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Interview hers filmschool

帰国子女で英語を話せ、好きな業界で頑張っていると、傍目にはそう映る。けれど、現状の仕事に大きな不満は無いが、何となく上手くいってる風にも思えない。そんな漠然とした彼女の現状と展望を、少し歴史をさかのぼりながら、一緒に探っていく事にした。

福岡県出身の彼女は、普通の高校に通いながら、ヒューマンアカデミーを通して留学の道を探った。小さな頃からの、海外への明確な目標や憧れがあった訳ではない。「世界ウルルン滞在記」を夢中になって見ていた幼い日の記憶と、海外の高校へ留学した友達を漠然と羨ましいと思っていただけだった。そんなおぼろげな動機を、やりたいのなら頑張ってみればと、両親が後押ししてくれたのだ。

「今まで、面と向かって両親に、海外へ留学したいと言ったことはなかったのですけど、自宅で一緒に留学を扱ったテレビ番組を見ている時に、留学イイなあとつぶやいたら、え、そうなの。本当に?って感じで、とんとん拍子に話が進んじゃいました。」

いざいくのなら、好きだった映画関係の仕事につながる勉強をしたいと、今までにない勢いで、英語を勉強した。自分の好きだった映画の制作が、フォックス・サーチライト・ピクチャーズだと知ったのはこの頃だ。猛勉強の甲斐があって、留学出来る英語のレベルにこじつける。高校を卒業してすぐ、現地の語学学校へ編入してから、サンディゴのパロマ大学へ進む。この時にの4ヶ月間で、大学の授業についていけるように、さらに必死に英語を勉強する。日常会話英語ではなく、教科書を読むために必要な単語は、先生の言葉を必死にメモして自宅で調べていたようだ。

「一般教養で必要になる英単語は、準備できないので、自分が進む方向が決まってから、覚えながらで良い気がします。緯度や経度って、日常会話じゃ出てこないですからね。単語は必要になったら、覚えるしかないですから。」

最初の2年間で一般教養を学んで、その後カリフォルニア州立大学ノースリッヂ校へ編入し、メディアセオリーの中のフィルムクリティシズム(映画批評)を専攻して学ぶようになる。LAで暮らしていれば、友達を通じて映画の現場の仕事は見つかる。メディア史やアート史などをデスクワークで学ぶ事が、新たな仕事につながればという気持ちがあったようだ。

「プロのものなれば違うんでしょうけど、LAにいれば、仲良くなった友達から撮影の現場に呼ばれることはよくあって、そういう形で業界に入っていく人がすごく多いんです。現場で経験できるものはもちろんあるんですけど、デスクワークとして、きちんと採点をされながら教わる事も必要だろう思い、映画批評のクラスを選びました。」

パロマ大学での、映画の歴史の先生との出会いが大きかった。そこで、批評や解析に必要な言葉やセオリーなどのアプローチのパターンを学んだが、模索を続けていた最初の2年間の方が学びが多かったようだ。4年生の大学は、ゼミや卒論のようなものがある訳ではなく、全部の単位を取得出来れば、卒業ができるそうだ。

「パロマ大学で、映画の歴史のクラスを取っていたんですけど、その時にストイックに映画を批評する先生に出会えたのが大きかったですね。映画を見終わった後で、エッセイを書くんですけど、歴史的なアプローチであったり、監督の人生のどの段階にあるのか等、複数の視点で映画をアナライズする方法を提示されるんですね。その時にもらえる点数が、最初ずっと低くて、先生にたずねたら、主観的な映画の見方をしていると言われたんです。映画をちゃんと分析するためには、もっと客観的な視点が必要だと。それをきっかけに、点数も上がり、映画批評が面白くなって、その後、ノースリッヂ校へ編入してさらに専門的に学ぶことになります。そこでは、AFI(アメリカ・フィルム・インスティチュート)のトップ100で選出される映画の批評をひたすら繰り返していました。”市民ケーン”や”めまい”などの名作や、黒澤明や小津安二郎などの海外の監督の作品もあり、歴史的に批評家が評価している作品から、先生がランダムに課題作品を選んでいました。そこでは、批評に必要な単語やセオリーなど色んな武器をもらいましたが、そもそも批評とは何だ、を教えてくれたのは、最初の歴史の先生でしたね。」

