見出し画像

僕はただ毎朝トイレ掃除をやっただけ。~フリーランスのキセキ~

~「トイレを綺麗にするとお金に困らなくなるらしい」~

こんな言葉を耳にしたことはないだろうか。
どうやら水廻りを綺麗にすると神様に喜ばれ、
仕事やお金がどんどん入ってくるという事らしい。

17年前、僕はこのことを知って毎朝トイレ掃除をすることを日課にした。

その結果どうなったか。

仕事やお金に困ることはなくなった。

どうやら神様に喜んでもらえたらしい。

これは「トイレ掃除」が人生を楽しくするルーティンだった話。


~朝のルーティン~

朝6時10分、トイレの掃除を開始する。

二つの雑巾を用意して軽く水に濡らして絞る。
まずは棚や窓台、手洗器を拭き上げる。
そして便器の外側を拭き上げて、フタの裏側と、便座の上側を拭き上げる。
ここから雑巾を切り替える。毎日使う雑巾なので清潔ゾーンと汚れゾーンで使い分けているからだ。

汚れゾーンにはセスキ炭酸ソーダをスプレーする。
便座の裏側、便器の縁にスプレーしておいて、ブラシで便器の底から縁に向けてゴシゴシしながらブラシの水気も切っていく。
最後に雑巾でピカピカに拭き上げて完了だ。

ピカピカのトイレを見ると心まで清らかになっていく。

「トイレの神様ありがとう。」

自然と手のひらを合わせている。

これを毎朝、17年間続けてきた。

~その手~

今から18年前。
つまり2006年の2月。

前の年の11月に3人目の子供が生まれたばかりなのに
12年務めた会社を辞めて、僕はフリーランスになっていた。

勤めていたのは社員数30名程度の建設会社で、そこで工事現場の管理をしていた。いわゆる現場監督で、今でも夢に出てくるくらい大変な仕事だった。

中でも辛かったのは、当時は夜の10時まで残業するのが当たり前で、我が子を見るのはいつも寝顔だったことだ。朝も子供が寝ている間に出勤するのだから、週末くらいしか一緒に過ごしている実感が湧かない。

妻には育児や家事を全部押しつけて大変な思いをさせてしまっていたのだが、家族の為の仕事なんだと自分に言い聞かせていた。

そんな中、一つの考えが浮かんでいた。

現場監督の仕事の一つに、工事を円滑に進める為「施工図」というものを作成する仕事があるのだが、これが残業になる原因の一つでもあったのだ。
僕はこの施工図を作成するのを得意としていたのもあって、自分が別の現場の施工図も作成すれば、みんなの残業が減るのではと考えていた。
つまり施工図を専業とする課があってもいいのではと。

そのことを直属の上司に提案したのだが

答えは「NO」だった。

お前が現場を引っ張っていかないでどうするんだと。

それからこうも言われた。

施工図を描くのが大変なら外注すればいい。

(あ、その手があったか)

現場では施工図まで手が廻らない場合に外部の人間に委託することがある。
業界では「図面屋さん」と呼ばれている人たちがいる。
「その手」とは図面屋さんに外注するのではなく、だったら自分が図面屋さんになればいいのでは?とぼんやり思い描いた。

しかし、これまで独立することなど想定してこなかったから、いざ独立する勇気も自信もない。
安定した収入を捨てて家族を養っていけるのか?
自分が描く施工図は果たして他所でも通用するのか?

考えたら、足がすくんで1歩も踏み出せない。

自分はまだまだ中途半端なのだと気づき、「その手」という火種は心の中に仕舞っておくことにした。
いつか転機が来ると信じて。

その後も、帰宅するのはご飯を食べてお風呂に入って寝るだけの毎日が続いた。

それから3年ほどの月日が流れただろうか、ついに転機が訪れた。

会社がこれからは「年俸制」に変えるというのだ。

「ネンポウ?」

つまり年間契約して、12回に分けて給料を支払うというのだ。
最初の年俸は去年の年収に応じて決められたが、今後はその年の成績いかんによって年俸が上がることもあれば、下がることもあると伝えられた。
これには従業員の間で賛否両論あったのだが、経営者の決めた方針に変わりはない。

