命のそばで

先日、お彼岸に親戚が墓参りに来てくれて、仏壇にも花を添えてくれた。僕の住むアパートは「ペット禁止」だから、普段は、自分以外の生き物はゴキブリか、家蜘蛛ぐらいだが、長い間、意図的に「他者と暮らす」とか、「他の命」と共に居るという経験と疎遠だったので、仏花でも、近くに生きる命が居る暮らしを楽しんでます。

 もともと、朝起きたら、仏壇に線香を灯す習慣だったから、自然と「朝いち」で、花に目が行く。するとやはり、自然と「水を換えてあげよう」なんて気になり、そうする。
そんな生活を送っていると、心にゆとりと余裕が生まれた気がするが、それは、そんな「気がする」だけで、実際の余裕じゃないので、その余裕は、生活に、様々な支障をきたす。元来、僕は滅多にセコセコしたり、イライラしない性分の「ゆったり野郎」だから、そんな奴が、無駄に余裕かましていると、バスに遅れて、人を待たせ「いや~すまん、すまん」なんて羽目に陥りがちだが、花から与えられる「癒やし」は、なに物にも換え難く、その為なら、バスに遅れて、人を待たせるくらい仕方ないです。

何故、人は、花に癒やさるのだろう?単純に考えれば「綺麗だから」ってところだろうが、しかし、それは、ちょっとおかしいぞ、確かに綺麗な色の花は多く存在するけど、そもそも「色」とは、我々一部の類人猿が、光の反射や、光の周波数の違いを、色と識別しているだけだ(反射が無ければ黒・全ての光を反射すれば白・光の波長が長ければ赤、短ければ青と認識しているだけだから、我々の視神経がそのように進化しただけだから、花に色が着いている訳でなく、我々に花が、そのように見えてしまう目玉が付いているだけなのに不思議なくらい癒やされます

もちろん、花に、色が着いているのは、「受粉」の為で、可視光線しか見えない人より、もっと様々な光が見える、優れた目を持つ昆虫達を惹きつけ花粉を運ばせ、繁殖する為だ。(繁殖=命を紡ぐ為)だが、弱肉強食の自然界で色を纏い目立つ事はリスクでもある筈なのに、それでも可憐な姿で癒やしてくれるなんて健気な花の世話の為なら、人を待たせるのは、やむを得ないですが、 一つ問題が有るとすれば、そうして、僕の遅刻で、僕に待たされてしまった相手が、このブログを見たら、怒ってしまうかもしれないという事だけですが、
もし奴が、怒ったら、「花の世話でもして癒やされたまえ」とアドバイスしてあげよう。花は、もっとも手軽なストレス対策ですからね。皆様も是非。

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