見出し画像

「私の経歴書 12」現地スタッフの情熱に刺激されていたという気づき

事業環境の変化によって、仕事内容は変わる。入社以来仕事内容もいくぶん変わったが、気づけば、それ以上にオフィスの場所が変わっている。川崎の工場から始まり、これまでに6回もオフィスの場所が変わっていた。シンガポールに来ても、その例外ではないらしい。
1年も経たないうちにオフィスの場所が変わることになった。サンテック国際会議展示場にあったオフィスが商業地オーチャード通りのニーアンシティに変わることになった。
間借りという形で異動してきたが、新しいオフィスでは、オフィスの中心、Div Mangerの横に席が用意され、すっかり購買部門の一機能になったような気分になった。レンタカーであった車も会社から支給してもらい新車に変わっていた。課長に昇進して以来ようやく落ち着いた環境になった。

マレーシアに赴任して以来、1年半くらいの時間が経過していた。赴任理由だった問題はすでに解決し、中国深圳への部品供給にも目処が立ち定期的なフォローアップで回るようになった。定常業務はやることが多かったが、採用したスタッフに任せられる範囲が広がったおかげで、大きなトラブルもなく回転するようになった。自分の部署の仕事ばかりでなく、仕事を動かすのは現地スタッフが中心になる。現地スタッフ同士で、ローカル言語で気兼ねなく仕事が進められるのがいいのだろう。日々の中の小さな言い争いは続く。それでも赴任直後のような切羽詰まったような雰囲気はなくなった。

海外の生産拠点が安定すれば、顧客との信頼も深まるからであろうか、発注量も伸びて好循環になる。安定してくると、欲深くなるのかステップアップをあれこれを考え始めるものである。顧客からも様々な要求が来るようになった。顧客要求を聞き入れながら、Q(品質)C(コスト)D(デリバリー)の効率化を追求したサプライチェーン改革が始まった。ドラスティックな改革ではなく、時間をかけながらもスピーディにステップアップしていくような活動だ。当然、そこには新たなしくみも必要になり、定常業務も増える。

そんな中、国内だけで生産していたモデルが全面的にマレーシアに移管となるという。また、新たな部品供給体制を一から作らなければならなくなった。
海外赴任して以来、なかなか落ち着くことはできない。2名体制ではキャパオーバーになりそうだし、もう1名採用することにした。

前回同様に採用面接に協力してくれた現地スタッフが今回も手伝ってくれる。また5名くらい面接しただろうか。前回と違い、現地スタッフからのお勧めはなく、「あの人を選ぼうしていませんか」と言われた。
図星だった。「性格合いそうですものね」と言われた。
新卒のはっきりもの言う女性だった。採用することにした。またも現地スタッフに背中を押されたように思う。あまり高度な能力を必要としないところから任すつもりだった。

次々と降って掛かってくる課題に対応しつつ、自分なりに目指したい組織運営の有り様が徐々に固まり始めていた。見聞が広がり、基礎として培った知識の土壌に新しい芽が芽吹き始めていたようだ。
海外現地スタッフに刺激されたのかもしれない。彼らの仕事への情熱には敬服する。仕事とオフとのメリハリもはっきりしている。彼らのモチベーションは何なのだろうかと考えたりもした。参考になる仕事のマニュアルがあった訳ではない。それでも仕事は進み、目の前に出現する難題は彼らとの協力で次々と解決されていくことを経験していた。

(前回まではこちらから ↓↓↓)


この記事が参加している募集

自己紹介

サステナビリティ活動に活用します! ありがとうございます。