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透明人間の見つけ方

ニュースソースとして最も信頼できるのは、第一次情報を現地でレポートするジャーナリストだ。今、それを最も誠実に実行できているのは、堀潤だろう。MXテレビ「堀潤モーニングFLAG」の「New global」のコーナーでは、鮮度が落ちたため放置された海外の報道を追跡記事として、度々取り上げている。リビアの洪水、モロッコの地震、マウイ島の山火事。世界中で多くの災害が起こり、報道される。だが、一月もすればニュースバリューは落ち、記憶は風化していく。国内の被災報道であっても、東京からの距離に比例して、早々に薄らいでいく。

情報が大量に入手できるようになって、最優先問題は次々と更新される。そのため、一時保管ファイルにリスト化されるだけで、未解決のまま永遠に留め置かれる。刺激的なニュースが多すぎて、細部への関心が年々薄くなっているのだろうか。だとすれば、災害時の継続的な支援はもちろん、所得格差やいじめに関する問題は、いつ解決されるのだろうか。関心が薄い案件には予算がつかず、支援がうけにくい。政治を人気商売ととらえる人たちにとって、益にならない案件は後回しになる。それを防ぐには、もっと直接的で強制的な方法を取る必要があるのではないだろうか。

策を練る前に、まず、日本の状況を見ておこう。

日本の貧困が、海外と大きく違う点は、貧困層でも「識字率」が高く、ネットに繋がる環境にある人が多いことだ。義務教育のおかげで、日本人の識字率は99.96%で、個人のインターネットの普及率は84.9%(共に2022年の数字)だ。
海外の貧困層は、十分な教育を受けていないため、識字率が低く、情報を取得する手段が限られている。無料で垂れ流されるテレビを見て、ひいきのスポーツ球団を応援し、勝っても負けても酒を飲んで暴れることて、鬱憤を晴らす。変わることのない負のサイクルから抜け出せないでいる。逆に言えば、日本でネットコメントが荒れやすいのは、マナーの悪い貧困層が、ネット空間の中で暴れているからだとも言える。

もう一つ、日本人は他者に寛容な民族だと、メディアによって勘違いさせられていることだ。2023年3月に発表された国連の「世界幸福度レポート」では、日本の「幸福度」は47位で先進国で最も低く、その原因は「寛容さ」がずば抜けて低いからだとされる。実際、この調査の2020年度版は、「寛容さ」は対象153の国と地域の中で151位だったらしい。
同じことは、宗教にも当てはまる。日本人は八百万の神を信仰するから、他の宗教にも寛容だと信じられている。だが、価値観を調べる国際プロジェクト「世界価値調査」による日本人像は違う。「他宗教の信者と隣人になりたくない」人が多く、「他宗教の信者を信頼する」と回答する人は少ないという調査結果がある。「日本人すごい」の論調にのった報道や記事を、冷静に見つめ直す必要がある。

日本人が、寄付や支援に関して積極的でないことは、宗教の戒律的な相互扶助の精神が薄いことと、税制でも控除制限があるうえに行政手続きが面倒になることが原因の一つだ。ならば、インターネットを利用することで、精神的、時間的な負担を減らし、強制的に寄付の意識を変えるのことが出来るのではないか。

ネットワーク化の恩恵により、日本でもクラウドファウンディングが一般に認知されるようになった。ならば、国がプラットフォームとなって、税金の使い道の一部を、国民に委ねてみるのはどうだろう。もちろん、疫病対策のような緊急性の高いものや、長期的な投資が必要な、防衛や教育や公共事業などは、国が管理する必要がある。だが、政治の一部分を個人に委ねることで、生きたお金の使い方を目指す。政治に関心が持てないのは、運用を行う国の信用が低く、事後評価を怠り、改善が見えないからだ。ならば強制的に、個人が、社会問題について考えること、関心を持つことを義務付けて、自分ごととして考える機会を作ればいい。必要とされる案件に、直接の支援がまわるエコサイクルの社会実験だ。

マイナンバー制度とブロックチェーンの活用で、匿名性の高いデータの管理が可能になる。ならば、以下のような社会事業を行う団体への寄付も可能だろう。

  • 所得税の半分を、3箇所以上の団体に直接支払うが、同じ団体に2年続けることを禁止する。怠った際には追徴課税を義務づけることで、強制的に支払い先への関心を持たせる。

  • 支払いを受ける団体は、決済を全て電子マネーで行い、収支報告を納税者に報告することを義務付ける。第三者機関からの監視も義務付ける。

  • 行政から統計以外の、個人情報へのアクセス、閲覧を全て履歴に残す。個人から問い合わせがあった場合には、アクセスした理由を開示することを義務付ける。

加えて、収入を持たない若者や、納税の義務の無い低所得者にも、一人、1万円の支援の権利を、国の予算を借りて始めてもらうのもいい。最初のうちはまだ考えが及ばずに、無難な選択をするかもしれないが、自分の選択で社会に影響を与えることができるという経験は、意識に変化をもたらす。情報を収集し、その成分表示まで見極めたいという動機付けになる。

当然、直接民主主義にはリスクがある。ネットワークの負の側面として、現代の民主主義は劣化し、閉鎖的で近視眼的になった。野心的な試みも、扇動的なヘイトスピーチや、大衆迎合のポピュリズムに利用される恐れがある。それでも、小さな規模からでも実験を進めるべきだろう。

お金が動いた軌跡が見えると、人の像が浮かび、残り香を感じられる。誰かが見ていること、世界に一人でないことの気づきは、安心と、あきらめないという選択肢を残す。不公平な天秤が、少し傾きを戻すと実感できる。お金に色はなくても、お金の流れは、人の感情の流れであり、強制的に意識を循環させる。多くの人たちがその流れに触れることで、透明だった人の存在を浮かび上がらせる。

人は、意図しない不運に見舞われる。共助の仕組みが働き、一時的には支援を受けるが、時間と共に、存在は見えなくなっていく。災害、事故、障害。不幸なガチャによる不平等を、リカバーする社会システムの構築には、コストをかけるべきだ。政治とは、一人では解決できない問題を担保するシステムだ。会社も、NPOも、国でさえ、再分配を前提とした、社会のニーズによってできている。支援は、自分たちが住む社会への再投資であり、止まった瞬間から壊死が始まることを心得るべきだ。

多くの人が、SNSで、充実した人生や、派手な人脈を晒して、自分の理想像を発信している。だがそれでは、人間性までは分からない。ならば、人の評価軸に、新しく「政治性」という社会参加を示すスケール(指標)を追加してはどうだろう。納税先を公開することで、社会参加指数を履歴化し、「優しさ」という曖昧なポジションを、具体的な行動履歴で人物評価に結びつけられる。人の輪郭は、使ったお金で作られる。世間に向かってドヤりたい人は、SNSでどこにどれだけ支援したかを発表すればいい。その権利はあるし、その行動も含めて、人間性が評価されるだろう。ドヤる必要がなくても、初対面の人には、履歴書として使える。学歴や収入だけでなく、人生の何にプライオリティをかけるのかを知ってもらうのが、自身のキャラクターアピールになり、その人との相性につながる。

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