色と欲の話


ベランダで育てているチューリップも、ようやく、花開き、街に出ると桜は満開だ.

春は、なんと、色鮮やかな季節だろう。

色という概念は、きっと、この時期に生まれたのだろう。

空の青に、雲の白、木々の緑と、目に映る光の全てに、名前を付けていくのは、骨の折れる作業だった事だろう。我々は、物を色と形で、識別するが、

色を識別出来る生物は、決して多く無い,我々一部の類人猿と,一部の昆虫だけだ、 目の発達の動機は、当然「食」のためだろう「食べる」為」と「食べられない為」だろう,

我々猿と昆虫(つまい、色が見える輩)の共通点は、

海を出て、陸地及び上空に引っ越した一族である事だ、もちろん海にいた頃から目はそれなりに発達していただろう。

また、別の道を選んだ命もある、別の情報器官 「触覚」だ

目を発達させた生物と触覚系の生物では、我々「目系のイキモノ」が進化という生存競争を制したように見えるが、何故だろう?

中には、目も触覚も両方ある深海系の連中もいる

各情報器官の発達が情報処理器官である脳の発達を促したはずだと察すれば、我々の二倍の情報量を持ち得る、「目と触覚両方」族の彼らの方が,我々より、二倍高度な脳を獲得していても、不思議ではない気がする。

 穀物、野菜、魚、肉と、並んだ彩りどりの食卓をみれば、どんな牙より爪より「獰猛で血生臭い補食器官」である「脳」を得るより深海で細々と平和に暮らす事を

我々の二倍賢い彼らは、選んだのだろうか?

我々のように欲望のままに脳を発達させなかっただけだろうか?

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