフィシアターのお客様誘導をしたり、全盛期のリンカーン芸人大運動会の芸人リレーの最終ゴールテープを持ったり、カウントダウンTVの年越しライブでHYの生演奏を聴きながら年を越したり、刺激的なお仕事をたくさんさせてもらった。


だいぶ遠回りしたが、奨学金の話に戻そう。大学時代には学問だけじゃない色々な体験をした。奨学金を借りないと、これら全ての経験を積むことができなかったのであれば、僕は人生を何回やり直したって、奨学金を借りるだろう。

若いうちの経験は、借金してでもなんとやらと言うが、奨学金を生かすも殺すも自分次第だろう。そういう精神性を持って大学時代を謳歌できたのは、何よりも代え難いものである。

だってあの当時を全身で浴びた数々の思い出たちは、今でも色褪せないのだもの。たまには苦味もあるし、ときどき酸っぱいけど、総じて甘かったあの青春をお金で買えるなら、迷わず買った方がいいよ。

2013年4月、晴れて社会人になった。右も左もわからぬお子ちゃまPRパーソンだったけど、がむしゃらに働いて、5年目になる頃には奨学金を返済し終えた。返還完了の通知書は紙切れ一枚だったけど、今でも大切に大切に保管している。

さらにその5年後、自身が設立した会社で奨学金の何倍も稼げるようになった。もし、奨学金を毎月15万円借りてたら、今頃はどうなっていたのだろうか?あの当時出会ったバイト先の人たちとは、出会うことがなかったのかな?

何度も言うけど、あの青春をお金で買えるなら、迷わず買った方がいいよ。15年前の僕に向けて。

文・ウラタコウジ

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