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【政治】菅直人から学ぶ。現代人は政治に主体性をもたない「お任せ民主主義」

【幅広い知識を身につけた最強のビジネスマンを増やす】
哲学・金融・心理学・政治・マーケティングなどの書籍から得られた知識を、ビジネスに活用できる観点に置き換えて発信するnoteです。

本稿では「首相官邸で初めてわかったこと;下村健一」を引用して、を紹介していきます。

【読んでほしい人】
・政治に興味はあるが誰に投票するか毎回悩む人
・もっと政治について内情を知りたい人

【プチコメント】
本書は菅直人が総理大臣になった際に官邸内にいた人間が見たまま聞いたままを語った真実になります。なので総理大臣がどんなことを考えているか、官邸の内情がよくわかる良著です。

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#1.井の中の総理大臣

政治家が話す場面を見て私たちは多かれ少なかれ、話がつまらないとか差し障りない発言しているなーと思ったことは誰しもあるだろう。

私も本書を読むまでは結構感じていた。でもそれは総理大臣を筆頭に話している政治家自体が悪いのではなく、周りの環境がそうさせているのだ。

「消費税改革案について早期に超党派で合意し議論を始めたい。10%を参考に」

例えば、上は菅直人元総理の発言である。平たくこのまま素直に見てどのように感じたであろうか?「消費税が10%になるんだ!(確信)」と思うだろうか?

でも実は真意は全然違う。

「10%を参考に」と書いてある通りあくまで参考の数値であり、そもそも増税がいいのかも含め妥当性を議論したいと思ってるよ、という解釈が正しくなっている。

しかし、政治の世界とメディアはどうやら相撲好きが多いらしい。この発言で揚げ足を取られ「10%増税の意志」として大きく報道された。

その結果国民には良い印象を持たれなかったのは言うまでもないだろう。しかもリアルタイムでコメントを聞いていたわけではなく、一部切り取られたニュースや新聞だけ見ている人はこの事実に気づくはずもない

もう1事例みてみよう。

これまで先送りにしてきた課題に取り組みたいと国会で申し上げてきましたが、この大震災が生じた中で、まず最優先でこのことに取り組むことを当然のこととして、取り組んできました。

私として、この大震災に取り組むことで一定のめどが付いた段階で私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい。

この大震災、原発事故に対して一定のめどが付くまでぜひとも私にその責任を果たさせていただきたい。そのためにも野党の不信任案に対し、民主党衆議院議員の皆さんの一致団結しての否決を、ぜひともお願いいたします。

菅さんは「辞任」するとは一言も言っていない。しかし、永田町語―――文章を額面通り受け取るのではなく行間に読み取れる別の意図を裏読みする―――で理解してしまうと「菅は退陣の意向を表明した」ということになってしまう。

ニュースの画面に出た「退陣の意向を表明」という文字を目で見ながらなんとなく聞いていると、国民もすんなりと「あ、いま辞意を表明しているんだな」と受け入れてしまうから恐ろしい。

そのような揚げ足取りが横行する嵐が吹き荒れる中で、

総理大臣の早期解散を防ぎたいと思う官邸チームはより防御力を高めていく。


官邸は動かないのではなくて、動けない。〔中略〕とてつもない数の方向から、いろんな力が押し寄せてきて、そのベクトルの総和で止まって見えるのだ。

そこは真空状態の独房で、かなり努力しないと情報も入ってこなければ、外の様子も見えない、聞こえない

とてつもない包囲網が敷かれ、総理大臣はいつしか井の中の蛙となっていく。一度こうなってしまうと、世間知らず、国民の声が分かっていない発言になってしまっても仕方ない。

そうさせているのは政治の世界であり、メディアであり国民でもあるのだ―――


「明日の見出しにされないことが、今の広報の目標なんだからね」と側近から諭されたことまであった。

そういった変な切り取られ方をしないよう細心の注意を払うような防御力を高めることが必要になる一方で、政府の前向きな意見を発信する攻めの姿勢もないといけない。

いくらメディアサイドの発信が微妙だとは言え、発信を抑制することはできないし、それを政府がしてしまうのはNGだからだ。

たしかに既存メディアでは政府の批判すべき点(もちろんこれは山ほどあるが)のみが、圧倒的な到達度で、しかもリピート報道によって増幅されて伝わってゆく。

政治家、特に総理大臣になると、手足をもがれた井の中の蛙でありながら攻撃もしないといけない苦しい状態におかれているんだということが分かる。

「冒頭に三〇分くらい、ポジティブなことを言いたいんだ。今度の会見は、言いたいことをいう場にしたい。具体的な政策では何を言うべきか、事実関係だけ、材料として用意してくれないか。あとはぶっつけ本番でやるから」〔中略〕菅さんがこのように元気になると秘書官たちは不安げになる。

