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Everything Becomes "S"

いや〜、また、やっちまったよ。すいません。え? 何がって? いや、前回、件のブラックレターに関する警句を、ツアップ先生のお言葉って書いちゃったけどこれは完全に俺の誤りで、有名でない方のガウディ……ってその言い方も酷いな、まぁ、その……建築家じゃなくってね、アメリカのデザイナーでフレデリック・ガウディという人の話でした。この名言、正しくは「Anyone who would letterspace blackletter would steal sheep」といって、まぁ、これも、弟子に言わせると本当は少しニュアンスが違うらしいのと、比喩で言ってる「攘羊の如く」では日本人には重罪感が伝わりにくい……などというはなしは実はどうでもよくて……いや案外うろ覚えって怖いなというはなし。こんな有名なエピグラムですら勘違いしていたりするんだから……まぁ、勢いだけでテキスト打ちこんで校正なんぞはろくにしないんだから、そりゃ〜こういうことになるわな。ホント、そういうとこだぞ……というわけで、毎回、冒頭で謝っているようなことになりつつあるのだけれど大丈夫? これ、noteでやっているのだから、本当はこういうときこそ、こそっとテキストを書き直しておいて無かったことにでもしておくべきなんだろうが、まぁ、なんだ、やらかしたものはしょうが無い。戒めのためにも、クレームが来るまではほっておく……っていうと腹をくくって潔よいような話にも聞こえるけど、そんな爽やかなおはなしではなくて、前回の、詰め込み過ぎて章節項段すらまともでないあまりに落ち着きのなさ過ぎる得体知らずの文章を直し始めるとキリがなく……っていう言い方も格好付けすぎだな、要は見返すのが面倒くさいだけ……だよね。いや、ホント。

しかし、まぁ、言い訳するわけじゃ無いけど、先達から聞いた話とか、何かをコピペしただけの文章だけで埋めておくだけならば、問題は無いし、間違いも無い、そのうえ、そこそこの自己顕示欲求すらそこそこ満たされるので、それだけでいいのかもしれないけれど、こんな検索しても被らないようなネタを毎回披露していれば、そりゃあこういう事故は避けられませんって。だからって間違っていいわけではないけれど、嘘ついたわけではなくて勘違い。まぁ、だから、こういう間違いや勘違いや早とちりも、唯一無二のオリジナリティの賜……って、いや、また、酷い開き直りを始めたよこの人は! まず謝罪するという人の心はないのかって! いや〜……あ〜い、とぅいまてぇ〜ん! さてさて、まぁ、そういうワケで、こういうことなんだから、毎度のことだけど、ホント。毎回うろ覚えで適当なことしか言っていないんだから良い子のみんなはコイツの話なんかを真に受けちゃだめだぞ! いや、ほんとすみません。



ということで、反省もしたので、気をとりなおして……実は前回の降りを書いていてまたまたブラックレター熱が再発し、ぼちぼちいろいろ作り始めたりもしているんだけど、まぁ自分で手を出すなといっておいてこのありさまなんだから、ほんと、どうしようもない。まぁ、ただ、中世にあれほど隆盛を極めたこのスタイルもデジタル化されているものはさほど多くは無いそうなので、今風でお洒落でスタイリッシュで洗練されてソフィスティケイトした……って意味がダダ被りだよ……まぁ、ともかく、そんなデザインが上がれば、目を引くし、フォントのコンテストなんかで一発当てたいという人はこのスタイル、わりあい狙い目だと思うんだけどね。どうでしょう? まぁ、他人事だけど……あ〜、そうだ、コンテストといえば、去年のモリサワのタイプコンテストの明石賞のお題がバリアブルフォントだったんで、どんなものが上がってくるのか楽しみにしてたんだけど、該当者無しっていう結果はいささか拍子抜けだったわ……v-fonts.comでも2月以降新作が上がってきていないようなので、こりゃあ、もう、みんな、作るの飽きちゃった? のかも。まぁ、それはともかく、今回はそれとは何の関係もない次のようなお話です。


