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【日本建築史】三仏寺投入堂

前回からの続きです.

奈良時代に大きな政治権力をもった仏教勢力は都から追い出され,山にこもってひたすら修行に打ち込む宗派(天台宗,真言宗(密教))のみが天皇に認められます.そんな歴史的背景の中から登場するのが三仏寺投入堂です.平成17年の一級建築士学科試験問題にも出題されています.

【計画科目/問題コード17244】
三仏寺投入堂は,修験の道場として山中に営まれた三仏寺の奥院であり,岩山の崖の窪みに建てられた懸造りである.

【解説】
「三仏寺投入堂(鳥取県)」は,三徳山(みとくさん)の標高約500m北面の絶壁にすっぽりと収まったように建てられた三仏寺の奥院で,断崖絶壁の岩窟に,あたかも投げ入れられたかのように建っているので,投入堂と呼ばれている.

問題文にある懸造(かけづく)りとは,地盤から柱を立ち上げ,その上に建物を建てる造りのことで,清水寺のいわゆる「清水の舞台」が有名↓

投入堂には,僕自身も訪れたことがありますが,ぶっちゃけ何度も断念しかけました.それくらいたどり着くのが困難な場所にあります.何より,命の危険も感じました.実際に,足を滑らせて命を落とされた方もいます.訪れる際は完全武装で挑んでください.死にます.

この時期は,神仏習合といって,寺院と神社が一つになっていました.そのため,投入堂は現存する神社本殿形式でわが国最古の建築でもあります.

【解答】○

清水寺は令和3年に出題されています.

【計画科目/問題コード03031】
下図は,長い束柱を貫で固めた足代(あししろ)によって,急な崖の上に張り出した床を支える懸造りの建築物である.

【解説】
↑の図は,清水寺本堂(1633年に徳川家光の寄進により再建)の断面図で,問題文の説明通り.尚,足代(あししろ)とは,足場の意味.

 続く

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