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「私の経歴書 4」海外赴任辞令は現地で... 遠のく日本

(前回まで)
仕事に目覚めたのはIE(=Industrial Engineering)がきっかけだった。その知識を活かそうとした海外での仕事では、少しばかりの挫折を味わった。人との出会いで充実した日々を取り戻すが、突然、その仕事を奪われた。新しい仕事場は国内。新たな仲間たちと仕事が進めるが、リストラや別れを経験する。入社当時の先輩と再会、一緒に仕事することで、また仕事への情熱も復活、やりがいが感じるようになった。そんなとき、マレーシア赴任を言い渡された。寸断した生産ラインの復旧を託されての赴任だった。着任早々現地スタッフとぶつかる。届かぬ海外赴任辞令、そんな波乱からマレーシア Sg.Pentaniでの生活が始まった。

先例に反して、現地で受け取る海外赴任辞令。遠ざかる日本

初動対応をきっちり行えば、問題の解決にはそれほど時間が掛からずに済む。兎に角、問題を起こす取引先に通い詰めた。何とか生産が維持できるようになったが、根本を正さない限り問題は再発する。問題が落ち着いたころを見計らって取引先を変更することにした。生産設備の移動を伴うので、簡単にできることではなかった。赴任前の元上司にも協力してもらい、その問題はいつしか解決されていった。
着任直後からバタバタと動き続け、問題解決に方向性が見出せるようになれば、やることは沢山あっても、多少は心も落ち着いてくるものである。

相変わらずのホテル生活。仮住まいと思うからか、やはり飽きはくる。そんな頃、ようやくマレーシア赴任の正式内示が届いた。着任してからだいぶ時間が過ぎてからだった。辞令は現地での就業ビザが取れてからのことだった。

多少時間はかかったが、就業ビザが取れた。今度はマレーシアでの生活基盤を整えることが第一優先になった。銀行口座開設や家探し、車の購入など。とにかく、Sg.Petaniでのホテル暮らしを早くやめたい。ペナン島で住む家を探した。エージェントにお願いしてペナンの物件を紹介してもらった。近くにスーパーとか、クリーニング店があるとか、気にするとなかなか決まらない。新しい物件は明るくきれいだけど、若干手狭に感じたりして、あれこれ悩む。
少し割高だったが、結局、新しめの物件にした。大き過ぎ180㎡もあった。リビングでゴルフのドライバーが振れた。敷地内のお店で買い物も出来そうだし、簡単な食事もできる。大型スーパーとかは少しばかり離れているが仕方がない。

車も購入した。マレーシアの国民車プロトンだ。人気車種だと納車まで時間が掛かるので、人気のない車種にした。2週間で納車。現地での生活の準備が整ってきた。

一度日本に戻て諸々精算してから赴任するのが一般的なようだが、現地で辞令を受け取り、そのまま正式赴任になることになった。文句を言ってもしかたがない。辞令がでたので、家を正式に契約して、引越したのは着任して4か月も経ってからだった。
いよいよペナンでの暮らしが始まる。これで少しは落ち着く。仕事にも集中できそうだが、なかなかそうは許してはくれそうもなそうである。

そのとき、そのことにはまだ気づいてはいないけれども。(つづく)


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