何も無いところから欧文フォントを作るときは、小文字のnから始めて……というのが、まぁ、わりといわれていたりするし、素直に真っ当な判断だと思うのだけれど、個人的にはsから始めるのが好きだったりする。というのもS字カーブがうまく決まるとなんかそれだけで、すごくおっきい仕事が一段落したみたいになって残りのグリフなんかもう自動的に出来上がっていく感じがするからね。だけど、そのあたりが決まらず最後まで残ると、完全にいろんなところが一気に詰んで、いつまでたっても終わらないという泥沼の状態に突入し、行ってしまってはいけないところまで逝ってしまうことが多いんだよね……まぁ、あくまで当社比ではあるのですが。そういうことで、なにかをするとき、着地点が不明になり、もうなにをしているんだかよくわからないということになったときには、精神衛生の面からも写経の如く日がな一日ひたすらsだけを描いてたりしたということもあり、下図のようなものがフォルダの中に山積みになる。これらは墓にすらはいれないので、自分で勝手に水子グリフと呼んでいるんだけど、PCに引っかかりそうなので表向きには別の呼び名を考えておく必要があるんだろうなぁ……いや、マジで。

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まぁ、ポリティカル・コレクトネス云々はともかく、その前にもっと考えておくことがアルだろうって言う……どうしようもない不協和音の塊にしかみえないよ。それに、言ってしまえば、もはやなんちゃって前衛書道のようにもなってしまっている感すらあるんだけど、でも、こんな適当な手書きのエスキースでも一応最初はsのグリフをどこからはじめようか、などという真面目な検討材料の一つであったりはするんだよね……ところで、これ全部sには見えるよね? 少なくとも石川九楊の書よりはまだ全然判読可能だと思うんだけどって……まぁ、それは、大書家の先生に失礼極まりない言草だな。さて、それはともかく、それでは、ここから先が、お立ち会い。水子供養というわけではないんだが、これらの落書きの中から、ちょっとしたルールを探してオブジェクトを並べ替えたりしてみると……

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どう? まぁ前段の話でsのグリフだよという固定観念を作ってしまったので、普通に下手くそな出来損ないのsの字が並んでいるようにしか見えないだろうけど、そういった思い込みを頭の中から外すと、模様の並びの中から意味を再構築して文章に変換する試みが可能になり……この場合「everything becomes "S"」という森博嗣の小説のタイトルみたいなテキストを発見することができるというわけ……いや、あっちはFだったっけ? まぁ、森博嗣は良いとして、それでは次に下の図をみてもらおう。


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こうすると、こんどは、1つ1つのグリフは認識可能に感じるだろうけど、文章としては意味が無いように見える……のだけれど、日本語のわからない欧米人であれば無理なく意味を把握することができるのだそうだ。これはその昔、日本人にだけ読めないフォントとして話題になったこともあるので覚えている人もいるかもしれないけれど、MacOS付属のフォント制作にも携わった名古屋のカナダ人、TypodermicのRay LarabieによるElectroharmonixというweeaboo御用達フォントと、その下はElectroharmonixのそのコンセプト……というかそのアイデアをネタにこっちで勝手に明治教科書明朝風にリデザインしたものなんだけど、日本語ネイティブな人には一つひとつの読めるグリフに引っ張られてラテン文字のテキストとしてはもうまったく認識ができなくなってしまっている。この日本語として読めちゃうっていうところが大問題で、そこを注意して……たとえばnoteでフォント制作記を書いていたYour Font.のJAPANISH fontでは和文明朝体の特徴を大胆に取り入れてはいても、あえて日本の文字としては存在しないフォルムを選んでいる……んだよね? まぁ中の人じゃ無いのでわからないけど……で、そんな感じに、グリフを和文や漢字として見るとまったく無意味な形にしておけば、日本語ネイティブだとしてもこういう見かけのものでも欧文として認識することが無理なく可能になっている……よね?

