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「私の経歴書 14」自分の仕事のほかに、他者の仕事を手伝ってみると、よかったと思うことがたくさん増える

シンガポールのオフィスもインド人、マレー人、中華系、日本人と多様性があったが、購買部門は中華系と日本人の構成だった。1/3くらいのメンバーとは仕事のつながりもできてきた。よそよそしく感じたオフィスの雰囲気にも少しづつだが、馴染んできたのかもしれない。

Div.Managerの発案で始まった他事業の仕事も、まずはひとつ受注が確定した。シンガポールの取引先を紹介、そこで客先事業部のカスタム部品を作ることになる。今度は日本、フィリピン、シンガポールで協力して進めることになる。いつものことだが、新しい人たちと仕事する機会が多いなぁとつくづく思う。これも出会いというものであろう。

同種の仕事であっても、事業部が違えば、仕事の進め方も違う。同じ会社であっても、仕事を受託する以上はお客様だ。先方のやり方やペースに合わせざるを得ない。商品を納入する顧客の都合もあるのだろう。
途切れ途切れとなる仕事にうまくペースをつかめない。協力体制を作ろうにも、仕事が棚上げになっては進めようがなかった。
いざ再開となると、堰を切ったように仕事を進める。火事場の大力、やっつけ仕事のよう対応だった。チームワーク、効率性の追求からは程遠い。
嵐が去った後は、機械のように仕事が進んでいく。人と人とのつながり、協力はどこかに置き忘れたようだった。
社内ということで変な遠慮と甘えがあったのかもしれない。うまく軌道修正できなかった。

そんな他事業部の仕事がだったが、よかったと思うこともあった。赴任直後に感じたオフィスの冷たさが少し和らいだ。今まで仕事で関わりのなかった人たちと一緒に仕事したことがきっかけで、オフィスの全員が受け入れてくれた感じがした。

もうひとつうれしい話。一緒に仕事した女性バイヤーが結婚することになった。それまで、あまり関わりもなかったが、一緒に仕事したからだろうからか、披露宴に招待してくれた。うれしかった。
新卒で採用した直属の部下が結婚して以来、シンガポールでの2度目の結婚披露宴だった。日本のようなセレモニー的な要素は少なく、ドレスコードも適当なようで華美でもない。仲間が集まって、一緒に食事するような感じだろうか。直属の部下が結婚したとき、ご両親が挨拶にきたときには、ドキドキした。シンガポールでは、こういう時にどんな話をするのか全く想像できなかった。しかも英語だし。
ご両親に会って話してみると、わがままな娘ですいませんとか、どうですかとか、色々質問された。何を答えたかはあまり記憶がないけれど、国は変われど、どんなボスの下で仕事しているのか知りたかったのかと想像したりもした。どこの国でもお祝いごとに参加できることはうれしいことでもある。

シンガポール暮らしにも少し馴染んだのかもしれない。色々な人種、国柄もあるのかもしれないが様々な個性と一緒に働くことは楽しい。兎角、国家とか、政治が絡むとそうはいかないかもしれないが、ビジネスなら目標を共有して協力し合える。その国の文化にふれれば新鮮な驚きもある。
必ずしも、いつもいつもうまくいくとは限らないが、それはそれで、そのプロセスを楽しむこともできる。そんなことを感じ始めていた。

シンガポールは小さな島だ。東京23区を合わせたくらいの面積しかない。車なら、どこでも1時間以内で移動できる。逆に言えば、国境がすぐ近くにあるということでもある。そんな環境にあるからだろうか、ビジネスも国際化があたりまえだ。シンガポールを仕事場に選んだのは正解だったのかもしれない。その後もフィリピンの他にも、インドネシア、タイ、ベトナム、中国、台湾、韓国と仕事場が広がることになっていく。

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