テウトとタモス 魚村晋太郎 今年の関西は空梅雨で雨が少なかつたが、地方によつては豪雨に襲はれたところもある。各地で被災された方方にはこの場を借りてお見舞ひを申し上げる。 九州北部豪雨の数日前、私の所属する短歌結社がこの時期に隔年で行つてゐる九州歌会が佐賀県であつた。本州のメンバーは前日佐賀に入つて歌会が終はるとすぐに帰途につく人が多いのだが、私は歌会の後に佐賀在住の大先輩Tさんたちと少人数で飲むのがここ何回かの恒例になつてゐる。 Tさんは精悍な感じの人だが根つからの
二十代の終はりまで、エアコンのない部屋で暮らしてゐた。この前エアコンが故障して、あらためてそのことを思ひ出した。実家にもなかつたし一人暮らしを始めてからも暫くはなかつた。暑がりで汗かきの私だが、はじめからなければないで何とかなつたのである。 京都の大学にきて一人暮らしを始めたころ、夏になると風の通る日陰をもとめて方方へ出かけた。例へば南禅寺の三門は東山の樹樹の間を吹く風の道になつてゐるので、一隅を借りて本を読んだりすることがあつた。 哲学の径から東山へ少しあがつたところ
むかしの冬は本当に寒かつたものだと妙なところに感心した。内田百閒の『東京焼盡』を読みながらのことである。 十二月下旬の日記に「真暗闇の軒下にて用水桶の厚氷を割る音があちこちから冷たい往来に響き返つた」とある。現在の十二月の東京では薄氷さへ珍しからう。 『東京焼盡』は東京が初めて空襲された昭和十九年十一月一日から翌年の敗戦直後までの百閒の日記である。警報や空襲の記録の合間にある、誰誰が麦酒を持つて来てくれたとか、お酒の配給があつて久しぶりに酔つ払つたなどの記述がいかにも百