見出し画像

memory from 80's

子供の時には、世界は知らないことだらけで、概念を吸収することに精一杯になる。自意識が芽生えてから間も無く、知らないものは全てキラキラと映り、触らずにはいられない。
大人になると、世界から驚きが減り、現実への対応に上手いやり方を探すようになる。あらゆる問いに対しても、曖昧な答えを既に持っているため、そんなに遠くない正解を導くことが出来る。
思春期に出会うものは、概念と現実のバランスが均等に調和し、世界の広さを恐れながらも、同じくらいの夢や希望で塗り直していく可能性を信じられる。視えている世界のその先に、まだ別の世界があると期待する。

音楽の好みは、14歳の時に聞いていた曲で形成されるという説がある。ニューヨークタイムズが、Spotifyのデータから分析したらしい。生活環境によって差はあるだろうが、自分が置かれた社会的なポジションが分かり、周囲との関係性が見え始める時期とも言える。与えられる大人の言葉に疑問を持ち、人生について考え始め、何か指針となるような答えを、自分で探し始める。それは、先人の金言であったり、映画の主人公の台詞であるかもしれない。偶然出会った歌詞の中に見出すこともあるだろう。CMのタイアップ出会っても、アニメの主題歌であっても、理想と希望に満ちていれば、若い心に与える影響は少なくない。その変化はたった数センチかもしれなくても、その後に続く道に、確かな角度を与える事になる。

”シティポップ”という、当時は使われなかった名前で呼ばれている音楽の絶頂期は80年代だ。当時の人気音楽情報誌であった”FMステーション”は、ラジオ番組雑誌にもかかわらず、鈴木英人のイラストをカバー画に使い、絶頂期には50万部を売っていた。アメリカっぽい風景のイラストの中を、風を表現したキラキラした細い線や、四角や丸の記号が画面いっぱいに飛んでいた。アメリカで撮影してきた写真をもとに、「漫画の技法でアメリカを描く」という貼り絵によるデザインの手法は、他では見られない特殊なものだ。当時、まだ見ることの少ない平面的でポップなイラストが誘う世界に、うまく理解はできなくても、未来と新しさを感じていた。”FMステーション”のサイズが変形の大判だったのは、カセットレーベルのサイズに合わせて作られた後発誌だったからだ。それほど、当時の音楽文化に雑誌側が寄り添っていた。そのため、古本屋に完全な形のFM情報誌が少ない。あちこちのページを切り抜いてカセットテープのレーベル制作に使える雑誌だったという特殊な事情がうかがえる。
その雑誌から仕入れてきた情報をもとに、貸りてきたレコードからカセットテープに録音して聞くのが、当時の音楽ライフの中心だった。2台のカセットデッキをつないで、お気に入りの曲を集めたオリジナルテープを作り、友達と交換し、解説を加えて語り合うことが、アイデンテティの証明だった。ラジオ番組表を精査し、FMラジオから流れる曲を、息を殺しながらカセットデッキのRECボタンを押す “エアチェック”は、儀式に近い行為だった。録音の最中に家族から声をかけられ喧嘩になる、という事をしないで済むようになったのは、中学時に比べて大きな進歩だった。隔週で発売されるFM情報誌は、中綴じでついてくるカセットレーベル用の写真やイラストが重要だ。お気に入りのレーベルが、どのアルバムに合うだろうかなどと、想像することが楽しみだった。楽器を演奏しない人間にとって、音楽と自分との、最初のクリエイティブな向き合い方だ。

当時、アーティストは、楽曲以外での表現方法は、アルバムのジャケットワークとインタビュー記事くらいしかなかった。生き様や音楽遍歴が、ミュージシャンとしての名刺だった。リスナーは各々の理想のイメージを作り出し、心の言葉に従った。そこにミュージックビデオという武器を持つことで、音楽の表現の幅が広がった。ライブ演奏のような形で、本人たちが映像に出演することで、その曲の世界は固定されることになった。ミュージシャン自身のビジュアルも、歌が売れるための大きな要素に組み込まれていった。格好良さが、説得力につながるからだ。

80年代は、映画のブロックバスター化が始まった時代でもある。”STAR WARS 帝国の逆襲” ”ターミネーター” ”バック・トゥー・ザ・フューチャー” 数々のハリウッド映画が、世界中の映画館の征服を始めた時代だ。その中で、もう一つの動きがあった。”フラッシュダンス” ”フットルース” ”ビバリーヒルズ・コップ”といった映画は、サントラが売れて、映画もヒットした。ミュージックビデオにミュージシャンは出演せずに、映画のハイライト場面を切り取り、MTVで回数を流すというプロモーション戦略が始まった。そうなると、ミュージシャンのビジュアルは不要で、映画の場面に適切な楽曲を提供できていれば、売れることになる。その表現手法は、通常のミュージックビデオにも応用が出来た。アーティストを撮影することなく、他の役者やアニメーションなどに頼ることで、むしろ楽曲イメージを表現しやすくなったとも言える。
1979年にウォークマンが発売され、音楽を屋外へ持ち出し、風景の中で聞くことで、僕たちはミュージックビデオの主人公になれた。自分のための伴奏曲だったはずが、皆が共通して与えられた共同幻想を消費する行為に変わってしまった。歌が紡ぐイメージを、個人に取り戻すことはカラオケで熱唱するだけだろうか。40年という時計が回り、リバイバルヒットしている”シティポップ”のように、自分のための歌を復権させる方法は何だろう。

幻想を個人に取り戻すには、哲学の力を借りる方法がある。哲学の思考は、unlearnの経験だと言われる。既知のものを未知のものとしてとらえ直すことで、事象に新しい価値を与える。言葉が持つ意味を、先入観を外して学び直し、軸をずらすことで別の解釈方法を導き、今の自分に重ね合わせて読み解き直す。時間を超えても心の底に残っている歌の重力は、新しい角度から光を当て直すことで、組み替えることができるはずだ。重ねた人生経験が、言葉の表面には見えなかったもっと深い層にこめられた作者の想いが、新しい痛みや喜びとして浮かび上がってくる。その中の一曲が、自分の葬儀の際にかけて欲しい、自分らしい曲になるのだろう。人生のテーマ曲は、とっくに出逢っているのかも知れない。

Passing Bell ー 帰郷 / 小山卓治
https://www.youtube.com/watch?v=6jwERbK0S3U
古くから愛聴しているアーティストの、1985年の曲だ。映画のワンシーンからインスピレーションを受けて作られたといわれている。この曲は、ライブ会場でかかると大合唱になるのだが、自分にとっては、友人や大切な人を亡くした時に必ず聞くため、あまり縁起の良い曲ではない。それでも、聞くたびに、彼岸にいってしまった故人を思い出し、まだ生きている自分の意味を問い直すきっかけになる。痛みの深さは変わっても、いくつになっても、その時間と気持ちに立ち返ることができる。呪縛なのか祝福なのか、手放すことのない曲として、いつも心の奥にある。

#PS2021

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?