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モスクワの記憶②

Куда бы нас ни бросила судьбина
И счастие куда б ни повело,
Всё те же мы

Пушкин『19 октября 1825』

 先日、高校以来の友人と食事をした。彼女とはもうずいぶん長い付き合いになった。12年くらいだろうか。頻繁に会っていたわけではないし、連絡もさほどとっていなかった。モスクワ留学もラインで報告したのみだったし、私の感覚の中では疎遠な方の友達だった。彼女は最近彼氏と同棲を始め、近々入籍予定とのことだった。縁もたけなわになったころ、彼女は私にこう言った。「もしよければ、証人の欄に名前を書いてほしい」。

 めちゃくちゃ驚いた。なぜ私が、という思いが強かったけれど、それ以上にうれしかったし、光栄に思った。というか感動して泣いた。私は誰の一番にもなれないと、誰の特別にもなれはしないのだと、9割がた諦めて人間関係を構築していたから、本当に驚いた。少なくとも彼女は、私を特別に思ってくれていた。人生に一度きりの、大切な彼氏との婚姻届けに名前を書いてほしいと言ってくれるほどに。

 私は期待しているほど他人に影響を与えることはできないけれど、思っている以上に大切に思ってもらえているのかもしれないと、夜一人帰りながらふと考えた。モスクワのクラスメートの顔を思い浮かべた。彼女たちは、私が日本に帰る前にこう言ってくれた。「あなたがいるから、クラスが明るく、楽しく感じた」のだと。

 私からすれば、逆だった。クラスが明るかったのは、彼女たちのおかげである。私は特に何もしていない。唯一誇れることがあるとするなら、初めて会った人にいの一番にあいさつをしていたことくらいである。しかしそれも、彼女たちがあいさつに応えてくれなければ何の意味もなかった。私がしなければ彼女たちの方からあいさつをしてくれただろう。

 だけど、彼女たちは、「あなたがいるから」と言ってくれた。

 モスクワで、何度も「あなたがいると楽しい」「みんなあなたのことが好き」と言ってもらえた。本当に不思議だった。会社では一部の優しい人にしか優しくしてもらえなかったし、極々一部の人にしか好かれていなかったから。おそらく扱いにくいと思われていたと思う。大した実績もなかったし、始末書は3回書いた。同期に比べて明らかに劣っていたし、パワハラで休職も経験した。だから、モスクワで優しくしてもらうたびに、なんだかこの優しくて純粋な人たちを騙しているような、そんな気分になっていた。

 モスクワで、私の周りにはほとんど若い子たちしかいなかった。もちろん、たまに30代の方もいらっしゃったけれど、ほとんどが20代前半か、18、19歳の子たちだった。元気で、純粋で、私の目にはとてもまぶしく見えた。将来が輝いているように見えた。ほとんどの子が英語を話せることができて、中には三ヵ国語以上しゃべれる子も珍しくなかった。彼女たちと比較して、自分の能力のなさに落ち込んだことも何度もある。正直嫉妬もしたし、とてもうらやましかった。複雑な感情を抱えながら、日々努めて明るくいられるよう過ごしていた。そんな私を、彼女たちは「あなたがいてくれたから」と言ってくれた。
「みんなあなたのことが好き」…

 いくつかの大学の、日本語会話クラブに参加させてもらった。日本が大好きな、日本語を勉強する人たちが、大学生を中心に集まって、日本語を話すクラブ。日本とロシアの関係が悪化しても、変わらず活動を続ける人たち。彼女たちの話を聞くのはとても楽しかったし、うれしかった。枕草子が好きだという人。黒澤明の映画が好きだという人。そして、アニメが大好きだという人。すべて私が生み出したものではないけれど、日本人だというだけで、無条件に享受することができる文化。詳しく知らないことに罪悪感を抱きながら、いつも話をしていた。

 一人の女の子と仲良くなった。彼女はある日、私に打ち明けてくれた。
「日本語で話すのが、まだ正直怖い」と。
外国語を学ぶとき、個人的には「話す」ことが一番恐ろしいと思っている。間違っていたらどうしよう、通じなかったらどうしよう、恥ずかしい、迷惑をかけたくない、馬鹿にされたくない…そんな風な恐怖が、常に心の中にある。だから、彼女の気持ちがよくわかった。
「正直に話してくれてありがとう。私もロシア語で話すのが怖い。一緒に頑張ろう」と彼女に伝えた。

 ある日、勇気を出して彼女を映画に誘ってみた。私の大好きな「もののけ姫」。なぜかモスクワの各映画館で上映が始まっていた(著作権とかどうなっているのだろうか)。吹き替えを聞きたい気持ちもあったけれど、まだ聞き取れる自信がなかったので、字幕で拝見した。彼女は喜んで応じてくれて、そこから漫画の展示会に行ったり(鳥獣戯画から最新漫画までの展示会で、ディープさに非常に驚いた。日本はロシアに対してあまり興味がないか怖いかのどちらかである気がするけれど、少なくともロシア側は日本の文化に興味を抱いてくれていると感じた)、一緒に日本レストラン(ロシア語で「すし」が一つの単語として地位を確立している)へ行ったりした。

 帰る時、彼女は「次は一緒に別荘(ダーチャ)へ行こう!」と誘ってくれた。私はとてもうれしかった。彼女は別れの贈り物として、たくさんの本と私の好きなネコのぬいぐるみをくれた。泣いてしまった。こんな風に、誰かに大切に思ってもらえることが、私にとっては胸がいっぱいになってあふれるくらいに幸せだった。

 モスクワでの思い出は、そんな風な、幸せな記憶で満ちている。


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