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(あのトイレ掃除の)サイドストーリー

前回、投稿した記事の
「僕はただ毎朝トイレ掃除をやっただけ。~フリーランスのキセキ~」
では仕事を中心としたお話で家族のことはあまり出てきませんでした。
そこで今回は家庭内はどうだったのか、スピンオフ的なサイドストーリー?をお話ししたいと思います。前回の記事をまだ読んでおられない方は読んでから入られることをオススメします。それではどうぞ。


~会社辞めます~

妻は堅実な人で、僕は自由奔放なヤツだ。
こんなアベコベの二人が一緒になって、よくやって来たと思う。
断然、よくやったのは妻の方だけど。

たしかあれは会社を辞める半年位前だったと思う。
妻に会社を辞めてフリーランスの図面屋さんになることを相談した。
いや、相談といってもすでに心では決めていたので「宣言」に近い。

「なんとかなるよ、今より収入は増えるはず。」

みたいなことを言ったと思う。自信ありげに。

あの時、どんな会話だったかはあまり覚えていないが、妻は会社を辞めることには賛成だった。なにしろ夫が残業で毎日帰宅が遅いし、そのせいで育児も家事も手伝わないし、給料にも不満があったからだ。

一応、フォローしておくけど。
現場監督という仕事が悪いのではない。むしろ素晴らしい仕事だ。
自分が携わった建物は長年地図に残るし、子供達には「これお父さんが建てたんだよ。」って自慢できる。
実際は職人さん達の手で築かれるのだけど。
そのまとめ役という立場なので、ホコリを持ってやってきた。

が、僕には大きな不満があった。
父として夫として家族を守れていると言えるのか?

長女は乳離れもしてないのに保育所に預けた。

妻は雨の日も、風の日も自転車で送り迎えをしていた。

赤子が夜中に泣いてても、疲れ果てた僕はまったく気づかない。

妻も疲れ果てた。

次女が生まれた時はできる限り妻を支えようとしたが、タイミング悪く自宅から遠く離れた現場を受け持つことになった。
ただでさえ帰宅が遅いのに。
さすがにこの時は、他の現場に変えてもらえないかと上司に相談したが、お前以外に誰が行くんだと希望は叶わなかった。

妻に「すまない」と謝った。

彼女にとっては会社を辞めることに反対する理由なんてなかった。

収入の事は不安があったが、それでも何とかなるさと腹を括って12年務めた会社に別れを告げ、フリーランスの世界に飛び込んだのである。


~ITバンザイ~

2006年2月、僕はフリーランスの図面屋さんになった。

今でこそ「在宅ワーク」というワードが定着しているが、当時は認識していなかったと思う。

独立に向けて情報収集している時に
「SOHO」というワードに目がとまった。

Small Office/Home Officeの略なのだが、字のごとく、小さな事務所や自宅で仕事をするワークスタイルのことで、企業に属せず、自分なりのスタイルで仕事をしたい人たちがぽつぽつ現れていた時代だ。

これだ!

施工図という図面を描くのに、パソコンとインターネット環境さえあれば全国どこに居たって仕事はできる。もちろん家に居たってできちゃうのだ。

ということは、家族を見守りながら仕事ができる。
まさに理想のワークスタイル。

ITバンザイである。

かくして、自宅の1室を仕事部屋にしてフリーランス生活がスタートした。


~幸せって、なんだっけ~

毎日、家族そろって食卓を囲んだ。
今まではひとりでご飯をかき込むだけのわびしい時間だった。

毎日、子供と一緒にお風呂でアンパンマンのおもちゃで遊んだ。
今まではお風呂で寝落ちして何度も三途の川を渡りかけた。

毎晩のように子供が寝る前に絵本を読んであげた。
これが一番楽しみだった。子供達も喜んだ。
時にはこちらが先に寝落ちしたけども。

みんなで川の字になって寝た。

今まで何やってたんだろうな。
みんな、お待たせしてごめん。

ここからは幸せな毎日を送れ・・・・・。

た訳ではない。

家族が生活していくには、やはり安定した収入がないとやっていけない。
ジュウタクローンとかいう山だってまだ3合目あたりで頂上は霞んで見えない。

わかってはいたのだが、なにしろ営業についてはまったく学んでこなかったのだから、どうやって新しい仕事を取ってきたらいいのか戸惑うばかりで進展はない。


~ダイジョウブ~

子曰く、「仕事は有る時は来るが、無い時は来ない。」
もちろん孔子ではなく、僕の師匠の名言?だが、そんなのんきなことは言ってられないことになった。

産休中の妻が言った。

「私、仕事を辞めようと思うんだけど。」

まだ乳離れをしてない長女を初めて保育園に連れて行った時、別れ際の泣き顔が今でも鮮明に残っているという。罪悪感がずっと彼女を苦しめていた。

3人目の末っ子長男はちゃんと自分で育てたい。

思いは僕も一緒だった。

「いいんじゃない。ダイジョウブ、なんとかなるよ。」

そんな前向きで能天気な返答した僕だったけど、胸の内は大丈夫じゃない。これまで2馬力だったのが1馬力になるのだから、とうぜん荷が重くなってしまうわけで。本当になんとかしなければ家族を路頭に・・・。

