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「私の経歴書 7」思い出される苦い過去、シンガポールは新天地になるのだろうか

シンガポールに到着した。ペナンから1時間ちょっとのフライトだった。また、しばらくホテル暮らし。とはいえ、今度は引越しの船便が到着するまで1週間足らずの時間だ。オフィス近くのホテルを予約してある。ホテルまでタクシーで移動した。ペナンと違って都会だ。

初めてのシンガポールは、入社して3年目の冬だったであろうか。
自分の不注意であったが、運悪くシンガポール出張前に交通事故を起こした。止まっている車にぶつかる自爆事故で怪我をした。前歯を2本折り、舌を縫った。
初めてのシンガポールに期待もあったが、諦める気持ちになった。会社に話したら、笑われて、代わりはいない、予定通り行けと言われた。
縫ったままの舌はあまり動かず、食べ物もうまく食べられない。前歯もなく見てくれがあまりよくなかったが、そのまま飛行機に乗った。機内食もろくに食べられなかった。

シンガポールに到着した翌日は駐在員事務所に顔を出し、事情を説明、抜糸してもらえる病院を紹介してもらった。早速診断に行き、3日くらい経ってから抜糸した。それが初めてのシンガポールとの出会いだったと思い出す。

翌日はシンガポールのオフィスの出社した。4年前シンガポールを去った時から場所も変わっている。オフィスにいるメンバーも知らない顔ばかりだ。関係者に挨拶し、新しい職場になる購買部門のメンバーにも紹介してもらった。
マレーシアでは工場勤めだった。日本でも工場やテクニカルセンター勤めだった。街中のオフィスで働くのは初めてだ。購買部門は女性が多いようだ。現地のトップも女性だった。何か冷たさみたいなものを感じた。

1年のうちに2回も勤務地が変わるのだから、手続きもなれたものだ。現地の総務人事が色々段取ってくれるから、到着してからやることもさほど多くなかった。自動車も会社支給だという。予算確保していなかったので、来期まではレンタカーといわれた。自分で契約したが、あとになって人事の担当女性から文句を言われた。人事の方でやってくれるようだった。知らなかった。

正式なエンプロイメント・パスが届いた。
5年くらい前のこと、入国審査で捕まった苦い過去を思い出す。マレーシアジョホールバルとの国境を頻繁に往来したことがいけなかったようだ。
「何の仕事しているか」と審査官に聞かれた。
説明が悪かったのか、別室に連れ込まれ、改めて市内にある入国審査局本庁で釈明することを求められた。
正直、ビビった。
その時、助けてくれたのは当時の総務人事の女性マネージャだった。彼女と一緒に本局に出頭し釈明した。彼女からは一言もしゃべるなと言われた。誤解があるとまずいと判断したのだろう。暫定のワーキングビザを取ったほうがよいのではとの話もあったが、最終的には総務人事が作成したレターを携帯することで許可された。助かった。
もうそうした心配もなくなった。パスポートと一緒に大切に保管することにした。

5,6年前、この地で走り回っていたことも走馬燈のように思い出される。突然、仕事を奪われ、やる気が萎え、日本に戻った。立ち直るのに少し時間がかかったが、また戻ってこれた。あの当時よりはいくぶんかは成長したのだろうか。当時のことを知っているメンバーはもう誰もいない。また、新たな仲間とのつきあいが始まる。長いつきあいになるようにしていかなければならない。
筆記試験も近いづいてきている。宿題になっている安定的な部品供給体制つくりも始めなければいけない。少しばかりプレッシャーを感じながら、シンガポールでの新しい生活が始まった。
(つづく)

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