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【西洋建築史】カンピドリオ広場(ローマ)

前回からの続きです.
令和3年の一級建築士試験には,次の知識が問われました.

【問題】◯か×で答えよ
ローマのカンピドリオ広場(イタリア,16世紀)は,ミケランジェロの計画による,台形状の広場とアプローチとしての大階段,三つのパラッツォを対称的に配置することで,軸線を強調した,バロック的な広場計画の初期の事例である.


【解説】

古代ローマ時代,ローマには,7つの丘があった.その中で最も高い丘であるカピトリーノの丘の頂上にカンピドリオ広場(イタリア,16世紀)がある.ローマ帝国の崩壊後,廃墟となっていたが,ルネサンス期にミケランジェロが設計し,再建させた.形の異なる三つのパラッツォ(宮殿)を線対称(=左右対象)に配置し,それによって生まれた台形状のスペースに幾何学模様を描くことで調和のとれた美しい広場をデザインしている.分かりやすい動画解説(37秒)は↓

台形状の広場に舗装された模様は,ルネサンス期に好まれた正円ではなく,その後に始まるバロック期に好まれた楕円が用いており,バロック的な広場計画の初期の事例と言える.このデザイン手法は,サン・ピエトロ大聖堂の設計において,建築途中で他界したミケランジェロの後を継いだベルニーニによって,サン・ピエトロ大聖堂の楕円形の広場の設計に活かされている.つまり,ルネサンス(正円)からバロック(楕円)への移り変わりのきっかけとなったデザインと言える.分かりやすい動画解説(54秒)は↓

その台形状の広場の中心にある軸線上にアプローチとしての大階段がもうけている.

【解答】◯ 続く


以上

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