今の自分なら経営者の気持ちがわからないでもない。
バブル崩壊後どんどん価格競争が進む中、会社にとっては生き残る為の苦肉の策だったに違いない。

毎月もらう判で押したような給料明細が、ただの紙切れに見えてくる。
給料明細で一喜一憂するのもサラリーマンの醍醐味だよ。

他の者も同じ思いだったのだろう。一人、また一人と会社を去って行った。

もう辞めよう。もうあの手しかない。

そう思った瞬間、小さな火種が一気に燃え上がり、その熱エネルギーを独立することにすべて注いだ。

最後の1年間、受け持った現場にけじめをつけてから、12年間務めた会社を去った。

そして僕はフリーランスの図面屋さんになった。


~独立~

やっていける自信はあった。

12年間、多くの先輩から現場で学んだ。

職人さんからたくさん怒られた。

自分なりに工夫を重ね、センスを磨いてきた。

職人さんからも認められるようになっていた。

1級建築士の資格も取ってハクもつけたし、
個人事業主になる方法も本で学んだ。

だがしかし、・・・・・・何か足りなかった。

そう、営業の事は学んでない。

独立してすぐは、現場監督時代にお世話になった図面屋さんにお願いして、しばらくお世話になった。それにこれからの仕事につながるかもしれないと知り合いの図面屋さんも紹介して頂いた。
今でも師匠と慕っている命の恩人である。
さりとて、いつまでも迷惑は掛けられない。一人分といえど、余分に仕事を与えてもらえるほど世の中は甘くないのだ。

「甘くないのだ。」と言ってるが、独立した際にちょっと期待していたことがあった。いや、だいぶ当てにしていた。
それは、辞めた会社に仕事をもらえるのではないかと。
辞めることを上司に伝えた時も、自分のやりたいこと、現場監督を少しでも楽にしてあげたい熱意を伝え、納得してもらえたと思っていた。

仕事は来なかった。・・・めちゃめちゃ甘かった。

その後も、他の図面屋さんに仕事を頂きながらなんとか繋いでいたが、収入は不安定だし、来月の収入があるのか常に不安はつきまとう。
この不安は妻や子供たちに伝わらないように気を付けたし、
仕事が無い日も仕事をしているふりをしていた。

~トイレの神様~

そもそも元請け側の会社にいたのだから、お客さんとなる他の建設会社に対して顔が広いわけでもないし、つながりも少ない。一応知ってる人には独立したことを伝えたのだが「じゃあ、機会があったらお願いするよ。」とそれきりのことが多かった。

じゃあ、片っ端から飛込みで行ってみるか?
独立したばかりですが使ってみませんか?
そんなどこの馬の骨とも知らない者に任せてもらえるわけがない。
施工図は信用が大事なのはわかってる。

フリーランスとなって1年ほど、大海原を木のイカダで漂うような時間が続いていた。

そんなある日、妻が見かねてこんなことを言ってきた。
(不安な感情はバレバレだった。収入も不安定だったし。)

「じゃあ、トイレ掃除でもやってみる?」

ん?・・・・なんのことだ?

妻は首を傾げる僕に1冊の本を渡してきた。

「宇宙を味方にする方程式」

2006年3月に致知出版社から出版された小林正観さんの著書だ。

「成功している人はトイレ掃除をしてるんだって。」
妻は楽しそうに言ってきた。

その本によると宇宙にはさまざまな法則があって、その法則の中で我々は生きている。その法則を知って生活に取り入れると、人生が楽しいものに変化しますよ。といったことが書かれている。

その1節に、トイレの掃除をしていれば一生涯お金には困らないという法則のことが書かれている。なぜそうなるのか理由を求め、納得しないとやらないという人に対しては別にやらなくていいし、好きなようにしてくださいとも。ただ受け入れてやってみて、結果は自分で確認してくださいと。