留学生は、基本的にアルバイトができないので、滞在費がかかる。在学中は、無償でインターンとして企業で働きながら、コネクションを作ることに時間を費やすことになる。大学を卒業すると、1年間はオフィシャルに働けるOPTを受け取ることが可能になる。OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)は、アメリカ人の仕事を奪っているという理由で、昨年トランプ元大統領が停止・廃止しようとして、一時期話題になった制度だ。留学生は、この1年間で、就職先を探す事になる。だが、アメリカで批評の仕事は、研究職でしかなく、制作現場への就職につながる事はなかった。

「もちろん、隠れてアルバイトをしていた人もたくさんいるけれど、今、それが原因でアメリカに行けなくなった人もいっぱいいます。仕送りと奨学金で生活しなければならないので、留年なんて出来ません。学生寮は高かったので、最初は3人でアパートのルームシェアをしていました。7人で住んでいた時期もあります。アメリカで一人暮らしをしたことはありません。」
「OPTを使って仕事を探すのですが、どこかの企業に籍をおかしてもらって、色々と働くことになります。私は、日本の放送局のLA支局で、現地のローカルニュースのレポートをまとめる仕事を手伝っていたので、そこに籍をおかしてもらいながら、映画の現場の仕事を手伝ったり、アルバイトをしていました。」

今の仕事につながる出会いは、FOXが協力しているLAローカルの映画祭の現場の手伝いをしていた時に、今の会社のプロデューサーと知り合ったのがきっかけだった。制作助手という形で現場に入れば、よくわからない仕事内容でも臨機応変に対応して、貪欲に知識を吸収しながらネットワークを広げる。彼女の行動力が引き合わせた結果だった。日本に一時帰国してインターンをしていた映画の制作会社へ就職する道もあったが、その時に日本で上演していた舞台に感銘を受け、その後に舞台を映像化する今の会社の作品で出会ったことで、彼女の進路は決まった。

「何かやりたいことが決まっている人は、早いと思うんです。でも、企業に入りたいのではなくて、何がやりたいのか、まだよくわからない私としては、どう動けばいいのか決めきれませんでした。色んな現場を通して探してはいたものの、なりたいものは見つからなかった。それで、気に入ったプロジェクトを通して、全て関われる仕事をしたいと思って、今の会社を選びました。」

ここで彼女が好きな作品を上げてもらった。映画では「ペイ・フォワード」、舞台では「春琴」とのことだ。
簡単に作品内容を解説すると、「ペイ・フォワード」は、11才の少年が、先生から「自分の周りの世界が好きになれなかったら? もし世界が、大きな失望でしかなかったら?」「世界を変える方法を見つけて、それを実行してみよう」と出された課題に「世界がクソだから」という理由で「自分が受けた善意を、その相手ではなく別の3人に渡す」という”Pay It Foward”を思いつき、実行に移す物語だ。ハーレイ・ジョエル・オスメントが主演で、日本でもヒットしたが、その精神性が深く心に残り、今なおファンが多い映画だ。

「春琴」は、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」と随筆「陰翳礼讃」をモチーフにした舞台だ。幼いころに失明しながらも、三味線の指導者となる春琴と、彼女の衣食住すべてを献身的に世話する奉公人・佐助との究極の愛を描いた物語を、サイモン・マクバーニーの手により、日本文化の美を強く意識した演出で描かれている。彼女の言葉を借りれば「海外の演出家が噛み砕いているせいもあるのか、平面が立体に立ち上がるような、ゼロからものが生まれてくる事に感銘を受けた」そうだ。

