90’sアニメソングへの憧憬

  #はじめて買ったCD  は、the brilliant greenの「冷たい花」だ。

サブカルクソ女のはじまり

 8㎝CDの細長い真っ白なジャケット。上に走り書きの英字がつづられた透明のフィルムを載せて、そのCDはパッケージングされていた。

 それが、「冷たい花」の初回盤である。彩度の低いそのジャケットは、当時だいぶ、いや、めちゃくちゃオシャレに見えた。

 私が「ブリグリ」を知ったのは、CDTVだかMステだかで偶然聴いた「冷たい花」があまりにもかっこよかったからで、Tommy……川瀬智子は、今日に至るまでかなり影響を受けたアーティストの一人といえる。

 小学生だったわたしは、そのあとなけなしの小遣いでアルバム「the brilliant green」を買って、気持ち悪いぐらい一生懸命に川瀬智子の詞の世界に浸った。ブリグリは全編英詞の歌も多く、英語を習い始めたばかりのわたしは一生懸命英和辞書を引いてBaby Lodon Starの意味を知ろうとした。

 恋の歌が多かった。冷たい花の「大切に壊したい」のような、複雑な感情はまだ幼かったわたしにはわからなかったが、

どうせ明日という日はあって 何かが満たしてゆくの いつの日か

 という言葉には、子供なりに救われていたように思う。

 それからTommy february6を追いかけて、音楽性の違いにびっくりして、でも嫌いになるわけではなく、彼女の歌を聴き続けた。傾向の似たバンドの曲をつまみ食いしつつ、V系にはまり、純文学に傾倒して順調にサブカルに寄って行った。大学生くらいの時は、たぶんちょっとイキっていた。

 だけど同時に、わたしは鮮明に覚えている。

 「冷たい花」を買ったその日、わたしの手の中には、もう一枚のCDがあった。林原めぐみ「〜infinity〜∞」だった。


大好きだったアニメ

 「〜infinity〜∞」は、わりとコテコテのアニメソングだ。当時放送していたアニメ「ロスト・ユニバース」の主題歌だった。スペースシップで宇宙を翔ける便利屋の冒険譚。宇宙船やAI、ビームサーベル、ホログラムの美少女といったSF的エッセンスは小学生の感性に新鮮に映った。

 林原めぐみさんの演じたキャナル・ヴォルフィードというキャラクターが大好きだった。彼女が歌うカッコいいOPとEDも、毎週の楽しみだった。悪名高いヤシガニもリアルタイムで見ていたが、小学生だったわたしには、作画の良し悪しなど気にならなかった。

 毎週、アニメの放送時間に間に合うよう、習字教室から猛ダッシュで家に帰る。アニメが終わったあと小説版も読んだ。同じ作者だからと、流行っていたスレイヤーズも読んでみたけれど、わたしはやっぱり「ロスユニ」のほうが好きだった。(その後、無限のリヴァイアスというアニメにめちゃくちゃハマるのだが、話が逸れすぎるのでここでは割愛する)


コテコテのアニメ絵ジャケット

 本題に戻る。

 そのCDには、大好きだったアニメ「ロスト・ユニバース」のイラストが大きくプリントされていた。そのときすでに、発売後何カ月か経っていたはずだが、鮮やかなイラストは売り場で存在感を放っていた。

 かっこよくておしゃれな「冷たい花」と、大好きなアニメの「〜infinity〜∞」を手に取って、わたしはしばし悩んだ。

 お小遣いの都合もあって、買えるのはどちらか片方だけ。どちらも大好きな曲だ。うんうん唸りながら悩んでいると、別行動していた母が売り場に迎えに来てくれた。

「なにあんた、迷ってるの?」

 頷いて、どっちがいいと思う? と母に聞いてみた。
 母は少し唸ったあと、「こっち」と言ってオシャレなジャケットを指差した。

「アニメはそのうち飽きるでしょ」

 はっきりとは覚えていないが、確か、そんな感じのことを言われたと思う。否定的なニュアンスだったことだけはだけはっきり覚えている。

 母は、特別アニメが嫌いだというわけではなかった。母からアニメを見るなと言われた記憶はほとんどないし、毎月マンガも買ってくれた。もともと自分も、子供の頃、アタックNo.1やエースをねらえ、あしたのジョーが大好きだったという。
 わたしが大人になってからは、というか世間がアニメに寛容になるにつれて、大人も楽しめる系統のアニメは、勧めれば見るようになった。母に誘われて、一緒にアニメ映画を見に行くこともあるくらいだ。

 そんな母が、どうしてアニソンのCDを買うことを否定したのかは、今もわからない。(一応、本人に訊いてみたが、覚えていないと言われてしまった)

 ただ、想像することはできる。90年代はまだ、オタクが社会的な日陰者だった時代だ。コテコテのアニメ美少女が描かれたジャケットは、アニメにさほど詳しくない母の目には、少し奇異に映ったはずである。
 好きを否定するつもりはないにしても、女の子なのにゲームばかりしている娘のことは気になっていただろう。他の大衆文化にも触れてほしいと思っても、おかしくはなかっただろう。

 今は肯定的にそう思えている。けれど、アニメソングのCDを否定された事実は小学生のわたしには案外重かったようで、その後2~3年ほどアニメ主題歌のCDを買えなかった。

 90年代後半のアニメソングには、たくさんの大好きがあった。「奇跡の海」とか、「天使のゆびきり」とか、「君、微笑んだ夜」とか「WILL」とか「memories」とか……(もっとあるんだけど、割愛)。
 だけど、CDを買わなかったわたしは、それらの「2番」を、大人になるまで知ることができなかった。


サブカルと、オタク

 わたしは今、結果的にあのときの選択をよかったと思っている。

 カッコつけた言い方をするなら、まさしく「知見が広がった」というやつで、ブリグリをきっかけにしてわたしはアニソン以外の様々な音楽に触れた。ロック、ポップス、オルタナ、プログレ、派生してV系に行って、一周して正統派Jロック。並行してユーロビートやテクノポップみたいなハウス系の曲も聴いていた。恥ずかしながら音楽にくわしいわけではなく、ちゃんと勉強したわけでもないので、良いと思った曲を聴いていただけだけれど。

 どうしても忘れられなかった林原めぐみの歌声は、数年後「シャーマンキング」の主題歌で再び耳にすることになった。少し増えたお小遣いで、わたしは「OverSoul」と「NorthernLights」のCDを買った。林原めぐみの歌と歌詞はやっぱりすごくカッコよくて、この2曲と「〜infinity〜∞」は学生時代のわたしのカラオケ十八番になった。

 わたしが大人になるにつれ「アニソン」と「それ以外」の垣根はどんどん低くなってきた。かの有名な「キャッツアイ」に始まり、90年代~00年代にはアーティストタイアップがぐんと増え、アニメverとアーティストverの2種類のジャケットが作られたりもした。10年代、今度はアニソン歌手や声優のほうがメディアやフェスなどで一般に露出するようになった。

 幸運なことに、わたしはそのすべてを好意的にとらえてきた。うまく時代の流れに乗れたのは、J-POPやJ-Rockとの距離が元々すごく近かったこともきっと影響している。

 もし、あのとき買ったCDが「〜infinity〜∞」だったら、もう少し違ったわたしだったのだろうか。一時的とはいえオタやめしてサブカルに傾倒することは無かったのだろうか。今もたまに考えるが、答えは出ない。

 わたしのプレイリストには、今日もアニソンとロックが共存している。

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