体育会系の論理

ウを構成する成分を三種を挙げるとするなら"ネット、本、音楽"です。その3つの中で自分が何の信者だったんだろう?と考えるとネットなら『にゃるら』作家なら『田中慎也』音楽なら『神聖かまってちゃん』でした。
この3つの共通項が分かりますか?「メンヘラのアイドル」です。にゃるらはTwitterでメンヘラから日夜DMが来るだろうし、田中慎也は今時に純文学で本人が引きこもりなんて読者は殆どメンヘラだろうし、神聖かまってちゃんは言うまでもないですね。私は自身をメンヘラとは思ってないのですが近いところにはいるのかもしれません。
しかしメンヘラに好かれる作品を産み出しても作者は真逆の根性論や体育会系な思想ある気がします。にゃるらは赤子のように泣いても意味はないので努力するしかないとnoteに書いていたし、田中慎也は1日も休まずに机の前に座りペンを持つ事を続けているし、神聖かまってちゃんの"の子"は突き詰めると自身が体育会系気質だとブロマガで書いてたはずです。
彼等と本当の体育会系との違いは、他人に強要する気はない事だと思います。むしろ同調圧力のない中でそれができる彼等こそが本物の体育会系と言えるかもしれませんね。
「憧れとは理解から最も遠い感情だよ。」とはよく言ったもので、本当に好きなモノを理解しようと思ったら、私達が毛嫌いするような努力や根性論や体育会系の論理が時として必要になるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?