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リバース・エンジニアリング

映画を見始めて、集中できないほどつまらないと感じた時にとる方法がある。作品の「リバース・エンジニアリング」だ。既存の製品を分解または解析し、その仕組みや仕様、構成部品、技術や設計、などを明らかにすることをいう。作品がつまらない時の原因を探る時、それを素材に、集中を奪う原因が、演技なのか、演出なのか、話の展開のスピードなのか、素材を頭の中で組換えながら、監督の視点や動機や、理解しきれていない文化背景を考慮しつつ、客観的に分解を始める。構成を整理する時に「逆箱を起こす」という言い方がある。完成した物語をブロックに起こし直して、シーンやシークエンス単位で入れ替えたり組み直したりして、どこに問題があったかを探り、学び直す時の方法だ。それを、さらに素材の準備にまでさかのぼって、構図やロケ地まで視野に入れて細分化しようという試みだ。作品にとっては残念な行為だが、映画館での時間とお金を無駄にするよりはいい。もっとも、配信作品では、考察にまで至らず、開始20分がスキップの分岐点となる。


映像制作の仕事で、仕上げのポストプロダクション作業を担当する際、企画の段階から打合せに加わる時がある。コマーシャルであれば、クライアントのオリエンを元に、監督が企画イメージする絵コンテが出来上がってくる。制作会社は、その絵コンテを元に、キャスティング、撮影方法、制作期間、から必要予算などを割り出すが、参考になるのは既存の映像作品の分析だ。ハリウッド映画のような予算は無くても、どういった撮影方法で、どういう工程で進めれば、予算内に収まるかを逆算して考える。安く、早く、上手く、は景気に関係なく求められる。


例えば、必要なカットをその日の内に撮影しなければならない時は、「香盤(撮影の段取り表)」の組み方が重要になる。入念なメイク時間も含めたタレントのスタジオの入り時間や、クライアントが立ち合うタイミングはもちろん大切だ。だが最も重要なのは、スタジオ撮影であれば、美術やライティングの変更にかかる時間であり、ロケであれば、車止め出来る時間や太陽光の角度などを計算し、無駄のない順番で、効率よく撮影を進めなければいけない。絵コンテから、必要な素材を割り出し、漏れなく無駄なく撮影する準備が必要だ。カットの修正を撮影で行うのかポスプロ処理に任せるか、現場でのオフラインを同時に進めながらの判断では、リアルタイムで気にしなければいけない工程も多く、予算とクオリティにつながる。経験や専門知識のある、現場スタッフの能力を十分に発揮させるには、綿密な段取りが必要だ。故に、素材の準備から仕上げまで、完成品から逆算した工程をシュミレーションする訓練が重要になる。どういった素材を、どの順番で組み合わせるせるか、材料、工程、構成によって、作品の出来上がりは大きく変わる。


時代とともに、メディアも大きく変化した。現役世代は、フィルム、ビデオテープ、データの、3つの時代をまたぐスタッフもまだ多い。映像を観る環境も大きく変わり、映画館からテレビ、そしてパソコンやスマートフォンのモニターへと、バリエーションが増える。それに合わせて、大画面から小さな画面へ、2時間から15分程度へと、そういった視聴形態への対応にも、「リバース・エンジニアリング」が有効になる。遠くのカメラから対象の人物を狙うロングショットは、映画館では有効だが、スマートフォンの画面では何が起こっているのか分からないため、演出を変える必要がある。昔は撮影用のクレーンのセッティングにも準備の時間がかかったが、今はドローンを使えば俯瞰映像を撮るのは簡単だ。目的から選べる手段の数は、DXの進歩で各段に増えている。


フィルムで撮影すると回した分だけお金がかかるため、役者の演技への集中力や緊迫感が違うといわれる。ビデオがない時代は、現像したラッシュプリントを試写室で確認するまで、撮れていた映像が分からないため、役者もカメラマンも魂を込めて撮影にのぞんだ。それがビデオ撮影になってカット数が増え、データ収録では撮り放題も可能になった。ハリウッドでは、「マスター・ショット・システム」として、シーンの最初から最後まで撮りっぱなしにして、後でどうにでも編集出来るようにする。公開後にも様々なヴァージョンが登場するのは、この時の素材があるためだ。日本でも、役者の自然な演技を撮るために、カメラを意識させないように、小型カメラでの隠し撮りや、テスト本番として撮りっぱなしにする撮影方法をとることもある。演出の手段としては、有効ではあるが、何テイク撮ったか分からない芝居では、俳優が完成作品に向き合い、自分の演技を反芻し研究する機会を奪っている。自然な演技をするのではなく、自然な演技しか出来ないのとは、大きな差になる。


視聴環境が、グローバルプラットフォームでの配信がメインになっていく事で、その戦略に合った作品の制作が求められる。NETFLIXがオリジナル作品に求める条件は、「SF」、「ロマンス」、「アンダーグラウンド(主流ではないが個性的なドラマ)」といわれる。韓国映画がハリウッドで存在感を示してきたのは、そのグローバルフォーマットに沿って制作を続けた結果ともいえる。検索にかかりやすくするためにキャッチーなタグをつけ、マイクロアグレッションを拾い上げて、批評が介入する余白を残すことが、今の映画界の時流といえるだろう。今のヒット作品の「リバース・エンジニアリング」で得られる知見から学ぶものも多い。だが、物真似や二番煎じにとどまっていては、邦画は、資本やスピードで世界とは勝負出来ない。世界共通言語といわれる映画は、多様な解釈を内包するハイコンテクストメディアであるため、作品のヒットはマイノリティへの理解を深め、文化的で民族的な多様性の尊重へとつながる。オタク的な視点は日本の強みだ。ギレルモ・デル・トロたちを中心に、日本のオタクカルチャーに影響を受けたクリエイターは、視点の特殊性を含めて評価を受けている。マスマーケットにこだわらず、オリジナルの日本的シネフィルの視座で作品を作る方が近道かも知れない。


今後、映画と時間を奪い合う強力なライバルは、ゲームになるだろう。能動的で主観的な選択をするヴァーチャルオンラインゲームの世界は、自由な擬似体験を与えてくれるだろう。だが、自由意志での選択は、自分の過去の経験の鏡像であり、想像の域を出ない。新しい体験は、外部から与えられるものであり、本当の意味での自由は、過去にも縛られない選択の中にあるはずだ。優れた映画は、息継ぎや唾を飲み込むタイミングさえコントロールできる。その受容体験の快感を求める需要は無くならない。身を任せることで経験する新しい世界は、未来の選択肢を増やす。


天から降りてきた神の啓示が、クソ映画に変容してしまった原因は何だろう。プロジェクトを進めるにつれ、リクープラインが上がり、ステークホルダーの声は増える。オリジナリティ溢れる脚本がリライトを繰り返し、崇高でクリティカルなテーマが、ふりがな付きの凡庸な物語に変えられたのかも知れない。その悲しみは、コーラとポップコーンで流し込み、自分たちのやり方で敵討ちを誓うしかないだろう。

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