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柊恵子 34歳 文房具店勤務

柊(ひいらぎ)と申します。
板橋区の文具店で働いています。何年か前に友人の結婚式の二次会でたまたま隣り合ったテレビ業界の方とお話しする機会があり、その方の勧めでこの文を書いています。いざ書こうとすると、手紙やメールはすぐ書けるのに相手がいないとどうもうまく文章が進まないので、その方にお話しするつもりで書いてみますね。

二年前、私はピアスをゲットしました。こんな風に書くとまるで高校生の報告みたいで恥ずかしいですが、おそらく最後にジュエリーを身につけたのは10年以上も前なので、私にとっては大きなエピソードなんです。名前は「トゥルー・ブルー」といって、白銀の石座の上にとても小さいターコイズがはめ込まれていて、銀と青で、色どりとしては派手かもしれないなと思いましたが、つけてみると、意外と上品で似合うかも、と思いました。

仕事場と自宅の往復、たまに趣味で地元の手芸サークルに行くくらいで、普段なかなか自分を飾るものにお金をかけることはありません。文具店といっても、オフィス街にある大型のステーショナリーショップではなく、古びた商店街に並ぶ、小・中学生や、私の父母世代が毎日朱肉や便箋を求めに(何に使うんでしょう?)やってくるような店なので、いつしか外見に気を使うことがなくなってきていました。誰かの結婚式に出席する際も、ここ10年は、かなり前に買ったベージュのワンピース一本勝負です。一緒に暮らしている両親も私の生活面にいろいろ言ってきましたが、ずっと言うことを聞かないでいると、最後には呆れて何も言わなくなってしまいました。

そんな私なので、このピアスをつけるのにも勇気がいりました。でもたまにはと、思い切って身につけることに決めました。
不思議なもので、こんな小さいものを耳につけただけなのに、私自身が少し変わったような気がします。思えば高校や大学の時はファッション雑誌を毎週買ったりしたりして、もうちょっと意識した時代があったはずなのに、いつからこうなってしまったんでしょう、、、共に歩むパートナーもまだ現れていないのに、、、反省しなければいけませんね。苦笑。
そのピアスを、私は寝る時とお風呂以外はいつも着けて過ごすようになりました。自分が常に見られていることを意識すると、これまでズルズルと過ごしていた怠惰な生活が消え、常に自分を律する感覚が生まれます。常に猫背だったのが、背筋を伸ばして生きるようになったような感じで、やはり手に入れてよかったな、と思いました。

ある日の午後、いつものように文具店のカウンターで仕入れ伝票の整理をしていると一人の男性が入ってきました。40代半ばでしょうか、身長が高くスラッとしていて少し前に見たドラマに出ていた渋い俳優に似ていました。スーツ姿の男性が普段この店に来るのは珍しいので気になっていると、その男性は手帳売り場を軽く眺めて、やがて奥の方に入って行きました。
どういう人なんだろう、近所の人か、仕事でたまたまここらへんに来ただけか、、、などと伝票に目を落としながら考えていると、いきなり目の前に大きな手があらわれました。万年筆の替インクを持ったその男性の手でした。
「これください」私は慌ててしまい、なぜか、すみません、と言ってレジを打ちました。その男性は会計を済ますと私の顔を2秒ほど澄んだ目で見てから振り返り、店を出て行きました。
それから、3日間連続、その男性は店にやってきました。買うものはいつも違いましたが、なぜか私の様子を伺っているような気配を感じていました。少し自意識過剰かな、と苦笑いしていると、なんと、その男性が恐る恐る私の方に近づき、小さい声で突然「お茶に行きませんか」と言ってきました。店内には子供たちや高齢の客がウロウロしています。ナンパにしてはムードがなさすぎる場面です。は?と私が聞き返すと、男性は声を潜めてもう一度、
「お話がしたいんです。お茶に行っていただけませんか、、、」と恥ずかしそうに言いました。私は動転してしまい、カウンターの上の電卓や書類を意味なく引き出しにしまいながら「仕事中なのでいや仕事中でなければいや夕方5時であれば」などわけのわからないことを口走りましたが、結局お話だけなら、とその日の仕事終わりで会うことにしました。
こんなことが起こるとは思っても見ませんでした。もしかして、このピアスのおかげなのか?そんなことを考えながら定時を過ぎると、私は色褪せたエプロンを脱ぎ捨て、事務室のトイレで急いで身なりや髪型を整えると、外に出て喫茶店に向かいました。
喫茶店に入ると、奥のソファーで男性は何か書類を読んでいましたが、私に気づくと、立ち上がって会釈しました。彼の名前は井ノ川真吾。製薬会社勤務で、近くに引っ越してきたばかりだが、たまたま入った店の私が気になり(なんと!)声をかけてしまった、というのです。
私は、溢れそうな笑みを隠して、努めて冷静な素振りを見せました。話といっても井ノ川には特定の話があったわけではなく、素直に私と時間を共有したい様子でした。決して話は上手ではなさそうでしたが、なんとか振り絞るように自分のエピソードを話す井ノ川は、私には実直に思えました。まあ、文具屋で声をかけてきている時点で、遊び慣れしている人間ではないことはわかっていましたが、、、。
その後、私達は何回かデートを重ね、見事交際することになりました。彼は自分のことを話すだけではなく私の悩みとか辛いことにも耳を傾けてくれ「僕が君を一生救います」と照れながら言ってくれています。
こんな私にもようやく春が来ました。まさに青天の霹靂です。私は今、ほんの少しのことがきっかけで人生は大きく変わっていくことを身をもって実感しています。こんな幸せが毎日続けばいいのに、と心から思います。本当に真面目に生きていてよかったです。
拙い文章で長々すみません。言葉の使い方や変なところがあったら直してください。よろしくお願いします。

