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【日本建築史】日本美の原点 室町の文化

前回からの続きです.

僕のウラ指導流ぶっちゃけ解説は,一級建築士「学科」本試験において点数を稼げることを目的としています.したがって,細かいディティールは無視し,史実とは異なる部分もあるかもしれません.本番で点数を稼げる解説であることに特化したものであることを予めご了承ください.

では,今回もぶっちゃけ解説していきます.

室町時代には,南北朝文化,北山文化,東山文化といった具合に様々な「文化」が生まれます.

では,「文化」とは何でしょうか?高校生にもわかるように説明できますか?

「文化」とは,「知識やノウハウ,スキルといった『知』をみんなで蓄積しあい,それを互いに共有しあい,社会全体で進化・洗練させていく現象」だと考えてください.

みんなで蓄えて,それをみんなでシェアしながら活用して,みんなでどんどん進化させ,より洗練させていくイメージです.

それが社会規模ではなく,特定の関係者だけによるものの場合は「サブカルチャー」という呼ばれたりします(アニメやオタク文化など).

個人的には「サブカルチャー」であっても,そこに『知』の蓄積→共有→進化(洗練)という現象が起きているのであれば,素晴らしい社会現象だと心から思います.なぜなら,この現象がなければ,人間の進化はなかったから.地球上で文化というものを生み出せる唯一の生物が人類なのです.

なので,ウラ指導としても卒業生の皆さんにご協力いただきながら,一級建築士の育成分野で「サブカルチャー」現象を生みだすことを目指しています.

さて,室町時代に話を戻すと,室町幕府の最盛期とも言える第三代将軍 足利義満(よしみつ)の時代には,北山という土地を中心に文化が発生したため,北山文化と呼ばれます.その象徴が金閣寺です.公家と武士と禅宗とが融合した文化であり,金閣寺もそれを体現化させた立体構成となっております.

この北山文化の時代でメッチャ面白いのが「能(能楽)」です.観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子が足利義満に保護され,猿楽能を大成させました.この物語については,↓のYoutube動画の解説をご視聴ください.作業や家事をしながら,ラジオ替わりに聴くだけでもいいので必ず,知ってください.

↑のYoutube動画で解説されている世阿弥が脚本した『風姿花伝(ふうしかげつ)』の話に僕は感動しました.もしかしたら,アナタの人生にも大きな影響を与えるかもしれません.必ず,ご視聴ください.

その後,室町幕府の力は次第に衰退し,第八代将軍 足利義政(よしまさ)の時代になると,将軍 義政そのものが政治よりも,芸術の世界に夢中になっていく.政治とは『みんなが幸せに暮らせるようになるためのルールや仕組みづくり』のことだが,いつの時代もそこには熾烈な権力争いがついてまわります.そんな私利私欲にまみれた権力抗争から離れ,『日本の美意識』というものを極限まで追求していきたいという想いが将軍 義政の本心だったのではないだろうか.

義政の亡き後,後継者争いが引き金となって,日本史を揺るがす応仁の乱が勃発します.そして,日本は戦国時代へと突入し,信長・秀吉,家康という三英傑の登場を待つことになります.

そんな義政の時代に文化が起こりました.銀閣寺に象徴される東山文化です.東山という地を中心に起こりました.この東山文化ってヤツもこれまた面白い.金閣寺に代表される優美な北山文化と異なり,簡素でありながら,現代の日本人の心をもわしづかみにしてしまう「侘び寂び」の美というものが開花するからだ.

この「侘び寂び」の美は,茶の湯の世界では,安土・桃山時代に千利休(せんのりきゅう)による「わび茶」によって一世を風靡することになるが,その千利休の茶の湯の師匠は,武野 紹鴎(たけの じょうおう) .その紹鴎の師匠が村田 珠光(むらた じゅこう)であり,東山文化を生み出した将軍 義政は,この村田珠光に美意識について学んでいた.

このように北山文化の金閣寺,その後の東山文化の銀閣寺から,千利休らによる茶室空間に結実していく「日本の美意識」の流れや建築への影響については,一級建築史「学科」試験問題としても出題されています(平成11年).

【計画科目/問題コード11254】〇か×で答えよ.
金閣や銀閣が建てられた時代には,能楽・茶の湯・生け花・連歌・水墨画・枯山水の庭園といった日本の伝統文化がその形を整え,建築にも大きな影響を与えた.

【解説】
「金閣寺」や「銀閣寺」が建てられた室町時代には,公家・武家・禅宗文化が融合された文化が生まれた.そこでは,「枯山水(水を用いずに,石・砂などにより風景を表現する庭園様式)の庭園」や「水墨画」,村田 珠光による「茶の湯」,世阿弥による「能楽」,池坊専慶(いけのぼうせんけい)に代表される生け花(華道)などの日本の伝統文化が大成した.

【解答】○


【計画科目/問題コード11255】
金閣や銀閣が建てられた時代には,武家住宅に床の間・違い棚・付書院などの座敷飾りが用いられるようになり,書院造が発展し今日の和風住宅の原型が形成された.

【解説】
「書院造り」とは,古代の寝殿造りを原形として,金閣や銀閣が建てられた鎌倉・室町時代の過渡期を経て桃山時代に完成した建築様式のひとつで,座敷飾りとして「床の間」,「違い棚」,「書院」がつく.今の和風住宅の原型となった.

【解答】○
 続く

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