「面白いじゃない。」

余計なことは何にも考えず、さっそく実践してみた。
毎朝、毎朝、せっせとトイレをピカピカにした。
するとなぜだか楽しくなってくる。

ほどなくして1本の電話がかかってきた。
いつもお世話になってる図面屋さんからだ。

「ちょっと難しい仕事なんだけど、頼める?」

断る理由なんてない。僕は二つ返事で仕事を受けた。
さっそくメールで届いた設計図を眺める。

なるほど・・・。これはちょっとどころではない。
初めて見る構造だった。その上かなり複雑な建物であったが、図面屋の腕の見せ所である。ちょっとワクワクした気持ちで仕事に取り掛かった。

モニターとにらめっこする日々が1週間以上続いた、この図面がないと現場は前に進まないのだ。とにかく、現場の職人さんに喜んでもらえる図面にしたいという一心で描き上げた。

完成した図面のデータをメールで送って数日後、先ほどの図面屋さんから電話がきた。

「ちょっと現場まで行ってくれる?」

何か図面に不備でもあったのかと尋ねると、そうではないという。
図面をチェックする担当者が現場で直接話をしたいといった連絡があったらしい。

はじめての取引先と会う時は緊張する。それ以上に図面の事で何か言われるのではなかろうかと不安を抱えて現場に向かった。

~不思議な縁~

現場事務所に着くと図面をチェックする担当者が出迎えてくれた。

ん?・・・なんとなく見覚えのある顔だ。
名刺をもらってすぐに思い出した。
あれは5~6年前だったか、他所の建設会社に出向していた時に一度だけ会ったことがある。面白い人だったのでなんとなく名前を覚えていたのだ。もうちょっと痩せていたように記憶していたが。

向こうは気付く様子もないので恐る恐る聞いてみた。

すぐに「あー、あの時の!」となり、当時の工事現場や現場所長の話で少し盛り上がって内心ホッとした。

で、肝心の図面の件だが、
「何この図面!こんな緻密な図面は見たことないよ。」
まさかのお褒めの言葉だった。他の職員さんも感心していたそうだ。
それで要件とは現場の経験があるならこの現場に来て、手を貸してほしいという。

この建物は免震構造を採用した特別な基礎になっており、それの工事をした経験が無く不安があったのだそうだが、僕が描いた図面を見てぜひとも現場で手伝ってもらおうという話になったらしい。今回は基礎の図面のみだったが、建物本体の図面も含めて、しばらく現場に常駐してやってもらえないかと頼まれた。

一応、自宅で仕事をするスタイルでやっていたので一瞬戸惑った。しかし、現場の手助けをすることも僕の使命のはずだと思い、遅くとも夜の7時には帰宅させてもらうという条件で引き受けることにした。

思えばここからが始まりだった。

この現場が終わった頃、所長さんが次に行く現場が決まってるので、そこの施工図を描いてくれないかと頼まれた。

そして頼まれた図面を描き終えた頃に、今度は別の所長さんからイイ図面屋さんがいると聞いたんだが、と言って依頼をされた。

そしてまた図面を描き終えた頃に、別の所長さんから・・・。

トイレ掃除を始めてからというもの、このようなことが続いたのだ。

すべて人と人の繋がりで仕事が舞い込んできた。
それでも仕事が途切れそうだなと思っていると突然、辞めた会社から図面を描いてくれないかと連絡が来たり、現場監督をしていた頃の下請けさんから図面の依頼が来たりと、不思議なことに仕事の穴が埋まっていった。

それ以来、僕は今日まで自分で営業をして仕事を取ってきたことが無い。結局、営業の事は何もわからずじまいだ。それでも仕事が途切れたことがほぼ無い。

「ほぼ無い」というのは1度だけ収入が0の月があった。
リーマンショックの時だった。
しかし、他の図面屋さんの中には半年もまともに仕事をしていないという人もいたので、やっぱり僕は神様に応援されていたのだと思う。

僕はただ、毎朝トイレ掃除をやってきただけだ。
そして、トイレ掃除を続けてきてよかった。
本当に人生が楽しいものに変わっていったのだから。


今日も僕はトイレをピカピカにしている。

「ありがとう。」

「ありがとう。」

と、つぶやきながら。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?