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「私の経歴書 9」始まった課長試験と現地スタッフとの二人三脚。チームでの仕事

新規に採用することになったスタッフと雇用契約を結ぶことになった。その中の「Job Description」で、仕事内容を明確にして契約の一部となる。面接に協力してくれた現地スタッフに相談すると、一文加えたほうが良いという。列挙した仕事内容の他にも上長から言われたことに従い仕事するような内容を追加した。
その後もスタッフを増やしていくことになるが、新規に採用する人たちは必ずこの一文について質問してくる。それほど重い内容であったようだ。

「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。何事も現地流ということが基本だ。雇用契約もその一つ。しかし、困ったことにOJTとか教育については何も参考になるものがなかった。間借りしている購買部門にも同種の業務がなく、こればかりは頼る人もいなかった。
日本流、今までのやり方でやるしかなかった。最初は雑用や使い走り的な仕事から慣れ理解してもらい、徐々に定常業務を取り入れていく流れで進めた。さすがに専門技術を教えることには難儀した。まずは仕事を簡素化して効率的に進める方向にした。

マレーシアに赴任して以来、一匹狼的に仕事をしていたが、スタッフが加わったこと、また、間借りする購買部門やマレーシアとの業務分担、フローなどを明確に定義する必要が出てきた。関係者との協議や明文化の作業なども増えた。
たった2人だけのチームではあったが、役割分担を明確にし、内外に知らせ紹介した。それはそれで彼女の自立を早めることになったのかもしれない。今まで自分で担っていった定常業務が、徐々にではあるが、新規採用した彼女の方へ移った。メールベースで日本とのやり取りが始まり、電話でもコミュニケーションするようになった。微笑ましく感じたりもするが、早く戦力になって欲しいと願う。専門性を除けば、立ち上がりは早かった。

業務上でつながりのある、間接部門の購買に間借りしたことは良かったのかもしれない。間借りといっても、形式的にはその部門に属し、業務上関係はなくても上長がいることになる。その上長に感謝することだけど、自身やチームのプレゼンスやミッションを明確にしなければならなくなったし、所属する部門のことを理解するようになっていく。異なる2つの業務機能が出会うことに何か新鮮さを感じたり、新たなものが生まれそうな感じもした。

それより問題は、課長試験の方である。こちらはあまり準備が進まないまま筆記試験に突入することになった。小論文でてこずった。あまりいい出来だとは思えなかったが、2次試験、役員面接に進むことができた。何となくではあるが、救済されたとのではないかと今でも思っている。
一時の安堵を味わえる時間であった。
(つづく)

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