※以下は、三ヶ月後に追記しています。

追記
井ノ川との交際を続けて二ヶ月が経ちました。あの男の正体は、悪魔でした。
私を甘い言葉で手なずけておいて、私の魂をむしばむ獣でした。
交際が始まって一ヶ月が経った頃、井ノ川から折り入って話があるというので、前入った喫茶店で会うことになりました。すでに井ノ川の自宅にも何回も泊まっていたので、少しおかしいな、とはその時感じていました。
席に着くなり井ノ川は「似合わないからピアスを外せ」と言ってきました。突然なぜそんなことを言うのか、問い詰めると、井ノ川が隠していた、ある大きな事実が判明しました。
実は井ノ川は私の容姿や佇まいに惹かれたわけでなく、私のピアスを見つけて近づいてきた、というのです。
12年前、井ノ川の妹が失踪しました。大学二年生でした。原因は不明ですが、失踪の少し前から、妹は何者かに宝玉や仏像を買わされ家に持ち込んでおり、失踪前の最後に購入したのが、私と全く同じデザインのピアスだったというのです。兄である井ノ川は、おかしい奴に関わるな、と幾度と妹を説得しますが、いつの日か妹は姿を消しそれ以来12年音信不通になりました。井ノ川はそのときから
このデザインのピアスを探し続けていたというのです。

「君は詐欺集団に騙されている」
井ノ川は私にそう言い放ちました。
私はそれを聞いて、とても憤慨しました。そのピアスは正確に言えば、買わされたわけではありません。死後の世界の供託財産として定められた現世の金額を預け、その証として大守神さまから付与されるものです。そうすることで自らが死後の世界に赴いた時、価値のある財産(意識下の心の安寧として)がすでに用意されているのです。43万円という金額は確かに私にとっては高額ですが、あくまで現世の価値観であり、死後の安寧と引き換えにできるのであればタダ同然の金額だと思います。
私の場合は、地元の手芸サークルの方の勧めで、丑寅牟無限学会大守神さまの存在を知りました。私はその頃、将来の死に対する漠然とした恐怖感に襲われていて、自らの命を絶つことまで考えていました。それを話すとサークルの方が紹介状を書いてくださり、直々に大守神さまにお会いできることになりました。実際に神殿に赴き、簾越しですが大守神さまのお言葉に触れた時、本当に救われた思いがしました。井ノ川と同じように家族や友人知人には詐欺新興宗教だと散々罵られましたが、その中には誰一人として、死の恐怖を癒やす術を教えてくれる人はいませんでした。治療法のない大病を患ってしまったら、どんな方法でも試すのが人間の本来のあり方ではないでしょうか?
大守神さまを信じることで、周囲の人間とは半ば絶縁状態になってしまいましたが、私は決して悔いていません。井ノ川の妹も、きっとそんな思いだったはずです。

井ノ川は熱い言葉で、家族が、愛する人がこれまでどれだけ傷ついたかを涙を流して語りました。そして最後に両手で私の肩をつかみ、私の瞳をまっすぐに見つめながら「君を救いたい」と言いました。
ですが、残念ながらその言葉は私には虚空に響くばかりでした。大守神さまのお言葉に添えば「俗獣の塗善」に過ぎません。
私はしばらく井ノ川の整った顔を眺めると、ゆっくりと立ち上がり、一礼して店を後にしました。外は大雨が降っていました。
理解の無い男に捕まらずに本当によかった、とずぶ濡れで街を歩きながら思いました。
ですが、、、なぜでしょう、同時に私の両目から熱いものが溢れ出て来るのがわかり、私にはそれを抑えることができませんでした。

大守神さま
私には、まだまだ修行が足りないようです。

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