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【怪談手帖】巳の年【禍話】

「私の祖母がねぇ…お化けだったんです」

定年を迎えるまで百貨店で仕事をされていたというAさんは、衝撃的な言葉で話の口火を切った。

「お祖母様が、ですか…?」

流石に驚いて問い返すと、彼女は整った眉の間に少し皺を寄せながら続けた。

「ええ、それも蛇というか…そうねぇ、何と言ったらいいか」

蛇。
どういう事であろうか。どうにもそこから話倦ねていたようだったので、僕は思いつくまま取っ掛かりを探ってみた。
例えば前世が蛇だったとか、蛇に憑かれていたとか、もしくは古式ゆかしい異類婚姻譚のような話だとか。
あるいは比喩としてのお化けじみた人、蛇のような人というような意味か。
けれども糸口を示したつもりの月並みなそれらの問いへの答えは、「いいえ」だった。

「こういう話ってなかなかお伝えするのが難しいのねぇ…。
 なんだろう…、蛇のお化けは蛇のお化けでも、ただの蛇じゃなくて…『巳年のお化け』、そんな風にでも言うべきでしょうかね」

そんないよいよ謎めいた言い回しの元、どうにかこうにかご自身の整理をつけつつ、以下のような話を語り聞かせてくれたのである。

「女系の家というわけでもなかったはずですけれど、気付けば私の家は祖母と母と私の三人だけになっていました」

お祖父さんは早くに亡くなっていて、Aさんのお父さんという人も、若くしてAさんとお母さんを捨てて出て行ってしまったそうだ。
Aさんの家は二世代にわたって母子家庭というものを経験していたわけである。

「ですから私はかなり母にべったりだったし、母も私を過剰なほど大切にしてくれました」

ところがその一方でAさんのお母さんとお祖母さんとの間には、どうにも少し距離があった。折り合いが悪かったとか喧嘩が多かったとかそういう話ではない。
普通に会話を交わし平穏に家で暮らしていても、何か確実な隔たりが常にそこにあるような。
Aさん曰くそれは親娘間のというよりもお祖母さん自身の有り様に起因するもので、彼女は常に周りとの間に透明な壁を一枚持っているような人だったという。

孫であるAさんに対してもそれは同じだった。
お祖母さんは外との付き合いをほとんど持たなかったから家での様子からの印象であったそうだが、当初Aさんはそれを、人生において彼女が経験してきたであろう苦労の結果だと考えていた。

「けれどもどうやら、そういう話ではなかったんです」
どこか遠くを見遣るような目つきでAさんは言葉を続けていく。

Aさんが十八歳の時にお祖母さんは心臓の病気で亡くなった。

「突然の事でね、もちろん母も私もショックは受けましたけど、年齢もあったから。
 あ、祖母も母も三十を大きく超えてからのお産だったんですよ。
 ですから亡くなった時の祖母は今の私と同じ八十歳を超えていたし、哀しいけれど受け入れられる歳だったというかね。
 それ以上に引きずる事もなくて、きちんとお葬式をして火葬になって、お骨を拾ってお寺に納めて、ごく当たり前の手順で祖母はお墓に入りました」

しかし。
「確かにお墓には入ったんだけど、祖母は本当は亡くなっていなかったんです。ごめんなさいね、変な風に思われるわね。でも…」

Aさんは信じられないような言葉を紡いでいった。

お祖母さんの通夜に臨んだ夜の辺りから、お母さんとAさんはある奇妙な感覚を共有していたという。
それは、お祖母さんの形が変わっていくという感覚だった。

お祖母さんの手足がどんどん縮んで目立たなくなっていき、代わりに胴体がどんどん伸びていって成長していく。
そんな異様な感覚をAさんとお母さんの二人が全く同じように共有していたのだ。
お母さんは言った。「なんだか母さんが長物みたいになってしまう気がする」と。

お祖母さんは巳年の生まれで、亡くなった年も偶然なのか巳年だったがそれが何か関係しているのかと二人は話し合った。
そうして恐怖のまま二人は、祖母を納めた棺の中を確かめた。
しかし何度確かめても何も変わっていない。棺の中でお祖母さんは臨終の時と同じ安らかな顔で眠りに就いていた。

「だからその時は流石に気の所為だろうとか、疲れてるんだろうっていう当たり前の話になって…」

そのまま恙無くお祖母さんの葬儀は終わり、火葬場に運ばれ壷に入ったのだが。

「母と私の間では、あの感覚が続いていました。いや、そのまま続いていたのとはちょっと違うわね。なんというか…」

お骨になったお祖母さんの体と、形が変わって成長していくお祖母さんへの感覚が二つに分かれて別のものになっていったのだとAさんは言う。

「私達自身も自分達で上手く説明出来なくて…、出来ないからこそ怖かったですよ」

そして四十九日が過ぎて納骨の終わったあたりからAさん親娘はおかしな夢を見るようになった。
それはお祖母さんがまだ家の中にいるという夢だ。

夢の中でお祖母さんはすっかり長物に、頭のない蛇のような異様な形状になっていた。
何メートルも延々と長い、両端共に頭に当たる部分がなく、ただどちらも尻尾の先のように窄まった姿。
色は黒の差した落ち着いた赤色。
所謂蘇芳色で、その全身に縫い取りのような菊の柄が散っていた。

