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犬飼美穂 38歳 飲食店勤務

犬飼美穂と申します。世田谷区で一人で暮らしていますが、事情により今はビジネスホテル住まいです。飲食店勤務と申しましたが、週5日、隣町の定食屋さんに夜だけアルバイトとして勤める、ぐらいのものです。
かなり前に、世田谷カレーランキングという取材で店にいらっしゃったテレビ番組のスタッフの方から突然連絡があり、何か文章を書いてくださいと依頼されました。
突然のことで訳がわからなかったのですが、その方は今コロナ禍でいろいろ何か悩みがあるのではないか、と仰り、その事は文章にするといくらか整理できたり気も落ち着くことがあるから、と言われました。
確かに私は今、大きな悩み事を抱えています。しかし、今のコロナウイルスの問題とは全く関係がないのです。そんなことを書いていいのでしょうか、と思いますが、何でもいい、とテレビの方は仰ったので、とりあえず書いてみることにします。今はコロナの影響でパートもなくなり、時間だけはあるのです。

はじめて、家の壁がドンっと鳴ったのは一ヶ月前のお昼頃でした。リビングの壁にかけてあるドライフラワーやら、写真たてがガタガタ揺れたのを憶えています。かなり大きな音でしたので、キッチンにいた私は、地震か?と思いその場に屈み込みましたが、やがて壁が鳴ったのだと気付きました。
私の家は5階建てマンションの二階、お世辞にも高級とは言い難い作りだと思うので、隣人が書棚か何かを倒してしまい、壁にぶつかってしまったのだなと思いました。
しかし、その日からおよそ2日おきに、壁が鳴るようになりました。それが、一発の時もあれば多い時で三発連続でなることもありました。
これはおかしい、と思った私は信頼できる知人に電話で相談し、まずは音のする隣人へ手紙を書くことにしました。お恥ずかしながら私は隣人のことをあまりよく憶えておらず、確か二十代ぐらいの夫婦だったな、ぐらいの記憶しかありませんでした。隣人の方が先にここに暮らしていて、私が引っ越してきた際、手土産持って隣に挨拶に行ったことがありましたが、夫の方が昔の俳優に似ていたなというぐらいの印象で、朧げで名前も定かではありません。とにかく、今はいきなり訪ねて行って事を大きくすることは避けた方がいいと思いました。
私は、一枚の便箋に、壁のことをしたためました。とはいえ、非難や怒りの内容ではなく、あくまで、心配です、大丈夫ですか?といったものでした。表札で隣人がA家ということがわかりましたのでA様へと書いて隣の郵便受けに便箋を投函しました。
それから三日は何も起こらなかったので、よかったと思っていました。しかし4日目の夜。今度はさらに大きく、例えるならゴルフクラブで壁を連打するような、鋭く重い音がドンドンドンドンドン‥と響き、それが1分間ほど続きました。
私は少しパニックになって、その場をウロウロしていました。これはいよいよ危ない、と思いました。このままほっておいても良いのかもしれないが、例えば夜中に廊下で隣人にバタリと会ってしまった場合どうすれば良いのか。逆上した隣人によって直接、身に危害が及ぼされるのではないか。さまざまな想像をして私はたまらなくなってしまいました。
そんな時、ちょうどまた信頼できる知人から電話がかかってきたので、その場はなんとか落ち着きました。

ですが、それからというもの度重なる隣人からの嫌がらせが続きました。ある日、郵便受けに手を入れるとうっすら温かみを感じたので、確認すると、燃えて半分灰になった紙がビニール袋に入れてあり、よく見ると、私が隣人に出した便箋でした。
またある日は、何かよくわからない大量の小骨が入っていたり、私と知人が道を歩く様子を隠し撮りしたような写真が入ってたり、と、どんどんエスカレートしてきていました。壁の音も鳴り止まず、ついには叫び声のような音まで響くようになりました。恐る恐る壁に顔を近づけると男か女かわからぬ声で「バイタ、この売女」と叫んでいるようでした。
考え抜いた結果、私は家を出ることにしました。今は調布の安いビジネスホテルで今は長期滞在しています。毎日のホテル代はきついですが、少しばかり貯金があったのと、多少は知人から援助を受けています。

今後のことですが、私は来月落ち着いたら実家の奈良県に帰ろうと思っています。隣人からの恐怖は都内にいては逃れられそうにありませんし、こんな世の中でこれから仕事もどうなるかわかりませんでしたから。
とはいえ実家もあまり大きい家ではないので、近くにアパートを借りて細々と暮らしていけたらと思います。幸いにも信頼できる知人が大阪出身で、そういうことであればと私と奈良に行ってルームシェアしてくれることになりました。
大変な目に遇いましたが、病気がちな両親の心配もあったので、ちょうどいい機会だったのかもしれません。そう考えることにします。
そういうわけで、どういうわけかわかりませんが 笑 文章を書くのを終えようと思います。
オチもひねりもない文章で申し訳ありません。みなさんこんな時期ですが一生懸命生きていきましょう。
明るく希望の持てる未来に向かって。
了。

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犬飼です。
この文章は、了。と上記を書き終えてから2週間後に書いています。実は、あれからまたいろいろなことが起こりまして、結果、奈良に戻るのは止めることになりました。いろいろありますが大きくは親愛なる知人とのルームシェアが叶わなくなったことです。それどころか、先日から知人と一切連絡がとれなくなってしまいました。彼のすすめで、警察にも管理人にも連絡せず、ホテル住まいをしているというのに。酷い話です。

また前回の文章で、少し嘘をついていまいました。隣人夫妻のことをあまり記憶にないと書きましたが、それは嘘で、私の頭の中にははっきりと記憶に残っていました。なんでも書いていいと言われたのですが、やはり自分の気持ち的に嘘は気持ち悪いと思い、補足します。

今はホテルのそばの高台の公園で、ブランコに座ってゆっくりと揺れている毎日です。そんなことをしているだけなのに、いつものように日が暮れていきます。日が暮れるのが今とてつもなく恐ろしいです。

最後に知人から連絡があったのは、3日前のメールでした。
「ごめん。妻ともう一度話し合うから待って」とだけ書いてありました。

私の部屋は今でも、あの壁の音が鳴っているんでしょうか。主のいない何もない部屋で虚ろに響いているんでしょうか。
そう考え始めると、不思議と、あの音が懐かしくなっている自分がいます。あの時は苦しみながら、怯えながらも、心の何処かに、なんというか「奇妙な優越感」みたいなものが湧いてきていたのだと思います。

コロナが落ち着いたら、家に帰ってみようと思います。
もう一度、あの音を聞くために。

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