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読書メモ:メドック 至高のワインづくり

 山本博氏の「ワインの女王 ボルドー」の中で、ボルドーワイン研究家必読の本として挙げられていたので、研究家ではありませんがいちワイン初学者として手に取ってみました。

 ワインを飲みつけない人にはまったくピンとこないことでしょうが、ボルドーといえばきわめてブドウ作りに適したフランスを代表するワインの生産地域であり、その中でもメドックというエリアは最高級のワインをつくるシャトー(ワイン生産者)がひしめいている、たいへん土壌と気候に恵まれた地区です。かの有名なシャトー・マルゴーもこのメドックの中にあります。

 著者のフィリップ・クリアンはこのメドックにて17世紀からワイン醸造所を営む家に生まれ、その5代目として非常にすぐれたワイン作りをしています。彼のシャトー、トゥール・オー・コサンがあるバー・メドック(メドック下流)は、格付けシャトーの居並ぶオー・メドック(メドック上流)に比べて一段下に見られがちなのですが、勝るとも劣らぬ評価を得ています。

 本書はフィリップのシャトーが世界のワインマーケットで認知されていく過程を、幼少や青年期の記憶を交えつつ、ワインづくりのディテールとともに綴っていきます。彼はなかなかに詩人で、なかでも冒頭のアトス山の修道院で供されたワインを飲むシーンなどは、まさにワインの本質を捉えた美しい文章になっています。

 グラスにつがれたワインに、一瞬のうちに数千年の時間が溶けこみ、すべての地中海文明が混ざり合った。(略)大ラブラ修道院の石のテーブルにあったのは、まさにぼく好みのワインだった。このワインはほくの信念を強めてくれた。
 そうはいっても、そのワインは、上等ではなかった。(p.11)
 修道士たちのワインは、あらゆる要素をもち、象徴的なものになった。あの夜、ぼくはワインとはなにかを理解した。ワインがなぜ聖なる世界に属し、多くの人を感動させるかということも。ワインは知的な面をもつことがある。しかし、アトス山のギリシア・ワインの率直さは、なにものにも勝ると思われた。あの率直さは永遠のものであり、一種の完璧な芸術だったのだ。(同)

 若い頃の私であれば、酒が時間や永遠と接続される比喩表現など、陳腐なロマン主義と断じたと思いますが、現在の私はこの感覚にとても共感したんですねえ。多少はもののわかる大人になったということでしょうか。ワインに限らず、形而上的な感動をもたらす食体験というのはたしかにあって、それは必ずしも値段の高低や味の良し悪しだけによるものではないのです。

 自叙伝のような、ワインづくりのエッセイのような、あるいは小説のような、不思議な感触を持つ本ですが、読みどころである、高級ワインを擁する大手シャトーへの批判もふくめ、ワインに興味のある方は一読する価値はあるやもしれません。

 まあ、本を買うよりシャトー・トゥール・オー・コサンのワインを買う方が良いかもしれませんが。私はさっそく注文しましたよ。

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