家族の前では平静を装っていたものの

「ヤバイ」と顔に書いてある僕に、ある日妻が言った。

「じゃあ、トイレ掃除でもやってみる?」とあの本を差し出してきた。

彼女は賢い人だ。

彼女の名前が示す通り、真っすぐな性格は曲がったことが嫌いで、背中に「正義」と書かれた海軍の服が似合いそうなくらいに正義感が強い。

だから自由奔放な性格の僕とはぶつかり合うこともあったのだが、彼女の「正義」の前に僕はひざまずき、うなだれるしかなかった。だけど、そのたびに成長をさせてもらってきた僕は彼女に全幅の信頼を置いている。

だから素直に本を開いてみた。
念の為だが、無理やり読まされたのではない。

その本にはトイレ掃除の効果を含め、宇宙の法則について書かれていてたのだが、不思議と腹の中にすーっと入っていった。読み終えた頃には迷いなど消えていた。

そうだ。

妻の言うコトを信じて、トイレの神様を信じて、もうなんだってやってやる。

それまで家の掃除などロクにやったことが無い僕が、何も考えず、ただひたすらにトイレの掃除を毎朝やるようになり、せっせとトイレをピカピカにしながらその時を待った。

先人はよく言ったものだ。

「果報は寝て待て」と。

その後は前回の記事で書いた通りで、有難いことに、営業をして仕事を取ってこなくても、次から次へと仕事が入ってくるようになっていった。


~それってトイレ掃除の効果かも~

トイレ掃除に関しては仕事以外にもこんな話がある。

仕事がどんどん来るようになって収入がある程度安定してきたころ、ある問題が持ち上がってきた。

僕たち家族は3LDKのマンションに住んでいた。
夫婦と子供3人の5人家族なんだけど、フリーランスとなってからは1部屋を仕事部屋として使っていたので手狭になるのは目に見えていた。

それで家族で話し合った結果、マンションを売って一軒家を建てようという事になったのだ。

さっそく不動産屋さんに相談してみる。
残りのローンを支払って、少しでも新居の資金に充てようと考えていたのだが、それだと相場価格より数百万円高い売り出し価格になることがわかった。それだと買い手が付かないかもしれないと言われたが、とりあえず最初はそれでやってみましょうという事になった。

ところがだ。
ほどなくして不動産屋さんから連絡がきた。
部屋を見てせてほしいという問い合わせがあり、さっそく日取りを決めて、見に来てもらうことになった。

やって来たのは20代くらいの娘さんとその母親だった。
簡単に挨拶を交わした後、さっそく間取りを確認してもらう。
間取り的にはよくあるマンションの3LDKだが、ウォーターフロントの視界の開けた場所だからきっと気に入ってもらえると祈る気持ちで見守った。

各部屋の広さや状態など見て回りながら、うんうんとうなずく二人。
しばらくして、母親からちょっと気まずそうに尋ねられた。

「あの~。トイレを見せてもらってもよろしいですか?」と。

「もちろん、見てください。」と僕はドアを開けて見せた。

そーっと便器の蓋をあけてのぞき込む母親。

「わ~!きれいですね!」

その言葉が脳内で何度もリピートされ、心の中でガッツポーズをしている僕に彼女はさらにこう付け加えた。

「私、決めました! ここを買います!」

彼女が言うには、買うかどうかは最終的にトイレをみて決断することをはじめから決めていたのだそうだ。

しかし、相場より高い価格にもう少し何とかならないかと尋ねられたのだが、家を建てる為の資金に充てたい思いを正直に話すと快く応じて頂いた。

そのあとで妻から

「トイレ掃除、続けてきてよかったね。」

と、ほめられた。やっぱり妻を信じて正解だったのだ。

それから「トイレの神様ありがとう」と心の中で感謝をした。

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その約1年後、引っ越し作業を終えて引っ越し屋さんを見送った後、

「飛ぶ鳥、後を濁さずだよ!」と妻が号令をかけ、

家族みんなで部屋を隅から隅まで掃除をしてマンションから飛びたった。

後で不動産屋さんを通してあの母娘の喜びの声が届いた。

マンションに入居する前に、清掃業者に依頼しようと考えていたのだが、その必要が全くなくて驚いたと。部屋の壁紙も張り替えようと思っていたがそれも必要なくて助かったのだと。とても喜んでもらえて良かった。

やっぱり妻はちゃんとしてて、凄いなといつも感心してしまう。
妻に言わせると僕は4人目の子供だそうだ。

「父親のあなたがみんなを引っ張って行かないと!」
とよく言われるけども、

今は多様性の時代なんだよとは口が裂けても言えません。

性格がアベコベの夫婦は今も何とかやっています。

おわり


~おまけ~

僕たち家族は僕が生まれ育った田舎に家を建てたのですが、そのことは別の機会にお話ししようと思います。

ちなみに3人の子供たちは田舎でのびのびと育ちました。

絵を描くことが好きだった長女は東京の美術系で有名な私立大を卒業し、今も東京で頑張ってます。

末っ子長男はかつて僕が目指した国立の高専に見事合格し、今は大学受験に向けて頑張っています。

そして次女は・・・・。面白い人生を送っています。
両手ますかけ線を持つ彼女はいつか天下をとるのかもしれません。

それではまたお会いしましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


次女の両手ますかけ線








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