「それは祖母が生前好んで着ていた江戸小紋という着物の、そのままでした」

そんなものが家の中にいる。家具や調度類の作り出す影の中を、シュルシュルシュルッと音を立てて動いている。

「見上げた欄間から垂れ下がっていたり、敷居をゆっくりと過ぎて行ったり、鏡台の下に蟠っていたり、衣紋掛けに絡まっていたり…」

お母さんとAさんは夢の中で見たそれら一つ一つの光景を互いに確かめ合った。
そんな形になっていても確かにそれはお祖母さんだと。人らしい動作など何一つしていないのに、二人ともが納得している事も確かめ合った。

家の中に大蛇のような何かが同居している。それが紛れもなくお祖母さんである。
そして次第にそれは夢だけでは終わらなくなった。
夢の中ほどはっきりと姿を見せる事はなかったが、床をシュルシュル、ズルズルと擦る音がしたり。
シューッ…シューッ…と細い息が聞こえたり。
はっとして振り返ると襖の影に蘇芳色の尻尾の先が消えるのを見たり。


「私達がおかしくなったんだと思いました。親娘揃って知らないうちに…うっすらと狂ってしまっていたんだって」

しかしそれは二人だけの幻覚や幻聴ではなかった。
家へと招いたお客や親類たちが誰も彼も口々に言うのだ。
「家の中に何かいる、何かが這いずる音が聞こえた」
「物陰に大きな蛭か蛇のようなものを見た、あれはなんだ」
やがて家には誰も来なくなり、それ以上噂が広まる前にAさん達も家へ人を招かないようになっていった。

「そうね、そういう霊感のある人に見てもらうとか、お寺や神社の方に相談するとか考えなかったわけじゃないんですよ」

けれども実感として祖母は確かに「いる」のだし、今更それを確かめても仕方がない。

「祖母の体は焼かれて煙になって、お骨も確かにお寺の納骨堂にあります。
 …でもそちらは祖母の抜け殻にすぎないという気がしていたんです」

Aさん曰く、お祖母さんはお化けになったのではない。元々ああいうものだったのだと。
巳年の生まれで、巳年に死んだから、ああなったのではない。
そういうものだったから巳年に生まれて、巳年に死んだのだと。
そういう感覚になっていたのだという。

「だからねぇお祓いと言ったって、っていう話でした。それはお祖母ちゃんをどこかへ追い払うって事なんですから。他の人に迷惑をかけているというわけでもないのに。
 もちろんそういう相談をする事で私達の正気が疑われるだろうっていうそういう気持ちもありました。
 いや…実際のところ普通の感覚に照らしたら私達は狂っていたでしょうね。
 でもそうだとしてもそれって私達の家の中で始まって、私達の家の中で終わるものじゃないですか」

結局それからもずっとAさん達は何十年とその家で暮らし続けた。

「母は私が五十になる前に癌を患って亡くなりました。もちろんそれきりですよ。母は普通の人でしたから」

一方でお祖母さんは何も変わらず同じように在り続けた。
夢の中に。現実に。

「母の死後もずっと、祖母は歳を取り続けている、そんな感覚でした。
 それってずっと…成長しているって事なのかしらねぇ」

そのように暮らし続けたある時の事。
家の品々を整理していると、ふと額に入った見覚えのない人の写真が出てきた。
白い髪をまとめた落ち着いた面持ちの歳を取った女性の肖像だった。

それがお祖母さんの遺影だと気付くのに、Aさんは少し時間がかかってしまった。

「なんとか気が付いたのはね、その人が蘇芳色の小紋を着ているのが襟元でわかったからなの。顔は…、顔の方は…」

それはすっかり昔どこかで見た気がするけど、あまり馴染みのない『お婆さん』の顔だった。
あるいは置き去りにされた昔のお面のような。
葬儀の後、祖母の遺影を一度も飾っていなかった事もその時に思い至ったのだという。

僕はAさんの語りに終始圧倒されてまともに相槌も打てていなかった。話が一段落した頃合いで、辛うじて僕の口から溢れ出たのは次のような問いかけだった。

「では…お祖母さんは、まだ…、お宅に…?」

Aさんは肯定とも否定ともつかぬ少し困ったような顔で薄く笑った。
曰く、少し前にお祖母さんの形がまた変わっている事に気付いた。

「夢の中で祖母は、輪っかになっていました」

頭のない大蛇のような何か。それは尻尾すらなくなっていつしか一つの輪になっていた。
そしてその蘇芳色の巨大な円は、最早家の中かどうかもわからない真っ暗などこかで、ずっとぐるぐる回っているんです、と。

それに気が付いたのは偶然かどうかわからないけれど、ちょうど巳年の事だったそうだ。

「きっと私が死んだ後も、下手したら家がなくなっても、祖母はずぅっとあのまま回り続けるんじゃないんですかね。
 だからね。
 私の祖母は、お化けだったんですよ」

Aさんは少し冗談めかすように、最初と同じ言葉でこの話を結んだ。


出典

この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (元祖!禍話 第三夜(第二部は新企画!怒霊界エニマガ・パイロット版)) 余寒の怪談手帖『巳の年みのとし』(42:41~)を再構成し、文章化したものです。
※書籍版では『巳ノ年』

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原作者・余寒様の制作された書籍、「禍話叢書・壱 余寒の怪談帖」「禍話叢書・弐 余寒の怪談帖 二」がboothにて販売中です。
(この記事のお話は、「禍話叢書・弐 余寒の怪談帖 二」に収録されています)

ヘッダー画像はイメージです。下記のサイトよりお借りいたしました。
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