どちらも、現状の閉塞感を破るための、意思や情念のパワーを強く感じる作品だ。
対して、彼女が海外のスクールで身に付けた批評は、ディレクターの主観を探り、見えるものだけを客観的に分析する力だ。彼女には、作品と対する時の矜恃がある。

「出来上がった作品は、全て監督の意図どおりにある、と思って見るようにしています。”ミザンヌ”という言葉がありますが、監督が表現したいものは、全て画面の中に映っているべきと考え方です。アメリカで論文を書く際に、何故そうなのかという根拠を示す必要があって、監督が見せているものしか使えないという訓練を受けていました。たとえうまく表現方法として伝わっていなくても、何故監督がその方法を選択したのか、という考え方をします。」
「歴史に詳しい人であれば、別の方法もあるのでしょうが、私は、映画の外側にあるものではなく、映像の中からのみ意図を読み取る、”ヴィジュアルストーリーテリング”という客観的なアプローチをとります。監督と観客のコミュニケーションは、作品のみであるべきだと思います。監督が意図していなくても、映像から読み取れるものが全てと考えています。」
「例えば”グッドウィルハンティング”で苦悩している教授の背景にある絵ですが、その絵に描かれている船の波の高さの関係によって、彼の置かれている状況が説明されている、と考察します。アート史のクラスで、中世のヨーロッパの絵画を読み解く際に、色使いや記号から作者の意図を読み取るという事を並行して学んでいたことも参考になりました。」

今の彼女は、クライアントの立場から、ディレクターと接することになる。打合せの中で、作品に映っていないものは理解されないと考える。そこに主張があるなら、構成や表現方法を使い、見えるように映像内に配置するよう求める。そして、その手法は模索を続けている。

「今の仕事のフォーマットに慣れてしまっている自分を感じています。ワクワクするもの、自分が異質になれるものを探しに、海外へ行きたい。エンタメに関わるからには、その度にリセットして、新しい刺激を得たいと思っています。」

自分が作品を手掛けるなら、もっとエモーショナルなものが良いと言う。みんなで、一つのものに向かっていけるような、祭的なものが、今必要だと。

「今までのような壮大な話も面白いのですが、地に足のついたパンチの効いた夏祭りのような話がやりたいですね。通路にも観客がいて、全員が飛び跳ねて、会場が揺れるような舞台が良いですね」
「将来の理想の形は、まだ見えないです。ゼロから立ち上げるのではなく、自分の知っているものを上手く掛け合わせて、新しいものが作れればなと思っています。前衛的なものではなく、いろんな人にエンタメを提供する時には、受け取ってもらえる人の中に種がないとダメだと思うんです。」
「舞台を記録するのではなく、作品を感じた時の、感覚の記憶を映像の中に残したいと常々思っています。生で観た時に感じたものを紐解いて、再構築する今の方法は良いと思っています。これから自分が関わり続けるのであれば、もっと自分の視点まで踏み込んでいきたいと感じています。100%の正解は無いし、難しいとは思うんですけど、主観を共有したいんです。」

自分でも輪郭がまだはっきりとしない夢をつかむため、機転と瞬発力を頼りに、全身全霊で戦っている。だが、仕事の矜恃と理想とのギャップは、まだ解決できない。
今、彼女が英語力を発揮できる仕事は、海外スタッフと打合せ時の専門用語や微妙な表現方法の通訳と、英語字幕のチェック程度で、スペックを十分に能力を生かし切っているとは言いがたい。だが、彼女の最大の武器は、海外のフィルムスクールで身に付けた論理的な表現批評と、やると決めたら曲げない突破力だろう。
今はまだ、自分が伝えたいものを、的確な表現にのせて届ける方法を模索している状態だ。停滞ではなく、必要な熟成期間なのだろう。思うように動けていない現場でも、一つきっかけがつかめれば、シンクロニシティを引き寄せるエネルギーを放つ彼女の活躍の舞台は広がるはずだ。

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