まぁ、それで、何が言いたいかというと、文字の認識のしやすさは、個々のグリフの構造とは別に、個々人の偏見や思い込みに基づいて決定される部分も無視できないくらいに大きいのだよということで、残念ながらデザインだけではどうにもならない部分は存在する……なので見たことも無いようなフォルムのフォントを作って世界をあっと驚かせようなどという野望を持ってしまった場合ここのところは特に重要だ。どこまでが文字で、どこからそうでなくなるかは、まぁ、受手次第になる、これはもう個人個人の抱える問題に帰結するので、結論としてはグリフをグリフたらしめている要素は案外にあやふやな地盤のうえにに立脚しているのだといわざるを得ない……当たり前だけど。だけど、まぁ、そんな感じでお諦め下さいといわれるのも、なんとなく癪に障る。そういうことも不愉快なので、こういうことがおきる普遍的で、科学的な理屈というものもワンセットで理解しておく必要はあるだろう。案外そこから新たな脱却点が見つかるかも知れないのだよ。


というわけで、上のような状況がどうして起こるかというと、実は説明するのに科学的根拠のあるもっともらしい仮説だけは存在する。結論から先に言えば、まぁ要はオツムの働き方の問題だ。頭の中にはいろいろな神経細胞が絡み合う網様体という神経系が存在するが、その系のなかで中脳に存在する上行性網様賦活系の……って始めると面倒なことになるので、その手の話は専門家に任せるとして、自粛も緩んできたことだし、バーのカウンターででも使えるように簡単に説明すると「難しいことを考えすぎると頭が爆発するので、考えなくてすむようにオツムには重要度が低い情報を自動的に切り捨てようとするサボり癖がついている」という話だ。人間の脳は潜在的にはとてつもない情報処理能力を有するがそれをフルパワーで稼動すると瞬く間にエネルギーを消耗し尽くし、一瞬で餓死できるといわれている。まぁ、大抵はそのまえに眠くなるんだが、ともかく、そういうことができないと、音だの、匂いだの、触覚だの、五感全ての膨大な情報を一々逐次処理しなきゃいけなくなって気になっておちおち寝てもいられない……という感じになる。だからそのために、頭の中でパターンに嵌めたり、物の見方をシャットアウトしたりして、それ以上は考えなくてすむようにするわけで、要はそういう偏見を生み出して自己防衛するための生物学的器官というわけだけれども、その偏見の存在するおかげで我々は気が狂わなくてすんでいるというわけだ。このことはマネジメントやビジネスのコーチ……まぁ、コーチングとかって言われたりしている例のあのお仕事の専門用語をお借りして言うと、心理的盲点……「スコトーマ」というのだそうだ。もちろん眼球の中の盲点をとりさることができないように、オツムの盲点もなくすことはできないのだが、目をずらすことによって盲点の影響を抑えることが出来るように、オツムの使い方でスコトーマをコントロールすることはできる。

こういうと個人のスコトーマの問題は個人々々で解決しなきゃいけないようにも聞こえるが、実はそんなこともなくて、優秀なマジシャンからプロの詐欺師まで、マインドメカニズムのスキルが他人の何倍もレベルが高い人間からすれば相手のスコトーマを外部からコントロールして大金をかっ攫うなどはお茶の子さいさい屁の河童。同様にデザインで、他人の偏見を取り除いたり、コントロールしたりするのも、それなりのスキルがあればできるようになるだろう……ということだ。優秀なデザイナーになるためには詐欺師に弟子入りする必要があるなどというと身も蓋もないので、優秀なデザイナーは詐欺師と変わらない……という程度に表現を抑えるけど、まぁ、そういうわけなので、こう考えると、偏見というのは、もう、それは、良し悪しを通り越して、ただの器官にすぎないので、偏見があることが問題では無くて、それをコントロールできないのが問題なのですよという……いや、ホント。だから、安い正義感で言葉狩りに精を出したり自警団の真似事をしても解決にならないどころか返って悪化……いや、まぁ、この話はイイか。


それで、話をぶり返すとドイツ語は英仏伊語と比較しても長い単語が多いので、ドイツ人に文字組させるとやたらと字間を詰めたがるとか、まぁ、そういう類いの偏見が心理的盲点を抱えさせ、レタースペースを詰めるという話からアメリカ人のデザイナーの業績がスッポリ頭から抜け落ちるとかそういうことになったりするわけ、それで、まぁ、スコトーマを外すとか、見方を変えるということであれば、話をまとめると、冒頭のところから前回の間違いまでもうすでに壮大なネタ振りだったという気がしない? いや、もう、わかってますって、自分で自分の首を絞めているのは……

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