秘書官から波風の立つような発言は控えるよう言いくるめられて菅直人が本当に発信したいことは発信できず、国民からは何をしたいのか分からない、真意が伝わらないと言われてしまう


というサイクルが生まれる。

菅直人も元々は一介の市民運動から大成した人間である。その鼻息の荒さはサラブレッドの政治家とは全然違う。そんな菅直人でさえ、長らく培われてきた政治の世界では残念ながら無力化されてしまった

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#2.政治に主体性をもたない「お任せ民主主義」

「この支持率の総理では、どうせ長く続かない」という雰囲気になると、一気に誰も総理のいうことを聞かなくなってしまう。マスコミの論調も「いつまでやっているんだ」となり、本当にいい政策を打ち出しても「延命策」としか報じられず、何をやっても駄目になってもはや下降スパイラルから抜けれなくなる

日本国は民主主義をかかげている。ということは政治を執行するのは政府であるにしても政治家の決定や決定後のちゃんと見守る責任は国民にあるはずだ。

それなのにメディアに踊らされ、言葉尻を拾ったり、目先の施策の出来不出来ですぐ偉そうに「あいつはダメだ」とか「あの施策は愚策だ」と適当に言い散らかす。

否定するのであればもっといい提案があるかというとそうではない。

現在国民やメディアがしていることは外野で文句を言っているだけなのである。そこには国を本当によくしようという思いとか主体的な意見などは何もない。頑張っている人を安全地帯から批判するだけの簡単なお仕事である。

コメンテーターや解説者が「お手並み拝見」というコメントを平然と発していた。〔中略〕そんなお任せ民主主義を一体いつまで続けるつもりなんだ

諸外国の大統領は、任期が決まっているから、その間支持率がどうなろうと、じっくり政策に取り組める。日本だとすぐ”こいつもダメだ、取り替えろ”という話になって、こんな短期では何も本格的な改革などできっこない、というぼやきはかなりしばしば聞いた。制度を変えるか、国民の忍耐力を変えるか。

文句を言うことは小学生も言える。

1国民ができることは一度選んだのであれば、やいやい攻撃するのではなく、しっかり見守って間違った方向に進みそうな時は声をかける

という暖かい見守りではないだろうか?

自分たちの選んだ政治家を簡単に否定するということは自分たちに見る目がなかったです、と言っているようなものだ。

以下のコメントが総理大臣の悲痛な思いを結構如実に表していると思う。

過去の総理がですね、辞められた原因ってのが、なんとなく判るんですね・・・。気持ちが萎えるんですよ。「俺はこんなにやってんのに、なんで判ってくれないんだ。こんなにも頑張っているのになんで評価されないんだ」結局どこかでですね、色んな思いが伝わらないことで、どこかでもう「これ以上やっても駄目だ」と気持ちが萎えるんです。

国をよくしようと本気で頑張っている人を殺してしまって、果たして日本は一体何が正義になるんだろう?どうなっていくんだろう?

もちろん国民だけの責任ではない。政府の中身が実態として世の明るみに出にくい仕組みも加担はしている。

まさしく本書のように実態を発信している人や媒体はあるが、巷であふれている情報量に比べては相対的にやはり少ない

それでも自分で正しい情報を取りに行く姿勢は大事だ。そこを怠っては本当の民主主義は見えてこない。そういった気持ちを国民が全員持つことがまずは大事である。

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#3.官邸からも学びと気づき

政府の運営メディアや社内文書において書き留める内容も多いので必然と文書作成の仕事は多くなるようだが、そのルールには厳然たるものがある。

「今月」や「一昨日」はダメで、必ず「平成二二年〇月△日」というように正確に書かなければならない。

ある部分の字幕で、「保育園」の後に絶対に「等」を入れてくださいという強い要請が、担当部局から来る。

「誰にとっていいか?内容が正しく伝わるか?」が主眼ではなく、誰にも文句の言われないフラットな文章を書くことで尖った意見は丸くなり、記法もみるみる平坦になっていくのだという。

官僚の人たちは皆、頭のいい優秀な人たちのはずなのに、なぜ伝えるのがこんなにも下手なのか」とずっと不思議でならなかったのだが、実は「下手」なのではなく、ああいう伝わらなさことが「上手」という価値観なのだ。

