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「私たちの経歴書 5」ペナン暮らしはつかの間。また内示、また異動

ペナンでの生活が始まった。工場までは朝の渋滞を考えると1時間半プラスはかかる。8時始まりだから、毎朝6時過ぎには家を出る。昼食時間が14時前後だから朝ごはんは食べておきたい。とはいっても朝からそんなに食べることもできないからトースト1枚という感じだ。
家を出るとコーランが聞こえる。朝のお祈りの時間なんだろうか。ジョージタウンの街を抜け、ペナンブリッジを渡る頃が日の出の時間だ。だいたい7時ころだろうか。現地のFMを聞き、中国の歌を聞くことがあたりまえになった。

工場に到着すると、ワーカーたちであふれかえっている。活気がある。日本ではテクニカルセンターを勤務だったから見慣れぬ風景だ。ひっきりなしに往来する送迎用バス。絶え間ない人の流れ。それが毎朝の光景だ。

正式に赴任になったので、改めて工場関係者へ挨拶、それに取引先への挨拶や歓迎会など、結構慌ただしい。その頃には、あれだけ騒がせていた生産問題も解決に向かい、不安定なところもあるが落ち着き始めていた。そうしたこともあってか、現地のスタッフにも受け入れてもらえたようだ。いざこざも少なくなった。
いつものことだが、そうした平穏な日々は長く続かない。

辞令がでて2ヶ月だったか3か月だったか、衝撃的なことを日本から通達される。あの生産問題の抜本対策を求められた。安定的な部品供給体制を作れという命題だ。勤務地はどこでもいいという。仕事を進める上で、都合の良い場所ということだ。

着任して半年は経つけど、現地での生活基盤ができたばかりだというのに.....

日本でどんな議論になっているのか詳細はわかないが、日本側と調整して最終的にシンガポールを拠点にすることに決めた。近々内示がでるという。日本で秋を迎えるころには、シンガポールで暮らすことになる。内示がでれば3か月くらいで異動しなければならない。

異動の準備を始めなければならない。折角、手に入れた車を売却しなければならない。家の契約も途中破棄になるから違約金が生じる。それら全ては会社が負担してくれるというけど、また手続きか.....

シンガポールに行って、諸々、今後の調整。マレーシアの撤去手続きを始めると、追い打ちをかけるように課長試験を受けろとの通知が届く。喜んでいいやら.....
半年に及ぶ研修と筆記試験、プレゼン、役員面接との流れ。シンガポールへの異動と現地体制作りの日程ともろにだぶる。できるのかとの不安もよぎる....
マレーシア赴任の労をねぎらってくれたのかもしれないけど、それにしてはタイミングが悪すぎとも思ったり。
何をいっても仕方がない。とにかく、やるしかないと決めた。

早くも残りわずかとなったペナンを楽しむとのムードになった。
(つづく)



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