見出し画像

栗原史恵 40歳 図書館司書

都内の区立図書館に勤めている栗原史恵といいます。
知り合いのテレビ業界の方に勧められて、初めて文章を書いて投稿してみることにしました。ですが、私は日常書籍に携わる仕事をしながら、自分で文章を綴る、と言ったことをこれまで全くしてきておらず、日記も何か嫌なことがあるたびに始めるものの、大抵3日か4日で諦めてしまう有様です。家に置いてある頭の2.3ページだけ書かれてある何冊ものノートを見るたびにああ、私はものを書く方の人間ではないのだな、とつくづく思ってしまいます。
実際この文章も「有名な脚本家が自分の思うことを音声に録ってから書き起こす」と聞いて、同じように私の声をスマホに録音してから書いています。いわゆる地の文を書くのが苦手な私にとっては、いい方法だと感じています。ですが弊害もあって、自分の声をあらためて聞くと、40になる私の年輪というか人間の深さみたいなものは一切感じられず、ただただ仕事に疲れて、異様にか細くなっている情け無い自分と常に対峙することになるので、それはそれでかなり厳しいのですが、奮い立たせて書いていこうと思いました。

なぜ、そんな筆不精の私が何かを書いてみようと思ったかというと、その理由は明白で、20年交際していた人と先月契約解消してしまったからです。契約解消、と聞こえは固いですが、端的に言うとフラれてしまった、ということです。
その相手、仮に餅山という名前にします。餅山は出身大学の二つ先輩で同じ写真サークルに所属していました。二人ともサークル自体はあまり参加していなかったのですが、揃って図書館司書の単位取得を目指していて、その授業の中でどちらともなく会話をするようになりました。餅山は文学部の学生にしては体格がよく、短髪で、いつも大声で話す、体育会系に間違えられるような人でした。普通の授業に加えて、かなりの量の必修授業があったので、皆がサークルで楽しく遊んでいる中、せっせと夜まで授業に出つづけるのは大変でした。でも、餅山の教授への愚痴を聴きながら、一緒に帰る時間が、私の中でどんどん大切なものになっていきました。
そんな暮らしが一月ぐらい続いたのち、学生街の洋食屋で突然、交際を申し込まれました。隣の席でカニクリームコロッケを食べていた学生の驚いた顔が今でも忘れられません。
何もこんなところで言わなくても、、、と、私も色々な意味で困惑しましたが、かえってその清々しさに私は笑い出してしまって、食事後、二人は固く握手して店を出ていました。こうして客観的に思い出すと、本当に契約締結みたいですね。
大学卒業後も契約は続き、やがて私は現在の図書館に勤め始め、餅山は港区にある教科書出版社に就職しました。餅山にとって図書館司書は一番の目標ではなく、とにかく本に触れていられる職業を目指していましたから本人にとって納得した就職先のようでした。

それから、です。
この先は数多の小説のように激しく熱い展開があるわけではなく、または、冬の映画のように悲しく、美しく堕ちていくわけでもなく、私たちは淡々とした毎日を送ってきました。
勿論、多少の口喧嘩や、将来的な事で傷つけ合ったりしたこともありましたが、おそらくそれは些末事で、私達の関係に大きな暗い影を落とすエピソードは無かったように思えます。
いや、私がそう思っているだけで、餅山には私との断絶を意識した決定的な瞬間があったのかもしれません。私から見て、いつも餅山は爽やかに大きい声で笑っている印象で、その瞳の奥に何を秘めていたのか、今となっては知る方法がありません。

とにかく先月、本当に糸が切れたようにプツリと、交際解消したいと言い渡されました。結婚したい人がいる、とのことでした。私にとって餅山は生活の一部であり、当たり前に隣を歩いている人間でした。あまりに突然で何も言えないでいると、餅山はいつのまにか少し長くなった前髪をかきあげ、静かに、ごめんね、と言って私の前から立ち去りました。喫茶店に取り残された私は、しばらく茫然自失で、意味もなく角砂糖をコーヒーに入れ、それが溶けるのをジッと見ているうちに、数時間が立っていました。
そういう状態が、今も続いています。
冒頭にも述べましたが、私は私自身の筆不精を呪います。もし私に文章能力があったなら、このやり切れない気持ちを、感情のひだみたいなものを、つぶさに美しい言葉に変えて、昇華して私自身の心に戻すことができるのに。20年という恐ろしく長い年月を共にした相手への思いを、豊かな表現に閉じ込めて、飾っておけるのに。
こんなに耐えがたい喪失感に出会わなければならないとしたら、愛する人になんか出会う必要なんかないのに、とさえ今は思います。人と人との関係はお互いクサビを打ち込むようなもので、関係性が深まれば深まるほど、相手に食い込む孔も知らず知らず大きくなっているような気がします。
死別、離別、どんな形であれ、いつか家族や愛する人との別れが訪れるとしたら、いずれクサビは外され、そこには埋めがたい大きな暗い孔だけが残されます。
私は今、昔見たホラー映画のように、ショットガンに撃たれて胸から腹までがポッカリ空いて困惑しながら街を彷徨うゾンビです。

いつかこの孔が埋まる日か来るのでしょうか。
私が人間に戻れる日がくるのでしょうか。

人から頼まれた文章で、かなり重い話になってしまいました。こんな話をするはずではなかったのですが、実際に文章にして吐き出してみると幾分楽になっているのを感じます。言葉の力って改めてすごいですね。
これからも言葉に寄り添って、何とか必死に生きて行こうと思います。このような機会を与えていただき、ありがとうございました。

そして、さようなら。町山香里奈さま。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?