彼ら自身が元々個の力として伝えることが苦手なのではなく、誰にも伝わらないことこそがよしとされるカルチャーがあり、それに馴染んでしまっているのだ。

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2011年の原発事故に関しても気づきが多い。こういったパンデミックの時にはみんな混乱していることもあり、政府に対して攻撃的になる。

不安のあまり「政府だけ得しようとしているんじゃないか?自分たちだけ状況が分かっているんじゃないか?」という邪推が生まれる。だがしかし実態はどうとも限らない。

あの時、官邸は原発の状態について”本当のこと”が何なのか、わかってなどいなかった。知っていて隠せるような、コントロールされた状況ではなかった。

一章で話した通り、政府の中でも情報が行き来しにくい状況になっているため、原発事故当時の状況としては完全につかめておらず、関わる人間が寝ずに必死に対応しても物事の収拾がつかなかった、というのが正しいらしい。

そのせいで国民への周知なども遅れ、批判されているのは理解しているが全力でやった結果それでも対応が追いつかないという状況が正しい状況だ。

また、1点実態を知って怖い内容がある。

原発事故の際、原発に関わるお偉いさん達が官邸に集まったようである。彼ら専門家からの意見が大事となる場面で、彼らに責任感などは全くない状況だったとのこと。

あまりに重大な局面に、自分は答えずに済ませたいという逃げの姿勢で、菅さんから目をそらしてばかり。

官僚も大会社の上層部しても甘い蜜を吸っているだけで、本当に国民を守ろうという責任や自分たちの知恵をアウトプットしようという勇気は皆無だ。

事故前から真剣に爆発の「可能性」を考えていれば、同じ筋道はわかっていたはずではないか。〔中略〕原発安全神話に専門家自身がすっかり洗脳されてしまい、真剣な想定をしてこなかったことの証ではないか。

このあたりの無責任さが明るみに出ている状況で、国民が政府に持つ不信感の原因なのだと思う。多くの人間がこういう状態なのだと予測がつく。

実際そうだ、菅直人のように市民活動をしていて自身の意図―――日本に対して何かを課題感に持ち、変えたいという強い気持ち―――を持ってる人は少数である。

他は家系的に政治家になるコースだったものや、元々熱い想いを持っていたがやがて環境に飲み込まれてルシファーと化したものがほぼだろう。

その中でも一つだけ救いがあった。原発事故への対応を続けるか撤退するか?に関しての流れである。

それまで三日半の言動の頼りない漂流ぶりから見て、やがてなし崩し的に「やはり全面撤退しかありません・・」と発言を変えて来る恐れは、十二分にあると思えた。だからこの時点で菅さんがビシリと「撤退はありえない」と方針を明示しておいたことは、腰の定まらぬ首脳陣に目核にくぎを刺す、という意味では非常に重要なポイントだったように思う。

今、結果を知ってから振り返れば、あの局面での全面撤退がありえないことなど、炉心冷却作業を続行するための至極当然な判断だったと誰もが思える。しかし、この後の自己の展開がどうなるか予見できないあの真っ只中においては、撤退を絶対認めないとあらかじめ告げることは、「場合によっては、現場の作業者たちはその場で死んでもらう」と言っていることに事実上等しかった。

菅直人は撤退はせずに作業を続けるように方針を明確にした。

無責任が横行する中で自分で何が正しいか?どうするべきか?を決めて方針を立てられることがどれほど大きいか、ましてや引用部分にもある通り現場の作業者たちの命にも関わることであるやすやすとは引き受けられない。

それを不甲斐ない専門家をよそ眼に決めてしまえるのだろうから、菅直人というのは決断力に優れた元総理大臣だったのだろう。

菅直人は学生時代、学生運動を行っていた。当時学生運動として盛んだった左翼よりとは別の「イデオロギーでは何もかわらない。現実的な対応をしなければ」をスローガンにした新しい団体を立ち上げて実施していた。

そこから徐々に政界にはいっていくわけだが、

―――政治家の秘書や二世、官僚ではなく、労組宗教団体の支援も持たない、いわば『顔のない男』が激戦区を勝ち抜いた」「市民選挙の有効性を実証」と書き立てた

とマスコミに言われるように成り上がりの政治家である。

個人的にはこういった「政治のことをよくわかっていない」人が政府にどんどん送り込まれるべきだと考える。

今までがどうだったかとか、自己保身のためにはどう立ち振る舞うべきか、みたいな不要なことは考えずに「自分が何ができるか?」を第一信条として貫ける人間がもっと増えていかないといけない。

それがこれまでの、そして今後の21世紀の日本の大きな課題の1つだろう。

━━━FIN


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