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「私の経歴書 11」出会いが感情を鼓舞するとき

課長試験は何とか通ったが、その試験のさなかにも、気にかけていなければならない仕事がいくつかあった。そのひとつが、中国での新機種生産だった。
中国深圳では、もう、その新機種の生産が始まっていた。新機種に使われる部品の一部を香港経由でマレーシアのオフィスが手配、マレーシア、シンガポールで集め発送していた。マレーシアの生産を続けながら、追加になった仕事だ。
中国で部品生産ができるようになれば、少しはマレーシアのメンバーの負荷を落とすこともできるし、コストセーブにもつながる。課長試験を間隙をぬって、中国を訪問して体制作りの検討を始めていた。

香港を起点に深圳、東莞、恵州地区を隈なく回り、部品生産に適したサプライヤーを探していく。はじめ数点で始まった中国での部品生産を順次拡大していき、シンガポールに居ながら中国への訪問回数も増えるようになった。こうした活動ができるようになったのも、採用したスタッフがいてくれてのことだった。
中国、香港が新たな活動範囲に加わり、仕事する仲間がさらに増えた。香港にある購買に属するエンジニアチームとのコラボも始まった。関連情報をシンガポールで一元管理し、2箇所での生産に対応するしくみが少しづつ作られていく。シンガポールでの2名体制では限界もあるので人員増強も検討したいが、地域に散らばる協力者との協働も考えなければ、効率があがらず不用意に人ばかり増えることになる。採用したスタッフにも更なるレベルアップも必要になる。

マレーシアの工場を離れて、シンガポールを活動拠点にしたのが良かったのかもしれない。工場にいれば、どうしても工場中心の考えになってしまう。商品をつくることの中心は工場ではあるが、工場だけがあっても商品をつくることはできない。商品を開発し設計する人がいる。その商品はいくつかの部品で構成され、その部品はある素材から作られる。そうした部品たちが輸送され、工場に集まり組み立てられることで商品になる。サプライチェーンを意識始めたのはこの頃だったのかもしれない。

顧客からもサプライチェーンについて様々な要求が来るようにもなった。日本企業が得意にしていた品質管理手法やトヨタの生産方式に代表される生産管理方法をさらに体系化した感じであっただろうか。エンジニアであった自分もレベルアップが必要と感じた。かつて学んだIEの知識を活かすときでもあろう。

あるとき、顧客の取引先を訪問する機会を得た。課長試験のときのプレゼンテーマであった「カスタマイズ設計の現地化」の調査で訪れたマレーシアの会社がたまたま顧客とも取引していた。設計委託ができないものかと調査のためであったが、その会社が顧客とコラボレーションして、ある部品群を一括手配、全世界の顧客の工場に発送していると聞いて驚いた。顧客とのメインの取引は顧客の工場内で使う輸送箱であったが、それを管理しつつ、顧客のマレーシア工場で使う部品の物流も担っていた。
顧客が我々に要求すること以上に、実際にサプライチェーンを効率化させている事実を知って驚いた。自分たちがやっていることは一番と言わないでもそれなりにできているという自負みたいなものがあった。日本のものづくりが欧米に負けるはずがないという、それは単に過信していたということを思い知らされた。衝撃だった。

技術ありきの発想から、ビジョンからしくみをつくることの重要性を知った。ゼロから全く新しいものを生み出そうというなら別であろうが、今あるものをより良くしていくなら、効率的なしくみをつくったほうが遥かに生産性も高くなる。考えてみれば、それこそがIEの真髄なのかもしれないが。

日本から発せられる指令に振り回されながら徐々にではあるが、現地でオリジナリティのある活動をしようと思い始めたのかもしれない。まだ、それを強く意識していない。まだまだ経験しなければならないことがあった。

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