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モスクワの記憶①

Стыдно мне, что я бога верил
Горько мне, что не верю теперь

С.А.Есенин

 帰国後、若干のうつ状態。
朝起きると、自分のいる場所に気が付いて、自分が背負う借金や将来への不安で胸が苦しくなる。
夢は終わり、現実が待っている。自分は無職で、貯金はなく、代わりに借金がある。

 それでも、行かない方がよかったなんて思えない。本当に行ってよかった。会社を辞めたことを後悔していない。友人が私に言った通り、きっかけがなければだらだら続けていたかもしれない、自分の心に毒をため込みながら。

 モスクワで驚いたのは、地下鉄や銀行の便利さ。公共交通機関が安い。一度6千円程度払ってしまえば、3カ月間地下鉄とバス乗り放題である。銀行はアプリで簡単に送金ができるし、支払いも、カードがなくてもQRコードで支払うことができる。モスクワはキャッシュレス社会で、寮費を払う以外に現金を使う場面はほとんどなかった。

 次に、モスクワでは、ほとんどの人がさりげなく優しい。大きな荷物を持って困っている人がいたら、必ず通りすがりの男性が助けてくれる。地下鉄のギロチン扉に荷物が挟まれたら、周りの人が扉を叩いて開けようとしてくれる。ベビーカーの乗降が大変そうだったら、周りの人が必ず力を貸してくれる。お年寄りや妊婦が来れば、乗客の誰かは必ず席を譲る。地下鉄の通路で「助けてください」と書かれたプラカードを持っている人に、お金を挙げる人がたくさんいる。
 周りに無関心なようでいて、とても優しい。それをすることが当然かのように、自然に助けに行く。

 正直、頭がバグる。あんなに残酷な戦争をしている国が、どうしてこんなに優しくいられるんだろうかと。モスクワの日常はあまりにも「日常」で、そう遠くない隣国で自分たちが起こしている惨状は、あまりにも「遠」かった。異国の人間である私にも分け隔てなく与えられるこの日常にさりげなく流れる優しさが、なぜ隣国には発揮されないのだろう。

 それはたぶん、この人たちが望んだ戦争じゃないからなんだろう。

 Zな人もいる。それは知っている。でも、おそらく大半の人たちは、今回の戦争に思いを馳せるよりも生きることに必死だ。抗う力があるならとっくに抗っているだろう。当たり前のことだけれど、誰だって、世界よりもいま目の前にある自分の生活、自分の幸福、自分の大切な人の幸福が大切だ。
 抗えば最悪死が待っているこの国で、抗ったところで希望など見えないこの国で、花を捧げること以外にできることがあるんだろうか?

 日本で、この「平和」ボケしたこの国の人間が何を言っても説得力などひとつもないのだ。そして、私がモスクワで生きる人たちのためにしてあげられることなどほとんど何もないのだ。私は一般人で、無力で、ロシア語すらまだろくにしゃべることができない。日本へのあこがれを持つ人たちに対して、自分の知る日本の常識を語るくらいのことしかできない。それすら、私はほとんど何も知らない。

 自分に何ができるだろうか。借金を抱えている以外は特に身の危険も感じずご飯をおいしく食べていけるこの世界の片隅で、自分の贅沢さ、傲慢さに思いを馳せながら、うつうつとそんなことを考えている。

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